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SENCLA BLOG

ブログ

西江辰郎
2006.07.15

仙台フィル&新日フィル

仙台フィル

さあいよいよ七日目に入ったぞ;結構大変・・・・・文章。
何だか話が飛びすぎて、何のブログなのかわからなくなっていますよね(^0^;せんくらです。

少しは僕の日常を見ていただけましたでしょうか?

言葉で言うなら、負けず嫌いで、趣味は人間観察とか・・・・

そうそう、運動したくてたまらないんです。桐朋に入ってから、当時一週間に1時間半しか体育はなかったんですよ!これは男にはきついです。それ以来あまり運動できていないから、10年ほどたまっていることになりますね!

仙台フィル、新日本フィル、どうですか?ときかれることもあるのですが、僕はどちらも大好きです。

仙台フィルでは同じプログラムがまわってくる回数は少なかったですが、ホントにたくさんの曲と出会うことが出来、色々な指揮者、ソリストと話したり、交流を持てる機会も時間も多かったとおもいます。外山監督、梅田俊明さんから教わることも多かったですし、時にはきつく叱って頂いたり、アドバイスを下さったりしました。一時にその演奏にじっくりと取り組むことが出来るというのはとても大切なことだとおもいます。またメディアの出演や自主企画の演奏会をしたい場合に、こちらからお願いしたときも、とても親身に考えてくださる余裕は仙台ならでは、かも知れません。

新日本フィルは、すみだトリフォニーホールとフランチャイズをしていて、そこで練習もできるという環境で、とても恵まれています。楽団員一人一人がそれぞれにオケ以外でも活躍していて、事務局も奏者みんなをそれぞれにアピールしているという点で、素敵だなと思います。新しい発想や企画もあり、面白いです。

どちらも和気藹藹とした仲の良いオーケストラです。

将来合同演奏会みたいなのがあったらいいのになと思います。

今回の仙台クラシックフェスティバルで、音楽をもっと身近に感じる方がどんどん増えたらうれしいです。演奏家を育てるのはお客さまですし、聴いてくださる存在がなかったら、僕らは何に向かって・・・・神?ということになりますものね。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

それではまた!お会いでき、演奏を聴いていただけることを楽しみにしています。

季節柄ご自愛ください。皆様にくれぐれも宜しく、あとは僕が練習して、祈るだけです。
「○×△□!!」

西江辰郎 2006年6月11日
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新日本フィルハーモニー交響楽団
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仙台フィルハーモニー管弦楽団
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西江辰郎
2006.07.14

2006年07月14日

今日はショスタコーヴィチの交響曲第7番、バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ、スターウォーズ、未知との遭遇、音階、ワーグナーのワルキューレなどをさらいました。

毎日いつの為の曲を練習しているのかよくわからなくなっていますが、こんなのにも慣れてきて、準備を早くにするように心がけています。

ところでショスタコーヴィチですが、この曲は「レニングラード」といわれていて、バスのテーマに長三和音がそのままの形で移動するテーマがあります。この曲は僕がスイスへ留学していた際、ミッシャというサンクト・ペテルスブルクから来ていた友人が、「タツ!この曲知ってる?」といって、学校にあったアプライトピアノで吹き飛ばんばかりの大音量で弾いてくれた曲です。あまりのうるささに、すべての部屋からみんなが出てきて、それはそれは・・・・・・

彼にはマリナという姉がいて、彼女が最初にスイスへ来ました。そして、「私には弟がいるの、彼は私なんか肩に担いで歩けるんだから!」というので、そんなばかなと思っていたのですが、半年ほどして本当に弟がスイスへ留学してきたら、姉を本当に片手で持ち上げ肩にのせて階段をおりていくんです。まあ、姉は軽そうだったから45キロくらいかも知れませんが。

ミッシャが来てからというもの、次第に物が壊れていきます。まず、トイレの扉がしまらなくなり、ブラインド、取っ手、しまいには学校のオートロックの扉、絨毯、洗面台、ピアノ・・・・パワーがあり過ぎて、彼としてはやさしく取り扱ってるつもりなのですが、色々吹っ飛んでいきます。

あるとき、学校から遠くに住んでいたミッシャに自転車を下さった方がいました。26段ギヤつきのマウンテンバイクで、なかなか良いものだったのですが、1週間後、壊れているんです。「どうしたの、これ?」と聞くと、「ああ、あのね、ギヤを変えずに学校まできたら、途中で壊れてさ、Haha!」と、ミッシャ。
「・・・・・・」
返す言葉もありません。

だって、いちばん重いギヤで、しかも学校へは歩いてだってかなり急な坂があるんだから、普通 漕げないだろう・・・・!!そりゃ、チェーンも切れる・・・そんなこんなで、ウォッカの飲み方などを教わったり、ハチャメチャでした。

今僕がショスタコのこの曲を聴いて、このパワーを少なからず理解でき想像できるのは、ほんと彼のお陰だとおもいます。

西江辰郎
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西江辰郎
2006.07.13

スイスにて

ヴァルガ先生

僕がヴァルガ先生につきにスイスへ渡ったころ、当事先生の個人の学校(エコール・スペリオール・ド・ムージーク TIBOR VARGA)には、ロシア、アルメニア、ウクライナ、アルバニアといった国からの生徒が最も多く来ていました。その中には、ヴァルガ先生がそれらの国でマスタークラスをした折に「スイスへくれば、私が生活費を持とう」と言って、連れて来た生徒も数人いました。上手い人、そうでない人、才能を感じさせる人、色々な人がいましたが、いずれにせよ、先生が気に入った人たちには違いませんでした。彼らはスイスへ来てまだ数ヶ月、母国語はロシア語が多く、フランス語はもちろん話せないし、そのころは彼らとは英語でお喋りするのが普通でした。

僕がスイスへ留学してから1年ほど経ったとき、ロシアから来てまだ日も浅いある同僚に、両親のひと月あたりの給料を聞いたところ、「父はオーケストラのコントラバス奏者で月1万4千円にしか満たない」といわれました。物価がちがうのはもちろんですが、なぜ僕がそれを尋ねたかというと、彼女がスイスで週に食費2000円ほどで生活していたからです。よく、スーパーで味見を装い、オリーブなどをつまみ食いもしてて、フルーツはレジを出る前には完食!買うのは60円のチョコとお菓子!というすばらしい買い物に一緒に行きましたが、彼女の財布の中身は、いつも紙幣はなく小銭ばかりでした。スイスは日本よりも物価がやや高い国です。そのお金で1週間・・・・!!

彼女は毎日チョコレートをかじりながら、紅茶を飲みつつ、1日12時間はさらっていました。上手かったです。「ダーバイ トラヴァイェ!」というのがぼくらの合言葉でした。(ダーバイはロシア語、トラヴァイェはフランス語でくっつけたのですが、レッツ・プラクティスのように使っていました。)

(たびたび、西江さんは一日にどのくらいさらうんですかと訊かれますが、「日によって異なります。」というのが僕の答えです。2〜3時間もあれば技術を維持するのみには足りるかと思いますが、音楽創りにはかなりの時間が必要ですし、練習には、質をもとめたいです。そのためには適度な休憩、頭の問題、興味を湧かせるための研究や感性をみがくこと、実験的なことも必要だと思います。だからできるだけ鮮明に考え、聴き分けられる常態で、納得のいく充分な練習をしたいと思っています。

人間の体もたいしたものですね、僕のスイスでの経験上、長時間良くない練習をしたら、きちんと長時間分の良くないことが・超・身につきます。)(●^0^●)

学校には自由に使えるとても広い部屋が4,5個あり、その部屋を確保するには誰よりも早くそこへ行き、取られないためにはいつも練習している必要がありました。そして自分の借りている部屋では思いっきり音を出すことが出来ないという状況は皆一緒だったので、僕は学校から3分のところに住み、一日のほとんどを学校で過ごしました。同僚の中には家賃が払えず、屋上に寝ている友人もいました。

更には、ヴァルガ先生はいつレッスンをして下さるかわからない方だったので、もし本当にレッスンを受けたかったら、必死で受けたいことをアピールする必要がありました。つまり、常にレッスンを受けられる状態を準備し、いつでも、何時でも学校にいて、先生が玄関から足を踏み入れた瞬間、階段を駆け下りて真っ先にレッスンを受けたいと言う必要がありました。なぜなら、その日にいったい何人レッスンするのかさえ、先生のその日の気分次第だったからです。もし仮に一週間に一度のレッスンを受けたかったら、常に一日中、学校にいる必要がありました。僕はもともと負けず嫌いな性格なので、彼らと一緒に学校に入りびたりでした。

練習。練習。練習。一日中練習している子の食事が、ヨーグルト、パスタあるいはパン、時にはほとんどが水のスープという生活を送っているのを目の当たりにした僕は、自分が日本人であり、生活費や食費を親が負担してくれていたので何不自由ないことが、ありがたくもあり、とても恥ずかしくもなりました。彼らの生活スタイルからかけ離れた贅沢はしないよう、また彼らから贅沢に見えることをしないよう心がけました。僕も毎日の朝昼はチョコレートと130円のパン。一食は自炊で料理し・・・という生活がつづき、今より8キロは痩せました。

ある日、友達が大騒ぎしています。どうしたんだと訊くと、「私の大切にしていたボールペンがないの!」という。
前日練習していた部屋をみたり、皆で色々探し回った挙句、使い古しの練習曲のコピー紙の山の中からついに発見!ところが、いわゆる日本でいう100円ボールペンの「・芯・」だけなんですよ!「これが彼女が言う大切にしていたボールペンなのか!」(^0^;)もちろんこんな事は本人に言えないので、心の中で言いました。

あるときはウクライナから来た友人に「腹へったし、めし作って食わない?」と誘われ、練習の合間に彼の部屋へ行きました。彼の家賃はずいぶんと安いので、なぜかと思ったら、屋根裏なので天井も低くコンロも一つ、電気も一つという状態でした。「パスタにしようぜ!」といわれ、まず水を沸かし、塩をいれてパスタを茹でる。茹で上がったら「さあソースだ!」というところでなぜ「茹で上がったら」なのか・・・

コンロが一つだから一緒に作れないんです。じゃあ早くしないと冷めちゃうから、「野菜でも入れて食うか!」ということになり、

今日の野菜登場!!

ということで出来上がったとき、天窓から屋根にあがり、町を眺めながら、世界一空気の綺麗と言われる土地で、燦々と輝く太陽のした、2人でミニトマトひとつを半分ずつパスタにのっけて食べたのでした・・・・・。トマトがホント、甘くてうまかった!!

彼は、翌日は「塩と胡椒」、そのあくる日は「バターと塩」といった具合に味付けを変えたようですが、僕はおかしくなりそうだったのでもう少し贅沢しました。

日本はなんて贅沢で物の消費が激しい国なんだろう・・。紙だらけ、ごみを出しだらけ、電気を使い放題。何で真っ昼間からプラットホームの電気をつけっぱなしにする必要が。何でとにかくコピーを取る必要が。何でしっかり包装されている必要が。何で新製品の売り場に展示用の商品が置かれている必要が。豊かな国だ。

僕の家にだってどれが使えるのかわからないほどたくさんのボールペンがある。ヴァイオリンの弓の毛だって少なくなれば張り替えられるし、彼らみたいに毛の量が3分の1になってもフォルテを出すときに頑張って力んで弾く必要はない。恵まれている。いつでも欲しい楽譜が買える。CDが買える。腹いっぱい食える。

こんな思いが浮かぶのにそう時間はかかりませんでした。そして、日本のよい面に気がつくのにもまた時間は要りませんでした。もし今自分が日本にいるとして、勉強したかったとしたら、そのとき日本だからこそ良いところはどういったところか。

そしていまから自分が出来ることは何か。考えるだけでなく、その前に実行する必要がある。不安。何が出来るか。自分のためではなく。

本当に本当に家族思いだった彼ら。兄弟。兵役に行きたくなければ音楽家になる道を選ぶ必要のある国。「帰るところのない国なんだ」ということを感じさせるその母国の音楽。宗教。今僕はとても嬉しい。それは当事の友人の一人が永世中立国でオーケストラでの仕事を得て、まともな生活を手に入れつつあることが。本当に嬉しいです。

西江辰郎 2006年6月4日
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西江辰郎
2006.07.12

イタリアにて(2)

今回の演奏旅行では、もちろん例のアレッサンドロ・クオッツォのソナタを曲目に入れて、彼の親や奥さん(昨年11月に結婚したんだそうです)、弟にもお世話になりました。クオッツォは今セレーノ弦楽四重奏団のためにピアノ5重奏曲を書いてくれています。僕にも、ヴァイオリンのソロソナタを書いてくれたので、そのうち演目に入れたいと思います!

ジュゼッペと2週間も一緒にいると、ホントにいろんなことがあって、楽しかったです。仙台国際音楽コンクールがなかったら、彼とこれだけ親しくなれることもなかったでしょうし、その後デュオ・リサイタルも企画してくださった文化事業団に感謝です。

イタリアは僕の想像以上にモダンで、外見は古くても家の中はモデルルームみたいなところも多かったです。鍵などは凄くたいそうで、日本の鍵の2ロックとか行っているのが20ロックほどいっぺんに閉められるような扉があります。

駐車場も場所によっては日本のようにリモコンで車内から開け閉めできたり、家の鍵もレーザーのところに特殊なキーをかざしたり。

でもいわゆるエレベーター式に車が上がっていくパーキングは存在せず、鍵ごと車を預ける駐車場では中のものを取られて当たり前なので、すべて紙袋に入れて泊まる部屋に持ち込んだり・・・

なんだかところ変われば、でした!

ちょっと町を離れたら、広大な牧草地、大きな岩の上のほうに小さな町があり、自然もたくさんです。

車で移動できたのはとてもよかったです。

何しろ電車も飛行機も30分や1,2時間、遅れて当たり前ですから!

西江辰郎
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西江辰郎
2006.07.11

イタリアにて(1)

今年2006年3月イタリアでジュゼッペ・アンダローロとリサイタルをしてきました。1500キロも彼の車で移動したので、ミラノ、ヴェローナ、アブルッツォ、ローマ、ナポリ、シチリアなどかなり行ったのですが、ヴェローナではまだ寝ているジュゼッペには内緒で、有名な野外の歌劇場に入ってみました。

普通、その大きさに感動を覚えるのかも知れませんが、僕はそれ以上にその石一つ一つに「スゲーナ」と思いました。全部手作りなので一つとして同じ形の物がないんです。微妙なあいまいさが集まって、一つの大きな建造物が出来上がっていて、それをつくるための歴史は抜きにして、「美しいな」と思いました。

「美よりも美しいものがある。それは変化である。」
という言葉を、またもや思い出したのですが、機械ではない手でつくられたものの、微妙な誤差や、くせ、不釣合いや、いびつさが、美しいいと思わせる要素であると思います。

ヴァイオリンにも音楽にも同じことが言えて、ヴァイオリンでは今では演奏にもっとも都合よく、音にも良いとされる、それぞれの寸法がミリ単位で決まっています。でも、手作りで、しかも「木」自体が何百年と生きてきて、一つとして同じ物がなく、その運命によって色々な道を歩んできたヴァイオリンは、今でも胴体にその歴史を刻みつつ舞台に立たされている、そう考えると、見て美しいと思うのも無理ないかなーと思います。

西江辰郎
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西江辰郎
2006.07.10

坂野伊都子より他

東京フィロスカルテット

10月の仙台クラシックフェスティバルに出演させていただけることを今からとても楽しみにしています。Vnの西江辰郎さんとは以前も仙台でご一緒させていただいています。

西江さんについてひとこと書かせていただきます。

私が彼に対していつも感じることがあります。どんな曲に対しても、その作曲家に敬意を払って向き合っているということです。彼の音楽を聴けば皆さんも同じように感じると思います。私は彼と合わせをしている時、不思議と曲が見えてくるのを感じます。彼の音楽はとても柔軟で、でも芯は強いと感じます。

私は室内楽が大好きです。そんな大好きな室内楽で今回、仙台の街で西江さんという素晴らしい音楽家とご一緒させていただけることをとても嬉しく、今からとても楽しみにしています。

坂野伊都子

「東京フィロスカルテット」

今日は久々にサントリーホールでの東京フィロスカルテットの本番でした。メンバーがそれぞれ留学していたり、なんだかんだで、4年ほど東京で集まることはなかったのですが、たまたま本番をいただいて、じゃあまたやるか!ということになりました。

僕を含め、ヴァイオリンの松田拓之くん、ヴィオラの鈴木康浩くんは3人とも同門で、辰巳明子氏の生徒でした。幼い頃から一緒で、先生からは「三羽烏」とか言われていました。チェロの海野幹雄くんは高校からの同級生です。本番直前まではしゃいでいたので、舞台に出たときはみんな笑顔でした。

ここ何日かハイドンに悩まされていましたが、やっぱり難しい。本番では舞台がかなり暑くて、モウロウとしていたので(朦朧・・・・・こんな漢字ですか?読めん;)テンポ的には安全圏になってしまったかなとおもいます。

ともあれ無事に終わってよかったよかった。

西江辰郎
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西江辰郎
2006.07.09

せんくら

仙台クラシックフェスティバルすごいですね!

このようなフェスティバルが仙台で企画され行われることになるとは。さすが仙台!と言いたくなります。仙台国際音楽コンクールもそうですが、第2回、第3回と行われるたびに色々な方が仙台を訪れたり、滞在することによって、仙台の魅力がどんどん全国へと広まっていくんですね。

4年半でしたが、仙台フィルの一員として仙台で演奏して暮らすことが出来て、皆様とも知り合いになり、僕はとてもよかったと思っています。今でも仙台から東京に演奏を聴きにいらしてくださる方や、仙台から連絡を下さる方などもいて、とても励まされています。今年はまだぜんぜん仙台に行けていないのですが、10月、皆様と会うことができて、演奏を聴いていただけることを今からとても楽しみにしています。

共演者のピアノの坂野伊都子さんも、仙台フィルのメンバーで結成したセレーノ弦楽四重奏団も、すでに皆さまおなじみですね!3日間で101ものコンサート!いったいどんななるのだろうと思いますが、きっと色々な人が道やホールや飲み屋などで「あら、こんにちは!」「よう!○○じゃん!元気〜?」などとなるんでしょうね(^−^;)僕も時間のあるときは色々な演奏会に足を運んでみたいと、今からわくわくしています。仙台フィルのみんなとも、会いたいな〜!

東京で生活をはじめてから早1年。もちろん僕自身東京生まれの東京育ちなので、あまり変わりないのでは、と思う方もいるかと思いますが、何しろ小さい頃は地元でばかり遊んでいましたし、高校からは通学ばかりでしたから、職をもって東京で暮らすのは初めてです。なにかと人が多いですが、良い面もあります。人ごみにまぎれられたりだとか・・・・

最近自分ではCDとかを聴いても疑問に思うことがたくさんでてくるようになりました。もちろんとても納得させられるときも多いですが、ちょっとしたニュアンスが自分の感じ方とは異なる場合が多いのです。これは僕が自分自身を見つける時期がやっと来たのかな、と思います。日本人が母国の演歌や童謡なら多少自身が持てるように、今まで自分には演奏する国の血や、習慣、感性などの土台がないので、その「土」の部分を育てることにとても気をつかっていました。これからもそれは必要なのですが、昔は地続きだった可能性や、祖先をさかのぼれば、「人間そう変わらないのでは」とか、要するに「今も昔も変化はし続けているけれど、進歩はし続けているのではないかも」と思うようになりました。

自分の「個性」を音楽に、素直に「表現されるべきことの解釈のための感性」として取り入れた場合、他の人のしている表現などに感銘を受けて、それに近いことをそこで表現しようとするより、自分の感じることを突き詰めていって、それが知識や練習で多少の自信に裏打ちされたときのほうが、より良く浸透する表現ができる感じがするんです。自分自身のことだから全く当たり前のことなのですが、そこには自分の解釈をよくも悪くも「信じきった」自制心??(感情を抑えるという意味ではなく心配や不安といったものを意識しない)のような想いが必要になってくると思うんです。

なので、これからそういった感じで曲に取り組み演奏した場合、どういった演奏になるのか自分で実験してみたいとおもいます。

これは自分自身、自分に言い聞かせるために書いたということがまず第一にあります。そして第二に、皆様に聴いていただいて、賛否両論かとは思いますが、気に入っていただけたらなあと思っています。

いわゆる天才といわれる人だったら、このようなことを考えることも必要ないのかも知れませんが、僕は、天才ではないけれど、天才のように見える、演奏家(音楽家)でありたいです。(もちろん僕が音楽家の一人であればの話ですが)練習していないのに上手いような、いつも遊んでいるように見えるのに凄いような、そういうのってカッコ良くないですか?うーん

こんな話はともかく、おかげ様で元気にしています。
普段あまり文章を書かない僕ですので、「クール」だとか言われますが、せっかくの機会なので、ここ一週間分の、普段考えているようなことなど、書いてみようかなとおもいます。

西江辰郎
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