吉松隆(5)

2007.08.16| 吉松隆

現代で「クラシック系音楽の作曲家をやっています」と言うと、いまだに「ああ、現代音楽ですね」と(ちょっと顔をしかめて)言われることが多々あります。

まあ、確かに現代で音楽を作曲しているのだから「現代音楽」には間違いないのですが、第二次世界大戦後に闊歩した、いわゆる「前衛音楽」(アヴァンギャルドなんて言います)の、グチャグチャ・ゲロゲロ・ドロドロというタイプの難解(要するに不快)な音楽が、よほど印象的だったのでしょうね。いわゆる「ゲンダイ音楽」というのは、ごく普通のクラシック音楽ファンにはそれこそ蛇蝎のごとく毛嫌いされています。(それでも、蓼食う虫も好き好きと言って、そういうのこそが好きなマニアも少なくないのですけれど)

おかげで、かれこれ半世紀ほど、クラシック系音楽の「新作」というのは、一般の聴衆からほとんど見向きもされなくなってしまいました。ほんの80年ほど前(1920年代)には、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」とか、ラヴェルの「ボレロ」とか、プッチーニの「トゥーランドット」などが次々に新作として披露され、世界的に演奏されていたことを思うと、実はこれ、かなり異常なことと言わざるを得ません。

ちょっと考えてみてください。いくらシェークスピアやコナン・ドイルやドストエフスキーや紫式部が素晴らしいと言っても、今みんなが普通に読んでいて一番売れているのは、やっぱり今生きている作家の最新作であり今月の新刊ですよね?

ポップスだって、ビートルズやエルヴィス・プレスリーや美空ひばりがどんなに天才的でも、今一番聴かれているのは新しい若いアーティストによる最新ヒット曲であり、今週の新譜です。それが、健全な世界というものです。

ところが、クラシック音楽界だけは、100年も200年も前に死んだ人が書いた作品を崇め奉ったままです。コンサートでもCDでも放送でも、演奏されるほとんどが過去の作家たちの残した音楽で、新作が一般聴衆の前に登場する機会は滅多にありません。こんな異常な業界は、クラシック音楽界以外にちょっと思い当たりません。

かつて、指揮者の渡邊暁雄さんは「私たち演奏家は、過去の作曲家たちが生み落とした名作を演奏することで大いなる恩恵を得ています。ですから、その恩返しとして、現代の作曲家たちが曲を生み出す手助けをするべきなのです」とおっしゃられたそうです。

現代に生きる作曲家も同じです。過去の音楽からの恩恵を血肉とし、渾身の力で現代という世界を記述する新しい音楽を作ること。それこそが、過去の作曲家たちへの敬意の証であり、恩返しなのだと思います。

…いや、もちろん、それをダシにして遊んでることも否定はしませんけどね。

・・・・・吉松隆

御喜美江(4)「不幸中の幸い」

2007.08.15| 御喜美江

今日は先週の大雨で水浸しになった車を修理工場においてきました。車の中は今朝もまだ水たまり状態で、発進するとき、カーブを切るとき、ブレーキをかけるとき、ポチャ~ポチャ~と、のどかな水音がします。この響きにもなんだか慣れてきてしまったのですが、しかしこんな車はそう長いこと乗れたものではありません。それに原因が何かも分からないのですから不気味です。この修理はかなり高くつくだろうなぁ、と内心かなり心配でした。

ところが、この修理を申し込んだ日付は何と保障期限が切れる最後の日だったそうで、これは全くの偶然であり、私は知りませんでした。「保障有効期間ですから貴女にコスト負担はかかりません。」と言われたときは本当にびっくり、思わずお口ポカンでした。

これぞまさに「不幸中の幸い」というものですね。あの大雨が一日遅れで降っていたら・・・なんて思ってしまいました。

アコーディオンには今でこそ国立大学、世界コンテスト、フェスティバル(!)なんてメジャーなスペースがありますが、私が4歳で習い始めた当時はマイナーな楽器でした。毎週、母に連れられて伴典哉先生のレッスンに通うとき、上野松坂屋前では傷痍軍人さんが2人コンビでアコーディオンを弾いていました。流しのおじさんが弾くアコーディオンも子供の耳には寂寥感ピュアに聞こえ、その光景は限りなく淋しくうつりました。

ちょうどその頃3歳年上の従姉がピアノを習っていたのですが、彼女の「虎ノ門ホール・ピアノ発表会」は明るく華やかで、私の「豊島公会堂・アコーディオン発表会」はちょっと暗かった記憶もあります。それで8歳頃からはピアノも習わせてもらい、ハノーファー音楽大学は一応ピアノ科を卒業しました。でもアコーディオンは何故かいつも私のすぐそばにあり、常に演奏し続け、心のなかに響く音たちはピアノではなくアコーディオンでした。

もし私がピアニストを目指していたら、仙台クラシックフェスティバルに出演するなんてことは絶対不可能でしたが、アコーディオン奏者になったおかげで、2年も連続で出演させていただけるのです。これもまた「不幸中の幸い」かもしれません。

 

吉松隆(4)

2007.08.15| 吉松隆

先日、この9月にNHKのBS2で放送される「おーいニッポン」という番組のリハーサルに行ってきました。私が構成・編曲した「埼玉Rhapsody」というスコアの打合せです。

この番組は、年に数回ほどのペースで日本全国の都道府県にスポットを当て、6時間ほどにわたってお国自慢情報を紹介するもの。番組の最後には、その県ゆかりの歌や音楽や民俗芸能を組み合わせて12分ほどのメドレー構成にした「ふるさとラプソディ」が、その地のアマチュア・オーケストラと合唱団のみなさんとの共演によって演奏されることになっています。

これは八木節やソーラン節など日本民謡で構成した外山雄三さん作曲の名作オーケストラ曲「ラプソディ」にちなんだものとのことで、今まで千住明、服部克久、渡辺俊幸、栗山和樹、小六禮次郎、和田薫などなど色々な作曲家・編曲家の方によって書き継がれています。お国自慢ですから、本来はその県ゆかりの作曲家が作編曲するのがベストなのですが、そうも行かない時に私に声がかかるみたいです(笑)

私は昨年、茨城県の時に初参加したのですが、今回(9月)は埼玉県。川越ゆかりのわらべ歌「通りゃんせ」、秩父屋台囃子(秩父市)の太鼓、知る人ぞ知る卒業式の定番ソング「旅立ちの日に」(秩父市)、タケカワユキヒデ氏(さいたま出身)のヒットソングなどなど8曲をメドレーにして、オーケストラ(指揮は円光寺雅彦さん)、200人の児童合唱および混声合唱、和太鼓群、ロックバンド、金管のファンファーレ隊…という(ベルリオーズやマーラーもびっくりの)巨大編成となりました。

なにしろ大編成ですので、スコア(上の写真)も大きいです。それに、演奏される場所も普通のホールではなく、大宮に新しく出来る「鉄道博物館」(正式な開館は10月。鉄道マニアにはちょっとたまらない場所かと)。歴代の機関車や客車がずらりと並んだ展示館の巨大空間で鳴り渡る予定で、これも先日ちょっと下見に伺いました。

オーケストラや太鼓や合唱やロックバンドという異なるジャンルの音楽を同時に演奏させる、というのは結構大変なことなのですが、(前のブログで書いたように)「楽譜」を書くことによって、こういう思いもかけない音楽が生まれます。

逆に言えば、楽譜を書かなければ生まれようもない音楽が生まれるわけで、これは実に悪魔のような(?)快感と言わざるを得ません。

この悦びさえあれば、スコアを書くのが大変だとか、〆切がキツイとか、ギャラが安いとか、そういう不満なんか・・・・・いや、ほんのちょっぴりはありますけどね。

BS2での放送は9月2日(日)。曲の披露は生中継で5時半頃からの予定です。

・・・・・吉松隆

御喜美江(3)

2007.08.14| 御喜美江

日本は連日たいへん蒸し暑い日々だそうで、友人、知人からくるメールには必ず「ヨーロッパの涼しさが羨ましい」とあります。まあ気温だけをとればこちらのほうがいいでしょうけれど、先週は大雨が3日間降り続けて、ドイツ・オランダでも大きな被害が出ました。水というのは実に恐ろしいものです。テレビや新聞のニュースに出るのは規模の大きな水害ばかりですが、今回私が被った(村のタダ新聞にすら載らないような)ミニ被害だって、自分にとっては疲労困憊系の大事件でした。

それは10日金曜日の朝。車をスタートさせた途端、ピチャピチャ、ポチャポチャ、派手な水音がします。それも外ではなく車の中で。「おかしいなぁ、雨はやんでいるのに。」と思いながら次の信号を右カーブすると、思わず水飛沫が飛んできました。「うわ~、これは一体なんだ!」と右サイドを見ると、なんと右側の床がまるで水槽のようになっています。これにはビックリ仰天、急いで大学の駐車場に引き返して守衛のおじさんをよんできました。守衛さんも車中をみるなり絶句。「バケツをひっくり返したような大雨だったからねぇ、でもそれにしてもこれはひどいや。」と。もちろん窓は全部ちゃんと閉まっていました。それから私は大きな雑巾を2枚借りて、腰の骨がへし折れそうになるまで水を外に出し、水槽が水たまり程度になったところで、なんとかオランダの自宅に戻ってきました。ところが我家の地下室へ降りてゆくと、なんとここにも水が!どっかから浸入してきた水は床全体を平面に覆ってキラキラと光っているのです。この時点でほとんど切れそうになりましたが、今朝テレビで見たニュースを思い出し「家一件なくした人もいるのだから頑張ろう!」と自分に言い聞かせ、ふたたび雑巾活動を開始したのです。

アコーディオンは伴奏楽器として野外でもよく演奏されます。ですから「外で弾く楽器」と思っている人も多いのですが、実は水にものすごーく弱い楽器なのです。それも値段が高くなればなるほど、この楽器は水に弱い。なぜかと言うとアコーディオンには皮、木、紙といった素材がふんだんに使われているからで、とくに柔らかい皮と紙からなる「蛇腹」が濡れてしまったら、もうおしまいで修理も出来ません。また鍵盤やボタンの内部にはフエルトがあり、ここも水が大嫌い。ですからもし野外でアコーディオンを演奏する場合は、出来るだけプラスチックやビニール豊富のもの、濡れたら拭けるもの、そしていつでもどこでも購入できるお値段のもの、お勧めします。

今回の水害ではつくづく「あぁ、アコーディオンが濡れなくてよかった。」と胸をなでおろしました。アコーディオン奏者の皆様、留守をするときは面倒でもアコーディオンはきちんとケースに入れ、できれば内部をビニールで覆い、可能な限り安全な場所に保管しましょう。

吉松隆(3)

2007.08.14| 吉松隆

現在、作曲のお仕事としては、左手のためのピアノ協奏曲というのを作曲中です。これは、ピアニスト舘野泉さんのために書いているもので、タイトルは「ケフェウス・ノート」。今年の冬、ドレスデン室内管弦楽団の来日公演で初披露されることになっています。

左手のためのピアノ協奏曲というと、ラヴェルの有名な曲があるのをご存知の方も多いと思います。あの曲は、第一次世界大戦で右手を負傷し失ったパウル・ヴィットゲンシュタインというピアニストのために作曲された曲ですが、ラヴェル以外にもプロコフィエフやリヒャルト・シュトラウスやブリテンやヒンデミットやコルンゴルトなど錚々たる大作曲家たちが彼のために左手の作品を書いています。

これほど多くの作曲家が曲を献呈した演奏家と言うのもちょっと珍しいのですが、実はこのヴィットゲンシュタインというピアニスト、かの哲学者ルドヴィヒ・ヴィットゲンシュタインのお兄さんで、父親はウィーンで知らぬもののない大実業家にして大富豪なんですね。芸術家や画家や音楽家のパトロンとして、メンデルスゾーンからブラームス、ロダン、ハイネ、クリムトなどと親交があった大金持ちだったそうです。

ですから、身も蓋もなく言ってしまうと「札束で作曲家の頬をひっぱたいて」片っ端から書かせた…とも言えなくもないようで。書かせておいて「気に入らない」と演奏すらしなかった曲(プロコフィエフなど)もあったといいます。豪勢と言うか、もったいないと言うか。

でも、いいですねー。私も札束で頬をひっぱたかれて曲を書いてみたいものです。一生に一度でいいですから(笑)

今回の私の曲は、左手のピアニストになられた舘野泉さんのために書き下ろされるものですが、タイトルの〈ケフェウス〉というのは、秋の夜空に浮かぶ五角形の星座の名前です。「左手の5本の指」だけで弾くので、5つ星の星座の〈星のヴィジョン〉をイメージの核にしたというわけです。左手のピアノの美しい響きを室内管弦楽が優しく包む、5章からなる音楽(になる予定)です。

というわけで、夏の暑いさなかに秋の涼しげな夜空を思い浮かべながら作曲を進めています。無事に出来上がりましたら、12月8日に南相馬市民文化会館(福島)、10日に東京オペラシティなどなど国内数ヶ所で演奏される予定です。しかし、この暑さです。果たして、無事に書き上げることが出来るのでしょうか?

御喜美江(2)

2007.08.13| 御喜美江

私はグリークの『叙情小曲集』が大好きです。
これはピアノのために書かれた小品集で、作曲者が長い年月にわたって書き綴った「音楽日記」とも言われていますが、私にはまるで「ブログ」のようです。民族色豊かな踊りやお伽話の世界、風景の描写、様々な感情表現、どれもこれも素晴らしく美しい世界であります。今年2007年はグリーク没100年であり、先日の「オウルンサロ音楽祭」でも様々なグリーク作品が演奏されましたが、今年1月スウェーデンの古い教会で、私もオール・グリークのCD録音を行い、5月にリリースされました。この録音は学生時代からず~っと抱いてきた夢でありましたので完成したCDを初めて手にした瞬間は感無量でした。なんだか新盤を宣伝するようで恐縮ですが、「アコーディオンとグリーク」を知っていただきたいという願いをこめて、今日はそのプログラム・ノートを紹介させていただきます。長文ですがお時間のあるときにでも読んでいただけたら幸せです。
(2007年8月12日ラントグラーフにて)

旅するアコーディオン
― グリーク『叙情小曲集』との出会い ―

クラシック・アコーディオンのレパートリーというと、古いものか新しいもの、つまり古典か現代作品の2つに限られることが多い。それは一つに、この楽器の歴史がまだ浅く、オリジナル作品が全て20世紀後半から始まるのと、もう一つは「鍵盤楽器」として古い時代の音楽も編曲せず原曲のまま演奏できるからである。

しかしアコーディオンが産声をあげたのは1829年、まさに「ロマン派」の時代だった。それはドイツ・オーストリア地域で考案され、ウィーンで“Accordion”という名前の特許登録がされたのち、様々な楽器職人たちの手で改良され、まもなく商人、船乗り、移民たちの手によって海外へ運ばれていった。その行き先は隣国のスイス、フランス、イタリア、ベルギーのみならずロシア、スカンジナビア諸国、東欧諸国、そして遠くはアメリカ、アルゼンチンにまで及んだ。そして小さなアコーディオンは異国の地に移住すると同時に、新しい文化、気候、慣習を受け入れ、まるでそこで生まれ育った楽器のような自然さをもって、その民族音楽の仲間入りをした。人々は新しく登場したこの楽器を「わが故郷の楽器」として親しみ愛し大切に育てていった。ロシアのバヤン、フランスのミュゼット・アコーディオン、そしてアルゼンチンのバンドネオンといった名前を耳にするとき、私たちが思い浮かべる音楽は、哀愁をおびたロシア民謡であり、華やかなシャンソンであり、情熱に満ちたタンゴであろう。そこに1829年のウィーンの面影はもう微塵もない。そう、生まれた場所ではなく、育った場所が、アコーディオンをそのように変化させていったのだ。

20世紀に入ってからもアコーディオンの改良はさらに続けられ、フリーベース・アコーディオン* の誕生とともに伴奏楽器から独奏楽器へ、民族音楽からジャズへ、クラシックへと、ジャンルも大きく広がっていった。そしてこの頃からアコーディオンのためのオリジナル作品が多く書かれ始め、ヨーロッパ各地の国立音楽大学にはアコーディオン科が設けられ、世界コンテストやフェスティバルなども盛んになってゆく。

こうして進化したアコーディオンには、それぞれ異なったキャラクターや色合いがあり、醸し出す雰囲気も多種多様で、外観、キーボードシステム、メカニック、さらにはサウンドに至るまで、他の楽器では考えられないほど多くの種類がある。しかしどの時代、システム、ジャンルをも越えて共通するもの、どのアコーディオンにもバヤンにもバンドネオンにもなくてはならない要素が、実は2つあると私は思う。それは「うた(Lyric)」と「超絶技巧(Virtuosity)」であり、この2つはまるでアコーディオンの「遺伝子」のようだ。アコーディオンの蛇腹は「うたう器官」、そして左右の指たちは軽い鍵盤と小さなボタン上を「特急テンポ」で飛び交う。1829年から今日まで、この2つの「遺伝子」だけは全く変化していないように私は感じる。そしてこの2つの要素が最も大きな役割を果たしている時代はいつだろうと考えるとき、「ロマン派」にそれがぴったりとおさまるように思えるのだ。

グリークがその生涯において日記のように書き続けた『叙情小曲集』を、私は学生時代から大変好み、常にコンサートのレパートリーとして弾き続けてきた。本来はピアノ曲であるこれらの作品を、どうして自分はあえてアコーディオンで演奏したいと思い、すでに人生の半分近くも弾き続けているのだろう。

そのわけは・・・
『叙情小曲集』を演奏するとき、私はその物語の中に入り込み、語り、歌い、踊り、演じることができる。そこで自分は「小鳥」となってさえずり、「妖精」となって踊り、「孤独な旅人」となって嘆き悲しむ。「郷愁」では人の声を、「バラード」では涙を、「コーボルト」では悪戯を、体に密着した蛇腹をとおして表現することができる。とくに「蝶」では、ピアノで演奏すると蝶が舞い飛ぶ春の風景ようにきこえるが、アコーディオンの場合は自分が「蝶」となって野原を舞い飛び、蝶の視点が演奏の起点となる。そして農夫が一日の仕事を終えて畑から帰途へ着く光景、おばあさんがメヌエットを踊る瞬間、小人が森の中を行進する様子、子守唄、ノルウェー舞曲、ワルツ、そして感謝、秘密、期待、・・・一人舞台の役は曲ごとに変化し飽きることを知らない。
アコーディオンの遺伝子をここまで自然に使いこなせる作品が他にあるだろうか。

19世紀におけるアコーディオンは、楽器の改良と旅の時代だった。そしてちょうどその頃に書かれたのが、グリークの『叙情小曲集』だ。この歴史的偶然を一枚のタイム・アルバムにしてみたいという願いは学生時代からあったのだが、ようやく一枚のCDとして誕生することになった。これは私にとって人生の足跡のような感もあり、森と湖に囲まれたレナ教会**において、ハンス・キップファー氏のもと、淡い冬の光と深淵なる静寂の中で行われたこの録音は、演奏家冥利に尽きる夢の3日間、そして星の時間であった。

*フリーベース・アコーディオン:
左のベース側にも音域5オクターブ半の単音ボタンを持つアコーディオンのこと。
尚、左手がこのように解放されたことでポリフォニー演奏が可能となった。クラシック・アコーディオンまたはコンサート・アコーディオンとも呼ばれる。

**ストックホルムから約100km北東に位置し、14世紀の初めに建てられた石造りの小さな教会。

 

吉松隆(2)

2007.08.13| 吉松隆

今回「せんくら2007」のコンサート(10月6日)で仙台フィルの方々(指揮:山下一史さん)と披露する私の曲は、「子供たちのための管弦楽入門」と「コンガラガリアン狂詩曲」という2曲です。

最初の「管弦楽入門」は、そもそもは子供たちのためのオーケストラ入門コンサートのために書いたもので、その名の通り、コンサートの始めに語り付きでオーケストラの楽器を次々と紹介してゆく5分ほどの音楽です。

なにしろクラシックのコンサートというのは、黙って始まり黙って終わるのがほとんど。それに対して子供たちが「お客さんがいるのに、ぜんぜん自己紹介もしないで、黙って始めるのはおかしいよ」言うのでハッとしたのが、作曲のきっかけでした。

とは言っても、楽器を吹きながら「私はフルートです」とか「ぼくはトランペットです」などと自己紹介は出来ないので、語りの方が順番に紹介してゆきます。初披露の時は声優さんに語りをやってもらいましたが、今回は(たぶん)作曲家自身がやることになると思います。

そして、もう一曲の「コンガラガリアン狂詩曲」という変なタイトルの曲は、…これは作曲したわけではなくて、誰でも「あ、聴いたことある!」という古今の有名なクラシック名曲を20曲ほど繋ぎ合わせてポプリ(メドレー)にしたもの…です。

ベートーヴェンの「運命」に始まって、ブラームスの「ハンガリー舞曲」、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」、ビゼーの「カルメン」、チャイコフスキーの「白鳥の湖」、プッチーニの「トゥーランドット」、ホルストの「惑星」・・・。次から次へと何でもかんでも出て来ます。大作曲家の先輩方、ごめんなさい。

どうしてこんな曲を書いたかと言うと、コンサートの企画をしている時にマネージメントから「誰でも知っているような有名な曲をとにかくプログラムに載せてください。そうしないとお客さん来ませんから!」と身もフタもなく言われてカチンと来たのが始まりです。(ちなみに、〈せんくら〉の方ではありません。念のため)

そこで「そんなに名曲がいいなら、あなたが言う〈誰でも知っててお客が来る有名な曲〉っていうのをぜ~んぶ並べてプログラムに載せてください。それ、み~んなつなげて一曲にしちゃおうじゃないですか!」と口が滑って(笑)・・・それで書くことになりました。

つまり、口が滑って繋ぎ合わせすぎてこんがらがってしまったラプソディ(狂詩曲)というわけですが、これはもちろん「ハンガリアン・ラプソディ(ハンガリー狂詩曲)」のもじりでもあります。念のため。

・・・・・吉松隆

 

御喜美江(1)

2007.08.12| 御喜美江

みなさまこんにちは!
アコーディオン奏者の御喜美江(みきみえ)です。
昨年にひきつづき今年も仙台クラシックフェスティバルに参加できますことは私にとって大きな喜びと幸せであり、まず初めに深く感謝申し上げます。
皆さまとの再会を今から楽しみに心待ちしております!

さて本日はコンサートに先立ちまして待ちに待ったせんくらブログ、いよいよ私にも番がまわってきました。一週間どうぞよろしくお願いいたします。

実は2007年度のコンサート出演が決まったその日から、「今回もせんくらブログあるのかな?私の番はいつだろう?」と張り切って待機していました。ブログの楽しみ方はいろいろありますが、私にとって一番の魅力は画像です。目に飛び込んでくる面白いオブジェ、言葉では表現しにくい色や光、そして心に響く風景や建物をデジカメで撮り、あれこれと深く難しくは考えないで、見たまま感じたままを瞬間的な速さで、可能な限りシンプルにコメントしてゆく、これに絞ってきました。要するに自分の五感を優先し拙い日本語がボロを出さないうちに終える、ということです。さらに私たち演奏家の指はどれもかなりはやく動くので、ショート・コメントなら数秒間で打つことができ、指だけに喋らせる「瞬間トーク」も私にとってブログの楽しみであります。今回も出来れば一度この「MM・瞬間トーク」を読んでいただきたいと思っております。

さて、2週間の滞在を終えてオウル/フィンランドから5日前ドイツに戻ってきました。それは舘野泉氏が音楽監督をなさっている「第10回オウルンサロ音楽祭」への参加で、今回はMusician of the Yearに選ばれる大きな名誉に恵まれました。(http://www.oulunsalosoi.fi/english.php)アコーディオン奏者としては初めてでしたので本当に嬉しく有難く、5回の演奏会もあたたかい聴衆と素晴らしい友人たちに囲まれ忘れ難い想い出となりました。今回は気温も18℃~25℃と凌ぎやすく、雨降りの日もありましたが、それでも夏の光は限りなく明るく、澄んだ空気と水と静かな白夜を満喫してきました。
(2007年8月11日ラントグラーフにて)

関連記事:アコーディオン御喜美江~オフィシャルブログ~『道の途中で』
http://mie-miki.asablo.jp/blog/

 

吉松隆(1)

2007.08.12| 吉松隆

私はもうかれこれ30年近く作曲家をやっていますが、作曲家というのは、考えてみれば奇妙な仕事です。なにしろ自分では演奏せず(それどころか聴衆の前に現われもせず)楽譜だけ書いて音楽を伝えるのですから。

ちなみに、今でこそ作曲家などというものをやっていますが、14歳になるまで(つまり中学3年生まで)は、自分が将来、音楽を職業にすることになるなんて、想像したことすらありませんでした。

そもそも子供の頃は科学者か医者、そうでなければ漫画家になりたいと思ってました。確かに物を作るのは好きでしたが、特に「音楽」に興味を持った覚えはありませんでしたので。

それが、中学3年の冬、つまり高校受験の真っ最中に「交響曲」というものを聴き、突然頭の中で何かが覚醒して「作曲家になるッ!」と決めてしまいました。自分でも、その理由は…よく分かりません。

以来、「純音楽」(早い話が、お金にならない音楽…ですね)にこだわり、オーケストラ(交響曲とか協奏曲とか)の作品を中心に書き続けてきました。ただし、音楽大学にも行かず、先生にも付かず、外国に留学もせず、ロックバンドでキイボードを弾いたり、ジャズのコンボや邦楽器の入ったグループで演奏したりしながらの「独学」だったのですが…。

どうしてそこまでして〈作曲家〉などというものになろうと思い、〈作曲〉というものにこだわってきたのか?と言うと、それは、自分で演奏できなくても楽譜さえ書けば「どんな音楽でも創ることができる」ということ。これに尽きると思うのです。

なにしろオーケストラでも室内アンサンブルでもピアノでも歌でもロックバンドでも和楽器でも雅楽でも合唱でも古楽器でも電子楽器でも、楽譜に書ける楽器ならどんな組み合わせでも「自分の音楽」にすることが出来ます。(実際、私もそのほとんどすべてを書いてきました!)

しかも、自分がいない場所の聴衆や、知らない遠い外国の聴衆、さらには極端な話ですが自分が死んでしまった何十年か後の聴衆ともコミュニケイションが可能なのです。これって、とてつもなく面白い、そして不思議なことだと思いませんか?

おかげで、もうかれこれ四半世紀も、作曲をし続けるはめになってしまいました。もしかしたら演奏家の方々にとっては(そして聴衆の方々にとっても?)迷惑な話なのかも知れませんが、とにかく本当に素晴らしいのですよ。「作曲」するってことは!

・・・・・吉松隆

佐々木真史(7)

2007.08.11| 佐々木真史

仙台フィルに入団したのが1999年の9月ですので、早8年目になりました。これまでオーケストラと室内楽の2本の柱を中心に活動して参りました。

その間、3回の国際コンクールを経験し、「せんくら」も今年で2回目。まさに楽都仙台の中心で活動させて頂ける喜びをひしひしと感じます。これも会場に足を運んで下さるお客様のおかげです。良い演奏をする事で恩返しが出来ればと思っております。

一週間、読んで下さいまして、有難うございました。10月、コンサート会場でお目にかかれるのを楽しみにしています。

カテゴリー