歳とともに一週間が早いと感じるこの頃です。
人生の折り返し地点はとうの昔に過ぎたのですが、気持ちだけは若く、なんだか自分が歳をとっていくのが不思議な気がします。
昔に戻りたいとあまり思わないのです。
もちろん懐かしい、ああいい時代だったと、昔を懐かしむ気持ちは人並みに持っているつもりです。
高校時代に田舎から出てきて桐朋に入って、自己紹介をしたときに、九州弁で出て大笑いされたこと。
今ではテレビで全国区になったからかえってかっこいいといわれるもの、私の時代は笑いの対象でした。
小学生の6年生のときは、大阪まで寝台車に乗ってレッスンに一人で通っていました。
私のうちは両親教員とあって、また弟がいることもあって母親は私についていく事ができません。
中学生になると東京まで寝台特急ブルートレインに乗ってレッスンに行っていたので、「みずほ」 「はやぶさ」 「さくら」にこのようなものは絶対見たくない、乗るなんてとんでもないというほど乗りました。
一人で乗っていると、みんな必ず親切に声をかけてくれます。
とにかくヴァイオリンのレッスンに行くというのがみんなの注目を引くようで、いろんなことをたくさん質問されました。
このときに、知らない大人と会話することを身に着けたのかもしれません。みかんやお菓子をよくいただきました。
今考えると、うちの親は子供を一人で出す勇気が良くあったな、と感心します。
前橋汀子先生のレッスンに行くときも、最初だけついてきてくれて、後は自分ひとりで行くように、一回で行き方を覚えるようにと言われました。
しかし、案の定電車を降りてから歩いていくときに道に迷い、先生に電話をして、駅まで迎えに来てもらったこともあり、それも懐かしい思い出です。
このような思い出には母親の強い意志、忍耐と、私に対する期待を忘れることはできません。
私の両親は二人とも健康で過ごしていることもあり、あまり感謝という気持ちは薄いのかもしれません。
飛行機で2時間で行けるといっても、やはり福岡県の飯塚市あまりにも遠い。
「我が母に教え給いし歌」を演奏するときは、子供のときにいつもいろんな歌を歌っていた、故郷の母親のことを思い出さずにはいられません。