
打楽器の作品は当然ながら一曲一曲使用する楽器が違います。
オーケストラに使用するようなシンプルな西洋打楽器から、民族楽器、更には自作しなければならないようなものまで多岐に渡ります。
僕がミュンヘンコンクールの時にやった曲では特に楽器指定もなく、音程関係だけが示されている曲等もあり、いろんな楽器が欲しかったのですがお金もなかったのでいくつかは100円ショップ?!(本当です)でも調達しました。。。
今トライしている作品も、楽器は指定なしで、ある発音の感じと似ている音の楽器を探せ!というものもあります。
毎回四苦八苦していますが、ただやることに意味があるというだけのことではないので、やはりその作品の肝心な部分まで到達できるよういろいろな方向から勉強しています。
今はさらに演劇的な方向に向かっています。
7月に初演する作品も声や少し演技的なものも組み込んで作ってもらっています。
以下先日演奏したケヴィン・ヴォラン(作曲家)の言葉から引用します。
この言葉は現代音楽全般に通じること、そしてクラシックとして評価が確立されている(ように見える)作品についても言えるのではないでしょうか?
「トーキングドラムを含んでいる音楽のコンサートでは、ドラムスがメッセージを中継するのに用いられるとよくいわれています。でも、不思議に思うのは、私たちはこれを話せますか?このいくらかのメッセージを理解しようとして、私たちはこの音楽を違ったふうに聞かなければならないでしょうか?または、彼らが伝達しているかもしれない重要なニュースを抜きにして、私たちは絶対音楽として音を評価しているでしょうか?そして、理解されていないことを知っている上でメッセージを送り、エネルギッシュにパフォーマンスしている彼らはどうでしょうか?
この混乱させるイメージはShe Who Sleeps With A Small Blanket へ最初の創作意欲と刺激を与えました。 K.ヴォラン」
池上英樹
オフィシャルHP http://www.hideki-ikegami.com