「せんくら2007」での使用楽器について少し説明しておきましょう。今年は2つの異なった時代のギターを使用します。
皆さん御存知のクラシック・ギターと、もうひとつは本当のクラシック・ギター。クラシック音楽全盛期の1800年代に作られていたピリオド楽器です。
『えっ?本当のクラシック・ギター? 今のギターってクラシック音楽を弾く本当のギターじゃないの?』と思われるかもしれません。そうなんです。1700年代の終わりから1800年代初頭に、ギターはヨーロッパ全土に広まり、それまでの複弦(マンドリンやリュートのように弦が2本一組になっているもの)から現代のように単弦6本の楽器に変化しました。そして各国にギター職人が生まれていったのです。
1820年代前後に、最初に現れた名工は、ロンドンのL.パノルモ、ミルクール(フランス)のR.F.ラコート、そしてウィーンのA.シュタッフェルでした。これらの楽器で当時の名手たち、ソルやジュリアーニは「魔笛の主題による変奏曲」など、多くの古典ギターの名曲を生み出しました。
これはちょうどモーツァルトやベートーヴェンが、今日のピアノではなくチェンバロやペダル機能も未だ不完全なハンマークラヴィーアで名曲を残したのと似ています。最も重要な作品は、パリ、ロンドン、ウィーンなどで生まれたのです。『えっ?スペインじゃないの?』そうなんです。当時のギター文化は社交界を中心に発展したので、スペインはギターの故郷なのに、少し遅れをとったのでした。
19世紀、ヨーロッパ各地のギターは、それぞれ独自の音色を持ち、非常に優雅な、見た目も美しい楽器でした。しかし残念ながら、音色の種類が少なく、ロマンティックなクレッシェンドの表現力に欠けていました。そこに出現したのが、スペインの天才製作家アントニオ・デ・トーレス(1817−1892)でした。トーレスが偉大なのは、独自の力木の配列を考案し、数々の実験を繰り返して大きなボディーを設計し、最終的にはギターでロマン派の音楽を表現するための理想的な音響を開発した事です。今日、皆さんが御存知のクラシック・ギターは、ほとんどがこのトーレスを原型としています。
さて、せんくら2007の2つのソロ・リサイタルでは、このトーレスの影響を強く受けたエンリケ・ガルシア(1905)のレプリカ作品と、19世紀ギターの花形、ルネ・フランソワ・ラコート(1840)のオリジナル楽器を使用する予定です。お楽しみに!
福田進一(ギター)
共演の長谷川陽子さんと
せんくら2007の共演者はチェロの長谷川陽子さんです。
彼女とは20年来の友達です。
2003年にはアルバム「WAVE〜ジョビンへのオマージュ」(VICC-60337)も出しました。
今回はその中から私の友人である偉大なギタリスト作曲家セルジオ・アサドの編曲したジョビン作品4曲や、ヴィラロボス、ニャタリといったブラジルの大作曲家の作品を披露します。
もうひとつのプログラムはシューベルトやファリャの名曲を集めたもの。
理屈抜きに楽しんで頂けると思います。
陽子さんとは久々の共演で、楽しみです。
福田進一(ギター)
さて当日、上海から日本までは快適なフライトだったのですが、なんだか仙台上空で揺れ始めました。
「お客様、あいにくではございますが強風のため仙台には着陸できません。当機はこれより関西空港へ向かいます。」
おいおい、そりゃ困るんよ。なんで成田に降りないのよ。
(この時点で成田も着陸不能だったようです)
さて、関空で次の羽田行きを予約するも、これまた飛ぶ気配無し。
マネージャーに電話。
「あのう、飛行機が飛ばないから、せんくら行けないのよ。これって初キャンセルかなあ?」
「ひえええええ。福田さんが飛ばないと、私の首が飛びますウ。這ってでも来て下さい」
てな、会話の後、新幹線に間に合わせて新大阪へ。
ところが、すでに東京行き最終は発車。
仕方ないなあもう!(怒)大阪駅へ。
次の頼みの綱は、夜行寝台特急「銀河」
これも、すでに満席。とほほほほほ。
と、ここで幸運の女神到来。一席だけキャンセルが出た!
やれやれ、というわけで寝台特急で東京へ。
翌朝6時過ぎに東京着。
なんでやあ(再び怒)仙台行き新幹線はすでに満席(タタリじゃあ!)
立ったまま仙台に。
9時20分過ぎ到着。タクシーの中で舞台衣装に着替える。
9時45分会場着。
ふらふらながらも、10時から45分弾き終える。
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なーんだ、箇条書きにしたらたいしたことないじゃん?
新聞にも載ったし。牛タンも食ったし。
福田進一(ギター)
これが本場の「上海蟹」!
昨年は第1回「仙台クラシックフェスティバル2006」の、しかも朝10時からのオープニング演奏。
一番最初に弾かせて頂きました。
実は、仙台駅に到着したのは本番の15分前でした。
あの時の演奏会に間に合うか合わないかというスリルとサスペンスは、
私の音楽家人生のハイライトと言っても過言ではありません。
演奏活動を始めて20数年私はまだ一度もキャンセルというのをしたことがないのです。
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これは、そのキャリアを死守したある男の記録である…
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私は中国の上海音楽院ギター科の客員教授を仰せつかり、時々教えに行っています。
昨年はちょうど「せんくら」の直前に上海でのレッスンとコンサート予定が入りました。
まあ普通、どんな演奏会でも前日にはその地に到着して準備するものです。
私は上海→成田→東京駅(あるいは羽田)→仙台という前日に到着する旅程を選びました。
ところが某航空会社のお姉様の一言が私の気持ちを変えたのでした。
「あのう、お客様、上海から仙台へは直行便がございますが…」
え〜!?仙台まで乗り換え無しなん?
「それって、チョー良い感じ〜?」
私はためらわず直行便を選んだのでした。
が、これが大失敗。
明日に続く
to be continued !
福田進一(ギター)
牛タンの図/
美食家ロッシーニを称えたアルバム(?)
「ロッシニアーナ(コロムビア)」
ギターの福田進一です!
今年も「せんくら」に出演させて頂きます。
また仙台に行けて、何が嬉しいってアナタやっぱり「牛タン」であります。
そりゃ、演奏会も重要なんだけど…
やっぱり「牛タン」。
実は私、牛タン塩焼き定食なら、せんくら開催中、三日連続でもOKです。
主食にしようかと思います。
ただし人生の折返し点を超え、ただいまメタボリック街道をまっしぐら。
なので、健康のため我慢してます。(それと東京だと仙台で食べるほど美味しくないのよ。何故?)
仙台に着いたら、まずする事。
1)熱々のご飯の上に、ジュウジュウと炭火で焼いた厚めの牛タン様を乗せ
「えいやあっ!」と気合いもろともかっこむ。
(あっ!一味唐辛子をかけるの忘れちゃいけない!)
2)これまたコクとうまみの凝縮されたテールスープ様(素晴らしい文化!思わず敬語や)のお力添えを賜りながら、嚥下する。
嗚呼、なんという快感!
これをロッシーニに食わせたかった!
あと一ヶ月であの仙台の牛タン様に再び会える!
福田進一(ギター)
今回の平井プロデューサーからの条件の1つは「必ず譜面を見て弾いてください。」ということでした。「こういう企画だと、暗譜して自分の中に完全にいれてしまって歌うよりも、より客観的な表現になるし、事実最高の感銘を受けたリサイタルは譜面を見て弾いている例が多い。」とのご説明でした。
暗譜して弾くと、お芝居のような感じになり、譜面を見て弾くと朗読に近い感じになるような気がいたします。確かに作曲家の厳然たるテキストがあるわけですから、自分の歌にし過ぎるよりも朗読的にやるほうが客観性は増しますね。
リヒテルのドキュメンタリーを拝見しましたら、やはり「譜面は見ながら、きっちりたどった方が良い。」とおっしゃっておられました。
これは演奏家にとっては楽なようで実にキツイご指示です。「暗譜するという労力」で、すりかえられない、本当にいい音楽をしなければいけないので。クオリティに対するプロデューサーの徹底性をここにも見た思いがいたします。
ところで、せんくらオフィシャルサイトも本格的で凄いですね。
皆様の本格的なご準備に見合うだけの楽しいコンサートにすべく、フェスティヴァル会場でも緊張した顔でうろうろしたりしないよう、万全の準備でさわやかに仙台いりしたいと思います。
お客様の皆様、丹野さん他昨年もお世話になったスタッフの皆様とお会いできるのが、本当に楽しみです。では、そのときに。
雄倉恵子(ピアノ)
今まで何回も書いてきましたが、仲道郁代は昨年の秋から今年にかけて「デビュー20周年」として全国各地でコンサートをさせていただいております。
そして本人もいろいろなところで話していますが「デビュー20周年」を、自分の周年を祝う年ではなくて、これまで支えてくださった多くのお客様への感謝の年だと考えているようです。
この思いは、各地でコンサートに「懐かしいお友達」が駆けつけてくださったり、デビュー当時のコンサートにいらしてくださった方が「なつかしくて」とそのころの思い出を話してくださったり、「今日は子どもと一緒に来ました」とサイン会に並んでくださったり、そんな再会があって、ますます強くなっているようです。
仙台は、仲道が生まれた土地です。
まだ赤ちゃんのころだったそうなので、しっかりとした記憶はないようですが、それでも街の雰囲気に懐かしいものを感じたり、ご両親から聞いた思い出話がよみがえってくることもあるようです。また1992年からは、仙台から近い「七ヶ浜国際村」のレジデント・アーティストをさせていただいていますから、とても親しみを感じています。
「今度のコンサートでも、多くの皆さまに出会い、そして再会できますように!」
最後に仲道からのメッセージを伝えさせていただき、この「せんくらブログ」を終わります。
ご覧いただきまして、ありがとうございました。
ジャパン・アーツ 寺沢光子
ドビュッシー 喜びの島〜のだめカンタービレ
シューベルト ピアノソナタ第16番 第2楽章〜のだ めカンタービレ
モーツァルト トルコ行進曲〜のだめカンタービレ
「喜びの島」はマラドーナ・ピアノ・コンクール第3次予選でのだめが演奏した曲です。確かに、装飾音やリズムの変化といった技巧を駆使して多彩な色を出すことが要求される曲で、コンクールの予選にはぴったりといえばピッタリな曲です。
次の「シューベルト ピアノソナタ第16番 第2楽章」こそは、のだめの大ヒットが無ければ、普通は全く知られていない曲で、のだめによって救い出された最たるもののような曲です。サン・マロのリサイタルでのだめさんはメインとしてこのソナタをお弾きになったそうで、ただでさえ、渋いシューベルトのピアノソナタの中でも最も渋い部類のこの曲が、よりによって「せんくら」で紹介されるのもおかしいです。
シューベルトといえば、偶然私がシューベルト記念館で自筆譜を見ている写真があったのを思い出したので、本日使わせていただきました。
で、フィナーレはトルコ行進曲。昨年ちょっと違った装飾音符のつけ方をしたりしてみましたので、今年はまたどう変えようか?と思ったり、「どなたも1年前のことは覚えておられないだろうから、そのままでいいか?」と思ったり、あれこれ思案中です。
雄倉恵子(ピアノ)
実は、とっても「健康オタク」な郁代さん。
サプリメントはもちろん、体に良いといわれる飲み物、かけるだけで血液の流れを良くするというタオルケットや枕カバー、和食を中心にした食生活、「ビリー隊長のブート・ザ・キャンプ」こそしていませんが、入浴後のストレッチなども心がけているようです。
数日前のブログでも書きましたが、郁代さんの将来の夢は「デビュー40周年にあたる2027年は、ベートーヴェンの没後200年。その時に十分満足のいくベートーヴェンを弾いていること」
数年前は、もう少し漠然と、「かわいい、おばあちゃんピアニストになること」と話していましたから、それが、より具体的になってきたということだと思います。
ところで、この「かわいい、おばあちゃんピアニスト」になるという夢、何かの取材を受けていて郁代さんがこう答えた瞬間、「なれますよ!」とつぶやいてしまったのを覚えています。アリシア・デ・ラローチャさんのように、ステージに登場しただけで、お客様が幸せになれる、そんなピアニストが目標だと話していたこともありました。20周年のリサイタルが終わったら、ひとつの節目でもありますので、またそんなことを郁代さんとも話してみたいと思っています。
さてさて、郁代さんに「おばあちゃんピアニスト」になっていただくために、私たちマネージャーもスケジュール管理に気を配っていき、無理をさせないように心がけています。しかし、ここが郁代さんが一筋縄ではいかないところなのですが、郁代さんが「忙しいほど燃える!」アーティストでもあるという事実です。もちろんハードスケジュールの前は、かなり前から計画的に準備を始め、直前は寝る間を惜しんで毎日を過ごし、体力的にはかなり厳しそうです。しかし、そういう時の方が、むしろ気力が満ちているのか、目が生き生きと輝くのです。少し余裕があって、のんびりできそうな時に限って寝込んでしまったり、何となくリキが入らない様子。
ということで、「せんくら」は、と申しますと、こちらもかなりハードスケジュール。
リハーサルの前日まで金沢で様々な演奏会をし、リハーサル当日に金沢から直接仙台入り。それでも、このコンサート聴けるかなと「せんくら」のスケジュール表を見たり、おいしいお店情報を入手したり、今からいろいろと計画を立てているようです!
仲道郁代のコンサートスケジュールなどは、こちらでチェックいただけます。
http://www.ikuyo-nakamichi.com/index.html
モーツァルト キラキラ星変奏曲〜のだめカンタービレ
ベートーヴェン 悲愴ソナタ第2楽章〜ラブレボリューション
ショパン 別れの曲〜101回目のプロポーズ
坂本龍一 メリークリスマス・ミスターロレンス〜戦場のメリー
クリスマス
〜 のだめカンタービレなど−あ!あの場面!ドラマのピアノ名曲集〜という素敵なコピーをつけていただいた、もう1つのプログラムの前半です。
まずは、のだめがサン・マロで開いたリサイタル曲から、モーツァルトのキラキラ星変奏曲。主題はやさしいですが、段々に難しい変奏曲がでてくる、なかなかややこしい曲です。
悲愴は、ラブレボリューションでもでてきましたし、「のだめ」でも、千秋がのだめが弾いている様子を”悲惨”と言った曲です。
「別れの曲」ショパンの作品の中でも、それこそ、どこかで聴いたことのあるきれいなメロディーで始まり、鬼のように難しい中間部を経て、またきれいな
メロディーに戻ります。あの中間部さえなければ、いい(演奏家にとって都合のいい)曲なんですがねー。
前半最後は「戦メリ」です。確かに日本の作曲家の作品のなかで、せんくらみたいなフェスティヴァルにぴったりの、ポピュラーな小品てあまり思いつきませんね。やはり坂本教授は偉大ということでしょうか。
雄倉恵子(ピアノ)