2006年06月01日 

2006.06.01| 園城三花

アトピーに苦しんでいた時は精神的に一杯一杯で、本を読もうとか人に相談しようなんていう余裕もありませんでした。自分の中でいかに病とつきあうか折り合いをつけ消化できて、しばらくしてからようやく臨床心理士の存在や臨床心理学の本を手にしました。

そこで出会った本の著者が河合隼雄さんでした。同じ京都ですし、河合先生はフルートも演奏されますから、どうして今まで知らなかったか自分でも不思議に感じました。もっと早くに手にしていたらあの辛い時期をもっと楽に過ごせたかもしれないのに・・・。

でもその先生と今回仙台でごいっしょできることになりました!! 著書は何冊も読んでますし(どこまで理解できているかは不安ですが)、育児にまつわる本なども生活の中でとても参考になります。先生がされるお話しに今からすでにワクワクしています。

それに今回、このフェスティバルのパンフレットをみたら自分も出演するのにおかしいかもしれませんが、足を運んでみたい演奏会や講演会がたくさんあります。

自らも出演するから忙しいだろうと想像していますが、「これはよその公演も見に行かなくちゃ。」とチェックを入れて楽しみにしています!!

 園城三花(フルート)

2006年05月31日 

2006.05.31| 下山静香

雨の多かった5月も、今日で終わりですね。

すっきりした青い空、まぶしい陽をうけてきらきら光る新緑・・・という日々を期待していたのに、ちょっぴり残念。なんだか肌寒い日が多くて、春らしい薄着の出番はほとんどなく、クローゼットのなかでじっと待機してもらっていました。

というのも、私は子供のころから冷え性で、毎年10月終わりころからもう手袋をしているような有様なのです。夏は夏で、冷房で身体が冷えてしまうのでいつも長袖をはおっているし、本番には、常にカイロを持っていくんです。夏にカイロなんてもう売っていないから、なくならないうちに買っておくのを忘れると大変!・・・そんな体質を改善しようと、漢方もいろいろ試してきましたが、根本的にはあまり変わらなかったようです。

で、2年ほど前、太極拳を始めました。徐々にですが、なんだか身体がちょっとかわってきているみたい。1回とおすだけで、こんな私でもなんとびっくり、身体が内からポカポカに。うっすら汗もかくことができるんです。(なんでも、1回きちんとやると身体中のチャクラが開くそうです。)眠くてまだ重い身体をひきずるように練習に出て行っても、気功の八段錦、(ときに練功も)、簡化24式、42式、太極扇と2時間たてば、身体の隅までエネルギーがまわって、なんだかわけもなく嬉しくなり・・・スキップしながら飛ぶように家に帰ったりします。

なんたって奥が深いので、まだまだ初心者の域ですが、いくつになってもやれる太極拳、ずっと続けていきたいと思っています。中国公園デビューはいつの日か?って、そういう話じゃないですね〜。人に見せるものではなく、“自分を見つめる”ことが大事なんですね。
ちなみに、ときどき舞台の袖で馬歩[マーブー]というすごいポーズをとっていることがありますが・・・決してひとりでは見ないでください(いや、ひとりでも見ないで・・・)。

下山静香(ピアノ)

2006年05月31日 

2006.05.31| 園城三花

かえるの王様のお話はご存知ですか?

お姫様の身勝手でわがままなところが気に食わないですが、でも、そこが、説教調ではなく教訓めいたとこが少なくて、このお話しのすばらしいところだと思っています。現実にはよいことをしたからよいことばかりが起きるなんて事ないですものね・・。

自分がアトピーにうなされていたとき一番安らいだのは、じっと部屋に引きこもっていることでした。蚕のように部屋でのんびり・・・じっくり練習していることが何よりの薬でした。仕事以外の時に人には会いたくなかったのです。

たまにテレビや新聞でも取り上げられていますが、アトピーであるために自殺してしまう方や、セクハラ問題、家庭内暴力、いじめ等、それほど表立っては見えてこない問題が山積みです。小児アトピーはもちろん、成人アトピーの方にも目を向けたいと思ってます。

あれから??年が経ち、ほぼアレルギーもでなくなった今、私は純粋に音楽だけに猛烈に取り組むこともありますが、それとは別に音楽に今何ができるのか、自分に今何ができるかを心の声に耳を傾けていたいと思ってます。

音楽を聴くことでよりよい子育てができるとは思っていませんし、音楽を聞けば社会に役に立つよい人間ができるかというとそんなに単純なものではないとも日々つくづく感じています!

 園城三花(フルート)

2006年05月30日 

2006.05.30| 下山静香

最近、トークコンサートがとても多くなってきました。

まだ経験も浅かったうちは、演奏とお話との頭の切り替えに苦労したり、お話のあと弾こうとしたらマイクを持っていた手が固まってしまっていたり、といったこともありましたが、最近は、演奏とトークの両方を楽しめるようになりました。特に、この5月まで1年間おこなったスペイン音楽のサロンコンサートシリーズでは、即興トークが弾んでしまい(?)、毎回長いコンサートになってちょっぴり反省・・・。(写真は、一番最近のトークつきコンサート。)

大体ピアニストは、袖から出てくるときだけではなく演奏中も、身体の右側のみが視線にさらされていて、お辞儀をするときだけがまっすぐ客席を向くことのできる機会だったりするわけです。(おかげで私、左側に誰かがいるとなんだか落ち着かないような気がしますが・・関係ないかな。)
トークコンサートでは、まずお客様のほうを見ることができるので、身体感覚のバランスもとれるし、目を見て言葉を投げかけることでコミュニケーションの下地ができるような気がして、私は好きです。今回の「せんくら」のステージもトークをまじえてということなので、楽しみにしているのですが、我を忘れてあまりお話しすぎないように気をつけなくては!

トークつながりで、このへんでちょっとスペイン話。スペイン人の話し好きは有名ですが、それを象徴しているんじゃないかなぁと感じるものが「チステ」です。ご存知ですか?いわゆる「笑い話」なのですが、夏の夜など、みんなで集まってテラス席で飲みながら、このチステ披露が始まったら最後・・・延々、明け方まで終わらないことを覚悟しなければなりません。よくもこんなに〜と思うほど、次々と臆せずチステを披露していきます。そして話し上手な人がなんと多いこと!ちなみに私なんぞ、手持ちのチステもなく聞き役に徹底していましたが、みんながどっと笑うオチの部分だけすぐには腑に落ちず、いつも笑いに乗り遅れて悔しい思いをしていたものです。

スペイン人との会話が実に心地よく感じるのは、彼らに基本的に身についている表現能力のせいかな、と思ったりします。それも飾るためとか見せかけるための表現ではなくて、自然に、ストレートに“そのひと”が出ている。スペイン人というと“ラテンモードばりばり!”なイメージがあるかもしれませんが、結構、素朴な人が多いんですよ。

スペイン人たちと暮らしているうち、じたばたするより自然がいちばん、と肩の力を抜けるようになったら、毎日がもっと楽しくなりました。
・・・つい長いおしゃべりとなってしまいました、ではまた明日!

下山静香(ピアノ)

2006年05月30日 

2006.05.30| 園城三花

ミュンヘン音楽大学に入学してから、19才の時に京都で初リサイタルを開きました。大学院に在学するかたわらパリの友人宅に招かれ、2年ほどフランスの空気を吸いながら勉強を続けていました。

パリでは、京都に交換留学生として来たパリジェンヌの家にお世話になっていました。日本には、なかなかホームステイ先がなくて困ってられたようで、結局うちがお引き受けしたのがご縁で、私も先方で泊めていただくことになりました。これぞ、情けは人のためならず、です。

パリでOECD主催のコンサートに出演した後、帰国。 日本での本格的な演奏活動を開始して拠点を東京に移し、ヤマハフルート教室のキャンペーンガールに起用され、全国各地でコンサートを行いました。バブル上り調子の時のデビューでしたから、贅沢なお仕事をたくさんさせて頂きました。フルートという楽器の性質上どこにでも持ってでかけられるので、その可能性を最大限にいかして、数多くのイベントにも出演しました。『平安神宮・夜桜コンサート』『彦根城中秋の名月コンサート』『金閣寺音舞台』『倉本聡の富良野塾・ぼくらはみんなトムソーヤ』『厳島神社1400年祭 記念芸能祭』等。最近では『大覚寺観月の夕べ コンサート』にも出演させて頂きました。

そのかたわら95年5月より自らの体験をいかし、アトピーに悩む患者を支援するためのコンサート活動を各地の医療施設やコンサートホールではじめました。日本でのデビュー当時、あまりの忙しさと目まぐるしさに身体が悲鳴をあげたのでしょう。ある朝、目が開かないほどのアトピー性皮膚炎になり、それはそれは苦しい生活を余儀なくされました。

 園城三花(フルート)

2006年05月29日 

2006.05.29| 下山静香

7つの顔を持つといわれる(誰に?)私。

4時間半睡眠がほぼ定着し、夜中になってやっとピアノの前に座れる、というようなこともあります。そんな時間には、技巧の激しい曲や舞踏的な音楽は避けて、スペイン音楽でもモンポウの静かな音楽(その静けさが実に豊かな宇宙を持つのだけれど)、そしてモーツァルトの緩徐楽章などに取り組みます。

そして今回のモーツァルト演奏にあたってあらためて感動しているのが、その緩徐楽章の美しさなんです。弾いている途中で、「なんてきれいなんだろう!」とため息まじりに思わず独り言。(曲をシュミレーションしながら部屋をうろうろしたり、練習中のピアニストって結構ヘンです。)映画「アマデウス」でのモーツァルトの、あのお軽いイメージがあまりにも定着してしまったようですが、彼の音楽の流れのなかに垣間みえる透明で深い哀しみ・・・これが見えてしまったとき、どきっ、とします。そしてなぜか私は、ルドンの絵画にある「眼」を思い出したり。

クラシック音楽 ——語弊もありますが、とりあえずクラシックと呼ぶことにして—— のすごいところは、200年以上経っていても、演奏することによって、その美しさを再現して、人の心に直接音のメッセージを伝えることができる、ってことなんですよね。
これだけ考えても感動してしまう私。そういえば最近、前にもまして涙もろくなったな〜。「ほんもの」は、時を超え、人類の宝としてちゃんと残っていくんですよね・・・その「ほんもの」とつきあうには、それなりの覚悟がいるぞ。と気を引きしめたところで、今日のおしゃべりはおしまい。

もっと私のおしゃべりを覗いてみたいという方は、下山静香オフィシャルページZARABANDA(サラバンダ)にもお寄りくださいね。http://www.h7.dion.ne.jp/~shizupf
ちなみに今日は、オフのプライベートショットを掲載しました。なぜか弓矢。

下山静香(ピアノ)

2006年05月29日

2006.05.29| 園城三花

私は京都に生まれ、4歳からピアノ、8歳からフルートを始めました。

小学校5年の時、パウル・マイゼン氏の公開レッスンを受講し、先生の音に引き寄せられ、1978年に同氏の勧めにより単身渡独。グラーベギムナジウム(高校)に入学すると同時に、デトモルト北西ドイツ音楽大学の青少年特別クラスにも入学して、パウル・マイゼン氏に師事しました。

ホームステイした家庭がドイツの旧貴族だったので、舞踏会に出席したり、サロンでたびたびコンサートを開くという生活を体験。ドイツに貴族社会がまだ脈々と残っていることにビックリしました。全ヨーロッパの貴族たちは今なお静かに水面下でつながっていて、歴史の重さというか深さを感じます。

普段は普通に会社で働き生活していますが、彼らは明らかに「特別」です。容姿はいかにもベルサイユ宮殿やドイツの古城の壁に絵がかかっていそうな、細長いお顔立ちの方が多いですし、物腰も柔らかでそこはかと無く品を感じます。毎週末どこかで開かれている舞踏会は現代社会とは思えない雅な世界です。

最近の私は「特別」という言葉に少しひっかかってます。特別な家とか特別な扱いとか、特別な才能とか・・・。「特別」ってなんなのだろう? ある意味音楽家は自分を特別の存在としてみていないと、やっていけなくなることもありますよね。

「特別」という言葉から・・・サンテグジュペリ作「星の王子様」のバラの花のことを思い出してしまいました。頭の引き出しの奥の奥にあったのかと思われます。本棚へ行って久しぶりに読み直してみようかナ。たしか中学の夏休みの読書感想文以来だ。大人になって読む「星の王子様」は、またあの時とは違った味わいを持つのかしらン?

園城三花(フルート)

2006年05月28日 2006.05.28

2006.05.28| 下山静香

原宿の道

 

こんにちは!ピアノの下山静香です。

今日から1週間、せんくらブログにお邪魔しますので、よろしくおつきあいください♪

私は、幼いころ、バッハで“自分”という存在の不思議を考え(おぉ〜!)、子供時代に、ベートーヴェンで音楽の精神性を感じ始め、思春期には、シューマンで感情の機微を知り、大学時代は、室内楽に没頭、学生を終えたころには、ドビュッシーの深みにハマる・・・という道をたどってきました。そして21世紀を目前におこなったリサイタルで、突然私の中でなにかがはじけ、「スペイン〜スペイン〜」とささやく心の声が。その翌年からスペインに住んでいたという、はたから見るとときどき予測不可能な行動をするらしい双子座B型です(あっ、言っちゃった!)。
あちらでの生活は足掛け4年ほどでとりあえず終わったのですが、日本でも実は、家の中での会話はスペイン語。今では結構いいバランスの「ラテン・ジャパニーズ」と化しているんじゃないかな?とひそかに思っているのですが、そのようなわけで、レパートリーも、必然的にスペイン、ポルトガル、アルゼンチン・・・と広がり、いまもその森をさらに奥へ奥へと探検中です。

そんな私がこの「せんくら」で弾かせていただくのは、なんとあの!W.A.モーツァルト!海老沢敏先生くらいの大スペシャリストになりますと、「モーツァルトさん」と親しくお呼びになり、ときどき電話もかかってくるンですよ、なんて軽くおっしゃいますが、私はまだ「モーツァルト様様」とお呼びする声も震え、お手紙をしたためるのすらドキドキしてしまいそう。でも、この素晴らしい記念の年に、そのモーツァルト様の音楽をたっぷり弾かせていただけるなんて・・・これはきっと、なにかのご縁ではないでしょうか。

演奏予定のソナタ10曲、アダージョ、ロンドという音楽の鏡を通して様々なモーツァルトと向き合い、そして会話をして、仙台では“私のモーツァルト”を皆さまにお伝えしたい、そんな気持ちでとてもハイになっている今日このごろです!

下山静香(ピアノ)

2006年05月28日

2006.05.28| 園城三花

はじめまして、フルート奏者の園城三花です。

振り返ると自分でも気が遠〜くなりそうですが、日本デビューして、う〜ン・・・もう20年以上・・・?! ひゃ〜怖い〜、時間が怖い〜。

しか〜し、奏者としての腕は確実にあがっていると自分では思っているから、ここが音楽家の強みです。なにせ、生きているだけで、なにもしないでいるように見える生活をしていても、そこには生き甲斐、やり甲斐が存在しています。容姿が少し変貌しようとも、時間の蓄積とともに音楽に深みがでるのなら時間よ“もっと流れろ”です。

ただ、現実問題としては、今、このブログの締め切りギリギリになっているわけで、時間との戦いにはやはり切迫したものがあります!!10年ほど前になりますが、長男が生まれる直前に「今、読んでおかないと心と時間の余裕が当分ないっ!」と思って手にしたのがミヒャエル・エンデの『モモ』でした。いや〜実によかった。今でもあの本を思い出しながら時間泥棒に知らぬ間に狙われていないよう、気をつけています。

私が普段生活する中で大事にしている感情のひとつに“直感を信じる“というのがあります。まさに10年前のあの時、「なんとしてもこの本を今読みたい。」と思ったのはどこから降ってきたか湧いてきたかはわかりませんが、頭ではなく、心が「これを読まなくちゃ。」と吸い寄せられていったから。

このブログも、最初の編集計画とはまったく別の方向にすでに進み、気の向くままこうして書いてしまっています。この調子で書き綴ってみるつもり。7回目がどんな風に終わるのか自分でも想像つかないのがかえって楽しみ。

そうそう、私のホームページものぞいてみて下さいね。ビデオも見れます!!
www.geocities.jp/mikaenjo/

 園城三花(フルート)

第7日 表現 

2006.05.27| 福田進一

19世紀ギターの名器“ガエターノ・ガダニーニ(1829)”

最後に少し真面目なお話しを。

今回の演奏会では使用する予定はありませんが、19世紀ギターについてです。最近では比較的多くのギタリストによって演奏されることの多い19世紀ギターも、つい15年ほど前に私が演奏会で取り上げたときは随分批判的なご意見も多く頂きました。

25年ほど前ですが、19世紀に作られたギターを初めて弾いた時のショックは大変なものでした。その時代に書かれた楽譜が、まるで今書かれたように新鮮に聴こえたのを覚えています。10年程経って、やっと理想的な状態のラコート(1840年作)と出会いました。僕にとって新しい表現のための道具との出会いでした。今のギターとはまるで発音が違うのでタッチを研究し舞台で弾けるようにするのにさらに数年がかかりました。そして14〜5年前から録音や舞台で使い出しました。初めてですから嬉しくて仕方ありません!

ところが最初から猛烈な周囲の反対がありました。信頼していたギター製作家の河野賢さん(今は亡くなられましたが、桜井正毅さんの師匠で世界的な名工)に、「あんな古いもので音楽をするなんて時代錯誤だね。僕たちが一所懸命作ってきた現代の表現力のあるギターの音をぶち壊す行為だよ!」とまで言われました。

その時にこう返事しました。「先生、僕たち演奏家は役者です。楽器はその衣装です。江戸時代に作られた芝居を演じるのに着物を着てどこがいけないんでしょうか?時代劇を現代の背広姿で演じている方が不自然でしょう?」河野さんはしばらく黙っていましたが突然「アハハ、君そりゃ屁理屈だろ〜!」と笑い出しました。でも以後、一切僕の19世紀ギターのことを悪く言わなくなった。このときの理屈は屁じゃなかったと今でも思っています。

表現は、表現する人とそれを受けとる人がいて初めて成立します。(そうでないという意見もあるのですが、ここでは音楽を表現するってどういうことかを話したいので・・・)で、ここで難しいのは表現「力」です。相手に伝える力の強い人を「表現力がある」弱い人を「表現力がない」という言い方をします。しかし受けとる人のアンテナの感度が悪かったり、許容範囲が狭かったらどうしましょう?非常に「表現力がある」人も、「表現力がない」と見なされてしまいます。

河野さんとは表現力(この場合は「説得力」かな?)でその場では勝ったのですが、今日もなお19世紀ギターを使って聴衆を「納得」させるのに躍起になっています。演奏会じゃ、音がすべて。言葉は使えないからねぇ・・・。

一週間お付き合い頂いてありがとうございました。
それでは、皆様、「せんくら」の会場でお会いしましょう!

 福田進一(ギター)

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