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SENCLA BLOG

ブログ

荒川洋
2007.06.14

荒川洋(5)〜パリ奮闘記1〜

こんにちは!!!!!荒川洋デス。いや〜昨日ヴィオラの篠崎友美さんの家で音楽仲間と飲んだコートデュローヌはうまかった!・・・じゃなくて、今回で第5回目。自分でもブログをやっているけれど、いっつも短文だから大変だなー、と思いきや、意外にも昔のことを思い出したりしてすらすら書けるものなんですネ。

今回はパリに渡ったばかりの1993年のエピソード。国立音楽大学在籍中にイダ・リベラ女史と僕のパリでの師匠になったアラン・マリオン氏とプリマ楽器のプライベートレッスンで出会い、マリオンから「パリ国立を受けてみないか?授業料は国負担だから、君は年に保険料としての150フラン(当時約3000円)しかかからないんだよ」と言われ、マリオンが何故金銭的な話からしたのか不明だが、確かに「すごい!」と思ってしまったのも事実。当時日本の音大でお世話になっていた宮本明恭先生にお伺いしたところ、「好きにしなさい!」=「行ってもいいよ!!」とのお言葉(!?)をいただき、まずはニースの講習会も含め渡仏。当時二十歳だったけど、ハラハラドキドキの連続の中毎日を過ごしました。なんせ当初フランス語がまったく喋れなかったんですから!(十何年たった今でも似たようなものですが苦笑)タバコ屋に行って「ダンヒル、シルブープレ!」なんて言っても、「コワ?、ボン、ボアラ(何?ああこれね)」ってゴロワーズが出てきたときは、異文化コミュニケーションだなーって思いきや、つまりは、まったく通じていなかったので、悔しくて、次の日「アン・パケ・ドゥ・ドゥニル・スペリュライトゥ・アラ・マント・シルブープレ!(ダンヒル・スーパーライト・ミント味いただきたいのですが!)」って言って、「イヤドプゴグレー!(うまくなったじゃん!)」と店主から一言。当初はこんなものでした。で、その後やってきたパリ国立高等音楽院の入学試験は近代フランス曲のサンカンのソナチネとドヴィエンヌのコンチェルトともう一曲、あと1ヶ月前に発表されたメルカダンテのコンチェルト。それに3分だけ新曲を見て、Salle d’orgueという部屋で初見で演奏。他にもソルフェージュの試験で歌ったりもしました。結構大変だったけど、無事合格。あとで聞いたら百何十人受けてたのに外人枠は一人か二人だけだったとのこと。つり橋を渡った後の心境でした。その年入学したのはキャリーヌ、デルフィン、チャオチューと僕。マリオンが403の部屋で温かく迎えてくれて、その後、マリオンのアシスタントをしているモイーズの最後の弟子で有名なレイモン・ギヨーのクラスへ。彼のクラスには始終聴講生十数人が聴講していて、彼らの前でエチュード数曲とギヨーさんオリジナル分散和音の練習。あまりに難しいのでつっかえていると「フェルー、オララー(やりなさい、できないのかい?)」って何度もやらされる。真っ青になりながら吹いても許してくれない。コワイー。泣。ウルルン滞在記もここまでやってみてもいいかも。

新日フィルに入団するまで6年間、この地でフランスパンをかじりながら成長していったのでした。(続く)

荒川HP:http://hiroshiarakawa.com

 

荒川洋
2007.06.13

荒川洋(4)〜マーティン・フォーゲル君と〜

こんにちは!!!!!荒川洋デス。第4回目。今回は、実はギターを愛してやまない!という話。

僕は、興味があってハマるとそのすべてに没頭する癖があり、小さい頃、サッカーでもプラモデルでもなんでもやり出すと止まらなくなり、何時間もたってしまった、ということがよくありました。音楽も例に漏れず、ヨハン・シュトラウスのワルツを聴いて、やっぱりワルツでしょーって言っていた、と思ったら、寺尾聡の「ルビーの指輪」を熱唱。家にあったポーラ・ロビソンのフルートのレコードを聴いてヴィヴラートの研究をしてみた、と思ったら、ハービーマンのレコードずっと聴いていたり、いいものに関しては割とジャンル隔てなく好きになっていました。

中学では、まじめにタファネル・ゴーベールの日課練習とエチュードをやる傍ら、ザ・フーやT-REX、ヴァン・ヘイレンほか多数の音源の洗礼を受けるようになり、ある日、家にあったクラシックギターの弦を無理やりエレキギターの弦に替え(ゴメンナサイ!)、コンボのインラインに繋いでレベルオーバーにさせたマイクをマホガニーの箱の中にセットし、「ジェッ、ジェッ、ジェッー」とお決まりのスモーク・オン・ザ・ウォーター(笑)と音を奏でることに成功!あの、手作りの手応えの感動は今でも忘れられません。親父に「フルートと勉強をまじめにやるから、エレキギター買ってくれ!!」ってまったく意味の分からないお願いをしたら、「高校に進学したらギター買ってやる」との条件を出され、見事県立高校に入学、念願のヤマハのエレキギターを手に入れました。あの頃はフルートももちろん練習していたけれど、モイーズの分散和音の練習と同じくらいエレキギターでペンタトニック・スケールを練習していました。今でもきっと、なんらかの形でフルートに生かされてるんでしょうね(笑)でも結局スティーブ・ヴァイやヴァン・ヘイレンの超絶技巧は弾けなかったなあ。。

そんな体験から、大変ギターには縁があり、今でも鈴木大介さんをはじめ、様々な素敵なギタリストと共演する機会に恵まれています。人の属性ってあるものなんだろうなあ、と、つくづく実感します。

写真はここ2年くらい、大介さんとの傍らでお願いしているスウェーデンのギタリスト、マーティン・フォーゲル(Martin Fogel)。僕の親友の一人で、彼にもいくつかの曲を作り、一緒に弾いてもらっています。

荒川HP:http://hiroshiarakawa.com

荒川洋
2007.06.12

荒川洋(3)〜日本全国武者修行〜曲作ってます編

こんにちは!!!!荒川洋デス。第3回目です。今日は作曲した曲を演奏する話。演奏会でいろんな地域にお邪魔する機会が多いこの頃ですが、その地の公演のために曲作りをするようになりました。これが最近の僕の趣味になってます。子供たちの前で演奏するのであれば、歌も作ります。今年1月に北海道中標津に行ったとき、「またあえる」って曲を作りました。これは自分でも結構気に入ってる曲で、あらかじめデモの音源と歌詞付きの楽譜を送っておいて、現地で子供たちの歌と一緒に演奏してきました。中標津の伝説にでてくる「ハルニレの木」「モアン川」「ヤマベ」など、その土地のエッセンスを取り入れてみた曲。中標津のしるべっと大ホールのアンコールに、各地で触れあい、一緒に歌った子供たちが壇上に登ってきてくれて、最後は何十人の子供たちと大合唱。「荒川さんとはお友達だね〜」ってすごい喜んでくれたんです。あれは嬉しかった〜(僕のHPで聴けます。)本当に子供たち、そしてスタッフの人たちに支えられた数日間でしたが、子供たちのかわいい声が忘れられません。ほかにもたくさんいろんな場所に行っていて、四日市に行ったときは絵本の「もりのなか」を、青山円形劇場のプロデュースなどを手がけている能祖将夫さんの語りと、フルートとピアノの曲を作って演奏したり、長野県須坂市のメセナホールにいたときは「メセナの丘で」という木管五重奏の曲を現地の皆さんと演奏しました。あと印象深かったのは佐賀県の唐津市に行ったとき、厳木小学校の子供たちが作った詞に曲を作って、ということになり、2ヶ月かかってなんとか今年の3月の厳木小学校の卒業演奏に間に合わせたところ、子供たちが卒業式で歌ってくれたこともありました。最近では妹の荒川知子(この話は次回)と篠崎和子さんに作った曲が、NHKの赤間裕子さんの司会の「情報テラス」にて放送されています。音楽って何かといろいろな人との縁を繋いでくれるものなんだなーってしみじみ思う今日この頃デス。

昔、ポピュラー音楽のほうで食べていきたいって思ってて、何十曲もオリジナルを作ってたこともあり、自分の好きなようにメロディーや歌詞を作るのが大好き。クラシックの道に入ってからも、素晴らしい大作曲家の音楽に触れるうちに、やっぱり自分の曲もやりたいなって思いがあります。そうそう、今作ってる「ソナチネ」ですが、全曲を完成させて「せんくら」で初演しようとたくらんでいます。それも重ねてお楽しみに。

荒川HP:http://hiroshiarakawa.com

 

荒川洋
2007.06.11

荒川洋(2)NJP〜オーケストラでの奮闘記〜

こんにちは!!! フルートの荒川洋デス。第2回よろしくお願いします。今回はうちの母体のオケ(オーケストラ)である新日本フィルハーモニー交響楽団についての話。

小澤征爾と当時の有志メンバーで立ち上げた在京のオーケストラで、今でもクリスティアン・アルミンクが音楽監督として日々奮闘している団体です。僕が入った頃のオケはとにかく昔からピリっとしていて、それでいて人間も音楽も喜怒哀楽がたくさんある場所。よく笑うし楽しいけど、同時に演奏のインプレッションに大変厳しい一面もあり、今でもそれは受け継がれています。とにかく、ノーミスなのは当たり前で、その瞬間の楽曲分析ができていて、自分の役割を自覚していないとすぐ先輩からのツッコミがはいるという所。少なくともフルート1番のポジションはそうだと思っています。付け加えて、首席の白尾彰さんというオケ百戦錬磨でルイロの魔法使い。。先輩として尊敬できる素晴らしいプレイヤーです。僕はそんな彼の代わりを任されている「副首席奏者」をしているわけで、彼のいないときのプレッシャーは実は当時から相当なもの。だからこそ、まだまだ10年やってもオケマンとしては修業が足りん!って思うし、いつも音楽やアンサンブルに発見があり、果てしなく深く終わりがないなーって思ってます。白尾さんがどこかの記事で、「みんなで協力し合いながら出すピアニシモは、本当に素晴らしい」との記事があったけど、本当にそうだと思う。一人でピーって出るのは簡単だからこそ、交響曲の静かな楽章の最後の部分のピアニシモなんかは、よくみんなで声をかけあって「もう一回合わせようよ」って言い合う。音程一つ、フレーズの処理にしてもみんなで議論を交わす。誰が悪いとかじゃなくて、一人一人がどう立ち回ればいいのかなって考える。そうやって、考えながら、本番当日みんなでその瞬間、集中力がギューと凝縮された瞬間を体感し、終わった後みんなで「よかったよー」とか「すーばらし」とか言って讃えあう。そんな職場デス。チームワークだからソロとはまた違う。でもだからこそ音楽の役割分担、音の和声上の性質をだんだん理解してくる。それがいざ一人で吹いたときにとてつもなく血や肉になっているのが分かるんですね。面白い!

たとえば、一人でシャコンヌかなんかを吹いているとき、後ろに聞こえるはずのない伴奏が聞こえてくるんです。一人で吹いている孤独感が払拭され、欲しいと思ったコンチェルトのような伴奏が聞こえてくる。これは、ソロの他にもオーケストラで日々奮闘しているからこその、ちょっとした財産なのかなって思います。

写真はゲツヨル(日本放送)6/11放送分の収録の時。ゲストで最上君(右)出演。彼も素晴らしいプレイヤーで宮城県出身です(^_^)

荒川HP:http://hiroshiarakawa.com

荒川洋
2007.06.10

荒川洋(1)仙台の記憶〜森林公園を駆け回って〜

こんにちは!! フルートの荒川洋デス。今回はよろしくお願いします。

とうとう「せんくら」に出ることになりました。メルシーボクー!よく「とっておきの音楽祭」には出ていましたので、ジャズフェスも含め、仙台という街が「音楽の街」として、一層華やかさが増しましたことをあらためて実感いたします。サスガ!育った街ということもあるけれども、やっぱりすてきな街です。そして、その昔、小学校1年生までは泉区旭ケ丘に住んでいて、南光台小学校に1年通っていました。

今でもたくさんのことを幼少の頃の記憶として留めています。あの旭ケ丘の起伏のある斜面と、八乙女中学校の横の公園と小山が今でも通ると懐かしい。昔の茶色いシビックや鷹のマークの白いトランザムがよく走っていた時代でした。子供の頃の記憶ってなんだろう。。南光台小学校の前によくヒヨコ売りのおじさんがいて、隣のおばさんからお金借りてヒヨコ買ってきて(親が貧乏だったのではなく、たまたまいなかったから!)、一生懸命育てたら、あのかわいいぴよぴよヒヨコにトサカが生えて、ある朝から「グェー」って鳴き出したこととか。今でもおつきあいがある親戚のおじさんが八木山のベニーランドに連れていってくれるので、楽しみにしていたこと。スポーツランドSUGOのなが〜いすべり台が大好きだったこと。南光台小学校1年生のとき(というか1年生までしかいなかったが。。)超ガキ大将で、担任の木村先生の手を焼かせていたこと。西公園の機関車を愛してやまなかったこと。ダムだった黒松の辺りに、突如家ができたこと。もっと小さい頃、旭ケ丘からバスで市内にでるとき東照宮まで大渋滞しててぐったりしたこと(笑)。台原森林公園の池の四角い石を渡るのが怖かったこと。そして、宮城沖地震があり、断水したので給水車がきて、バケツを持って汲みに行ったこと。。

30年前の記憶と今の仙台がスクランブルする時がありますが、それ以上に、未来へクリエイティブに突き進む今の仙台がたまらなく魅力的です。

今回もいろいろネタを用意して乗り込みますので楽しみにしててくださいネ。まずは一回目のブログでした!!

「荒川洋」ってどんな奏者なんだ、という方はこちらへ→ http://hiroshiarakawa.com

 

西江辰郎
2007.06.09

2007年06月09日 

ジュゼッペ・アンダローロと
(写真:鈴木加寿彦)

とうとう最終日になってしまいました。とはいえ、昨日も書いたように原稿締め切りが迫っているので皆様にとっての7日間が僕にとっては1日半!(秘)

こんなにあわてて書いたのは久々だあ。これが演奏会じゃなくてよかった〜。やはり準備は大切ですね。

6月に入り、今はあたらしいCDの製作に入っています。自分の録音を何度も聴くのもなかなか勉強になりますね。

今回は昨年行ったジュゼッペ・アンダローロとの一枚。フランクや、プロコフィエフ、クライスラーなどを入れる予定です。

10月にはできているようにしたいな〜

たとえぼくがお休みでも、いつもやっているのがオーケストラ。しばらく行かない日が続くと心配になります。生き物みたい。ちょっとづつ変化して、何かしら起こっていて、自分がいなくても別に何の問題もない。それがオーケストラ。みんなが集まって、何かが変わる。今求められている何かに向かっての方向性が勝手に出来上がる。一人ひとりの変化が微妙に何か関与してきて、分からないけど動いている。けれどだから飽きることがないのかもしれない。

そこで久々にオケに行ったときは人から言われる前に「あ、ひさしぶりだね〜!」と、向こうがしばらくこなかったように言ってしまうことにしている。この手はほかにも使っている人がいるみたい。なにしろ人によっては本番が食い違って1月ほども会わない人もいるのだから!

今月はシューマンのシンフォニーも演奏するし、10月に活かせるかなーとかおもっています。

いつも応援に来てくださる皆様ありがとうございます。そしていつも演奏会を待っていて下さるかたがたにもお礼をもうしあげます。今年は秋に「せんくら」をはじめ新日本フィルとの共演、ミッシャ・マイスキー氏、室内楽、など沢山あって、それぞれとても楽しみにしています。

新日フィルも是非聴きにいらしてくださいね。

では10月にお会いでき、演奏を聴いていただけるのを心待ちにしています。

お元気で!

西江辰郎
http://homepage3.nifty.com/nishie-tatsuo/

新日本フィルハーモニー交響楽団
http://www.njp.or.jp/njp/index.html

仙台フィルハーモニー管弦楽団
http://www.sendaiphil.jp/

 

 

松山冴花
2007.06.09

松山冴花(7)卒業式

ジュリアード学院、卒業しました。

最後の最後まで17年間ジュリアードに行ってた事を冷やかされました。このままドクターコース続けるの?ってよく聞かれましたが、幸いそんな出来る脳をもってないのでここでゲームオーバー。

卒業式、なにも別に特別な事なく終了。すぐタクシーに乗って打ち上げ会場、ママの所へ。

でもママの家に着いたとたん何かがないと気づく。

...携帯!

アアア!タクシーのなかで落とした!

ちょっとボーゼン。知り合いの番号携帯にしか控えてないからこれからどうしようとちょっと悩む。

ま、でも落としたものはしょうがない。開きなおるのは約2分後。早い早い。

友達数人とご機嫌いいベビーちゃんまじえて食い会、飲み会。

そうそう、賭けには勝ちました。

でも最後の最後で負けるとこだった。その日クラス写真と卒業式の間に30分ほど時間があったのでその時に飲みに行こうというお誘いが。お金持ってないって言って渋々断る。セレモニー直前にもフラスク持ってきた子からビン渡されて危うく飲みそうに。

危なかった...

でも1ヶ月程飲んでないせいかパーティーでもあまりお酒進まない。

変なの。

打ち上げ最中相方に電話が。

“さえか、今タクシーに乗ってる人がさえかの携帯見つけたって言ってるよ”。

えっ?マジ?

それがその瞬間の証拠写真。

見つけてくれた人と話してタクシーの運ちゃんに携帯、ママの家まで持ってきてもらうようネゴ。

30分後無事携帯確保。

めでたしめでたし。

 

 

西江辰郎
2007.06.08

2007年06月08日 

さて、ここ毎日お店のことばかり書いてきましたが、実はブログの期限に追われていて、やばいんです!

去年とは全く違う内容におどろかれたと思いますが、ぶっちゃけ日にち稼ぎです(^0^; ばればれか〜

ピアノの坂野伊都子さんとはもう何度も共演させていただいていますが、今年も一緒に演奏させていただきます。

僕が彼女のすごいと思うところは、特に本番のときの感性です。

練習でお互い疑問に思って色々試して解決できなかったところでも、本番になれば、それがうそだったようにそんなことを考えなくてすんでしまう、一見練習する必要があったのか?と思ってしまうところです。

みながそうか分かりませんが、僕の場合、最初に何も考えずぱっと何かを弾いた時に自分ではとてもうまく行った気がします。ところが、その曲を練習するうちにすべてがぎこちなくなってくる。音楽的にも技術的にも。そしてナーバス。そのうち、曲とは関係のないことで悩み、仕方がないので休憩。解決が思いつかないので、弾くこと意外で曲を勉強。それで前よりひどくなったと思って練習していると、お客さんの反応はそうでもない。あれ?ということで自分で録音して聴いてみてまたどん底・・・・・どん底がいやだから今度は本番直前は録音はきかずに「えいやっ」と本番をしてしまって、もうそのことは忘れて「ハッピー」。あとでまた少し反省。みたいなことの繰り返しです。

これはどういうことなんでしょう?練習すると自分の耳が良くなって、前より下手に聴こえるようになるんだなきっと・・・といつも自分に言い聞かせています・・・・・・・?
西江辰郎

松山冴花
2007.06.08

松山冴花(6)禁酒

ガラコンが終わった次の日の5月1日から卒業式の25日まで賭けをしています。お酒を飲まない賭け。サエカは25日間お酒を飲まない事は無理だろうと言う相方の発言から始まったイヤな賭け。

最初の3日間は一日一日が長かった。

1週間ほどは料理に使うお酒も自分を信じなかったので開けるのもダメ。

2週間目でやっと料理にお酒を使い始める。コルクを開けた時のいい匂い。

スゥゥーーー(ボトルにマジ鼻近づけて思う存分匂い吸い込む)。
ハァァーーー...(寂しいため息)。

現在5月20日。ほぼ3週間クリア。

でもこういう時に限って友達からのパーティーやら一緒に飲もうという誘いがやたらに多い。

全部NO。

悪夢で相方が豪華なホテルにある街一のバーに連れて行ってくれる。でも私がオーダーできるのはお水1杯。バーテンダーが“このバーで水をオーダーした人は今までいなかった”と。

その日1日中彼には冷たい視線。

でも彼はいい事を言ってくれる。“I’m proud of you”(がんばってるね)

オー、優しい事言ってくれるじゃん、ってすぐ言葉に振り回されるアホな私は浮かれ気味。その気分もつかの間。

“But I’ve gone without alcohol since March” (でも僕なんか3月からお酒触ってないよ)

...

賭けに勝っても得るのは私の頑固さの保証。でも奴だけには負けない。

西江辰郎
2007.06.07

2007年06月07日 

今日は打って変わってめがねのお店です。
初めはめがね以外の用事でお世話になり、その後お茶を飲みにいってくだらない話をしたり、悩みを聴いていただいたりみたいな・・・何をしているんだ俺は!?
もちろんめがねもいくつか作っていただきました。
ほんとに珍しい世界のめがねがいっぱい!一見の価値があります。
店内でめがねを作る際の視力検査も可能です。

仙台
眼鏡専門店
オプティカル サイエンス
http://www.optical-science.com/

ここでしか見られない直輸入メガネ
とても個性的なベルギーのテオコレクションを初め、ドイツのマスケコレクション、オンケルコレクションも直輸入。またメガネの本場フランスのジェラ地方より、小さなアトリエで作られた、とてもきれいで可愛らしい、手作りメガネも取り揃えてご紹介してます。
ご主人製作の木製の眼鏡もあります。その他まつげの形の金属かついたサングラス、左右非対称の眼鏡などからウルトラマンスタイルなど。 一度遊びによってみてはいかがでしょう。

住所:仙台市泉区寺岡2丁目1-16
電話:022-772-0738
営業時間:8:00〜19:00
定休日:なし

駐車場:無料/5台
西江辰郎

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