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SENCLA BLOG

ブログ

原田節
2009.09.26

♪オレンジとヴァイオレット

巨匠の頭はやはりとことん垂れている。
実るほど だ。
もちろんもう学校のクラスで授業を受けるということは叶わなかったけれど、教わった事は数知れない。
音楽そのものを体現しているのがメシアンの徹底した肯定主義だ。
人生を、世界を、そして生徒や若人を、彼は決して否定する事がないどころか。
なんとかその個性を引き出し成長させようときっかけを探している。
そしてひとりひとりの才能の個性の大切にいつも敬意を払い頭を垂れるというわけである。
音楽会だったら会場のスタッフからお客さん。誰に対してでも彼の姿勢は変わらない。
赤、白、黄色。どの花見ても綺麗だな。もし赤い花しか綺麗じゃないと強制されたら、どんなに悲しいことだろう。でも今でもしょっちゅう起きている事

直接的にはなにしろメシアンの作品に触れる事が多いのでたくさん特にオーケストレーションでは影響を正直受けているけれど、
ずっと以前から僕の音楽にフォーレを感じてくださる向きが多かった。
レクイエムは大好きだけれど自分は決してレクイエムだの追悼曲だのは書かないと決めていたが、メシアンのときだけは彼の最も愛していたオレンジ色とヴァイオレット色が、ずっと頭の中でぐるぐる回っていたので、確定されない曲を作る。
つまり演奏するたびに形を変えることで、その時その時に自分の中で新たに生まれてくるメシアンに対する感謝の意を表したいと願った。

オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』終演後
右はパリの中華屋さんにて メシアン夫人ピアニスト イヴォンヌ・ロリオ女史と
妹さんで私のオンド・マルトノの師 故ジャンヌ・ロリオ女史
原田節(オンド・マルトノ)

 

原田節
2009.09.25

さぁ、君はもう一人前だ

♯Nowhereという名前の少年がグラウンドに横たわる。
太陽からやって来て、この惑星に降り立った。
僕の目の前でスキップして、恥ずかしがり屋の鷲の飛翔を覗き見る。
他の人には夏が訪れた、怠けものの雲、ゆらゆら揺れる側溝。

飛騨古川音楽賞、紅白の大きなリボンを胸につけて、Toru Takemitsuさんからいただいた大切な賞。
Maestro Seiji Ozawaさんとはボストンでもなぜか日本式にお辞儀。
誰も言ってくれないから自分で言うってかぁ そうはイカの天ぷらよ。
でも本当に一人前なんかにはまだまだだと思うのは、例えばピエール=ロラン・エマールの演奏を聴く時。
それはもう音楽をはるかに超えた宇宙の真実 無限の哲学みたいな うまく言えないけど、彼の音楽会はもう音楽だけの音楽会ではない もっと先 もっとずう~っと先にある何かを教えてくれる。
音を重ねれば音楽になる、と言ったのは誰だっけ。
とんでもないね。音が無くても音楽はある。音だけなら音だけなんです。
リヨンでの共演後 エマールのご実家ご両親と
原田節(オンド・マルトノ)

原田節
2009.09.24

♪niHon(仮)

♯君が去って行ってしまってから、僕はベッドでひとりぼっち。
愛するひとと君は野原を駆け回っている。
僕は少しびっくりして、君が残してくれたメッセージを心に留めている。
この生命で、そしてまた別の生命で、もう一つの生命、いや全ての生命で、海から生まれた雨粒がふたたび海に降り注ぐように。

僕はベッドでさみしい思いをしているけれど、それは誰にでも平等な事
来るもの、去るもの、皆な空で歌っている。

もう僕は以前のように若くはないけれど、ずっと自分が天国にいたことをわからなかったなんて、まったく愚かだったよ。
そして例外なく心は新しくなり過去を消し去っていく。
幸せはいつだって自分の側にあるんだ。

この人生だけでなくまた別の人生で
君の選択は成された 永遠に僕らはこの歌を空で歌う。

にほん というやさしい響きが私はとても好きだ。
誰から強制されたのか、前後の流れを無視して無理矢理、ニッポン と発音しようとすれば、どうしても言葉は澱み、美しさは重たい鎧に引き千切られ、結局文章全体の意味は通じなくなる。

もちろん大阪の日本橋が ニッポンバシであるように、
文化を背負って故の発音は大歓迎。
そこにはちゃんと美意識が働いているからである。
にほんでオンド・マルトノ六重奏
原田節(オンド・マルトノ)

原田節
2009.09.23

♪あなたのベッドの窪みでわたしはとってもヌクヌク

ニューヨークの朝はコーヒーで始まる。
私の朝はウォーキングからはじまる。

小学校の運動会徒競走5人で走り、先頭の二人がぶつかってころげてしまい堂々の三位入賞が最高。

自分は運動が苦手という潜在意識をずっと植え付けられていたのかもしれない。

学生の頃、夏のある晴れた日、バスケットボールのコーチをなさっている方が素足にスニーカーの僕のくるぶしを見て、「あっハラダ君 足速いでしょ」とおっしゃった。
まさかで、上のエピソードを申し上げたら、「それは残念、今からでも訓練すればぁ、絶対君は運動神経いいよ」とおっしゃってくださいました。
子供は誉めて育てましょう。never too late@子供

もう遠い日の話しでもちろんな~んにも始めずに日々の泡をつぶしていたわけ。
放っておくと 一日一歩も外に出ない事も珍しくない=私の場合で、
さすがにこれではまっタコイカんと歩く事を始めた。
夜のしじまが溶け出す頃の猫さんたちの集会に参加させてもらったり、
若い頃にはあんなに抵抗していた神社巡りも 結構目標として重宝したり、あまり何分とか何キロとか決め付けず、無理なくよどみの無い朝の空気を楽しんでいるのですが。
うむむ  これはな・なんだ?
種明かしはまた明日。

ちなみに冒頭の曲タイトルは 起き抜けのベッドに出来た窪みに飛び乗ってきて、真ん丸まるまって寝ようとする愛猫のお話しです。
余計な想像しないでくださいね 彼女は今は静かに庭の片隅で眠っています
ニューヨークの夜はブロードウェイのミュージカルで更けていく
原田節(オンド・マルトノ)

原田節
2009.09.22

あぁ マヌケとはオレのことだ

どんなに頑張ってみたところで、オレの努力なんぞはすべて裏切られる。

毎朝の目覚めは列車に乗り遅れた気分。
幸福は理性を押し殺す事に躍起さ、人は愛を歌う。いつでもどこでもお決まりの文句。後戻りは出来ない。
あれほどの溢れる愛があったとしてもそこには必ず嘘があるからな。

人のことをバカだと責めるとき、それはおのれの馬鹿さでしか人が見えないから、自分の語彙の範囲でしか他人を理解できないとしたらそれはとても悲しい。
そう マヌケとはオレのことさ

異ジャンルといわれる人たちと何かしでかそうというのは、刺激にあふれてまたとっても楽しいこと。
山下洋輔さんはやはり共演させていただく度に思いもつかぬ刺激キックで汗まみれになる。
あるいはマジックとなるとこれはもう体当たり 火花飛び散る中を駆け抜けていくしかない。

ナポレオンズさんの前にいらっしゃるのはピアニスト光永浩一郎さんです。
原田節(オンド・マルトノ)

原田節
2009.09.21

♪コンセルト・ア・サプリヴォワゼ

結局十年ぶりとなった新作の協奏曲である。

s’apprivoiserサプリヴォワゼというタイトルの意味についてよく尋ねられるのだが、親密になる―友達になるといったニュアンスのフランス語とはいえ、長らく<星の王子様>の訳語によって動物を飼いならすの意として知られている。
家畜を飼う=つまりキツネと王子の場面に出てくる単語だから=というすべてを上下関係で捉えて相手との関係をうまくやっていこうとする文化なのではなくここでは、違う個性の相手と同等な関係を築き上げて対等に親密になろうという意に、この曲のテーマは尽きる。

相手が自分より上か下かを瞬時に判断しなければならないことは、大変なようだが、実はとてもゆるく楽なものだ。
性別、年齢、出身地や学歴、いまさら本人がどうにもできないことだらけだから、一度立場を見極めてしまえば、ずっとそのままでいいし常に相手を正しく会うたびに再評価しなければというエネルギーは使わなくてすむからである。

しかしキツネはお互い違う個性を認め合い 敬意を持って王子と親密になりたいと王子に伝える。
キツネは敢えてその関係を築きたいと願うのだが、もちろん、そこでは二人の厳しい努力が必要とされるし、 決して追いつけるはずのないと思えるキツネと王子が対等なのだと描くのはサン=テグジュペリの極めて象徴的な哲学である。

オンド・マルトノ対オーケストラという単純な二極を描くのではなく
その理念を二者が語り部となって音楽を紡いでいく。
ちなみに、このような“意味ある”タイトルは私には珍しい。
いつもはほとんど言葉遊びや響きの美しさに重きを置いているから
指揮 手塚幸紀 ラスカ祝祭管弦楽団(木野雅之コンサートマスター)
原田節(オンド・マルトノ)

原田節
2009.09.20

♪福音

ジョニーが来たなら伝えたい オンド・マルトノといえばオリヴィエ・メシアンによる数々の作品を筆頭にフランスという文化立国で大切に守られ育てられてきた20世紀生まれの楽器である。

しかし現代イギリスのアートシーンにおけるオピニオン・リーダーであり
かつ最も成功もしているロック・グループ<Radioheadレディオヘッド>のメンバーJonny Greenwoodがオンド・マルトノを彼等のロック・ミュージックに導入することで、この唯一無二の表現力を備えた楽器は、更により深い世界へその幅を拡げることになった。

『福音』はレディオヘッドの音楽への私なりの解答である。
ロックという概念はいつも私の中にあり 柱となった哲学であり、形式で音楽を捉えてはならないといつも自分を戒める指針なのである。
この清清しいジェントルマンは思わぬ拡がりをオンド・マルトノに、そして私にももたらした

多くの若者たちがジョニーを通してオンド・マルトノに興味を持ち始め
メシアンなども聴くようになってくれているのである。
楽器を弾いてみたいという希望も随分増えてきて、写真は池袋で続けている講座に通う娘さんたちがヴァレンタインにオンド・マルトノ形ケーキを焼いてきてくれたというわけ。
そしてジョニーは私のアトリエにやって来た。
原田節(オンド・マルトノ)

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