人にピアノを教えるようになって、かれこれ20年になる。この教える、という作業は毎回新たな発見があり、僕にとっても、とても勉強になるのだ。
先日、空港で一生懸命勉強を教えているお母さんと幼稚園児らしき息子と隣り合わせになった。夏休みの宿題か、受験勉強なのか、その様子はとても必死なのだ。「なんでこんな問題がわからないの?」とお母さんは息子を叱っていた。
男の子は一点を見つめたまま。
しばらく話しているのを、きくともなく聞いていると、その子の解らない理由がわかってきた。
図形の問題らしかったのだが、問題集をみてみると、そこに書かれた図は、四次元の立体を無理矢理二次元に、たいらにかかれている。そして、答えを導き出すヒントを描くために、図形としては少々おかしな形になっていた。
大人の都合で描かれている、実際立体でみることのできないその図形をみて、子供は理解できないのだ、と思ったのだ。
「何故出来ないのか!」これは、よく先生等教える側が叱るときに使う言葉だが、これは決して言ってはいけない言葉だと思っている。「出来ない」には、人それぞれに理由があるからだ。ときにそれは、教える側からすると、とんでもない初歩のレベルに理由がある場合もある。だから教える側は、どうしてできないのかという自分の目線ではなく、相手の目線になれなければ、そのわからない理由はいつまでも発見できない。
さて、この男の子は問題がとけたでしょうか!
続きは、明日のお楽しみ。
横山幸雄(ピアノ)