2006年07月17日

2006.07.17| ホァン・モンラ

ここではヴァイオリニスト、ホァン・モンラさんではなく、ホァン君という一人の青年について少し書こうと思います。写真よりずっと若く見えます。そう、普通の青年・・26歳のね。食事を一緒に何回かしました。とても周囲の人に気を使い、心配りができる青年でした。

例えば、食事中。

「ちゃんと食べてる?」「こっちの美味しいよ、取ろうか?」と部屋中の人に声をかけてくれる。大好きな食べ物は勿論「中華」。

ホームステイ先のパパが作るラーメンは特にお気に入りだったようです。
「パパが作るラーメンは美味しいよ。食べた?」「パパ作ってよ。」
パパさんの都合も聞かず皆に声をかける(本当に美味しいラーメンでした)。

食事中ある人がホァン君に質問した。

「作曲家では誰が好きですか?」ホァン君は食事中の手を止めて暫く考えて答えた。
「今はバッハとドビュッシー。今はね・・だけど明日になったら変わっているかもしれないな。」
「毎日変わるんだ。でもね、心の中にあるのはヴァイオリンが好き、音楽が大好きって気持ち。皆に僕の音楽を聴いて欲しいって思うよ。」

好きな音楽家を一人決めるというのは難しいと思います。ホァン君は今の正直な気持ちを私達に自分の言葉で話してくれました。

ステージで彼は天から与えられた才能を惜しむことなく聴衆に伝えてくれます。

ヴァイオリニスト、ホァン・モンラ26歳。どんな人生を歩んできたのか、優しい青年です。ステージを下りた彼の魅力も感じてください。

ヴァイオリニスト・音楽家・・近寄りがたいかもしれません。でも、会場で彼を見かけたら是非声をかけてみてください。恥ずかしそうに返事が返ってくるかもしれません。

仙台国際音楽コンクールボランティア 栗原定子

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2006年07月17日

2006.07.17| ジュゼッペ・アンダローロ

シューマンの子供の情景。

タイトルからすると子供向けな感じですが、作者の意図としては大人が子供心を表現してみせるための曲集なんだそうで、そういうところがロマンチストのシューマンらしいです。7曲目の「トロイメライ」が有名ですね。

スーパースターで当時の女性たちから熱いまなざしを注がれていたリストですが、晩年は僧侶として暮らしながら作曲していたようです。「エステ荘の噴水」という曲名は、僧侶としてローマに住んでいるときに、近郊の町ティヴォリのエステ荘というところにある噴水の様子を表したことから付けたそうです。

ベルギー人作曲家でオルガニスト、フランクの小曲「人形の嘆き」。子供の発表会なんかでも弾かれそうなやさしい曲ですが、こういう曲をコンサートで聴けるというのもなかなか無い機会かもしれません。

ドビュッシーは当時としては革新的な作品を数多く産み出した作曲家ですが、その一方でとても親しみやすい曲もたくさん作っています。その筆頭が「月の光」でしょう。それから「夢」。どちらも夜を素敵なムードに包み込んでくれるような曲です。もちろんお昼に聴いても素敵なムードです。それから、愛娘”シュシュ”のために作った楽しい曲集「子供の領分」の「人形のセレナード」や、前奏曲集第1巻から「アナカプリの丘」と「吟遊詩人」といったちょっと不思議な雰囲気の曲まで、様々なドビュッシーを楽しませてくれそうです。

水をモチーフにしている音楽作品って結構ありますが、ラヴェルは実にうまいです。タイトルからしてわかるように「水の戯れ」は水の様子を表した作品で、実際にとってもみずみずしいのです。「夜のガスパール」はアロイジウス・ベルトランという人の詩集で、そのなかから3篇を音楽にしたそうですが、1曲目の「オンディーヌ」は水の精のお話で、これも水を表現した曲になっています。

きっと一番なじみの無い作曲家がヒンデミットだと思います。彼は20世紀のドイツを代表する作曲家で、ヴィオラ奏者でありました。とても多才で数種類の楽器を弾きこなすことができたそうで、しかも単独で演奏することが少ないような楽器でも独奏できるような作品をたくさん残し、作品は600以上を数えるそうです。「ルードゥス・トナリス」はピアノの曲集ですが、ふつうのクラシック音楽からすると、ちょっと「新しい」感覚かもしれません。ちなみにこの曲集の最初の曲の楽譜をひっくり返すと最後の曲になるようです。これってスゴいかも・・・。

仙台国際音楽コンクールボランティア 千葉周平

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数独

2006.07.16| 仲道祐子

武藤章さん撮影による裕子様

みなさま、こんにちは。ピアノの仲道祐子です。

せんくら2006では10月7日、8日、9日とフル出場させていただきます! ソロ・プログラムを毎日。そして、音楽もお人柄も大好きで大ファンであるチェロの長谷川陽子さんと2回。楽しみです!!!

さてさて。「ブログ7回分お願いします。」と依頼があり「はい。分かりました〜。」と、即答したのは良いものの、内容については未だ何も見通しが立っておりませぬ・・・。気の向くままに音楽の事、私自身の事、趣味の事などを書いていこうと思いますので、みなさまどうぞお付き合い下さいね。

という訳で、今回のプログラムなどについてはまた後日。(気が向いたら・・・)で、今日は私の旅の必需品について。

「鉛筆」。これはもうすべての音楽家にとっての必需品!(もちろん、ピアノ奏者以外にとってもですよ!)楽譜に書き込みをするためです。ちょっと丁寧な方になると、書き込みを訂正するのに消しゴムを使うこともいたします。ちなみに仲道家では、ピアノのところには鉛筆のみが常備され、万が一書き損じなどがあった場合は鉛筆でゴシゴシ・・・。

でも、旅道具の中には鉛筆と消しゴムの両方がきちんと筆入れに収納され、常備されています。コンサート会場についてから必要になった場合に備えて、が一つの理由。もう一つの理由が「数独」。(こちらの理由でのほうが断然活躍頻度が高い!!!) ナンバープレイスとも言うのですが、縦横9つのマスの中に1〜9までの数字を一つずつ入れて行く、というパズルです。脳内トレーニングの本としてもでています(初めて「数独」という言葉をご覧になる方・・・ググって見て下さいませ)。シンプルにして実に奥が深いパズルなのですよ。

これがもう無くてはならない新幹線の友!!!2,3時間はあっという間に経過してくれます!!!コンサートに行く時の新幹線の中ではすぐ熟睡できるのに、何故か帰りの新幹線の中では眠れずモンモンと過ごしている私にとって、これは「ふと気が付いたらもう東京駅現象」を引き起こしてくれる有難い有難い物なのです。苦労して、努力して、頑張って、頭を酷使して、やっとの思いで解けた時のあの爽快感!すっかりクセとなっております・・・。

今回のせんくら2006終了後、東京行きの新幹線の中でビール片手に数独に没頭している女性を見かけましたら、それは、おそらく仲道祐子でしょう。

それでは、明日のテーマはまた気が向くままに。みなさま、ごきげんよう。また明日。

仲道祐子(ピアノ)

2006年07月16日

2006.07.16| ホァン・モンラ

第1回仙台国際音楽コンクール(2001年)ヴァイオリン部門優勝のホァン・モンラさん。

今週は、コンクール期間中からホァン・モンラさんと交流のある仙台国際音楽コンクールボランティアが、ホァン・モンラさんを紹介します。

ホァン・モンラ(黄蒙拉)1980年、上海生まれ現在26歳。4歳でヴァイオリンを始め上海音楽院でリナ・ユ女史に師事、2002年7月上海音楽院学士課程を卒業、現在ロンドン在住。メニューイン、スターン、アッカルド、チョーリャン・リン、グラッキー、ザハール・ブロン氏他のレッスンを受講。これまでに仙台フィルハーモニー、ドイツ国立フィルハーモニー、深セン交響楽団、上海交響楽団、アンサンブル金沢と共演。

ヤポンスキー国際ヴァイオリン・コンクール第3位(1999)ヴィニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール第2位(2000)第1回仙台国際音楽コンクール第1位(2001)、第49回パガニーニ・コンクール第1位(2002)などを受賞。

少年っぽさの残るホァンさん、仙台国際音楽コンクール当時はまだ21歳だった。ステージ上の彼の音は弾き始めの音を聴くまでは全く想像できない。

予選ではバッハ「ヴァイオリン協奏曲」パガニーニ「カプリス1番、17番」を弾いた。その超絶技巧的な曲を実に生き生きと難なく弾いてしまった。細部において満足のいく素晴らしい演奏だったのを覚えている。

高音部の美しさ、中音域が豊かで気持ちよかった。ヴァイオリンが感情を持って歌っている・・そう感じた。私がホァンさんの演奏、音について書くより実際に会場で彼の演奏を聴いてください。

「赤丸急上昇のヴァイオリニストに間違いない!」って思います。

仙台国際音楽コンクールボランティア 栗原定子

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2006年07月16日

2006.07.16| ジュゼッペ・アンダローロ

第1回仙台国際音楽コンクール(2001年)で優勝して以来、毎年仙台にやってきて演奏を披露してくれているイタリアーノ、ジュゼッペ。

今回はまさに「どこかで聴いたクラシック」。おなじみの曲をたくさん弾いてくれますので、一通り見ていきましょう。何かの参考にでもなればということで。

まずはやっぱりモーツァルトのトルコ行進曲。言わずと知れた超有名曲ですが、曲の後半で突然乾いたシンバルのような打楽器が鳴り響く演奏を聴いたことあります?
Christian Zacharias氏のCDを初めて聴いた時にそれが出てきてビックリしたことがありますが、モーツァルトが生きていた頃のピアノには、その打楽器が標準装備されていたものがあったそうです。今のピアノにもあったら楽しそうだけどなぁ。

おなじみの曲というとたいていは何かニックネームが付いているものですが、ショパンのノクターン2番には不思議と無いですね。こんなに知られた曲なのに。誰か素敵な愛称を付けてあげてはいかがでしょうか。ちなみにエチュード1番の方は「エオリアンハープ」という素敵な名前で呼ばれています。シューマンが「エオリアンハープのようだ」とこの曲を評したからだそうです。

ロマンチストの皆さん、ベートーヴェンはいかがでしょうか。激しさとか雄大さで物語られるベートーヴェンですが、「月光」1楽章や「悲愴」の2楽章のような、思わずうっとりとしてしまう音楽も彼は得意のようです。

バッハのゴルトベルク変奏曲は、バッハが音楽を手ほどきしたことのあるゴルトベルクという音楽家が不眠症に悩む伯爵様のために夜な夜なこの曲を演奏して楽しませた、というエピソードからこの名前がついたらしいのですが、それが本当かどうかは定かではないようです。まともに演奏すると40〜50分くらいはかかるというものすごい曲ですが、今回はその最初と最後を美しく飾るアリアをどうぞ。

仙台国際音楽コンクールボランティア 千葉周平

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仙台フィル&新日フィル

2006.07.15| 西江辰郎

仙台フィル

さあいよいよ七日目に入ったぞ;結構大変・・・・・文章。
何だか話が飛びすぎて、何のブログなのかわからなくなっていますよね(^0^;せんくらです。

少しは僕の日常を見ていただけましたでしょうか?

言葉で言うなら、負けず嫌いで、趣味は人間観察とか・・・・

そうそう、運動したくてたまらないんです。桐朋に入ってから、当時一週間に1時間半しか体育はなかったんですよ!これは男にはきついです。それ以来あまり運動できていないから、10年ほどたまっていることになりますね!

仙台フィル、新日本フィル、どうですか?ときかれることもあるのですが、僕はどちらも大好きです。

仙台フィルでは同じプログラムがまわってくる回数は少なかったですが、ホントにたくさんの曲と出会うことが出来、色々な指揮者、ソリストと話したり、交流を持てる機会も時間も多かったとおもいます。外山監督、梅田俊明さんから教わることも多かったですし、時にはきつく叱って頂いたり、アドバイスを下さったりしました。一時にその演奏にじっくりと取り組むことが出来るというのはとても大切なことだとおもいます。またメディアの出演や自主企画の演奏会をしたい場合に、こちらからお願いしたときも、とても親身に考えてくださる余裕は仙台ならでは、かも知れません。

新日本フィルは、すみだトリフォニーホールとフランチャイズをしていて、そこで練習もできるという環境で、とても恵まれています。楽団員一人一人がそれぞれにオケ以外でも活躍していて、事務局も奏者みんなをそれぞれにアピールしているという点で、素敵だなと思います。新しい発想や企画もあり、面白いです。

どちらも和気藹藹とした仲の良いオーケストラです。

将来合同演奏会みたいなのがあったらいいのになと思います。

今回の仙台クラシックフェスティバルで、音楽をもっと身近に感じる方がどんどん増えたらうれしいです。演奏家を育てるのはお客さまですし、聴いてくださる存在がなかったら、僕らは何に向かって・・・・神?ということになりますものね。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

それではまた!お会いでき、演奏を聴いていただけることを楽しみにしています。

季節柄ご自愛ください。皆様にくれぐれも宜しく、あとは僕が練習して、祈るだけです。
「○×△□!!」

西江辰郎 2006年6月11日
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音楽とジュリアード音楽院

2006.07.15| 松山冴花

最後のブロッグです。変なことばかり書くので仙台オフィスの人達もハラハラしてたかも。

最後は音楽とジュリアード音楽院のこと。

かれこれジュリアード音楽院にはもう17年近く通ってます。プレカレッジ9年、バッチェラー4年、マスター2年、で今のArtist Diploma 2年目突入中。それを言う度に友達から冗談のネタにされます。

でも音楽のおかげでここまでいろんな体験をさせてもらって、そして成長させてもらって本当に有り難く思います。

音楽が専門じゃなくて、でも音楽が好きな人に会って音楽の事、日常の事を話すと安心できる。音楽のおかげで色々な所に出かけ色々な人に出会って、何処かに行く度に必ず新しい経験ができる、その上自分が好きな音楽を人前で弾ける、自分が普通なかなかだせない思いを心底からその時弾いている曲にぶち込める。その気持ちが聴いている人、一緒に弾いている人、先生、教え子に伝わった時がヴァイオリンを弾いていて一番幸せな時。

ステージの上に立つのは怖くない?と時々聞かれますが、音楽に自分が乗ったら、全く。ずっとその時間がつづいてほしい。

これからもがんばります。120%ではなく、自分にあった弾き方、解釈、そして絶対何もかも一人では出来ないので、周りの人達からのサポートにも頼って、一歩一歩限りない道を歩んで行こうと思います。

いつも温かい応援、有り難うございます。

See you all in October!

松山冴花(ヴァイオリン)

2006年07月14日

2006.07.14| 西江辰郎

今日はショスタコーヴィチの交響曲第7番、バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ、スターウォーズ、未知との遭遇、音階、ワーグナーのワルキューレなどをさらいました。

毎日いつの為の曲を練習しているのかよくわからなくなっていますが、こんなのにも慣れてきて、準備を早くにするように心がけています。

ところでショスタコーヴィチですが、この曲は「レニングラード」といわれていて、バスのテーマに長三和音がそのままの形で移動するテーマがあります。この曲は僕がスイスへ留学していた際、ミッシャというサンクト・ペテルスブルクから来ていた友人が、「タツ!この曲知ってる?」といって、学校にあったアプライトピアノで吹き飛ばんばかりの大音量で弾いてくれた曲です。あまりのうるささに、すべての部屋からみんなが出てきて、それはそれは・・・・・・

彼にはマリナという姉がいて、彼女が最初にスイスへ来ました。そして、「私には弟がいるの、彼は私なんか肩に担いで歩けるんだから!」というので、そんなばかなと思っていたのですが、半年ほどして本当に弟がスイスへ留学してきたら、姉を本当に片手で持ち上げ肩にのせて階段をおりていくんです。まあ、姉は軽そうだったから45キロくらいかも知れませんが。

ミッシャが来てからというもの、次第に物が壊れていきます。まず、トイレの扉がしまらなくなり、ブラインド、取っ手、しまいには学校のオートロックの扉、絨毯、洗面台、ピアノ・・・・パワーがあり過ぎて、彼としてはやさしく取り扱ってるつもりなのですが、色々吹っ飛んでいきます。

あるとき、学校から遠くに住んでいたミッシャに自転車を下さった方がいました。26段ギヤつきのマウンテンバイクで、なかなか良いものだったのですが、1週間後、壊れているんです。「どうしたの、これ?」と聞くと、「ああ、あのね、ギヤを変えずに学校まできたら、途中で壊れてさ、Haha!」と、ミッシャ。
「・・・・・・」
返す言葉もありません。

だって、いちばん重いギヤで、しかも学校へは歩いてだってかなり急な坂があるんだから、普通 漕げないだろう・・・・!!そりゃ、チェーンも切れる・・・そんなこんなで、ウォッカの飲み方などを教わったり、ハチャメチャでした。

今僕がショスタコのこの曲を聴いて、このパワーを少なからず理解でき想像できるのは、ほんと彼のお陰だとおもいます。

西江辰郎
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怪我

2006.07.14| 松山冴花

私、あまり怪我はしないものの何年かに一度、大きなケガをします。

私の一番最初のケガは幼稚園の時。

水泳のクラスから帰る途中。自転車の後ろの荷物置きに足をブラブラさせて快適に乗っていたら“あれよあれよ”いう前に、左足が後ろタイヤに巻きこまれてました。ビックリ。

次は小学校の時。体育のクラスでドッジボールをしてた時。逃げたボールを全速力で追いかけてたら、くぐったはずの鉄棒をまともに顔面に頂戴しました。

その時からです。学校科目につぎこむエネルギーはホドホドにしようと。

14歳の頃、オハイオ州にあるエンコール音楽祭に行きました。その時はホームステイ。家の主の息子さんが昔使ってた自転車で、一人でどっかに遊びに行った帰り道のこと。家の近くに下り坂があって下るのを自転車に任せてたら交差点が見えたのでブレーキを。のはずが、気づいたら自転車のブレーキがお陀仏だった。もう接近してくる車と交差点に恐怖を抱き、取った行動とは?

決心して電柱に正面衝突。車に跳ねられるよりましかと。

最後のは、去年の感謝祭の時。なれない包丁で物を切っていたらついでに左手の指も。血がピューピュー飛び出してくる指を、母の前におもしろがって突き出すと嫌がられました。ま、無理もない。

また、いつかどこかでけがしたら報告します。それまでお楽しみを。

松山冴花(ヴァイオリン)

スイスにて

2006.07.13| 西江辰郎

ヴァルガ先生

僕がヴァルガ先生につきにスイスへ渡ったころ、当事先生の個人の学校(エコール・スペリオール・ド・ムージーク TIBOR VARGA)には、ロシア、アルメニア、ウクライナ、アルバニアといった国からの生徒が最も多く来ていました。その中には、ヴァルガ先生がそれらの国でマスタークラスをした折に「スイスへくれば、私が生活費を持とう」と言って、連れて来た生徒も数人いました。上手い人、そうでない人、才能を感じさせる人、色々な人がいましたが、いずれにせよ、先生が気に入った人たちには違いませんでした。彼らはスイスへ来てまだ数ヶ月、母国語はロシア語が多く、フランス語はもちろん話せないし、そのころは彼らとは英語でお喋りするのが普通でした。

僕がスイスへ留学してから1年ほど経ったとき、ロシアから来てまだ日も浅いある同僚に、両親のひと月あたりの給料を聞いたところ、「父はオーケストラのコントラバス奏者で月1万4千円にしか満たない」といわれました。物価がちがうのはもちろんですが、なぜ僕がそれを尋ねたかというと、彼女がスイスで週に食費2000円ほどで生活していたからです。よく、スーパーで味見を装い、オリーブなどをつまみ食いもしてて、フルーツはレジを出る前には完食!買うのは60円のチョコとお菓子!というすばらしい買い物に一緒に行きましたが、彼女の財布の中身は、いつも紙幣はなく小銭ばかりでした。スイスは日本よりも物価がやや高い国です。そのお金で1週間・・・・!!

彼女は毎日チョコレートをかじりながら、紅茶を飲みつつ、1日12時間はさらっていました。上手かったです。「ダーバイ トラヴァイェ!」というのがぼくらの合言葉でした。(ダーバイはロシア語、トラヴァイェはフランス語でくっつけたのですが、レッツ・プラクティスのように使っていました。)

(たびたび、西江さんは一日にどのくらいさらうんですかと訊かれますが、「日によって異なります。」というのが僕の答えです。2〜3時間もあれば技術を維持するのみには足りるかと思いますが、音楽創りにはかなりの時間が必要ですし、練習には、質をもとめたいです。そのためには適度な休憩、頭の問題、興味を湧かせるための研究や感性をみがくこと、実験的なことも必要だと思います。だからできるだけ鮮明に考え、聴き分けられる常態で、納得のいく充分な練習をしたいと思っています。

人間の体もたいしたものですね、僕のスイスでの経験上、長時間良くない練習をしたら、きちんと長時間分の良くないことが・超・身につきます。)(●^0^●)

学校には自由に使えるとても広い部屋が4,5個あり、その部屋を確保するには誰よりも早くそこへ行き、取られないためにはいつも練習している必要がありました。そして自分の借りている部屋では思いっきり音を出すことが出来ないという状況は皆一緒だったので、僕は学校から3分のところに住み、一日のほとんどを学校で過ごしました。同僚の中には家賃が払えず、屋上に寝ている友人もいました。

更には、ヴァルガ先生はいつレッスンをして下さるかわからない方だったので、もし本当にレッスンを受けたかったら、必死で受けたいことをアピールする必要がありました。つまり、常にレッスンを受けられる状態を準備し、いつでも、何時でも学校にいて、先生が玄関から足を踏み入れた瞬間、階段を駆け下りて真っ先にレッスンを受けたいと言う必要がありました。なぜなら、その日にいったい何人レッスンするのかさえ、先生のその日の気分次第だったからです。もし仮に一週間に一度のレッスンを受けたかったら、常に一日中、学校にいる必要がありました。僕はもともと負けず嫌いな性格なので、彼らと一緒に学校に入りびたりでした。

練習。練習。練習。一日中練習している子の食事が、ヨーグルト、パスタあるいはパン、時にはほとんどが水のスープという生活を送っているのを目の当たりにした僕は、自分が日本人であり、生活費や食費を親が負担してくれていたので何不自由ないことが、ありがたくもあり、とても恥ずかしくもなりました。彼らの生活スタイルからかけ離れた贅沢はしないよう、また彼らから贅沢に見えることをしないよう心がけました。僕も毎日の朝昼はチョコレートと130円のパン。一食は自炊で料理し・・・という生活がつづき、今より8キロは痩せました。

ある日、友達が大騒ぎしています。どうしたんだと訊くと、「私の大切にしていたボールペンがないの!」という。
前日練習していた部屋をみたり、皆で色々探し回った挙句、使い古しの練習曲のコピー紙の山の中からついに発見!ところが、いわゆる日本でいう100円ボールペンの「・芯・」だけなんですよ!「これが彼女が言う大切にしていたボールペンなのか!」(^0^;)もちろんこんな事は本人に言えないので、心の中で言いました。

あるときはウクライナから来た友人に「腹へったし、めし作って食わない?」と誘われ、練習の合間に彼の部屋へ行きました。彼の家賃はずいぶんと安いので、なぜかと思ったら、屋根裏なので天井も低くコンロも一つ、電気も一つという状態でした。「パスタにしようぜ!」といわれ、まず水を沸かし、塩をいれてパスタを茹でる。茹で上がったら「さあソースだ!」というところでなぜ「茹で上がったら」なのか・・・

コンロが一つだから一緒に作れないんです。じゃあ早くしないと冷めちゃうから、「野菜でも入れて食うか!」ということになり、

今日の野菜登場!!

ということで出来上がったとき、天窓から屋根にあがり、町を眺めながら、世界一空気の綺麗と言われる土地で、燦々と輝く太陽のした、2人でミニトマトひとつを半分ずつパスタにのっけて食べたのでした・・・・・。トマトがホント、甘くてうまかった!!

彼は、翌日は「塩と胡椒」、そのあくる日は「バターと塩」といった具合に味付けを変えたようですが、僕はおかしくなりそうだったのでもう少し贅沢しました。

日本はなんて贅沢で物の消費が激しい国なんだろう・・。紙だらけ、ごみを出しだらけ、電気を使い放題。何で真っ昼間からプラットホームの電気をつけっぱなしにする必要が。何でとにかくコピーを取る必要が。何でしっかり包装されている必要が。何で新製品の売り場に展示用の商品が置かれている必要が。豊かな国だ。

僕の家にだってどれが使えるのかわからないほどたくさんのボールペンがある。ヴァイオリンの弓の毛だって少なくなれば張り替えられるし、彼らみたいに毛の量が3分の1になってもフォルテを出すときに頑張って力んで弾く必要はない。恵まれている。いつでも欲しい楽譜が買える。CDが買える。腹いっぱい食える。

こんな思いが浮かぶのにそう時間はかかりませんでした。そして、日本のよい面に気がつくのにもまた時間は要りませんでした。もし今自分が日本にいるとして、勉強したかったとしたら、そのとき日本だからこそ良いところはどういったところか。

そしていまから自分が出来ることは何か。考えるだけでなく、その前に実行する必要がある。不安。何が出来るか。自分のためではなく。

本当に本当に家族思いだった彼ら。兄弟。兵役に行きたくなければ音楽家になる道を選ぶ必要のある国。「帰るところのない国なんだ」ということを感じさせるその母国の音楽。宗教。今僕はとても嬉しい。それは当事の友人の一人が永世中立国でオーケストラでの仕事を得て、まともな生活を手に入れつつあることが。本当に嬉しいです。

西江辰郎 2006年6月4日
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