2006年07月16日

2006.07.16| ジュゼッペ・アンダローロ

第1回仙台国際音楽コンクール(2001年)で優勝して以来、毎年仙台にやってきて演奏を披露してくれているイタリアーノ、ジュゼッペ。

今回はまさに「どこかで聴いたクラシック」。おなじみの曲をたくさん弾いてくれますので、一通り見ていきましょう。何かの参考にでもなればということで。

まずはやっぱりモーツァルトのトルコ行進曲。言わずと知れた超有名曲ですが、曲の後半で突然乾いたシンバルのような打楽器が鳴り響く演奏を聴いたことあります?
Christian Zacharias氏のCDを初めて聴いた時にそれが出てきてビックリしたことがありますが、モーツァルトが生きていた頃のピアノには、その打楽器が標準装備されていたものがあったそうです。今のピアノにもあったら楽しそうだけどなぁ。

おなじみの曲というとたいていは何かニックネームが付いているものですが、ショパンのノクターン2番には不思議と無いですね。こんなに知られた曲なのに。誰か素敵な愛称を付けてあげてはいかがでしょうか。ちなみにエチュード1番の方は「エオリアンハープ」という素敵な名前で呼ばれています。シューマンが「エオリアンハープのようだ」とこの曲を評したからだそうです。

ロマンチストの皆さん、ベートーヴェンはいかがでしょうか。激しさとか雄大さで物語られるベートーヴェンですが、「月光」1楽章や「悲愴」の2楽章のような、思わずうっとりとしてしまう音楽も彼は得意のようです。

バッハのゴルトベルク変奏曲は、バッハが音楽を手ほどきしたことのあるゴルトベルクという音楽家が不眠症に悩む伯爵様のために夜な夜なこの曲を演奏して楽しませた、というエピソードからこの名前がついたらしいのですが、それが本当かどうかは定かではないようです。まともに演奏すると40〜50分くらいはかかるというものすごい曲ですが、今回はその最初と最後を美しく飾るアリアをどうぞ。

仙台国際音楽コンクールボランティア 千葉周平

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仙台フィル&新日フィル

2006.07.15| 西江辰郎

仙台フィル

さあいよいよ七日目に入ったぞ;結構大変・・・・・文章。
何だか話が飛びすぎて、何のブログなのかわからなくなっていますよね(^0^;せんくらです。

少しは僕の日常を見ていただけましたでしょうか?

言葉で言うなら、負けず嫌いで、趣味は人間観察とか・・・・

そうそう、運動したくてたまらないんです。桐朋に入ってから、当時一週間に1時間半しか体育はなかったんですよ!これは男にはきついです。それ以来あまり運動できていないから、10年ほどたまっていることになりますね!

仙台フィル、新日本フィル、どうですか?ときかれることもあるのですが、僕はどちらも大好きです。

仙台フィルでは同じプログラムがまわってくる回数は少なかったですが、ホントにたくさんの曲と出会うことが出来、色々な指揮者、ソリストと話したり、交流を持てる機会も時間も多かったとおもいます。外山監督、梅田俊明さんから教わることも多かったですし、時にはきつく叱って頂いたり、アドバイスを下さったりしました。一時にその演奏にじっくりと取り組むことが出来るというのはとても大切なことだとおもいます。またメディアの出演や自主企画の演奏会をしたい場合に、こちらからお願いしたときも、とても親身に考えてくださる余裕は仙台ならでは、かも知れません。

新日本フィルは、すみだトリフォニーホールとフランチャイズをしていて、そこで練習もできるという環境で、とても恵まれています。楽団員一人一人がそれぞれにオケ以外でも活躍していて、事務局も奏者みんなをそれぞれにアピールしているという点で、素敵だなと思います。新しい発想や企画もあり、面白いです。

どちらも和気藹藹とした仲の良いオーケストラです。

将来合同演奏会みたいなのがあったらいいのになと思います。

今回の仙台クラシックフェスティバルで、音楽をもっと身近に感じる方がどんどん増えたらうれしいです。演奏家を育てるのはお客さまですし、聴いてくださる存在がなかったら、僕らは何に向かって・・・・神?ということになりますものね。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

それではまた!お会いでき、演奏を聴いていただけることを楽しみにしています。

季節柄ご自愛ください。皆様にくれぐれも宜しく、あとは僕が練習して、祈るだけです。
「○×△□!!」

西江辰郎 2006年6月11日
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音楽とジュリアード音楽院

2006.07.15| 松山冴花

最後のブロッグです。変なことばかり書くので仙台オフィスの人達もハラハラしてたかも。

最後は音楽とジュリアード音楽院のこと。

かれこれジュリアード音楽院にはもう17年近く通ってます。プレカレッジ9年、バッチェラー4年、マスター2年、で今のArtist Diploma 2年目突入中。それを言う度に友達から冗談のネタにされます。

でも音楽のおかげでここまでいろんな体験をさせてもらって、そして成長させてもらって本当に有り難く思います。

音楽が専門じゃなくて、でも音楽が好きな人に会って音楽の事、日常の事を話すと安心できる。音楽のおかげで色々な所に出かけ色々な人に出会って、何処かに行く度に必ず新しい経験ができる、その上自分が好きな音楽を人前で弾ける、自分が普通なかなかだせない思いを心底からその時弾いている曲にぶち込める。その気持ちが聴いている人、一緒に弾いている人、先生、教え子に伝わった時がヴァイオリンを弾いていて一番幸せな時。

ステージの上に立つのは怖くない?と時々聞かれますが、音楽に自分が乗ったら、全く。ずっとその時間がつづいてほしい。

これからもがんばります。120%ではなく、自分にあった弾き方、解釈、そして絶対何もかも一人では出来ないので、周りの人達からのサポートにも頼って、一歩一歩限りない道を歩んで行こうと思います。

いつも温かい応援、有り難うございます。

See you all in October!

松山冴花(ヴァイオリン)

2006年07月14日

2006.07.14| 西江辰郎

今日はショスタコーヴィチの交響曲第7番、バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ、スターウォーズ、未知との遭遇、音階、ワーグナーのワルキューレなどをさらいました。

毎日いつの為の曲を練習しているのかよくわからなくなっていますが、こんなのにも慣れてきて、準備を早くにするように心がけています。

ところでショスタコーヴィチですが、この曲は「レニングラード」といわれていて、バスのテーマに長三和音がそのままの形で移動するテーマがあります。この曲は僕がスイスへ留学していた際、ミッシャというサンクト・ペテルスブルクから来ていた友人が、「タツ!この曲知ってる?」といって、学校にあったアプライトピアノで吹き飛ばんばかりの大音量で弾いてくれた曲です。あまりのうるささに、すべての部屋からみんなが出てきて、それはそれは・・・・・・

彼にはマリナという姉がいて、彼女が最初にスイスへ来ました。そして、「私には弟がいるの、彼は私なんか肩に担いで歩けるんだから!」というので、そんなばかなと思っていたのですが、半年ほどして本当に弟がスイスへ留学してきたら、姉を本当に片手で持ち上げ肩にのせて階段をおりていくんです。まあ、姉は軽そうだったから45キロくらいかも知れませんが。

ミッシャが来てからというもの、次第に物が壊れていきます。まず、トイレの扉がしまらなくなり、ブラインド、取っ手、しまいには学校のオートロックの扉、絨毯、洗面台、ピアノ・・・・パワーがあり過ぎて、彼としてはやさしく取り扱ってるつもりなのですが、色々吹っ飛んでいきます。

あるとき、学校から遠くに住んでいたミッシャに自転車を下さった方がいました。26段ギヤつきのマウンテンバイクで、なかなか良いものだったのですが、1週間後、壊れているんです。「どうしたの、これ?」と聞くと、「ああ、あのね、ギヤを変えずに学校まできたら、途中で壊れてさ、Haha!」と、ミッシャ。
「・・・・・・」
返す言葉もありません。

だって、いちばん重いギヤで、しかも学校へは歩いてだってかなり急な坂があるんだから、普通 漕げないだろう・・・・!!そりゃ、チェーンも切れる・・・そんなこんなで、ウォッカの飲み方などを教わったり、ハチャメチャでした。

今僕がショスタコのこの曲を聴いて、このパワーを少なからず理解でき想像できるのは、ほんと彼のお陰だとおもいます。

西江辰郎
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怪我

2006.07.14| 松山冴花

私、あまり怪我はしないものの何年かに一度、大きなケガをします。

私の一番最初のケガは幼稚園の時。

水泳のクラスから帰る途中。自転車の後ろの荷物置きに足をブラブラさせて快適に乗っていたら“あれよあれよ”いう前に、左足が後ろタイヤに巻きこまれてました。ビックリ。

次は小学校の時。体育のクラスでドッジボールをしてた時。逃げたボールを全速力で追いかけてたら、くぐったはずの鉄棒をまともに顔面に頂戴しました。

その時からです。学校科目につぎこむエネルギーはホドホドにしようと。

14歳の頃、オハイオ州にあるエンコール音楽祭に行きました。その時はホームステイ。家の主の息子さんが昔使ってた自転車で、一人でどっかに遊びに行った帰り道のこと。家の近くに下り坂があって下るのを自転車に任せてたら交差点が見えたのでブレーキを。のはずが、気づいたら自転車のブレーキがお陀仏だった。もう接近してくる車と交差点に恐怖を抱き、取った行動とは?

決心して電柱に正面衝突。車に跳ねられるよりましかと。

最後のは、去年の感謝祭の時。なれない包丁で物を切っていたらついでに左手の指も。血がピューピュー飛び出してくる指を、母の前におもしろがって突き出すと嫌がられました。ま、無理もない。

また、いつかどこかでけがしたら報告します。それまでお楽しみを。

松山冴花(ヴァイオリン)

スイスにて

2006.07.13| 西江辰郎

ヴァルガ先生

僕がヴァルガ先生につきにスイスへ渡ったころ、当事先生の個人の学校(エコール・スペリオール・ド・ムージーク TIBOR VARGA)には、ロシア、アルメニア、ウクライナ、アルバニアといった国からの生徒が最も多く来ていました。その中には、ヴァルガ先生がそれらの国でマスタークラスをした折に「スイスへくれば、私が生活費を持とう」と言って、連れて来た生徒も数人いました。上手い人、そうでない人、才能を感じさせる人、色々な人がいましたが、いずれにせよ、先生が気に入った人たちには違いませんでした。彼らはスイスへ来てまだ数ヶ月、母国語はロシア語が多く、フランス語はもちろん話せないし、そのころは彼らとは英語でお喋りするのが普通でした。

僕がスイスへ留学してから1年ほど経ったとき、ロシアから来てまだ日も浅いある同僚に、両親のひと月あたりの給料を聞いたところ、「父はオーケストラのコントラバス奏者で月1万4千円にしか満たない」といわれました。物価がちがうのはもちろんですが、なぜ僕がそれを尋ねたかというと、彼女がスイスで週に食費2000円ほどで生活していたからです。よく、スーパーで味見を装い、オリーブなどをつまみ食いもしてて、フルーツはレジを出る前には完食!買うのは60円のチョコとお菓子!というすばらしい買い物に一緒に行きましたが、彼女の財布の中身は、いつも紙幣はなく小銭ばかりでした。スイスは日本よりも物価がやや高い国です。そのお金で1週間・・・・!!

彼女は毎日チョコレートをかじりながら、紅茶を飲みつつ、1日12時間はさらっていました。上手かったです。「ダーバイ トラヴァイェ!」というのがぼくらの合言葉でした。(ダーバイはロシア語、トラヴァイェはフランス語でくっつけたのですが、レッツ・プラクティスのように使っていました。)

(たびたび、西江さんは一日にどのくらいさらうんですかと訊かれますが、「日によって異なります。」というのが僕の答えです。2〜3時間もあれば技術を維持するのみには足りるかと思いますが、音楽創りにはかなりの時間が必要ですし、練習には、質をもとめたいです。そのためには適度な休憩、頭の問題、興味を湧かせるための研究や感性をみがくこと、実験的なことも必要だと思います。だからできるだけ鮮明に考え、聴き分けられる常態で、納得のいく充分な練習をしたいと思っています。

人間の体もたいしたものですね、僕のスイスでの経験上、長時間良くない練習をしたら、きちんと長時間分の良くないことが・超・身につきます。)(●^0^●)

学校には自由に使えるとても広い部屋が4,5個あり、その部屋を確保するには誰よりも早くそこへ行き、取られないためにはいつも練習している必要がありました。そして自分の借りている部屋では思いっきり音を出すことが出来ないという状況は皆一緒だったので、僕は学校から3分のところに住み、一日のほとんどを学校で過ごしました。同僚の中には家賃が払えず、屋上に寝ている友人もいました。

更には、ヴァルガ先生はいつレッスンをして下さるかわからない方だったので、もし本当にレッスンを受けたかったら、必死で受けたいことをアピールする必要がありました。つまり、常にレッスンを受けられる状態を準備し、いつでも、何時でも学校にいて、先生が玄関から足を踏み入れた瞬間、階段を駆け下りて真っ先にレッスンを受けたいと言う必要がありました。なぜなら、その日にいったい何人レッスンするのかさえ、先生のその日の気分次第だったからです。もし仮に一週間に一度のレッスンを受けたかったら、常に一日中、学校にいる必要がありました。僕はもともと負けず嫌いな性格なので、彼らと一緒に学校に入りびたりでした。

練習。練習。練習。一日中練習している子の食事が、ヨーグルト、パスタあるいはパン、時にはほとんどが水のスープという生活を送っているのを目の当たりにした僕は、自分が日本人であり、生活費や食費を親が負担してくれていたので何不自由ないことが、ありがたくもあり、とても恥ずかしくもなりました。彼らの生活スタイルからかけ離れた贅沢はしないよう、また彼らから贅沢に見えることをしないよう心がけました。僕も毎日の朝昼はチョコレートと130円のパン。一食は自炊で料理し・・・という生活がつづき、今より8キロは痩せました。

ある日、友達が大騒ぎしています。どうしたんだと訊くと、「私の大切にしていたボールペンがないの!」という。
前日練習していた部屋をみたり、皆で色々探し回った挙句、使い古しの練習曲のコピー紙の山の中からついに発見!ところが、いわゆる日本でいう100円ボールペンの「・芯・」だけなんですよ!「これが彼女が言う大切にしていたボールペンなのか!」(^0^;)もちろんこんな事は本人に言えないので、心の中で言いました。

あるときはウクライナから来た友人に「腹へったし、めし作って食わない?」と誘われ、練習の合間に彼の部屋へ行きました。彼の家賃はずいぶんと安いので、なぜかと思ったら、屋根裏なので天井も低くコンロも一つ、電気も一つという状態でした。「パスタにしようぜ!」といわれ、まず水を沸かし、塩をいれてパスタを茹でる。茹で上がったら「さあソースだ!」というところでなぜ「茹で上がったら」なのか・・・

コンロが一つだから一緒に作れないんです。じゃあ早くしないと冷めちゃうから、「野菜でも入れて食うか!」ということになり、

今日の野菜登場!!

ということで出来上がったとき、天窓から屋根にあがり、町を眺めながら、世界一空気の綺麗と言われる土地で、燦々と輝く太陽のした、2人でミニトマトひとつを半分ずつパスタにのっけて食べたのでした・・・・・。トマトがホント、甘くてうまかった!!

彼は、翌日は「塩と胡椒」、そのあくる日は「バターと塩」といった具合に味付けを変えたようですが、僕はおかしくなりそうだったのでもう少し贅沢しました。

日本はなんて贅沢で物の消費が激しい国なんだろう・・。紙だらけ、ごみを出しだらけ、電気を使い放題。何で真っ昼間からプラットホームの電気をつけっぱなしにする必要が。何でとにかくコピーを取る必要が。何でしっかり包装されている必要が。何で新製品の売り場に展示用の商品が置かれている必要が。豊かな国だ。

僕の家にだってどれが使えるのかわからないほどたくさんのボールペンがある。ヴァイオリンの弓の毛だって少なくなれば張り替えられるし、彼らみたいに毛の量が3分の1になってもフォルテを出すときに頑張って力んで弾く必要はない。恵まれている。いつでも欲しい楽譜が買える。CDが買える。腹いっぱい食える。

こんな思いが浮かぶのにそう時間はかかりませんでした。そして、日本のよい面に気がつくのにもまた時間は要りませんでした。もし今自分が日本にいるとして、勉強したかったとしたら、そのとき日本だからこそ良いところはどういったところか。

そしていまから自分が出来ることは何か。考えるだけでなく、その前に実行する必要がある。不安。何が出来るか。自分のためではなく。

本当に本当に家族思いだった彼ら。兄弟。兵役に行きたくなければ音楽家になる道を選ぶ必要のある国。「帰るところのない国なんだ」ということを感じさせるその母国の音楽。宗教。今僕はとても嬉しい。それは当事の友人の一人が永世中立国でオーケストラでの仕事を得て、まともな生活を手に入れつつあることが。本当に嬉しいです。

西江辰郎 2006年6月4日
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仙台、仙台コンクール、仙台フィル、また私自身

2006.07.13| 松山冴花

初めて仙台にいったのは、1995年の若いチャイココンクールの時。何もわからず母と行きました。

その時の仙台の思い出はフルーツがおいしかったこと。夏の最後で桃とか母にねだって買ってもらったのを覚えてます。2004年仙台コンペに仙台に戻った時も95年の私の事を覚えていてくれた人が多く、嬉しく思いました。

で、気がついたらもうあれから11年。時がたつのがはやすぎてびっくりします。でも顔は変わってないみたいです。チビの頃の写真どおり顔はぬいぐるみみたいで全然変わりなく。高校以来会ってない友達にこの前偶然地下鉄で会ったら彼、一発で私が誰だか分かりました。私は案の定、向こうが大人になって誰だかさっぱり。頭の細胞は昔のまんま。ホントに全く。昔の知り合いに会ったら私、母そっくりになってきたと。ついでなら脳の方も母に似てほしい。

また話がそれた。

仙台コンクールの時はいい思い出ばっかり。ま、確かに勝ったからいい思い出に繋がるんですが、それ以外にもいっぱい。私のホストのなお子さん家族としょう子さん家族は本当によくしてくれました。ご飯を届けてくれたり、私のお守りをいっぱいしてくれて。仙台に行く度に時間を作ってくれて遊んでくれるので感謝いっぱいです。

来年、2007年の2月には仙台フィルとチャイコの協奏曲を弾きます。チャイコ、仙フィルと弾くのは95年の若いチャイココンクール以来。12年目です!あの時よりもっと深く弾きます。

そして、あの時より美人になってること願います。

松山冴花(ヴァイオリン)

イタリアにて(2)

2006.07.12| 西江辰郎

今回の演奏旅行では、もちろん例のアレッサンドロ・クオッツォのソナタを曲目に入れて、彼の親や奥さん(昨年11月に結婚したんだそうです)、弟にもお世話になりました。クオッツォは今セレーノ弦楽四重奏団のためにピアノ5重奏曲を書いてくれています。僕にも、ヴァイオリンのソロソナタを書いてくれたので、そのうち演目に入れたいと思います!

ジュゼッペと2週間も一緒にいると、ホントにいろんなことがあって、楽しかったです。仙台国際音楽コンクールがなかったら、彼とこれだけ親しくなれることもなかったでしょうし、その後デュオ・リサイタルも企画してくださった文化事業団に感謝です。

イタリアは僕の想像以上にモダンで、外見は古くても家の中はモデルルームみたいなところも多かったです。鍵などは凄くたいそうで、日本の鍵の2ロックとか行っているのが20ロックほどいっぺんに閉められるような扉があります。

駐車場も場所によっては日本のようにリモコンで車内から開け閉めできたり、家の鍵もレーザーのところに特殊なキーをかざしたり。

でもいわゆるエレベーター式に車が上がっていくパーキングは存在せず、鍵ごと車を預ける駐車場では中のものを取られて当たり前なので、すべて紙袋に入れて泊まる部屋に持ち込んだり・・・

なんだかところ変われば、でした!

ちょっと町を離れたら、広大な牧草地、大きな岩の上のほうに小さな町があり、自然もたくさんです。

車で移動できたのはとてもよかったです。

何しろ電車も飛行機も30分や1,2時間、遅れて当たり前ですから!

西江辰郎
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せんくら四季、リサイタル

2006.07.12| 松山冴花

せんくら、すごく楽しみにしてるんです!

ギターやマリンバの公演も興味津々。私の公演は四季と小リサイタル。四季は仙台フィルの方達と、リサイタルはピアノの津田裕也さんと。

四季を弾くのは久しぶりで、勉強しなおし、天候いっぱいのおもしろい一年にしたいとおもいます。仙台フィルの奏者の中に入って弾くのは初めてなので、彼達と一緒に魅力いっぱいの音楽を作りたいと思います。リサイタルでは、割とテンポの速い曲が多く飽きる暇なし。指は有り難く速く回るので得意分野。リハでは裕也さんとバッジーニの曲でテンポ競争したいぐらい(そんなこと裕也さんに言ったら彼にも呆れられる可能性有り)。

仙台に行くの、いつも楽しみにしてます。仙台コンクールの時に本当にお世話になった事務局の人たちは、会う度によくしてもらって、無理矢理遊んでもらったり、コンサートに来てくれる方々と話すのを毎回楽しみにしています。10月、その時ちょうど小学校訪問も予約に入っていて、ちょっとビクつきながらもワクワクしています。

私、きっとコンサート会場の辺、うろついてると思うので、もしよかったら話しかけてください。

とんちんかんな答えが返ってきたら、きっと私です。

松山冴花(ヴァイオリン)

イタリアにて(1)

2006.07.11| 西江辰郎

今年2006年3月イタリアでジュゼッペ・アンダローロとリサイタルをしてきました。1500キロも彼の車で移動したので、ミラノ、ヴェローナ、アブルッツォ、ローマ、ナポリ、シチリアなどかなり行ったのですが、ヴェローナではまだ寝ているジュゼッペには内緒で、有名な野外の歌劇場に入ってみました。

普通、その大きさに感動を覚えるのかも知れませんが、僕はそれ以上にその石一つ一つに「スゲーナ」と思いました。全部手作りなので一つとして同じ形の物がないんです。微妙なあいまいさが集まって、一つの大きな建造物が出来上がっていて、それをつくるための歴史は抜きにして、「美しいな」と思いました。

「美よりも美しいものがある。それは変化である。」
という言葉を、またもや思い出したのですが、機械ではない手でつくられたものの、微妙な誤差や、くせ、不釣合いや、いびつさが、美しいいと思わせる要素であると思います。

ヴァイオリンにも音楽にも同じことが言えて、ヴァイオリンでは今では演奏にもっとも都合よく、音にも良いとされる、それぞれの寸法がミリ単位で決まっています。でも、手作りで、しかも「木」自体が何百年と生きてきて、一つとして同じ物がなく、その運命によって色々な道を歩んできたヴァイオリンは、今でも胴体にその歴史を刻みつつ舞台に立たされている、そう考えると、見て美しいと思うのも無理ないかなーと思います。

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