
初めまして。
8月3日から9日までこちらのブログに初めてお邪魔する、ピアノの青柳晋です。
リレー形式での一週間ブログを認めるにあたり、何について書こうかと相当迷いましたが、この期間を使って、以下のようなテーマで書き進めることにしました。
それは、「修行時代に先生に言われた印象的な言葉」。
先生から受けるご指導の言葉は、その場で完全に理解出来るものでは到底なく、何年も経ってから、様々な体験を通して心の中に浸透してくるものだと思います。
私が今まで師事した先生方からいただいたアドヴァイスの中で、特に印象に残っているものを毎日ひとつずつ、当時のエピソードを交えながらこのブログに載せていきます。
【修行時代に先生に言われた印象的な言葉・1】
「ルービンシュタインは楽曲の為に存在しようとし、ホロヴィッツは楽曲を自己表現の手段とした」(クラウス・ヘルヴィッヒ先生)
ルービンシュタインが弾くショパンのマズルカに耳を傾けていると、恰も音が演奏の瞬間に新しく紡ぎだされているのかと思うほど自然に音楽が流れていくのを感じます。一切の無駄な緊張や余計な表現を省いて、曲に溶け込もうとする意思の現れではないでしょうか。
ルービンシュタインは曲を通じて大仰な自己主張を試みたのではなく、音楽といかに無理なく、自然に一体になるか、ということを突き詰めていった偉大な音楽家だと思います。
一方、ホロヴィッツの弾くスクリアビンの小品や、バッハ=ブゾーニのコラールを、それぞれの曲を創った3人の作曲家たちが聞いたらどう思うでしょうか?
残念ながらその「実験」を試みる事は不可能ですが、きっと彼らはホロヴィッツが自分たちの想像を超えた、楽曲に眠っている新しい魅力を引き出した事に感嘆するのではないかと思います。
ホロヴィッツの音色には「この世のものとは思えない」魔力があって、それは時には深いため息であったり、厭世感であったり、儚い夢であったりして、人の心をとろけさせてしまいます。
曲を取り込んで自分にしか出せない魅力を解き放つ、デモーニッシュな音楽家ですね。
ヘルヴィッヒ先生は、どちらがどうかという事ではなく、「私は前者が好きだが、あなたはどちらを志すのか?」という事を私に問いただしたかったのだと思います。
音楽と作曲家の意図に誠実な先生は、ルービンシュタインとリヒテル、ケンプを崇拝していらっしゃいました。
私は、恐れ多い事ですが、ホロヴィッツの出す音の一つに、少しでも近づけたら本望です。
(リヒテルの平均率とケンプのシューマンも大好きですよ!)
青柳晋(ピアノ)