3日目。さてさて、今日は『ハーモニカ発祥地・トロッシンゲン』と言われる由来についてお話しましょう。
ハーモニカは一枚のリードを息で振動させながら音を出しますが、クラリネットのように口の中に入れるのではなく、管の先に取り付けられています。
このような原理は今から3500年前の中国「殷」の時代にさかのぼり、雅楽の笙に似た形でした。時代とともに形を変えながら、ロシア経由でヨーロッパにパイプオルガンの一部として入ってきました。高い音が出し難い事から、音を出すきっかけとしてリードが用いられました。
そこからヒントを得て生まれたのが足踏みオルガンです。
話をハーモニカに戻します。ハーモニカを発明したのはドイツ人のブッシュマンであるという説がありますが、他説もありはっきりはしていません。
また、1821年のドイツの書物にハーモニカらしい楽器に関する記事がありますが、それによるとウィーン近郊で発明されたと書かれており、「ムントエオリーネ」と呼ばれていたようです。いずれにせよ当時は楽器というより玩具的なものでした。
では、それがどうしてトロッシンゲンと関わり合うのでしょうか?
その当時のトロッシンゲンでは農閑期には時計作りが行われていました。皆さんも良くご存知の鳩時計です。時計を作ってはヨーロッパ各地へ売り歩くのです。行商の旅先でハーモニカらしき玩具を子供の土産に買い求めましたが、程なく壊れてしまいます。
しかし、そこは時計職人。腕を生かして修理をしていくうちに、改良を重ねて実に良い物を作り出していったのでした。その職人はトロッシンゲンに住むクリスチャン・メスナーという人でした。その後、多くの時計職人が競うようにハーモニカを造り、トロッシンゲンの町から世界中に広まりました。
日本へは19世紀末に「カテドキ笛」という名称で入ってきました。
では、また明日。
今年の<せんくら>には、シエナのクラリネットカルテットも出演します!
<せんくら>は三歳以上の方ならどなたでも入場できるだなんて、素敵ですね~。
幅広い年代の皆様にお楽しみいただけるように、バラエティーにとんだ曲をお届けいたします。
小さいお子様や、お子様がいてなかなかコンサートに行けないママさんたちには、ディズニー・オン・パレード。
昔はジャズ喫茶によく行ったものだ、との渋い方には、ベニーグッドマン・メドレー。
せっかくのコンサート、聞くだけでなく歌でも口ずさみながら楽しみたいという方には、日本の歌~浜辺の歌~見上げてごらん夜の星を。
あまりクラシックは聞き慣れないわぁなんて方にも、ご存知のメロディが変わっていくのをお楽しみいただける、キラキラ星変奏曲「クラリネットカルテットヴァージョン」。
私たちも今からワクワクしています。
演奏はパリっと、演奏する姿はキリっとしたステージにしたいと思います。そして皆様が、[せんくら]の[しえくら]ステージに[くらくらっ]となっていただけたら幸せです!
執筆:クラリネット 近藤薫
2日目。昨日はゆっくりおやすみになりましたか?
今日は昨日の続きでドイツ留学からです。
私の住んでいた街トロッシンゲンは南西ドイツの『黒い森』の東の外れに位置し、人口は約15,000人ほどのかわいい街でしたが、国立音楽セミナーハウス、州立音楽大学、市立音楽学院、ジュニア音楽学校があり『音楽の町』と呼ばれていました。
市立音楽学院には80名ほどの学生がおりアコーディオンが中心ですが、ハーモニカを授業に取り入れた学校で私は招待留学生としてスタートしました。
ドイツでの日常生活ですが、自分で比較のしようもなく、これがドイツの文化と思えばそれはそれで納得したものです。その代表的なのが下宿部屋に風呂どころかシャワーすらなかった。ドイツの本を読むと「体に石鹸を塗り、濡れたタオルで3~4回こすればきれいになる」と書いてあったので当初はそのようにしていたのですが、今から考えれば変ですよね!
そのうちプールのシャワーでシャンプーを使えることを知り、よく通ったものです。風呂付の部屋に住むのが夢でした。私の訪れた年は大変寒く、マイナス30度まで下がりました。当時ドイツ語がほとんどわからず、ヘルムート・ヘロルド先生や学校の皆さん、街の皆さんには感謝です。
明日は『ハーモニカ発祥地・トロッシンゲン』についてお話しましょう。
せんくらブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは!(^O^)/
“シエナ☆フルーツ”です!!
と、言われましても、、
何の人タチなのかしら……。(?_?)。。て感じですよね。
シエナ・ウインド・オーケストラ(吹奏楽団)のフルートセクションの“ふたり”+パーカッションのアンサンブル☆ユニットです♪
みなさんはフルートについて、どのようなイメージをお持ちですか?
『癒し系』??
フルートのあたたかくて、やわらかい音色に身をゆだねてしまって下さい(^_^)ね。
そして、シエナ☆フルーツはそれだけにとどまりません!
『元気!パワフル!!p(^^)q』
吹奏楽でつちかった、カラフルな“音色”と“トーク”
そしてダンス!(本当かっf^_^;(笑)?)
でみなさんと一緒に楽しいステージを作っていきます。
今回の『シエナ☆フルーツ』の公演は2回!
【踊るフルート!叫ぶマリンバ!元気がでるコンサート】
10:30~11:15 せんだいメディアテーク
曲目:ブラジレイラ/ミモザ/シエナ☆フルーツ~秋のメロディ/ヴェニスの謝肉祭/グリーンスリーヴス・ファンタジー
様々なプログラムで、ノンジャンルにお送りする45分!シエナ☆フルーツワールドにどっぷりつかって下さい。(´∀`)
【ふえとたいこ(0歳児からのコンサート)】
14:00~14:45 太白区文化センター展示ホール
曲目:フルーツ☆ポルカ/ディズニー・メドレー/ジブリメドレー/キラキラ星変(!?)奏曲
0歳から『老若男女問わず♪』どなたでも参加できる楽しいコンサートです。(^O^)/
“ふえ”と“たいこ”は音楽の原点ですよね。ウキウキトークをまじえながら、踊り出したくなるようなサウンドから、しっとりとした音楽まで、さまざまな“お楽しみ”をお届けします!(^_-)-☆
さぁ。せんくらで『シエナ☆フルーツ』を聴きにいこう!
執筆:フルート 金野紗綾香
~シエナ☆フルーツ情報~
★ 金野 紗綾香(かねのさやか)
→「さやちゃんのブログ」http://swo-blog.seesaa.net/
★ 西田 紀子(にしだのりこ)
→H.P. http://homepage2.nifty.com/ayasenoriko/index.html
『仙クラ』ファンの皆さま、今年もブログの季節到来です。
トップは私、クロマティック・ハーモニカ奏者の和谷泰扶(わたにやすお)です。これからの1週間、お付き合いのほど よろしくお願いいたします。
まずは自己紹介:京都生まれ 実家は創業200余年の和ろうそく店『わた悟』の二男としてこの世に現る。幼少のころは『神童』と巷では言われていたそうですが、私の記憶にはございません。
ハーモニカとの出会いは兄がハーモニカ下手だったことから習いだしたのがきっかけです。私の小学生のころは音楽の授業でハーモニカがありました。(驚いている方は若い方、うなずいた方はそこそこお年の方です。私はそこそこです。)
別に他の音楽家の方のように子供のころから練習漬けの毎日ではなく、普通にごく普通に育ちました。大学3年生のときに異変が起こります。その兆候は以前からちょくちょくあったのですが、ハーモニカ連盟主催のヨーロッパ旅行で『ラリー・アドラーとトミー・ライリー』の二人の巨匠に出会ったのです。その2年後にはドイツ留学の長い旅に出たのです。
今、文章を書いていてあらためて人との出会いの尊さを感じます。私がハーモニカ奏者として今日演奏できるのも色々なところやタイミングで出会うべくして人と出会い、その道がつながっているのです。
10月仙台では皆さんとどのような出会いができるのか今から楽しみです。
仙台ジュニアオーケストラの事、演奏曲目の事を書き、あと演奏会に登場する中で触れてないのは私のことだけですね。恥ずかしいですけど、最終回なので少しは自分の事を…
私は仙台に移り住んで今年で丸3年が経ちます。「住めば都」と言われているとおり、今ではすっかり東北人気取りで、最近では「イズい」なんて言葉も自然に使えるようになりましたが、実は仙台に移る前は仙台とは何の縁もゆかりもなく、他の地域の人々がもっている「仙台=牛タン」というイメージしかありませんでした。
また、音楽の面でも大学の研究所を出たばかりで、学校での勉強は積んでいましたが、実際の現場の知識は皆無に近い状態でした。そんな今の自分に成長させていただいたのも、仙台で音楽に関わるすべての人のおかげです。(あ、成長したかどうかはわかりませんが…)
まず、仙台フィルの方々には感謝の言葉もありません。特にオケのプレイヤーの皆さんは、ありきたりな言い方になってしまいますが、本当に「人柄は優しくも仕事に厳しい」方々で、その時私に出来る事、出来ない事を見極めつつ、色々なことを要所要所で教えてくださいました。というより一緒に居させていただくだけで毎日が勉強になります。
また、忘れてならないのが、仙台フィル合唱団の皆さんの存在です。合唱団の皆さんは若い私の事を、人生の先輩として色々な面で助けてくれました。私は仙台に移り住むまで仙台ジュニアを含めて、仙台に音楽に関わるこんなにも素敵な団体が多くある事を知りませんでした。ごめんなさい。
今は感謝の気持ちでいっぱいです。私はもし将来、指揮者としてこんな質問をされたら、こう答えます。
「松元さんはどちらで音楽の勉強をされたんですか??」
「仙台です!」
短い間ですがお付き合いありがとうございました!
演奏会でみなさんとお会いできる事を楽しみにしております。
仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者 松元宏康(まつもと・ひろやす)
http://www.city.sendai.jp/shimin/bu-shinkou/jr-orche/index.html
第1回にも書きましたが、私が子供の頃から持っている最大にして唯一の趣味は魚釣り、フィッシング、アンゲルンです。他にも読書や絵画鑑賞や民俗学や文化人類学に関する考察、コンサートで訪れる各地の美味しいものめぐり等もありますが、釣りへの情熱やキャリアに比べれば、全然たいしたことありません。チェロ歴26年ですが、釣り歴は35年以上ですし!
アメリカにいた頃は、父や兄の釣ったブルーギルやカットスロート(ニジマスの一種)に土をまぶしたり、バケツの中でもう1回針を魚の口に刺して釣るマネをしていた私は、当然のように小学校1年から広瀬川で釣りを覚え、毛バリでオイカワやウグイを、追い廻しや今は埋め立てられてもうない放れ山の池では、ミミズで釣ったザリガニやカエルをエサにライギョを、青葉山の奥にあった蛇沼(こちらはもう埋め立てられてしまいました)では、ネリエでキンブナ、ギンブナを、大倉ダムではルアーでニジマス、サクラマスを、また折立の貯水池では当時東北では希少だったヘラブナと1m超のノゴイをと、まさしく釣りキチ三平クンのように、しかも学業には全く勤しまず、日夜狙い続けてきたわけです。
東京芸大在学中だけは、チェロの技術向上のため大学院時代も含め7年間も“禁釣り”していましたが、プロになってからは、今度は芦ノ湖に通いつめ、念願のスーパーレインボー(60cm以上のニジマスのことを釣り師たちは畏敬の念をこめてこう呼んでいるのです)を釣り上げたのを区切りに、最近は磯釣りにハマッテおります。
5年前は週に2回(もちろん毎週!)ぐらい、磯や堤防にクロダイやメジナを求めて通っていましたが、最近は忙しくなってしまい、年に1、2回しか竿を出せません。
自分のやりたい仕事だけを自分のペースで選べる反面、そのオファーがいつ来るかは選べないのがフリーランスのツラサ…じゃなかった、楽しいところで。ひどい場合は「明日3ヶ月ぶりのオフだから釣りに行こ!」とワクワクしながら竿やリールの準備をしているある水曜日の深夜23時47分、無情にも「明日13時〜20時でサウンド・イン(スタジオの名前)お願いしまぁ〜す。」と明るくオファーの電話がくると、「ハイ、喜んで!!」とつい答えてしまいます。しかも翌日スタジオに行ってみると映画「釣りバカ日誌」の録音だったり…。
こうやってチェリストの休日はどんどん先送りになっていくのですが、今年はまだ1回も釣りに行けていないので、11月には何としても3、4泊ぐらい佐渡に釣行しようと思っています。今年はたぶん釣行はその1回だけでしょう。
先日、八丈島でコンサートがあり、演奏会翌日と翌々日も釣り用に空けていたのですが、何と朝起きてみると台風の襲来で2日間何もしないで、飛行機も欠航している中、次のコンサートのために何としても戻らなければならず、波高6mの海を船で11時間揺られて帰ってきました。グスン…。次こそ八丈島で1m級のヒラマサやカンパチを釣るべく、主催者と来年のコンサートのプログラムを打ち合わせている最終中です!
さて、長々と釣りの事等書いてしまいましたが、1週間これを読んで下さった皆様、私丸山泰雄という者がご理解いただけたでしょうか?
少しでも興味を持たれた方はぜひ、10月9日の12:30か14:45に「せんだいメディアテークオープンスクエア」にいらして下さい。そこで楽しそうにチェロを弾いているのが私ですので!
丸山泰雄
昭和34年、仙台ユネスコ協会に、少年少女合唱団を作る機運が高まり、福井文彦先生の熱意に、私が協力する形で、作られることになりました。先輩格にあたる東京少年少女合唱隊を見学させて頂くことから始まり、合唱団の組織・運営などについて、色々教えて頂きました。
当時、仙台ユネスコ協会の副会長であった有永弘人氏と、氏家愛子氏に、それぞれ、仙台少年合唱隊長、仙台少女合唱隊長に就任して頂き、各隊とも100名を超える子供たちで発足しました。今、考えると夢のような話です。
その後、仙台ユネスコ協会から独立し、名称も仙台少年少女合唱隊と変更、更に、昨年よりNHK仙台少年少女合唱隊と改称し、現在に至っているというわけです。
子どものうちから、良い音楽に接し、すばらしい合唱体験をさせるという福井先生の設立趣旨は、今も変わっていません。
間もなく50年にわたる活動を通じて、今でも音楽を楽しんでいる卒業生、あるいは、プロの音楽家として、オペラ歌手に、作曲家に、そしてミュージシャンとして活躍している人が沢山います。音楽家のプロを育てる目的ではないのですが、結果として、音楽を専門とする卒業生がいることは、大変嬉しいことでもあります。
日頃の厳しい練習の中から生まれた、子供達の、一途で、純粋な歌声が、聞いて頂く方々に、希望と力を与えるものであることを確信しつつ、合唱隊を育てて生きたいと考えています。
今後とも、ご支援よろしくお願いいたします。
NHK仙台少年少女合唱隊 指揮者 大泉勉
オペラは上演するために舞台装置を準備したり、多くの歌手や合唱が必要な分、とてもお金や時間がかかってしまいます。ですからオーケストラだけで演奏できて演奏時間も短い「組曲」を作ったほうが、その作品を世界中のオーケストラに演奏してもらえるチャンスが増えると思います。(もちろん言うまでもなく、オペラ全曲を上演する事とは比べられないことばかりですが…)
私が想像するに、作曲家にとってうれしいことの1つに「作品を多くの人に演奏してもらい、またそれを聴いてもらう事」というのがあると思います。
さて話し変わって、もしかしたらこのブログをお読みの方で、「それにしても松元さん、演奏する曲の様子を少しくらい教えてくれないと演奏会が楽しめないんじゃないですか??」なんてお感じの方もいらっしゃるかも知れません。どうぞ、ご安心を!
私がつまらない解説を入れるまでもなく、「だったん人の踊り」も「カルメン」組曲も、みなさんがよくご存知の旋律の登場する曲ですし、なによりどちらの曲も何の説明もいらないほどの、いわゆる名曲です。演奏会で子供たちの演奏を聴けばわかっていただけると思います。
仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者 松元宏康(まつもと・ひろやす)
http://www.city.sendai.jp/shimin/bu-shinkou/jr-orche/index.html
今年はモーツァルト生誕250年ということで、世界中でモーツァルトが演奏されています。私も5月のラ・フォルジュルネ・オ・ジャポンをはじめ、各地でモーツァルトを演奏していますが、残念ながら天才モーツァルトはチェロ独奏のための曲を1曲も作っていません。
まぁ、もし彼がチェロ協奏曲を書いていたら、弾くのがメチャクチャ難しい曲になったでしょうけども…。モーツァルトはチェロが嫌いで書かなかった様ですが、他にもチェロ・コンチェルトを書かなかった、もしくは書けなかった作曲家はけっこういます。ベートーヴェンも、自作のチェロ協奏曲を捧げようとした当時の名チェリスト・ロンベルクに「ピアニストの書いたチェロ曲なんかいらない!チェロ・コンチェルトは私が書いて弾くから。」と冷淡にあしらわれ断念。
またチェロ協奏曲の最高の傑作でもあるドヴォルジャークの作品を見たブラームスが「こういう風にチェロの曲を書けるとどうして私は知らなかったのだろう!知っていればずっと前に私が書いただろうに!」と絶句した話などはあまりにも有名です。
作曲家の友人に言わせると、たしかにチェロ曲は書くのが難しいらしく、何でもできる楽器だけど音がマイルドなため、他の楽器の音に埋もれやすく、オーケストレーションに苦労するということでした。
それに比べれば無伴奏作品は他の楽器に配慮する事なく、純粋にチェロの表現力や技術を追求できるためか、1915年のコダーイ作品以降、画期的な曲が目白押しです。私も来年には20世紀の無伴奏チェロの作品6,7曲を一晩で演奏するコンサートを、東京、仙台他で計画中です。
ぜひそちらも足を運んで聴いてみて下さい。チェロの表現力の多彩さにビックリすると思いますよ!
さて、いよいよ最終回の次回は音楽やチェロから離れて、私の趣味について少々書きたいと思います。
ではまた明日!
丸山泰雄(チェロ)