「せんくら」ブログ読者の皆様、こんにちは!
宮城学院女子大学音楽科長の太田峰夫です。
10月2日に開催されるコンサート「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」についてのブログ、2日目の本日は音楽科を簡単に紹介した後、声楽の井坂惠先生にご登場いただきます!
まずは宮城学院女子大学音楽科について、少しだけ書かせていただきます。
1886(明治19)年9月に始まった「宮城女学校」は当初、予科(現在の中学校に相当)と本科(現在の高等学校に相当)からなっておりました。米国カンザス州出身のケート・I・ハンセンKate I.Hansen先生(1879~1968)の尽力により、5年制の音楽専攻科が設置されたのが1916年、今から100年前のことです。以来、女子大学音楽科の時代に至るまで、先生は学科の充実に精魂を傾けてこられました。

ハンセン先生は、日本人に西洋の音階を訓練するためにソルフェージュを授業に取り入れるなど、東北地方の音楽教育に大きく貢献されました。音楽教育への厳しい態度とキリスト教精神に貫かれた教えに、多くの教え子達が強く感化されたと言います。

今でも宮城学院では、ハンセン先生の足跡をいろいろな場所で偲ぶことができます。「宮城女学校(現在の宮城学院)」の校歌の歌詞は土井晩翠(1915年〜1924年 宮城女学校専攻科教授)によるものですが、ハンセン先生が作曲をしています。礼拝堂のカリヨンが定刻に奏でるメロディの中にもハンセン先生が作った讃美歌が入っていますし、桜ヶ丘キャンパスの音楽館ホールはハンセン記念ホールと名付けられ、大切な学びの拠点となっています。

1992年の文化系設置、2016年の3コース(声楽コース・器楽コース・作曲コース)制導入など、音楽科の構成はそれぞれの時代の状況に応じて少しずつ変わってきましたが、本格的な音楽教育を志向する姿勢はハンセン先生の時代から連綿と受け継がれています。本日は音楽科准教授であり、二期会のメッツォ・ソプラノ歌手でもある井坂惠先生に現在の音楽科と今回のコンサートについて、少しお話をうかがってみることにしましょう・・・
—先生が宮城学院で声楽を教えられるようになってから、3年が経ちました。大学の印象はいかがでしょうか。
「小規模の大学である分、学科が違っていても(学生や先生の)顔が見える場所ですね。働いていて安心感があります。」
—音楽科の学生はいかがでしょう。
「非常に真面目という印象です。いいものをたくさん持っているのに謙虚というか、奥ゆかしくて、そのことにまず一番驚きました。なかなか出会えないようなすごい声を持った学生もいます。彼女達がこれからどうなっていくんだろうと考えながら、毎日を過ごしています。」
—今回はヴォルフの歌曲を歌われます。
「学生時代にはオペラのことばかり考えていました。でも、大事なオペラの役柄をキープする一方で、ある時から歌曲を歌うことが楽しくなってきました。」
—ヴォルフの歌曲の魅力はどのあたりにあるのでしょう?
「ひとくちに歌曲と言っても、いろいろなものがあります。同じゲーテの「君よ知るや南の国」でも、作曲家が違えば、全然違う音楽になります。シューベルトやシューマンも同じ歌詞に曲をつけていますが、ヴォルフのものは最初、なにがなんだか分かりませんでした。でも、やればやるほど深くて・・・スルメみたいに(笑)味が出てくるというか。狂った感じになったり、平常に戻ったり、そういうミニョンの感じがヴォルフのものだとよく出ていると思います。」
—今回は及川先生が伴奏をなさいます。
「普段は穏やかで暖かい方なんですけど、演奏の時の集中力や、エネルギーの凝縮された感じが素晴らしい。ヴォルフの歌曲にはピアノが重要な役割を果たすところが多いですから、ご一緒できるのは本当にありがたいし、怖いなあとも思います(笑)。」
—コンサートの抱負をお聞かせください。
「今回は私も学生達も及川先生と共演させていただくわけですが、一緒に出演するということは同じ土俵の上に立つことでもあります。先生と学生で一緒に一つの演奏会を作り上げていけたらいいし、そういう意味では、チームワークはいいんじゃないかと思っています。《コジ・ファン・トゥッテ》では私が妹役だったりしますけど(笑)、お姉さん役もしっかり歌ってくれるでしょうから、存分に楽しんでいただければと思います!」

以上、音楽科について井坂惠先生に語っていただきました。本番は10月2日。先生の歌声を聴きにぜひ当日はエル・パーク仙台までいらしてください!
及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達