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SENCLA BLOG

ブログ

松山冴花
2006.07.14

怪我

私、あまり怪我はしないものの何年かに一度、大きなケガをします。

私の一番最初のケガは幼稚園の時。

水泳のクラスから帰る途中。自転車の後ろの荷物置きに足をブラブラさせて快適に乗っていたら“あれよあれよ”いう前に、左足が後ろタイヤに巻きこまれてました。ビックリ。

次は小学校の時。体育のクラスでドッジボールをしてた時。逃げたボールを全速力で追いかけてたら、くぐったはずの鉄棒をまともに顔面に頂戴しました。

その時からです。学校科目につぎこむエネルギーはホドホドにしようと。

14歳の頃、オハイオ州にあるエンコール音楽祭に行きました。その時はホームステイ。家の主の息子さんが昔使ってた自転車で、一人でどっかに遊びに行った帰り道のこと。家の近くに下り坂があって下るのを自転車に任せてたら交差点が見えたのでブレーキを。のはずが、気づいたら自転車のブレーキがお陀仏だった。もう接近してくる車と交差点に恐怖を抱き、取った行動とは?

決心して電柱に正面衝突。車に跳ねられるよりましかと。

最後のは、去年の感謝祭の時。なれない包丁で物を切っていたらついでに左手の指も。血がピューピュー飛び出してくる指を、母の前におもしろがって突き出すと嫌がられました。ま、無理もない。

また、いつかどこかでけがしたら報告します。それまでお楽しみを。

松山冴花(ヴァイオリン)

西江辰郎
2006.07.13

スイスにて

ヴァルガ先生

僕がヴァルガ先生につきにスイスへ渡ったころ、当事先生の個人の学校(エコール・スペリオール・ド・ムージーク TIBOR VARGA)には、ロシア、アルメニア、ウクライナ、アルバニアといった国からの生徒が最も多く来ていました。その中には、ヴァルガ先生がそれらの国でマスタークラスをした折に「スイスへくれば、私が生活費を持とう」と言って、連れて来た生徒も数人いました。上手い人、そうでない人、才能を感じさせる人、色々な人がいましたが、いずれにせよ、先生が気に入った人たちには違いませんでした。彼らはスイスへ来てまだ数ヶ月、母国語はロシア語が多く、フランス語はもちろん話せないし、そのころは彼らとは英語でお喋りするのが普通でした。

僕がスイスへ留学してから1年ほど経ったとき、ロシアから来てまだ日も浅いある同僚に、両親のひと月あたりの給料を聞いたところ、「父はオーケストラのコントラバス奏者で月1万4千円にしか満たない」といわれました。物価がちがうのはもちろんですが、なぜ僕がそれを尋ねたかというと、彼女がスイスで週に食費2000円ほどで生活していたからです。よく、スーパーで味見を装い、オリーブなどをつまみ食いもしてて、フルーツはレジを出る前には完食!買うのは60円のチョコとお菓子!というすばらしい買い物に一緒に行きましたが、彼女の財布の中身は、いつも紙幣はなく小銭ばかりでした。スイスは日本よりも物価がやや高い国です。そのお金で1週間・・・・!!

彼女は毎日チョコレートをかじりながら、紅茶を飲みつつ、1日12時間はさらっていました。上手かったです。「ダーバイ トラヴァイェ!」というのがぼくらの合言葉でした。(ダーバイはロシア語、トラヴァイェはフランス語でくっつけたのですが、レッツ・プラクティスのように使っていました。)

(たびたび、西江さんは一日にどのくらいさらうんですかと訊かれますが、「日によって異なります。」というのが僕の答えです。2〜3時間もあれば技術を維持するのみには足りるかと思いますが、音楽創りにはかなりの時間が必要ですし、練習には、質をもとめたいです。そのためには適度な休憩、頭の問題、興味を湧かせるための研究や感性をみがくこと、実験的なことも必要だと思います。だからできるだけ鮮明に考え、聴き分けられる常態で、納得のいく充分な練習をしたいと思っています。

人間の体もたいしたものですね、僕のスイスでの経験上、長時間良くない練習をしたら、きちんと長時間分の良くないことが・超・身につきます。)(●^0^●)

学校には自由に使えるとても広い部屋が4,5個あり、その部屋を確保するには誰よりも早くそこへ行き、取られないためにはいつも練習している必要がありました。そして自分の借りている部屋では思いっきり音を出すことが出来ないという状況は皆一緒だったので、僕は学校から3分のところに住み、一日のほとんどを学校で過ごしました。同僚の中には家賃が払えず、屋上に寝ている友人もいました。

更には、ヴァルガ先生はいつレッスンをして下さるかわからない方だったので、もし本当にレッスンを受けたかったら、必死で受けたいことをアピールする必要がありました。つまり、常にレッスンを受けられる状態を準備し、いつでも、何時でも学校にいて、先生が玄関から足を踏み入れた瞬間、階段を駆け下りて真っ先にレッスンを受けたいと言う必要がありました。なぜなら、その日にいったい何人レッスンするのかさえ、先生のその日の気分次第だったからです。もし仮に一週間に一度のレッスンを受けたかったら、常に一日中、学校にいる必要がありました。僕はもともと負けず嫌いな性格なので、彼らと一緒に学校に入りびたりでした。

練習。練習。練習。一日中練習している子の食事が、ヨーグルト、パスタあるいはパン、時にはほとんどが水のスープという生活を送っているのを目の当たりにした僕は、自分が日本人であり、生活費や食費を親が負担してくれていたので何不自由ないことが、ありがたくもあり、とても恥ずかしくもなりました。彼らの生活スタイルからかけ離れた贅沢はしないよう、また彼らから贅沢に見えることをしないよう心がけました。僕も毎日の朝昼はチョコレートと130円のパン。一食は自炊で料理し・・・という生活がつづき、今より8キロは痩せました。

ある日、友達が大騒ぎしています。どうしたんだと訊くと、「私の大切にしていたボールペンがないの!」という。
前日練習していた部屋をみたり、皆で色々探し回った挙句、使い古しの練習曲のコピー紙の山の中からついに発見!ところが、いわゆる日本でいう100円ボールペンの「・芯・」だけなんですよ!「これが彼女が言う大切にしていたボールペンなのか!」(^0^;)もちろんこんな事は本人に言えないので、心の中で言いました。

あるときはウクライナから来た友人に「腹へったし、めし作って食わない?」と誘われ、練習の合間に彼の部屋へ行きました。彼の家賃はずいぶんと安いので、なぜかと思ったら、屋根裏なので天井も低くコンロも一つ、電気も一つという状態でした。「パスタにしようぜ!」といわれ、まず水を沸かし、塩をいれてパスタを茹でる。茹で上がったら「さあソースだ!」というところでなぜ「茹で上がったら」なのか・・・

コンロが一つだから一緒に作れないんです。じゃあ早くしないと冷めちゃうから、「野菜でも入れて食うか!」ということになり、

今日の野菜登場!!

ということで出来上がったとき、天窓から屋根にあがり、町を眺めながら、世界一空気の綺麗と言われる土地で、燦々と輝く太陽のした、2人でミニトマトひとつを半分ずつパスタにのっけて食べたのでした・・・・・。トマトがホント、甘くてうまかった!!

彼は、翌日は「塩と胡椒」、そのあくる日は「バターと塩」といった具合に味付けを変えたようですが、僕はおかしくなりそうだったのでもう少し贅沢しました。

日本はなんて贅沢で物の消費が激しい国なんだろう・・。紙だらけ、ごみを出しだらけ、電気を使い放題。何で真っ昼間からプラットホームの電気をつけっぱなしにする必要が。何でとにかくコピーを取る必要が。何でしっかり包装されている必要が。何で新製品の売り場に展示用の商品が置かれている必要が。豊かな国だ。

僕の家にだってどれが使えるのかわからないほどたくさんのボールペンがある。ヴァイオリンの弓の毛だって少なくなれば張り替えられるし、彼らみたいに毛の量が3分の1になってもフォルテを出すときに頑張って力んで弾く必要はない。恵まれている。いつでも欲しい楽譜が買える。CDが買える。腹いっぱい食える。

こんな思いが浮かぶのにそう時間はかかりませんでした。そして、日本のよい面に気がつくのにもまた時間は要りませんでした。もし今自分が日本にいるとして、勉強したかったとしたら、そのとき日本だからこそ良いところはどういったところか。

そしていまから自分が出来ることは何か。考えるだけでなく、その前に実行する必要がある。不安。何が出来るか。自分のためではなく。

本当に本当に家族思いだった彼ら。兄弟。兵役に行きたくなければ音楽家になる道を選ぶ必要のある国。「帰るところのない国なんだ」ということを感じさせるその母国の音楽。宗教。今僕はとても嬉しい。それは当事の友人の一人が永世中立国でオーケストラでの仕事を得て、まともな生活を手に入れつつあることが。本当に嬉しいです。

西江辰郎 2006年6月4日
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新日本フィルハーモニー交響楽団
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仙台フィルハーモニー管弦楽団
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松山冴花
2006.07.13

仙台、仙台コンクール、仙台フィル、また私自身

初めて仙台にいったのは、1995年の若いチャイココンクールの時。何もわからず母と行きました。

その時の仙台の思い出はフルーツがおいしかったこと。夏の最後で桃とか母にねだって買ってもらったのを覚えてます。2004年仙台コンペに仙台に戻った時も95年の私の事を覚えていてくれた人が多く、嬉しく思いました。

で、気がついたらもうあれから11年。時がたつのがはやすぎてびっくりします。でも顔は変わってないみたいです。チビの頃の写真どおり顔はぬいぐるみみたいで全然変わりなく。高校以来会ってない友達にこの前偶然地下鉄で会ったら彼、一発で私が誰だか分かりました。私は案の定、向こうが大人になって誰だかさっぱり。頭の細胞は昔のまんま。ホントに全く。昔の知り合いに会ったら私、母そっくりになってきたと。ついでなら脳の方も母に似てほしい。

また話がそれた。

仙台コンクールの時はいい思い出ばっかり。ま、確かに勝ったからいい思い出に繋がるんですが、それ以外にもいっぱい。私のホストのなお子さん家族としょう子さん家族は本当によくしてくれました。ご飯を届けてくれたり、私のお守りをいっぱいしてくれて。仙台に行く度に時間を作ってくれて遊んでくれるので感謝いっぱいです。

来年、2007年の2月には仙台フィルとチャイコの協奏曲を弾きます。チャイコ、仙フィルと弾くのは95年の若いチャイココンクール以来。12年目です!あの時よりもっと深く弾きます。

そして、あの時より美人になってること願います。

松山冴花(ヴァイオリン)

西江辰郎
2006.07.12

イタリアにて(2)

今回の演奏旅行では、もちろん例のアレッサンドロ・クオッツォのソナタを曲目に入れて、彼の親や奥さん(昨年11月に結婚したんだそうです)、弟にもお世話になりました。クオッツォは今セレーノ弦楽四重奏団のためにピアノ5重奏曲を書いてくれています。僕にも、ヴァイオリンのソロソナタを書いてくれたので、そのうち演目に入れたいと思います!

ジュゼッペと2週間も一緒にいると、ホントにいろんなことがあって、楽しかったです。仙台国際音楽コンクールがなかったら、彼とこれだけ親しくなれることもなかったでしょうし、その後デュオ・リサイタルも企画してくださった文化事業団に感謝です。

イタリアは僕の想像以上にモダンで、外見は古くても家の中はモデルルームみたいなところも多かったです。鍵などは凄くたいそうで、日本の鍵の2ロックとか行っているのが20ロックほどいっぺんに閉められるような扉があります。

駐車場も場所によっては日本のようにリモコンで車内から開け閉めできたり、家の鍵もレーザーのところに特殊なキーをかざしたり。

でもいわゆるエレベーター式に車が上がっていくパーキングは存在せず、鍵ごと車を預ける駐車場では中のものを取られて当たり前なので、すべて紙袋に入れて泊まる部屋に持ち込んだり・・・

なんだかところ変われば、でした!

ちょっと町を離れたら、広大な牧草地、大きな岩の上のほうに小さな町があり、自然もたくさんです。

車で移動できたのはとてもよかったです。

何しろ電車も飛行機も30分や1,2時間、遅れて当たり前ですから!

西江辰郎
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松山冴花
2006.07.12

せんくら四季、リサイタル

せんくら、すごく楽しみにしてるんです!

ギターやマリンバの公演も興味津々。私の公演は四季と小リサイタル。四季は仙台フィルの方達と、リサイタルはピアノの津田裕也さんと。

四季を弾くのは久しぶりで、勉強しなおし、天候いっぱいのおもしろい一年にしたいとおもいます。仙台フィルの奏者の中に入って弾くのは初めてなので、彼達と一緒に魅力いっぱいの音楽を作りたいと思います。リサイタルでは、割とテンポの速い曲が多く飽きる暇なし。指は有り難く速く回るので得意分野。リハでは裕也さんとバッジーニの曲でテンポ競争したいぐらい(そんなこと裕也さんに言ったら彼にも呆れられる可能性有り)。

仙台に行くの、いつも楽しみにしてます。仙台コンクールの時に本当にお世話になった事務局の人たちは、会う度によくしてもらって、無理矢理遊んでもらったり、コンサートに来てくれる方々と話すのを毎回楽しみにしています。10月、その時ちょうど小学校訪問も予約に入っていて、ちょっとビクつきながらもワクワクしています。

私、きっとコンサート会場の辺、うろついてると思うので、もしよかったら話しかけてください。

とんちんかんな答えが返ってきたら、きっと私です。

松山冴花(ヴァイオリン)

西江辰郎
2006.07.11

イタリアにて(1)

今年2006年3月イタリアでジュゼッペ・アンダローロとリサイタルをしてきました。1500キロも彼の車で移動したので、ミラノ、ヴェローナ、アブルッツォ、ローマ、ナポリ、シチリアなどかなり行ったのですが、ヴェローナではまだ寝ているジュゼッペには内緒で、有名な野外の歌劇場に入ってみました。

普通、その大きさに感動を覚えるのかも知れませんが、僕はそれ以上にその石一つ一つに「スゲーナ」と思いました。全部手作りなので一つとして同じ形の物がないんです。微妙なあいまいさが集まって、一つの大きな建造物が出来上がっていて、それをつくるための歴史は抜きにして、「美しいな」と思いました。

「美よりも美しいものがある。それは変化である。」
という言葉を、またもや思い出したのですが、機械ではない手でつくられたものの、微妙な誤差や、くせ、不釣合いや、いびつさが、美しいいと思わせる要素であると思います。

ヴァイオリンにも音楽にも同じことが言えて、ヴァイオリンでは今では演奏にもっとも都合よく、音にも良いとされる、それぞれの寸法がミリ単位で決まっています。でも、手作りで、しかも「木」自体が何百年と生きてきて、一つとして同じ物がなく、その運命によって色々な道を歩んできたヴァイオリンは、今でも胴体にその歴史を刻みつつ舞台に立たされている、そう考えると、見て美しいと思うのも無理ないかなーと思います。

西江辰郎
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松山冴花
2006.07.11

祖父、母、+私生活

私の祖父は昔、料理人でした。

もう20年以上前に他界したものの母はいつも彼のことを絶賛しています。なんせ彼、なだ万の料理長、そして辻調理師学校の学長だったから。別に理由ないです。ただ単に自慢したかっただけ。で肝心の私はネギを切ったら切れてない。でも悪友が褒めてくれるカクテル作る腕はあります。

で、話変わって。

私の母は強い人。高校時代には数百人の生徒のなかで期末テストは決まって1番。神戸大学時代には女子生徒の人数、指で数えられるぐらいの中の一人。仕事はなんでもこなし、言った事は全部テキパキ終わらせていきます。今でも彼女、毎日GYMにいってがんばってます。面倒いっぱい見てもらって尊敬めちゃしてます。

祖父も母もしっかり者。だから私こんな天然になったのかも。

そう見えても私、夏以外は割とまじめに暮らしてます。練習以外、生徒は今の所3人いて、ほとんど毎日のように教えてます。私自身も3人の先生にお世話になって、教わった事を彼女らに教え、そして彼女達が上達していくのを聴くと本当に嬉しいです。その他には私の四重奏、みんなで集まっての練習。テクニックの見せ合いしてつまらない事しておもしろがっています。いい友達でもあるヴィオラ弾きとは時々意見が合わず、頑固に自分の意思を通すのもおもしろさの一つ。でも他のメンバーが見てる中で、たまにすごい言い合いになります。でもその後は彼のガールフレンドに愚痴って気分晴らし。

でも、今は夏。初めてsummer festival に行かない夏。朝の4時頃までボーっと起きててお昼ごろ起きます。母と一緒に住んでたら絶対に出来ない事。このことバレたらまた彼女、呆れるでしょう。

松山冴花(ヴァイオリン)

西江辰郎
2006.07.10

坂野伊都子より他

東京フィロスカルテット

10月の仙台クラシックフェスティバルに出演させていただけることを今からとても楽しみにしています。Vnの西江辰郎さんとは以前も仙台でご一緒させていただいています。

西江さんについてひとこと書かせていただきます。

私が彼に対していつも感じることがあります。どんな曲に対しても、その作曲家に敬意を払って向き合っているということです。彼の音楽を聴けば皆さんも同じように感じると思います。私は彼と合わせをしている時、不思議と曲が見えてくるのを感じます。彼の音楽はとても柔軟で、でも芯は強いと感じます。

私は室内楽が大好きです。そんな大好きな室内楽で今回、仙台の街で西江さんという素晴らしい音楽家とご一緒させていただけることをとても嬉しく、今からとても楽しみにしています。

坂野伊都子

「東京フィロスカルテット」

今日は久々にサントリーホールでの東京フィロスカルテットの本番でした。メンバーがそれぞれ留学していたり、なんだかんだで、4年ほど東京で集まることはなかったのですが、たまたま本番をいただいて、じゃあまたやるか!ということになりました。

僕を含め、ヴァイオリンの松田拓之くん、ヴィオラの鈴木康浩くんは3人とも同門で、辰巳明子氏の生徒でした。幼い頃から一緒で、先生からは「三羽烏」とか言われていました。チェロの海野幹雄くんは高校からの同級生です。本番直前まではしゃいでいたので、舞台に出たときはみんな笑顔でした。

ここ何日かハイドンに悩まされていましたが、やっぱり難しい。本番では舞台がかなり暑くて、モウロウとしていたので(朦朧・・・・・こんな漢字ですか?読めん;)テンポ的には安全圏になってしまったかなとおもいます。

ともあれ無事に終わってよかったよかった。

西江辰郎
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東京フィロスカルテット
http://home.att.ne.jp/moon/philos/top.htm

松山冴花
2006.07.10

NY独り暮らし

今、NYで独り暮らしをしています。

私が9歳の時、可哀想な父を日本に置いてきぼりにし、母と兄とでNYに引っ越ししました。それからずっと一緒に母と住んでいて、今年から独り立ちしようと思って母に言ったらもう、彼女大賛成。そこまで嬉しがらなくても、というぐらい喜んでいました。

アメリカでは親から離れて住むのが全くの普通で、私の友達のほとんどが、大学に入る10代後半から親元を離れ、自立してます。それに私も憧れやってみたいと思い、マンハッタンのてっぺんの辺、学生が多く住んでいる所にstudioを見つけました。

現実は厳しい。何の為に銀行に稼いだお金を入れてるのっていうぐらいキャッシュが飛んで行く。別に無駄使いしてるわけでもなく、いつも疑問に思います(お酒?)。それにホコリはすぐたまるし、ゴキブリは出てくる・・・。毎日ご飯を作るのも面倒く、大量に作っては1週間毎日同じ物食べてます。

エレベーターの隣に住んでいるため、エレベーターが通るたんびにアパートが揺れたりとか。隣に住んでいる女性は毎朝6時頃鳩にエサをあげているから、毎朝鳩の合唱で無理矢理一旦起こされます。電気代が惜しく真っ暗の部屋で暮らしてるのを母に発見され、またもや彼女に呆れはてられました。

一人暮らし、こうゆうもんかと。

松山冴花(ヴァイオリン)

西江辰郎
2006.07.09

せんくら

仙台クラシックフェスティバルすごいですね!

このようなフェスティバルが仙台で企画され行われることになるとは。さすが仙台!と言いたくなります。仙台国際音楽コンクールもそうですが、第2回、第3回と行われるたびに色々な方が仙台を訪れたり、滞在することによって、仙台の魅力がどんどん全国へと広まっていくんですね。

4年半でしたが、仙台フィルの一員として仙台で演奏して暮らすことが出来て、皆様とも知り合いになり、僕はとてもよかったと思っています。今でも仙台から東京に演奏を聴きにいらしてくださる方や、仙台から連絡を下さる方などもいて、とても励まされています。今年はまだぜんぜん仙台に行けていないのですが、10月、皆様と会うことができて、演奏を聴いていただけることを今からとても楽しみにしています。

共演者のピアノの坂野伊都子さんも、仙台フィルのメンバーで結成したセレーノ弦楽四重奏団も、すでに皆さまおなじみですね!3日間で101ものコンサート!いったいどんななるのだろうと思いますが、きっと色々な人が道やホールや飲み屋などで「あら、こんにちは!」「よう!○○じゃん!元気〜?」などとなるんでしょうね(^−^;)僕も時間のあるときは色々な演奏会に足を運んでみたいと、今からわくわくしています。仙台フィルのみんなとも、会いたいな〜!

東京で生活をはじめてから早1年。もちろん僕自身東京生まれの東京育ちなので、あまり変わりないのでは、と思う方もいるかと思いますが、何しろ小さい頃は地元でばかり遊んでいましたし、高校からは通学ばかりでしたから、職をもって東京で暮らすのは初めてです。なにかと人が多いですが、良い面もあります。人ごみにまぎれられたりだとか・・・・

最近自分ではCDとかを聴いても疑問に思うことがたくさんでてくるようになりました。もちろんとても納得させられるときも多いですが、ちょっとしたニュアンスが自分の感じ方とは異なる場合が多いのです。これは僕が自分自身を見つける時期がやっと来たのかな、と思います。日本人が母国の演歌や童謡なら多少自身が持てるように、今まで自分には演奏する国の血や、習慣、感性などの土台がないので、その「土」の部分を育てることにとても気をつかっていました。これからもそれは必要なのですが、昔は地続きだった可能性や、祖先をさかのぼれば、「人間そう変わらないのでは」とか、要するに「今も昔も変化はし続けているけれど、進歩はし続けているのではないかも」と思うようになりました。

自分の「個性」を音楽に、素直に「表現されるべきことの解釈のための感性」として取り入れた場合、他の人のしている表現などに感銘を受けて、それに近いことをそこで表現しようとするより、自分の感じることを突き詰めていって、それが知識や練習で多少の自信に裏打ちされたときのほうが、より良く浸透する表現ができる感じがするんです。自分自身のことだから全く当たり前のことなのですが、そこには自分の解釈をよくも悪くも「信じきった」自制心??(感情を抑えるという意味ではなく心配や不安といったものを意識しない)のような想いが必要になってくると思うんです。

なので、これからそういった感じで曲に取り組み演奏した場合、どういった演奏になるのか自分で実験してみたいとおもいます。

これは自分自身、自分に言い聞かせるために書いたということがまず第一にあります。そして第二に、皆様に聴いていただいて、賛否両論かとは思いますが、気に入っていただけたらなあと思っています。

いわゆる天才といわれる人だったら、このようなことを考えることも必要ないのかも知れませんが、僕は、天才ではないけれど、天才のように見える、演奏家(音楽家)でありたいです。(もちろん僕が音楽家の一人であればの話ですが)練習していないのに上手いような、いつも遊んでいるように見えるのに凄いような、そういうのってカッコ良くないですか?うーん

こんな話はともかく、おかげ様で元気にしています。
普段あまり文章を書かない僕ですので、「クール」だとか言われますが、せっかくの機会なので、ここ一週間分の、普段考えているようなことなど、書いてみようかなとおもいます。

西江辰郎
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