この記事を書き始めた頃、林さんお母様のお葬式前夜でした。
教会のオルガンを聴きながら近くの喫茶店で第一稿いれました。私にとって今年の夏は、あっという間に過ぎてしまいました。
しかし、大きなことを学びました。人と人との巡り会い、人間命あるかぎり「生きる」ことへの憧れをもたなければならないと!
さて、10月7日にロシア民謡のリサイタルを開催します、一般にロシア民謡といっても四つのジヤンルに分けられます。トロイカ、一週間などのロシア民謡、赤いサラファンなどのロシア古典歌曲、カチューシヤ、モスクワ郊外の夕べ、などのロシア歌謡、黒い瞳、などのロシア・ジプシー歌謡に分けられます。
今回はトークを交えて演奏したいと考えています。
今年の10月28日には、私の第20回目のリサイタルで、ショスタコーヴィッチ生誕100年記念して、モノ・オペラ「ラヨーク」を、一人五役で演奏します。
今日で私のコーナーは終わります。
私の文章を読んで下さり感謝します。またこのような機会を与えてくださり幸せです。
ではお元気で。仙台でお会いするのを楽しみにしています。
岸本力(バス)
私は基本的には国文学者なので、歌の「詩」をとても大切にしたいと思っています。歌には詩がある、そこがもっとも基本のところで、その「詩」を、文学的にきちんと味わいながら「歌」にしていく、そのことがもっとも大切だと思っているわけです。また、そういうことになれば、国文学の、とくに古典文学の研究をずっとしてきた私は、詩の解釈について、一段深いところまで分け入っていくことができます。
唱歌といっても、ほんとうに子供向けの、単純で深みのない詩のものも多く、すべてが文学的な内容を持っているわけではありません。
しかし、たとえば『朧月夜』(高野辰之作詩)などは、もっとも見事な詩を持った作品のひとつで、これは純然たる歌曲として見てもいいくらい、美しい詩を歌にしています。
菜の花畑に入日薄れ、見わたす山の端霞深し・・・
あの詩の歌っている景色のなかには、私たちのもっとも懐かしい原風景が息づき、今や失われつつ日本の田園の風景美や季節感が、かなしいほど見事に表現されています。それに応じてまた、岡野貞一の作曲も間然するところなき名曲というべきもので、こういう歌を歌うときに、私たちの心に湧き上がってくる郷愁の切なさは、なんとも言えないものがあります。
ところが、こんな名曲が今は学校の教科書からも消え、ほとんど知らないという若い人が増えてきたという、この現実は、残念を通り越して、憤りを感じざるを得ません。せめて私たちは、こういう曲を、なんとかして新しい編曲で甦らせ、今の若い人たちにも、ああ、素晴らしいなあ日本は、とそう思ってもらいたいと念願しています。
あるいはまた、『夏は来ぬ』という唱歌も、素晴らしい作品です。これは和歌界の大御所佐々木信綱が作詩し、東京音楽学校(後の東京芸大)の作曲の中心人物であった小山作之助が作曲をしたという、唱歌の世界の金字塔ですが、ここには、古今集以来の、日本的な風物詩と、その倫理観宗教観のようなものが、あえかに息づいています。こんな歌を歌うことは、やがて日本文学の精髄に触れていくための階梯として格好のことであって、ぜひとも子供たちに歌わせたいものと思っています。そのために、私はいつも演奏に先立って簡単な解説を試み、よく解っていただいてから、歌として演奏する、ということにしています。
今は忘れられてしまっている名歌『野菊』(石森延男作詩、下総皖一作曲)も、昭和十七年に作られた比較的新しい歌ですが、これまた、なんという優しい情調を持った美しい歌でしょうか。私はこの歌もまた、ぜひ復活して多くの人に歌われてしかるべきものと信じています。
そんなわけで、この機会に、ご存じの方は、ああ懐かしいと昔を思い出しつつお聞きいただき、知らなかった人には、ああ、こんな美しい歌があったのか、と改めて認識をしていただきたい、とそんな思いで歌って参りたいと思っています。
林望(トーク&バリトン)
今日、この記事がだされる9月1日は、私の誕生日です。この日に考えることは、人には出会いがあり別れがあることを強く感じられます。
8月12日に、いずみたく先生のミュージカル「センチコガネムシの愛」に出演しました。無事成功に終わり楽しい打ち上げの最中に、共演者の歌い手の林統子(もとこ)さんのお母様が突然倒れ、8月20日に亡くられました。人生、予想もつかないことが起きるものです。
8月26日、教会でお葬式がありました。涙流しながら、いずみたくの「見上げてごらん夜の星を」歌いました。我々このような仕事をしていると辛いものです、彼女も24日に、涙をこらえ「センチコガネムシの愛」を見事に演じました。このミュージカルは、本当は10人以上で演奏するのですが、一人五役で、二人でやりました。
内容はとってもかわいいミュージカルで、センチコガネムシの夫婦愛を通して、季節の移りゆくなかで、自然と必死に闘いながら生きる虫たちが、生きる喜び、助け合うことの素晴らしさを教えてくれ、とっても心が癒される、あったかいミュージカルです。
仙台の皆さん!演奏させてくれませんか?
今日はここまで。
岸本力(バス)
今回の「せんくら」セッション78は、男声二重唱のレパートリーを以て構成します。
もともと勝又さんとは、ザ・ゴールデン・スランバーズ以来、もう何年にもわたって混声重唱をご一緒してきた仲間なのですが、最近では、もっぱら男声二重唱で舞台にかけることが多くなっています。
重唱は、三重唱、四重唱、六重唱、八重唱と、だんだんと声部が多くなるほど、ポリフォニーとしての複雑な音楽性が込められるので、それはもちろん楽しいのですが、といって、二重唱にはまた格別の面白さもあります。いってみれば、それは親しみ深さでしょうか。
私たちのユニット、勝又・林組にはまだ名前がないと、このブログに書いたところ、さっそくその名前を募集してはどうかというコメントを頂きました。もし、みなさんがたのなかで、こんな名前はどうかというアイディアのある方はぜひお知らせください。
それはともかく、私たちは、前衛的で難解な作品を取り上げようというつもりは全くありません。音楽というものは、一つは不可避的に前衛的・現代的な「新しさ」を希求する方向に進んでいくわけですが、それはどんどん難解になっていって、一般聴衆の楽しさからはかけ離れていってしまう傾向があることは否めません。
そこでもう一方では、どこまでも親しみ深い、懐かしい歌どもを、できるだけ音楽的にきちんとした丈高い編曲で、純粋にハーモニーを響かせるという方向に努力するということがあってもいいと思っています。そして私たちの使命は、この親しみ易い音楽を真面目に演奏するということではないかと思っています。
そこで、私たちが取り上げる、重唱曲のレパートリーは、ほとんどは上田真樹君の新編曲による「懐かしい歌たち」というコンセプトで構成しています。イギリス人にとっての、賛美歌とかマドリガルというようなものが「心の故郷」であるとすれば、私たちにとってのそれは「唱歌」というようなものであるに違いありません。それを、新しく美しい編曲で、ごくごく真面目に歌っていく、それが私たちの目指しているところです。
林望(トーク&バリトン)
赤字を出してやるリサイタルには、なかなか苦労したものでした。
10年程前リサイタルの終わった後で、ビクターのディレエクターが、リサイタルのアンコールで歌ったロシア・ジプシー歌謡の「黒い瞳」に感動され、CDを出さないか?という話がはいったのです。
私は自主製作でロシア民謡のCDを一枚造りたいと考えていましたが、貯金は、生活費用でなくなり、ほとんど諦めていましたから、たいへん嬉しい話に、長年頑張ってきた私への「ご褒美」だと思いました。
CDの発売と平行して、日フィルとオーケストラで「ロシア民謡」を、私が中心で、東京芸術劇場で!という、この夢のような演奏会の話に、いつも心の支えだった、亡き両親に感謝しました。
私は必ず誰か、私が岐路に立ったとき導き助けてくださる人に巡り会うのです、何とも不思議です。
今回の仙台では、ロシア民謡リサイタルでアコーディオンの御喜美江さんと共演します。
私の人生の苦悩と悲しみと喜びの詰まったステージにしたいです。
この機会を与えてくださった方々に感謝します。
今日はここまで。
岸本力(バス)
イギリス音楽に心を潜め、多くの音源に耳を傾けてみると、そこに一つのイギリスらしい特色を見ることができます。それは何かというと、純粋な響きへの志向、ということではないかと思います。
日本の合唱が学校音楽を出発点とするのに対して、イギリスのそれは教会のクワイア(聖歌隊)を出発点とすることが、もっとも大きな違いかもしれません。
学校音楽では、純粋で精密なハーモニーの響きというようなことは、あまり意識されていないように思います。そもそも学校の教室では音が響かないので、純粋な響きを感じようがないのです。外からは野球部の叫び声やら、ちり紙交換の音やらが交錯して乱入し、純粋なハーモニーどころではないというのが、遺憾ながら学校という空間の現実です。
ところが教会、たとえば、ケンブリッジ大学の各コレッジにあるチャペルなど、教会建築というものは、天井がたかく、壁という壁が石と硝子でできています。
そういうところでは、外の音はほぼ完全に遮断され(防音性というのは壁素材の質量に比例するというのは建築学上の常識です。石造りの建物がその意味で圧倒的に有利であることは現実が証明しております)しかも内部空間では、音は天井高くまで響き、返ってきて、陶然とするようなハーモニーをかたちづくってくれます。この音の挙動が、純粋なハーモニーへと人を導いてくれるのです。
そもそもこの環境が彼我の違いを生む基となっています。この空間に助けられて、彼らは、ほんとうに見事な、精密機械のようなハーモニーを聞かせてくれます。私がいつも羨ましいのはここです。そうして、教会音楽としてのクワイアからは、無数の音楽家が生まれています。
学校音楽としての合唱は、それなりに見事なハーモニーを聞かせてはくれるのですが、そこから多くの歌い手や重唱団や作曲家や演奏家などが育ってくるわけではありません。あくまでもその学校の中に留まっているということころが、哀しいかな、現実であります。
私は、イギリスに行くたびに、CDを探し、多くの楽譜を買い集めてきます。もっとも気に入りの場所は、ケンブリッジの真ん中にあるブライアン・ジョーダンという楽譜舗で、ここには、無数の中古楽譜が、まるでただのような値段で売られています。その楽譜の山を、日がなひっくり返してあれこれと探していると、思いがけず珍しいものを発掘したり、かねてから捜しあぐねていた曲のオリジナルなどに遭遇したりして、その楽しさはまた比類がありません。
そんな風にして、毎年ケンブリッジに行っては、夥しく楽譜を買って戻ってくるのが例になっていますが、その殆どは声楽曲、さらにその多くは重唱譜です。クワイアの天国イギリスには、あらゆる曲の重唱譜がそろっているといっても過言ではありません。それらの楽譜は、重唱林組のレパートリーとして舞台に掛けたりもしましたが、なおやってみたい曲はまだ無尽蔵に残っています。
林望(トーク&バリトン)
私が幸運にも、日本音楽コンクールに一位に入り、続いて1974年のチヤイコフスキー国際音楽コンクールでも日本男声で初めてのチヤイコフスキー国際コンクール最優秀歌唱賞を「ボリスの死」の歌でいただいたのです。
しかし一方で、私に来る演奏会に来る仕事は、ロシア物以外のドイツ物、イタリア物など、自分が不得意とする仕事までが入り、少しずつ自分の欠点を出す結果に終わり、世間では「岸本は、もうおしまいだ!鼻っ柱が高く、勉強もせず、調子に乗っている!」などとささやかれるようになりました。焦りだけが自分を苦しめました。
そのころ文化庁在外派遣の話があり、イタリア、オーストリアの留学の話があり、ミラノに住み勉強したのです、その頃ロシアには政治的に無理でしたから。
帰国後も、発声のやり方を変えた為、さらに声のバランスが悪くなり、完全に日本で演奏する望みを失ったのです。そのどん底の時、やはり自分の原点であるロシア民謡「ヴルガの舟歌」の力強い励ましの歌で、私自身が蘇ったのです。もう後戻りは出来ない、自分が信じたロシア物の歌をしっかり歌って行こう!
その為には自主企画リサイタルを開催しょうという強い決心をしたのでした。このリサイタルを開くことにより、世間に「岸本力は死んでいないぞ!」と証明するための、一歩でした。
今日はここまで。
岸本力(バス)
次に、勝又さんの独唱は、これも私の作詩、伊藤康英さん作曲の恋愛歌曲集『ゆけ、わが想い』という長大な作品のなかから、三曲抜粋で歌います。
この『ゆけ、わが想い』は、かねて日本歌曲の世界に恋愛の歌が少な過ぎるということに不満をもっていた私と伊藤さんが、はじめて、真っ正面から恋愛歌曲に挑んだ記念碑的作品で、本来は、テノールとソプラノの二人による二重唱曲です。「くすのき」「夜」「うでのなかで」「おこらないで」「わすれない」「ゆけ、わが想い」という六歌曲と、間奏曲一曲からなる作品で、全曲演奏すると四十分近くかかるという大作です。
このうち「くすのき」「夜」「わすれない」「ゆけ、わが想い」の四曲はテノール独唱(一部ソプラノが加わることもある)の歌で、「うでのなかで」はソプラノ独唱、そして「おこらないで」は、二人の二重唱、という構成になっています。
この曲もまた、CDブック『あんこまパン』のなかに収められていて、そこでは、鈴木准さんのテノール、鵜木絵理さんのソプラノ、そして伊藤康英さんのピアノという演奏で録音されています。
勝又さんは、この『ゆけ、わが想い』を浜離宮朝日ホールで演奏したときに、ソプラノの鵜木絵理さんとともに見事に演奏してくれたテノール歌手で、以来、洪純玉さん、橋本真帆さんなどと共に、なんどもこれを舞台にかけてくれています。
今回は、その円熟した演奏で「くすのき」「わすれない」「ゆけ、わが想い」の三曲を熱唱してくれます。とくにこの三曲は、失恋と痛切な追憶を歌う作品で、深い哀しみを湛えています。これまた、鈴木准さん、布施雅也さん、小林彰英さん、など多くのテノール歌手が演奏してくれています。
音楽業界では、一種の符丁として、曲名を略すということがあり、たとえばモーツァルトのレクイエムを「モツレク」などと言ったりしますが、この『ゆけ、わが想い』は、声楽家たちの間では『ゆけわが』と略称されて親しまれています。
しかし、これまた、演奏するのは並大抵ではない難曲で、とくに演技力が大いに要求されるために、オペラ歌手たちによって歌われることが普通です。
オペラの方で活躍中の勝又さんの表現力豊かな歌唱をぜひお楽しみください。
林望(トーク&バリトン)
私の歌に対する意欲は、ロシア民謡から始まりました。ロシア民謡の持つ旋律からくる哀愁に非常に惹かれました。そして民謡から芸術歌曲へと心が動かされ、チヤイコフスキー、リムスキー・コルサコフ等の歌曲を次ぎから次と勉強し始めたのです。
大学の図書館で手にするロシアの楽譜は誰にも手がついていない、真新しい譜面に感動し、自分の、新しい歌の道に感動があったのです。しかし、友人や先輩達は、私のロシア歌曲への熱い思いに、呆れ、皆が私を馬鹿扱いでした。「岸本は、あんな暗い音楽を愛しているなんて!」と言われていました。大学卒業試験で、ムソルグスキー作曲オペラ「ボリス・ゴドノフ」の“ボリスの死”を歌いました。この歌は、ボリスが自分の行いを責め、苦しみ死んでいく様子を歌ったアリアです。
私が、中学三年の夏に、父を亡くしていましたので、その死に様が、突然であり当時の私には、父の死は深い悲しみであり、今でもその悲しみが永遠に続いていますが、父への思いを込めて歌った「ボリスの死」のアリアは、私自身が信じ難い二番という成績で卒業する結果となったのです。
その年の秋の日本音楽コンクールで、この「ボリスの死」を本選で、身振り手振りのアクションを交え舞台上で泣き叫びながら歌ったのです。結果は審査員25人中23名が私に一位をつけたのです。それは夢のような出来事でした。父の死が私を高めたのです。今日はここまで。
岸本力(バス)
まずセッション77の方から御案内しましょう。このセッションでは、私と勝又さんと、それぞれが独唱曲を歌います。
私が歌うのは、じつはいまちょっとした評判になっている『あんこまパン』という面白い歌です。これは、今を時めく宮本益光さんや、佐藤しのぶさん、あるいは小栗純一さん、加賀清孝さんなど、著名な歌い手の方々が、全国各地で歌ってくれているせいで、急速にその名前が知られるようになってきたのでした。
『あんこまパン』というのは何であるか、というのは、まあ曲を聞いていただいてのお楽しみ、ということにしておきますが、これは実は、私の作詩、伊藤康英さんの作曲という比較的新しいコンサート用歌曲です。
とはいえ、もともと、私がこの曲のテキストを書いたのは、決して歌曲用にと思ってのことではなくて、『音の晩餐』(徳間書店)というお料理の本に、ひとつの純然たるレシピとして書いておいた記事を、作曲家の伊藤さんが、おもしろがって全三楽章の堂々たる歌曲にしてしまったというものでした。こういう歌はガーシュインなどにも先例がありますが、伊藤さんの歌曲は、作者の私がこう申してはなんですが、ガーシュインのそれより百倍面白いと思います。
そうして、この曲は加賀清孝さんの歌唱で録音され、数年前に小学館から『あんこまパン』というCDブック(歌詩、総楽譜、エッセイ付き)としてリリースしました。その当初はあまり評判にもなりませんでしたが、声楽家たちの間に次第に浸透し、今ではちょっとした評判の一曲にまで育ってくれました。これを今回、作者である私自身が歌おうという趣向です。
とはいえ、この曲は技術的には非常に難しい作品で、そう簡単に歌える曲ではありません。声域も相当に広く、声量や表現力も要求され、なおかつ音程的に極めて難しいところのある作品、しかも伴奏ピアノがまた、なみなみならぬ難曲というわけなのですが、それに私自身あえて挑んでみたいとおもいます。
しかし、歌えば歌うほど、これほど歌い甲斐のある楽しい曲もまた稀で、伊藤さんの作曲の見事さに、いつも感心しながら歌っています。なにぶん、テキストについては、私が作者なので、私以上によく理解している人は居ないだろうと思いますから、その作者としての思いを、せいぜい歌に表現してみたいと思っています。
どうぞお楽しみに。
林望(トーク&バリトン)