昨日に続いてピアノのお話です。
洛中の真ん中に、
かつての「明倫小学校」を再利用した「京都芸術センター」という施設があり
そのコンサートホール(講堂)に「ペトロフ」という古いピアノが入っています。
オーストリア・ハンガリー帝国時代のプラハで製造された楽器で(1910年製)、
1918年に明倫学区の有志により子供たちの音楽教育のために寄贈されたものだそうです。
長年にわたる使用のうちに傷みも激しくなって放置されていたところ、
数年前に「明倫ペトロフの会」の呼びかけで修復がなされ
現在は年に数回のコンサートで使われているという楽器です。
私は昨年初めて弾かせていただきました。
音が抜け気味だったり、楽器本体がカタカタと鳴ったりして
それなりに大変だったのですが、それでも楽しく演奏することができました。
現代の楽器からは望みがたい、味わい深い音色は、格別の魅力をもっています。
古い文化財というのは、モノ自体の価値は当然としても
理解ある人々の志のおかげで残っていくのだということを、改めて実感しました。
モノと人間の共同作業、ですね。
下の画像は、大正時代の美人画家・中村大三郎の作品「ピアノ」(京都市美術館所蔵)。
描かれているのは、まさにこの「ペトロフ・ピアノ」です。
三日間のブログ、お付き合いくださいましてありがとうございました。
秋に仙台で皆様にお会いするのを楽しみにしております。
ピアニストは自分の楽器を持ち歩くことはできません。
通常の場合、ホールに備え付けの楽器を弾くことになるのですが、
たまに(条件が整えば)お気に入りのピアノを運んで演奏することもあります。
私の最近のお気に入りの楽器はこちら。
神戸の日本ピアノサービス株式会社さんが所有するニューヨーク・スタインウェイです。
1925年に製造されたピアノは今年で91歳!
これまで出会ったピアノの中でも間違いなくベストの楽器のひとつです。
初めて弾いた時の感動は今でも忘れられません。
豊かな倍音、ブリリアントな力強さ。
繊細なピアニシモから強力なフォルテシモまで、
幅広いダイナミクスと多彩な音色には限りがないように思えました。
自分の音に酔いそうになったのは初めての経験です!
楽器に限らず、古くて良いものというのは、実に深い味わいがありますね。
皆様こんにちは。
ピアニストのイリーナ・メジューエワです。
今年も「せんくら」に出演することになりました。
2008年から数えて9回目。私にとって楽しい「年中行事」となっています。
今年は以下の3公演に出演します。
おなじみの名曲小品をお楽しみいただきます。
詩情豊かなグリーグ作品とショパンの大作「ソナタ第3番」の組み合わせ。
大好きなショパンのノクターン2曲を演奏します。
今年も皆様に楽しんでいただけるよう、頑張りたいと思います。
神田さんに華麗なスタートを切ってもらいましたせんくらブログ2016、今日から3日間はせんくら事務局スタッフが担当させていただきます。
「え、出演者じゃないんだ・・・」とがっかりされる方もいらっしゃるかもしれませんが、どうぞ暇つぶしにお付き合いいただければ幸いです。
情報公開初日からサイトをご覧いただき、また、パンフレットを探しに出ていただいた方、ありがとうございます!
市内の方はもちろんのこと、関東や関西などからも「楽しみにしています!」という声をいただけるのは、なんとも嬉しいことです。
さて、「楽都仙台」とタイトルを付けさせていただきましたが、仙台には、せんくらともうひとつ、「仙台国際音楽コンクール」という大きなイベントを3年に1度開催しています。
毎年、せんくらにもこれまでのコンクールの入賞者が出演しているので、ご存知の方も多いかと思います。
その、第6回目のコンクール、ヴァイオリン部門が今まさに開催中。さらに本日が超クライマックスのファイナル3日目ということで、先ほどファイナリストの順位が決まりました。
予選からファイナルまでどの出場者もレベルが高く、すばらしい熱演を響かせてくれました。
素人の自分としては、審査委員の先生方の聴覚、視覚、脳内に潜り込んでどのような視点で何を思いながら審査しているのか、経験してみたくなります・・・。
1日にこんなにコンチェルトを聴く機会もそうそうないでしょう。せんくらでも、聴けて1日に2回ですもんね(笑)
ヴァイオリン部門の審査はこれで終わりとなり、次に聴けるのは3年後になるでしょう。ぜひ、一般的なコンクールとは違うホールの空気感や緊張感、若さを肌で感じていただきたいと思います!
そして、ピアノ部門は来週6/11(土)より予選がはじまります。お時間のある方、興味のある方はぜひ、会場に足を運んでみてください。きっといつもと違う演奏をお楽しみいただけることでしょう。
将来、どの出場者・入賞者とせんくらで再会できるか、今から楽しみですね!
せんくら事務局
こんにちは、エレクトーンの神田将です。今日は今年の演奏曲についてお話しします。
今年はふたつの枠をいただき、いずれもエレクトーンの独奏をお届けします。
まずは0歳児からのコンサート。せんくらではすっかりお馴染みですね。それにしても、子供ちゃんのパワーはすごいです。うまく表現できないのですが、放っているエネルギーが半端ないというか、「生きてます!」って感じなんです。もちろん、0歳からウェルカムの演奏会ですから、賑やかなのは織り込み済み。むしろシ〜ンとしていたら、めっちゃ怖いです。
今年はその子どもちゃんのパワーに負けないパワフルなプログラムを用意しました。かと言って最初から全力疾走だけでは芸がありませんね。そこで、穏やかな朝の雰囲気から、次第に加速して、最後には超高速プレーをお楽しみいただこうと企んでます。新しく盛り込んだ体験コーナーもお楽しみに!
もうひとつの枠は、真剣勝負です。エレクトーンでどこまで管弦楽の真髄に迫れるか、と言うより、その先を目指しています。オーケストラの最高傑作とも呼ばれるラヴェルのダフニスとクロエ、そしてムソルグスキーの展覧会の絵をラヴェルによる管弦楽編曲に基づいておいしいところ取りの抜粋でお送りします。
どちらもスペクタクル級のスケール感が魅力ですが、実はその精神性は極めて一個人的というか、ぎゅーっとフォーカスされた感じのものがあります。愛という概念を知らない若者が互いを想うってどんな感じだろう。そんなふたりにはいつもの夜明けですら、違って見えるのでは。そんな視点から、愛の純粋さから狂気までをひとりならではの一貫した息遣いで奏でます。
もうひとつは展覧会の絵。ムソルグスキーは管弦楽の手法を持っていたにもかかわらず、なぜこの交響的なモチーフをピアノ独奏曲にしたのでしょう。本当のところは知りませんが、もし私が友達を亡くし、そいつに何もしてやれなかったと悔やんだとしたら、盛大にみんなで弾く曲より、ひとりで弾くものを書くだろうと思います。「友よお前は偉大だった」と心で思いながら。
これらの作品を楽楽楽ホールで演奏させてもらえるなんて、夢のように幸せです!
さあ、今年のせんくらを、皆さんと一緒に楽しみましょう。そして、一緒に盛り上げていきましょう!!
こんにちは、エレクトーンの神田将です。今日はエレクトーンのお話をします。
いきなりですが、エレクトーンでクラシック音楽を演奏すると聞いても、ピンとこない方が多いのではないでしょうか。ポピュラー音楽をリズムボックスに合わせて軽やかに奏でるというイメージが強いエレクトーンですが、楽器の進化に伴い、クラシック音楽を演奏する愛好家がどんどん増えており、現在ではクラシック音楽を専門とするプロの演奏家も活躍の場を広げつつあります。
最新のエレクトーン使用した演奏は、一言で表せば「まるでオーケストラ」です。初めて聞いた人からは「いったいこの楽器はどうなっているの?」とただただ驚嘆されることしばしば。確かにそこも興味深い部分かもしれませんが、私がクラシック音楽に特化した演奏家として皆さんにお伝えしたいのは、そこではありません。
クラシック音楽と言っても、そのカタチはさまざま。中でも私のお気に入りは管弦楽作品全般です。子供のころ、オーケストラ演奏に圧倒的な衝撃を感じたのは、決してひとりでは表現しきれないスケールの大きさにでした。どんなに偉大な作曲家でも、自身の管弦楽作品を自分一人で演奏することは不可能です。指揮台に立てば自身のイメージ近い演奏に仕上げることは可能でも、演奏者という他人の手を借りる必要があります。
こうした大規模な作品をひとりで弾きたい!というのが、子供のころからの漠然とした夢だったのですが、のちにエレクトーンと出会って、ついに夢が叶いました。つまり、私にとっての音楽はエレクトーンありきで始まったのではなく、あくまでクラシック音楽の本質をより深く探求することにあり、そのためツールとしてエレクトーンを選んだというわけです。
クラシック音楽は言うまでもなく長い歴史を生き抜いた私たちの財産です。生まれた瞬間から今日まで、時代に揉まれながらも演奏者と聞き手によって育てられてきた生き物でもあります。
すべての作品には作曲された意図があり、優れた作品であればあるほど奥深い背景と物語を持っています。それらを常に探求し、時代に即したものとして演奏するのが、演奏家の務めです。
せんくらでは、少しでも皆さんにリラックスして楽しんでいただけるよう工夫しながらも、音楽の本質をきちんと感じていただけるよう、誠実な演奏をお届けいたします。どうか耳だけでなく、心を寄せて音楽を感じてください。
明日は、演奏曲のお話しをします。それでは、また!
こんにちは、エレクトーンの神田将です。
今年もせんくらブログのトップバッターを務めさせていただきます。よろしくお願いします。
これからせんくら本番まで、エントリーしている演奏家が皆さんに毎日メッセージを発信していきますので、日々のお楽しみとしてぜひ最後までお付き合いくださいね。
さあ、今年のせんくらのラインナップ、皆さんはもうご覧になりましたか?
新しく生まれ変わった今年のせんくらは、出演者がぐっと若返りましたね。それも実力のある演奏家ばかりですので、フレッシュさと聞き応えの両方を満喫させてくれるに違いありません。
そんな中、私はまだルーキー気分が抜けきらないのですが、気がつけばすっかり古株になっていました。改めて今年の顔ぶれを見て、引き続き出演させていただけることを、本当に光栄に思います。
せんくらといえば、クラシック音楽を身近に気軽に楽しめるのが魅力。会期の三日間、仙台の街が音楽で溢れますが、毎年せんくらに出るたびに、音楽というのは演奏家が奏でるものだけじゃないって思うんです。コンサートを聞いていい気分になってくれたお客様が笑顔のまま街に繰り出せば、音楽と同じように周りの人をハッピーにします。それもまた音楽なんじゃないかなって。それと、せんくらのお客様のおおらかさや温かさに、こちらがかえって元気をもらえたり。 いただいた元気で演奏にますます火が点いて、元気の倍返し!みたいな図式があちこちで見られます。
毎年楽しみに待ってくださっている皆さん、そしてまだ参加したことのない皆さん、今年は一緒にこのハッピーの輪をさらにもう一回り大きく広げていきましょう!
それでは、また明日!
またまた個人的な内容ですが、最終回は私の好きな演奏会場についてです。
武蔵野市民文化会館小ホール、神奈川県立音楽堂、浜離宮朝日ホールなどを真っ先にあげたいです。
いつものように贅沢の限りを言いますが、各々のホールの特徴のあり方と演奏する曲目をマッチさせることが出来れば至福の一言。
武蔵野はバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏する際に不可欠な音の立ち上がりの良さと透明度が最高、席数も文句なしとすべてが最高です。朝日ホールはチェロとピアノの編成にとって最適と思われる席数で客席の幅、奥行のバランスも素晴らしく、音質も明るく響き、音の通りも大変良い。
神奈川県立音楽堂は浜離宮よりさらに広く、奏者にとって体力気力が相当要求される席数と奥行ですが、木がたくさん使われた昔のホールの響きで、音の反射、通り方、音質も大変素直に明るく、ホールを語るときの基本線はここにあるといえでしょう。
先日、神奈川県立音楽堂で「音楽堂建築見学会」という催しがあり、昼前のコーナーで地元近隣の小学校3年の生徒さんがやってきました。
短時間でしたが客席だけでなく舞台の上にあがってもらって床板の振動等、直に体験をしてもらったのですが、ピアノの下にもぐりこんで座ったり、チェロの弓がぶつかりそうな距離まで取り囲み、「ワーッ、ブルブルしているーっ」とか、まことににぎやかで、共演のピアニストともども楽しいひと時を過ごしました。
午後には建築についての講演もなされて、大人の方々にも同じように舞台上を体験していただいたユニークな催しでした。
私の夏休みはこういうもの:
演奏家という職業に関する約束を入れない6週間。
贅沢を言わせていただけるなら2か月間あるのが理想的です。
まず、緊張が解けて蓄積疲労が出てくるのに1週間はかかり、その後の2週間は時計も見ず腹時計で過ごすような自由度で過ごしたい。勿論楽器も触りません。
そういった日々が3週間目に入ると、不思議に何かが足りないという感覚が芽生え始めます。
遅くても4週目にはチェロを取り出し、初めて楽器を触った子供のころのようにゼロから指や耳、体全体と頭を再構築していきます。
このウォーミングアップに最低2週間ほしいのです。
初めて勉強する作品などの譜読みに取りかかるのはこの慣らし練習の半ばからです。
足し算をすると6週間になるでしょう!
ここ数年の私はこういった夏休みの取り方、過ごし方は出来ず残念な限り!夢の又夢に成り果ててしまわないようにもがき出しているところです。
猛暑も過ぎ去り、気がつけば9月の日々がどんどん進んでいきます。
みなさん、お元気でしょうか。良い夏休みをお過ごしになられたでしょうか?
夏のヴァカンスというと私は真っ先にラテン系の人々を思い浮かべてしまいます。
経済的な余裕のありかたは人さまざまだけれど、それには関係なくしっかりと時間を確保してエンジョイするのです。
とくにフランス人はヴァカンスに行くために普段の仕事をしていると言ってよいほど。
30年ほど前のパリの街ではそこかしこの店が一斉に閉めるので、道路を行き来しているのは旅行者がほとんどというぐらい。
スーパーマ―ケットもしっかりと休み、道路を行きかう車の数も減り、じりじりと肌に照りつける太陽さえ気にしなければ、排気ガスの減少した町でのんびり歩きを満喫できます。
それが徐々に変わっていって、飲食店をはじめ、各お店が時差的に休みを取るようになり、ここ数年でそれが定着したようです。
開いているお店があるのは生活に便利ですが、あの静かだった町並も時に恋しくなります。