2006年07月24日

2006.07.24| 池上英樹

今日も打楽器について語りたくなってしまいました。マリンバはともかく打楽器ソロって何?音楽一人でできるのかよ〜?って思っている方も多いのでは?

打楽器やってます!というとオーケストラですか?と返されるか、祭りの日本太鼓か、バンドのドラム?といわれることがほとんどなので、説明するのも面倒くさいんで、そんな感じです、と応えてます。。。(どんな感じ?!)とにかく見てもらわないとわからないんで、口では説明できません!

叩いてひっかいて擦ってはじいて、ふれる、たまには吹いたり踊ったりうたったり、打楽器ソロにはいろんなものが要求されています。音が出るものは全て使え、膜質から木質、金属質、プチプチまでも(このくらいのディープさにしときますね。。)音楽のために用いられます。音程も作れますし、和音もあります。リズムはもちろんのこと。ただ叩くだけジャン!(シンバル)とは大違いで、プチプチですらどのようにつぶしていくか?!でいろんな表情、ニュアンス、感情が出ますよね?太鼓しかり、木は語り、金属はうねるのです。フレーズや音程感など、どの楽器でも大切にしていることは打楽器でも極めて大切なんです。

今回の2公演はマリンバでの名曲中心のプログラムを組んでいますが、それぞれ初めて聞くであろう現代の音楽も入っています。芸術は進歩しない。感情もまた複雑多様に見えながら、みんな同じでみんな違う。

さてストレッチの続きでもするか。
また明日変な文章書きます!

池上英樹(マリンバ、パーカッション)

月曜日

2006.07.24| 御喜美江

週末が終わり今日から月曜日です。

月曜日というと平日だから、この日から一週間の仕事が始まるわけですが、ドイツ・オランダの月曜日は、何となく日曜日の延長のようでもあり、週末のおまけのようでもあり、休日の付録のような雰囲気もあります。

博物館・美術館は休館日、デパートとスーパー以外の店は午前中ほとんどが休み(オランダ)、床屋も休み(ドイツ)、田舎の肉屋は半日営業(ドイツ)。そして最近の日本では代休日こと月曜日=休日の場合がかなり多いように私は感じます。

★週末は終わったけど、もう少し遊んでもいいよ。(やったぜー!)
★なんだかんだあって結局寝不足、月曜日は思う存分寝ましょ。(わ〜い!)
★残ったご馳走をビデオでも見ながら一人でゆっくり食べよう。(これ最高!)
こんな月曜キャラクターに私は密かな魅力を感じます。

コンサート・プログラムでいうと、アンコールみたいなものかな。肩の力が抜けると私ってこんな演奏も出来るのよ。こんな楽しい曲も弾くの。名曲だって大丈夫、任せておいて、うふふ。

しかし現実はというと、先週やり残した雑用に追いまくられ、週末の寝不足、食べ過ぎ、二日酔いに体は重く、しかも頭も鈍い。さらに火曜日の予定を見てうんざりし、冷蔵庫にはもう何もない・・・これも残念ながら典型的な月曜日。ところで今日は?というと、大学が夏休みに入ったので毎日が“やや月曜日”みたいです。

写真解説:『地平線』の見える平原を東へ約20分歩き、真昼でも薄暗い森をぬけると、オランダ/ドイツの国境を流れる明るいヴルム川に出ます。その川辺に咲いていた『野バラ』を撮影しました。

アコーディオン御喜美江〜オフィシャルブログ〜『道の途中で』
http://mie-miki.asablo.jp/blog/

2006年07月23日

2006.07.23| 池上英樹

このリレーブログ?も何週目に入ったのでしょうか?
これから7日間は僕と、仙台で共演させていただく御喜美江さんでお送りします。

僕のやっている打楽器・マリンバソロの音楽をまだ聴いたことのない方も大勢いらっしゃると思います。

まずマリンバのことからですが、この楽器デカイです!僕の楽器は全長が約3メートルあり、音域も5オクターブ半という特注サイズで、池上仕様の世界で一台しかないものを使っています。マリンバというと木琴の巨大版で、剣の舞的な音楽ばかりを弾く楽器というイメージがあるようですが、木琴の軽いきらびやかな音に比べて、より低い音域で、深く豊かな響きを追求していったのがマリンバといえます。バチで音板を叩くのですが、その下にある共鳴管を振動が伝わり、まるで吹く楽器のような、あるいはパイプオルガンのような響きも得られます。叩くことと吹くことが合わさった不思議な楽器でもありますね。

今回のプログラムはその両面にスポットを当てて、二回の演奏会のうち、一方は踊りやリズム中心のもの、もう一方は歌やパイプオルガンのような響きを味わっていただくプログラム構成にしています。どこまで多様な音楽性をこの楽器が表現できるのか?そのことを体感しにきてください!

その一方でストレッチオタク的(毎日3時間くらいはやっています)な僕がやるワークショップも二回やります。今はフラメンコやクラシックバレエにまで手を出していますが、打楽器の場合は特に演奏にもそのまま使えることが非常に多く、打楽器とダンスは、昔からもちろんそうですが、切っても切れない関係なんです。演奏は体のパフォーマンスではないので、演奏しながら動きまくるということは僕の場合ないのですが、ぶれない体を作ることは非常に大切だと思います。決して固まらず、決めつけず、ゆらゆらしていてぶれない。

これも是非お楽しみに!

池上英樹(マリンバ、パーカッション)

2006年07月23日

2006.07.23| 御喜美江

皆様こんにちは。アコーディオン奏者の御喜美江(みきみえ)です。

今日から7回『せんくらブログ』に登場させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

今日は日曜日:子供の頃の日曜日はあまり好きではありませんでした。小さい頃の私は早起きで、朝ごはんを楽しみに早朝から機嫌よく起きだしていました。しかしこれといってすることのなかった当時、日曜日は限りなく長く退屈で、遊園地の鉄棒やブランコで遊び飽きたあとは、寝転んでよく空を眺めていました。その頃から私にとって空や雲は心の友達でした。あの頃は空が大きく、太陽がだんだん沈んでいく風景を見ることも出来ました。夕焼け雲も大好きでした。小さい頃の私は母と一緒に歩いていると、突然立ち止まって空を見上げては「あぁ、地球は丸いな〜」とつぶやくことが多かったそうです。

アコーディオンは、そのレパートリーにおいては鍵盤楽器に属しますが、楽器構造はリード楽器で、蛇腹から送られてくる空気がリードに触れてはじめて音が生まれます。鍵盤を押す、内部の空気弁が開く、そこに少し風を送る、すると音が聞こえてきます。この瞬間を私は『地平線』とよんでいます。音が消えてもまだ音がきこえるような、耳を澄ますとそこに音があるような、ふと気がつくとそこには本当に音がある、アコーディオンを演奏するとき、私はまず『地平線』を想像して、そのあたりに音を見つけようとします。はるか遠くにあるとても小さな音たち、そこが私にとって演奏の出発点です。

ゆっくりと変化する空の雲、分刻みに変わる黄昏の光、地平線の彼方にまで咲き続くたんぽぽ畑、水平線に停止しているような船、そんな風景が私は大好きです。

写真解説:オランダのラントグラーフにある自宅を裏庭から出て坂を上がると、この平原に出ます。広い空と地平線が見たくなると、ここまで散歩にきます。

アコーディオン御喜美江〜オフィシャルブログ〜『道の途中で』
http://mie-miki.asablo.jp/blog/

月光の夏

2006.07.22| 仲道祐子

8月になると終戦の日がまたやって来ます。「月光の夏」。ご存知でしょうか。このタイトルを聞いた時、「本があって、映画化もされていたような・・・。特攻隊員がピアノを・・・っていう内容だったような気がする。」程度の認識しかありませんでした。

その後私は「月光の夏」の本を読んだのですが深く考えさせられることになりました。これは実は北九州のほうのお話。特攻隊員が出撃する前に「ピアノが弾きたい!」とこの一念で、当時はおそらくとても貴重品で珍しかった筈のピアノをどこかの学校で探し出してベートーヴェンの「月光」を弾いて立ち去っていった・・・。(とてもおおまかな筋です。)

胸に迫るものが多々あるエピソードです。その特攻隊員にとってピアノを演奏するのはそれが人生で最後。どんな思いで弾いていたのだろうか・・・。無心だったのか、それとも全てが走馬灯のように頭の中をよぎっていたのでしょうか。実際に極限状態にないと分からない思いというのもいろいろあることでしょう。

ちなみに本の中では前述のエピソードは、話のいわば提示部分に過ぎません。その続きの現実について私は更に驚きを持って読むことになりました。本の内容はここでは詳しく書きませんが・・・、「月光の夏」の中には決して忘れてはいけない現実が詰まっていました。今ある平和、日々のくらし、そういうものに改めて幸せを実感し、また、ピアニストとしては毎日ピアノに触れられる喜びを再認識させられると同時に演奏することに対して身が引き締まる思いもした、そんな本でした。

さて、この度ご縁あって夏、8月14日と15日の終戦の日にこの作品の劇団東演による朗読劇(舞台)で「月光」を弾かせていただくこととなりました。終戦の日にこのような作品が上演されることは大変意義深いことと思います。下北沢にありますタウンホールでの公演ですので、ご興味ございます方、是非いらしてくださいませ。

今回のブログ、今日の7回目を持って最後となります。仙台で皆様とお会いできますのは10月に入ってから。まだちょっと日はありますが、私自身も仙台での3日間大変楽しみにしております。

ネット上の仲道祐子だけではなく、生の演奏、そして話をしている仲道祐子にも是非会いにいらしてくださいませ。心よりお待ちしています!!!

仲道祐子(ピアノ)

ホァン・モンラさんを思う

2006.07.22| ホァン・モンラ

2001年の5月、第1回の仙台国際音楽コンクールコンテスタントのウエルカムパーティーに、ボランティアとして参加させてもらいました。偶然にも中国から参加の女性2名と男性1名、そして付き添いの母親と指導者5名のテーブルに付くことになりました。中国語は「ニーハオ」と「シェーシェー」しか知らない私は、どきどきしながら通訳者に助けてもらってお料理の説明をしたり、体調は如何かなどと会話を進めて、本番に向けての激励をと必死でした。

女性陣は、にぎやかにおしゃべりをしながら飲んだり食べたりで、外見は楽しそうに見えました。只一人の男性は静かに話もせず、かすかな笑顔でたばこを吸っていました。なかなかきっかけがつかめず、どうしたものかと食事を勧めてみたものの、お刺身をつついてうなずきながら一口、二口。そこで「お名前を教えて下さい」と尋ねてみました。すると箸袋に「黄蒙拉」と楷書でていねいに書いてくれました。とても読めないので「発音も教えて下さい」というと「Fan・Monra」とローマ字ルビをふってくれました。これが最初の出会いでした。もの静かで少年ぽささえ残るあまり主張のない青年に思えたものです。

そこへホストファミリーを予定しているNさん一家が「熱烈歓迎」と大書した紙を持って大声で挨拶、握手に来られました。彼がたばこを吸っているのを見て「おお、私と同じたばこだ」といって“hi-lite” を出され「交換しよう」と言ったら、「これは日本のものです」と言いながら、それでも交換していました。その場もなごんで、私もつい、「あまりたばこは吸わない方がいいですよ」などと老婆心を発揮してしまいました。彼はニコッとしながら「私もそう思っています」と答えてくれました。それにしても最近、たばこの本数はどのくらいになったかな?と思いを馳せています。

本番に臨んだ彼の演奏ぶりは皆さんの心に焼き付いていることでしょう、私の稚拙な表現では不可能です。結果はご存じのようにスヴェトゥリン・ルセヴとの同位で第一位でした。あのシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調(作品47)の入賞者記念アルバムはその後の私の愛聴版として今もバックに聴きながらこれを書いています。

もの静かな風貌からは想像も出来ないほど、情熱的でありながら洗練された演奏はこれからも世界中の観客を魅了し続けていくことでしょう。

〜上海で再会〜

2003年12月5日、6日の上海オーディションに何かお手伝いできないかと出かけました。ホァン・モンラさんの出身校が会場でした。オーディションも無事終了し、ホッとした所へ彼から連絡が入り、事務局のMさんと二人、待ち合わせ場所へ向かいました。上海の12月は晴れてはいても極寒でした。仙台人の二人は分厚いコートでいそいそと、いくらか緊張気味で急ぎました。そこは地元の人が集うレストラン。ホァン・モンラさんは白のコートとセーターで颯爽と、そしてとても清楚で細身の愛らしいガールフレンドといっしょに待っていてくれました。すぐに片言の英語で再会を喜び、その後の入賞者コンサートでの来仙の思い出など、話ははずみました。私が感じていた印象とは少し違い、とても力強くリーダーシップを発揮して、メニューの一つひとつの説明をして、日本では食べられないものをと気を遣って選んでくれました。美味しい魚料理、野菜料理(料理名を覚えられなくてごめんなさい!)と老酒、進む程にジョークも飛び交い、彼女とも仲良く話がはずみました。

彼女には同じくコンクール参加を勧めましたが、今は上海オーケストラの一員としてとても忙しく活躍しているので無理とのことでした。ちょっと席を立った彼女が、可愛い缶入りの中国茶をお土産にと手にして戻ってきました。そのさりげなさがとても嬉しく残りました。

食後は、私のわがままなリクエストを優先してくれて、Jazzの大きなライブハウスに連れていってもらいました。彼もJazzは大好きとのこと、でもちょっと無理してくれたのかもしれないと思ったりしたのですが、演奏者が次々と彼に寄ってきて挨拶、話あっているではありませんか。みな上海音楽学院の卒業生だったのです。プロになっている人、アルバイトでやっている人、ホァン・モンラさんとその友達へと特別演奏をプレゼントしてくれました。その中でもガーシュインの「パリのアメリカ人」は私のリクエストに応えてということで永遠に残る音色となりました。

上海の夜はまたたく間にふけて、日本での再会を約束し健康で演奏活動を続けられますように、と祈ってお別れしました。

仙台国際音楽コンクールボランティア 三田雅子
http://www.simc.jp/

Dear People of Sendai!

2006.07.22| ジュゼッペ・アンダローロ

Dear People of Sendai!

It’s with my biggest pleasure and honour that I came back to Japan, and in particularly to my favourite town, SENDAI!!!

I’m very glad and very excited to perform again in this beautiful hall, to this wonderful audience that have been knowing me since 2001: the year of my unforgettable victory at the 1st Sendai International Music Competition.

Having been here already more than 10 times, and have been playing to this special public is really a joy for me and mean really so much to me. Every time I come back to Japan, and in particularly so Sendai, and, in a special way, to play here in this special Concert Hall, gives me so much power and wonderful feelings that are really impossible to describe them into words.

I thank all of the people of Sendai, all the organizers that gave me the chance, again, to perform here, and to take part this time at this Festival.

This time, in particularly, the two programmes of my performance are very much close to all people, specially to students, to young pianist and teachers: I tried to combine some of the most magic pages of the piano literature of all time (from Bach to Schumann, to Mozart, Beethoven, Chopin, Liszt, Ravel, Debussy, etc.) to give a special “path” to the listener and almost to “take his hand” and let him follow the musical speech. All people is invited and highly recommended to come and to enjoy the music!

SEE YOU ON 7th October! CIAO!

Giuseppe ANDALORO

仙台の皆さん!

日本、特に私の大好きな街、仙台!!!にまた行くことが出来て、たいへん嬉しく、そして光栄に思います。

素晴らしいホールで、忘れがたい第1回仙台国際音楽コンクールで私が優勝した年、2001年以来、ずっと私のことを覚えていてくれる素晴らしいお客様の前で、再び演奏できることがとても嬉しく、わくわくしています。

仙台には、10回以上訪れていますが、特にこの街の皆さんの前で演奏できることはたいへんな喜びであり、大きな意味のあることです。 日本に戻ってくるたび、特に仙台に戻って来るたびに、更に言えばとても特別な意味で、この仙台の「コンサートホール」で演奏するたびに、エネルギーをもらい、言葉では言い表せない程の素晴らしい感情に満たされるのです。

仙台の皆さん、事務局の皆さん、私が今回このフェスティバルに参加し、仙台で演奏する機会を再び与えて下さったことについてお礼を申し上げます。

今回は、特別に2回のプログラムとも、すべての方々、特に勉強中の若いピアニストや先生方に親しんでいただけるような内容にしました。

古典から近代、現代を通じての芸術作品(バッハからシューマン、そしてモーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、リスト、ラヴェル、ドビュッシー等)の中から、その変遷が手にとるようにわかる、また、音楽のおしゃべりに耳を傾けさせてくれるような魔法のような素晴らしい曲を、ページをめくるように組み合わせました。皆さん、ぜひコンサートに来て、クラシック音楽を楽しんでください。

では10月7日にお会いしましょう! チャオ!

ジュゼッペ・アンダローロ

http://www.simc.jp/

 

ミシン

2006.07.21| 仲道祐子

ミシン。

以前からなんとなく気になっていていたものです。電気屋さんで何気なくミシンコーナーなんて覗いたりするとあれって、ちゃんとしたものは結構なお値段しているのですよね。買ってもひょっとしたら使っている時間が無いかもしれないし、使用する人の技術不足により使えないかもしれない物・・・。気になってはいるけれど、手が出せなかったものの一つです。

そんな時、新聞にとあるチラシを発見しました。ミシンの安売り!!!新聞のチラシによりますと、なんと、お値段1万円!しかも、自宅に届けてくれる上に、使用方法の説明までしっかりしていってくれる!!!うーん。と、そこで私は考えました。使用方法を説明していってくれるのなら、私でもちゃんと使いこなせるかもしれない・・・。例え、たいしたものが作れなくてもその作っている過程が楽しめれば良しとしよう!!!と、早速ミシンを電話注文。

電話では、注文した機種と違う機種を紹介させていただくかもしれない・・・、とのことでしたが、まあ、それはそれ。良い物を紹介してもらえたら嬉しいし。と、ミシンが届くのを心待ちにしていました。

ミシンを持ってきたのは女性二人。早速うちに上がっていただき、ミシンの使用説明講習を一通り受けます。
「どんなものを作る予定ですか?」
えっ?「雑巾とか・・・。袋物とか、出来たら服とか・・・。」
(見栄をはりたい気分になってしまい・・・つい。)
「でしたら、こちらの機種もご紹介させてください。」
と、違う機種のミシンが出てきました。
「ちょっと試し縫いしてみてください。」

なるほど。購入予定のミシンよりも随分使い勝手が良いです。(私のような初心者でもはっきりと分かる使い勝手の良さ!)いろんな模様もボタン一つで簡単に縫えます。糸を切る、という事まで自動でしてくれます。
「なんて賢いミシン!!!」と、感心していると、
「お値段いくらだと思います?」と、その女性。

一万円のミシンを買おうとしている人に勧めてくるミシン、せいぜい倍額くらいのものかしら?いや、でも、世の中の電気屋さんには10万くらいのものがごろごろ並んでいます。そのくらい高価なものなのかしら・・・。まあ、でも、これだけ使い勝手が良いのであれば倍額くらいだったら買う事考えるわよねぇ・・・などと思考をめぐらせていると、
「元々は○十万円するものなんです。」
「!!!!!!!!!」
「でも、今回は特別に、という事で、半額でご紹介したいと思うのですが、いかがでしょう?」

世の中にこんなに高価なミシンが存在していること、しりませんでした!!!!へたくそな袋を作らなくても、半額でもブランド物のバッグが余裕で買えてしまうお値段、丁重にそちらのミシンはお断りさせていただきました!

・・・そして、はや2年が経過。
私の作品は今のところ何枚かの布巾と、我ながら最高傑作だと思っている枕カバー数枚のみ・・・。

登場頻度は高くありませんが、随分と幸せな気分を満喫させてくれる愛しのミシンです。

今後も一年に数回は活躍してもらう予定です。

仲道祐子(ピアノ)

ヴァイオリンのなせる業 ホァンに寄せて

2006.07.21| ホァン・モンラ

普段のホァン君は、笑顔のさわやかなごく普通の青年です。ボーリングもすれば、ドライブにも行くし、年頃の仲間同士で世間話にも興じる事もしばしば。けれどもヴァイオリンを持って舞台に立つと、ヴァイオリニストとしてのホァン君が出現します。

言葉を持たないヴァイオリンが、音によって語り始め、ホァン君もヴァイオリンを演奏することによって日頃気付く事もなかったような知られざる自己の世界を垣間見る…。という事もあるのかもしれません。ヴァイオリンとホァン君の目に見えないやり取りによって第3の世界が開けて行くような…。ホァン君のテンションが上昇するに連れて会場の空気も変化し始め、演奏しているホァン君と聴き手の意識が見えない糸でつながれて行く。それは、音と意識の綴れ織りのような、その時限りの芸術作品のように思えます。このような場に立ち会えた時の感激というのは忘れがたいものです。

音の生命ははかなく、一瞬のきらめきを残して消え行きます。けれども、心の中に放たれたその輝きは深く刻まれ、決して忘れることはないと思います。同じ曲でも、人によって、同じ人の演奏でさえ、その時々により二度と同じ音にめぐり会うことはできません。こうして考えると、演奏会というのは、それぞれのお国柄や時代、演奏者や聴衆ひとりひとりの心を映す鏡のように思えます。

さて、“せんくら”ではどんなことが見えるのでしょうか。

仙台国際音楽コンクールボランティア 大塚幸子

http://www.simc.jp/

2006年07月21日

2006.07.21| ジュゼッペ・アンダローロ

2006年ドイツW杯サッカーは、イタリアが頂点に立ち、幕を閉じた。そのイタリアチームの一員のMFジェンナロ・ガットゥーゾが優勝した瞬間に、興奮のあまりピッチの芝を口に入れ、我に返ってペッと吐き出した。その姿を目にして、アンダローロのことを思い出した。

ある演奏会終了後、私がサインをもらうために差し出した扇子を口に入れるジェスチャーをして、まわりの笑いをとっていたのだ。どちらも共通しているのは陽気なイタリア人気質・・・。

イタリアのピアノの俊才ジュゼッペ・アンダローロ。

決して陽気なばかりではない。彼の音には人を惹きつける何かがある。言葉を超える天性の才能というべきか。それが彼の演奏の豪快さとともに、胸のすく開放感を私たちにもたらす。アンダローロの演奏を聴き、彼のファンになった人が私の周辺にはかなりいる。それもクラシック音楽にあまり興味がなかった仲間である。彼の演奏を聴いて楽しい、自分の気持ちが開放される、また聴きたくなるという感想は共通している。

クラシックばかりでなくジャズも演奏し、作曲もこなす彼のマルチな才能が人々を魅了するのかも・・・。

何にもまして、10月のせんくらが待ち遠しい。

仙台国際音楽コンクールボランティア 吾妻宏子
http://www.simc.jp/

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