文字の大きさ 普通 特大

SENCLA BLOG

ブログ

ゲルティンガー祥子
2012.08.29

最後に 

今日でリレーブログの担当も最終日となりました。
一週間おつき合い頂きまして有難うございました。

最後に改めてお知らせをさせていただきたいと思います。

今回太白区の楽楽楽ホールにて企画されているショパンのサロンの中で私はショパンのノクターンを担当させて頂くことになっています。

9月29日の土曜日、16:00より心を込めて演奏させて頂きます。

皆様に会場でお目にかかれますことを楽しみにしております!
ゲルティンガー祥子(ピアノ)

ゲルティンガー祥子
2012.08.28

ショパン 

その昔“ヘクサメロン変奏曲”という、リストを中心に、タールベルク、ピクシス、ヘルツ、ツェルニー、ショパンという当時のピアニスト兼作曲家6人が、ベッリーニのオペラの素材からつくった変奏曲で腕を競い、ある慈善演奏会のために合作した作品のショパンを担当した事があるという理由だけで当時その曲を共演した恩師のペーター・レーゼル氏からはいまだにミスター・ショパンと呼ばれている私(苦笑)。
実は、今まで自分からプログラムとしてショパンを選んだ事は、ほとんどありません。

昔からなのですが面白い事にシューベルトの作品に取り組んでいるとショパンを弾く機会を呼ぶようなのです(笑)
実は今回せんくらでショパンをというお話を頂いたのもちょうど私がシューベルトの作品に取り組んでいた時で、ショパンという名前を聞いたときは思わずオッ!と小さく声がでてしまいました(笑)
どうやら神様は私を常に対極な方向へ連れて行きたいらしい・・・

性格の違う2人の楽曲を分析し対照的な部分を探すと数えきれない程でてくるわけですが、同じく興味があるのはやはり2人の人生においての様々な相違点。

例えば一つだけあげるとしたら・・・
人生の半分近くをパリで過ごし、外国から祖国ポーランドを想い続けたショパンと、ほとんど外国にでることなく、生涯オーストリア国内で生きたシューベルト。
まずそれだけでも十分な視点の違いがあると想定できますね。
シューベルト目線でショパンに入るのもなかなか面白いですがやはり実際弾いてみると・・・
ええ、もちろん気持ちは切り替えないと難しいです(笑)
ゲルティンガー祥子(ピアノ)

ゲルティンガー祥子
2012.08.27

セ ラ ヴィ 

つい先日シリア出身の友人に連絡をとりました。
シリアの状況をニュースで目にするたび心が痛んでいたので。

友人いわく家族も無事だし地元に関しては心配いらないとは話していましたが、遠くからみているとそれでも心配になってしまうものです。

戦争、内乱・・そういうものと常に隣り合わせに暮らしていますがどんなときも変わらず穏やかな人柄で、いつもその場に平和をもたらしてくれるような(!)そんな友人。
振り返るとこれまでに、その友人と一緒に行動していると世の中の不条理さについて考えさせられるような出来事がたまたまよく起こりました。

一緒に広島を訪れた際、原爆死没者慰霊碑の前で、“この過ちは二度とくりかえしませんから”という言葉を心に刻んでいたまさにその日に、皮肉にも海の向こうではイラク戦争が勃発したり、たまたまエジプトで入ったカフェテリアのテレビで私達共通の知人である映画監督が、たまたま結婚式に参列する為に訪れたヨルダンでテロに遭い亡くなってしまったというニュースを目の当たりにしたり。

3.11の震災後、気分の落ち込んでいた私を心配してかけてきてくれた電話で慰めの言葉の代わりにその友人が言ったのが
“C’est la vie“
色々な意味をもつこの言葉だけど、あのときほど心の奥に響いた“セラヴィ”はなかったかな。
ゲルティンガー祥子(ピアノ)

ゲルティンガー祥子
2012.08.26

東京 

今日は自分のプロフィールの裏側を少し。

これまでの私の住民票の主な移動は
石巻→東京→パリ→ベルリン→ドレスデン→ベルリン→東京
今の所このような感じになっています。

私が初めて留学した当時、10代で日本からヨーロッパへ留学する人の数は現在に比べればまだそんなに多くはなかったため “若くて右も左もわからない国へ一人でいくとは勇気がありましたね” と言われることは度々ありましたが、正直にいいますと、私にとっては、一番勇気をふりしぼったのは15の時石巻から高校進学のため上京し、過ごした東京での3年間でした。

あの時のカルチャーショックの激しさに勝ることはその後なかったと思います(笑)
親から離れ、初めて自分一人だけの視点でみたものというのはやはり印象が強くなるものなのでしょうか。

もちろん国が変わると文化の違いは明らかにあるわけで、何をカルチャーショックとするかですが、ここではあくまで日常生活の視点でと言う意味です。
今思えば田舎育ちの私にとって、全般的にヨーロッパのテンポは、東京のような都会よりは、案外とらえやすいテンポだったのかもしれません。
実際向こうに行ってやはり少し安心感がありました。

15歳から数えるとその倍以上も歳をとった今現在、東京暮らしに再挑戦中!
帰国して東京に住み始めてもう4年は経ちますが、歩いていても、車を運転していても常に若干緊張気味というのは未だ変わらず・・・(笑)
ゲルティンガー祥子(ピアノ)

ゲルティンガー祥子
2012.08.25

故郷 

私の出身地は宮城県の石巻市です。

普段東京で暮らす私はたまたま震災のあった3月11日のあの時間、まさに石巻の街中にいてその後は外部との連絡が途絶えたまま一週間ほど過ごしました。

自分が助かったことに対する違和感を覚えるくらい絶望的な風景や人々の表情は、言葉で説明することは難しく、ただ生涯忘れることの出来ないものとして残っています。
あの時そこにいた人の数だけストーリーがありました。

色々な事を思ったけれど、その中でひとつ小さな驚きが。
それは失った景色を見て記憶が蘇ったことです。
震災によって何もなくなってしまったり変わってしまった場所を目の前にしたとき、ここで地面に座り込んでみんなでスケッチをしたな、とか、ああここであんなことが起こったな、とか・・・
ほんの小さな、すっかり忘れていた幼い頃の思い出が、引き出しの奥の奥からポロポロと見つかったのです。
ものが簡単に失くなってしまうことがあっても、記憶は簡単に失わないと、実感した瞬間でした。

15歳で離れた故郷ですが、年を重ねる毎に帰ることが楽しみになっています。
そして、故郷を思う気持ちとはこういうことなのかなと少しわかったような気がする今日この頃です。
ゲルティンガー祥子(ピアノ)

ゲルティンガー祥子
2012.08.24

ごあいさつ 


皆様こんにちは、ピアノのゲルティンガー祥子です。

毎年聴衆の一人として楽しみにしていた素晴らしいフェスティバルに、演奏者として出演させて頂けることをとても光栄に思っています!
いまや説明するまでもなく有名になった石巻というところで中学まで生まれ育った私にとって、仙台は幼児期から毎週ピアノのレッスンのために通った思い出の地です。

毎年の発表会が確かクリスマスの時期だったような・・・
上手く弾けなくて帰りの車の中から定禅寺通のイルミネーションが涙でにじんで見えたことが何度もあったような・・・(笑)

大人になって色々な都市を知ってから改めて仙台を訪れると、住みたい街として人気がある理由がよくわかります。
緑が多くて、美味しい食もあって、文化の香りが漂う、とても品のある街・・・
9月29日にはまた久しぶりの仙台、今から楽しみです。

今日から一週間リレーブログ担当させていただきます。
せんくらは初めてになりますのでブログを通して皆様に少しでも私のことを知って頂けたらと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
ゲルティンガー祥子

カテゴリー