仙台のみなさま 「せんくら」ファンのみなさま
お元気でいらっしゃいますか?
今日からブログを担当する仙台生まれの大谷康子です。
大震災から5年,,,とはいうものの、まだまだ復興には時間がかかりますよね。
私にとりましても、生まれた町 仙台には特別な思いがあります。
音楽で少しでもお役に立てたら、、、と思っています。
昨年、せんくらに初めて伺い、聴衆の方々の熱い反応やスタッフの方々の細やかな気遣いに感激しました。
今年も出演できることは、ほんとに幸せです。
今回は、9月30日のフェスティバル・ソロイスツ、そして午後は皆さまが「えーっ!?」と驚かれること間違いなしのコンサート(ナイショ!) ”たのしく驚いて”くださいませ!
そして最終日は魅力的なハーピスト篠崎史子さんとのコンサートで計3回です。
私はこの4月からBSジャパン(テレビ東京系列)毎週水曜日 夜23時30分~24時に放映されている「おんがく交差点」という番組で司会と演奏をしています。
クラシック通の春風亭小朝師匠と一緒に毎回ゲストをお迎えして、コラボ演奏したり、毎回ソロ演奏しています。
ゲストはクラシックの方だけでなく、色々なジャンルの方が出演してくださって、毎回新鮮な発見があります。今日も収録していました。ご覧くださいね。
最終日の今日は、先日行ってきたメキシコのお話から迷走します。
アルゼンチンでアルパに出会った私ですが、南米に行くのは30時間かかるとなるとスケジュールの調整がなかなか難しいので、直行便で行けるスペイン語圏・メキシコに先月行って参りました。
「メキシコ暑そう!」と思われがちですが、雨季でも湿気は少なく、日本よりかなり過ごしやすかったです。北回帰線上の夏至だったので太陽は真上で物凄い日差しでしたが、太陽が隠れると涼しく、長袖は手放せませんでした。
メキシコに行ったのはいくつか目的がありました。
1)エストレリータはメキシコでは何と発音するのかを聞く
エストレリータ(小さな星)の作曲者マヌエル・ポンセはメキシコ出身で、メキシコ国立芸術院のホールは「ポンセホール」と名付けられているくらいメキシコにとって大事な存在です。
(日本で「ポンセ」を検索すると、かつて横浜大洋ホエールズで活躍してマリオと呼ばれたカルロス・ポンセ選手が一番に出て来ますね)
「エストレリータ(Estrellita)」の「リ(lli)」の部分は地域によって「ジ」に近く濁って発音します。作曲者ポンセが暮らしたメキシコシティではどう発音するのか聞くべく、レストランの演奏家にエストレリータをリクエストしたところ、こんなご返答。
「Estrellita~、ふふふ~ん♪って曲だろ。レパートリーでは無い。他の曲はどうだ」
演奏こそ聴けませんでしたが、この時の“lli”が、やや濁っていたのを私は聞き逃しませんでした。
でももっとたくさんの現地の方々と話をしてから判断せねばなりませんね。
2)衣装購入
日本で女性がパラグアイのアルパを演奏するときはパラグアイの素晴らしい刺繍「ニャンドゥティ(Ñandutí)」をふんだんに使ったドレスを着ることが多いのですが、メキシコにも地域によって素晴らしい衣装がたくさんあります。
今回は華やかに刺繍されたワンピースをいくつか入手してきました。気弱な性格なので、価格交渉はなかなか出来ませんでした。
3)昔、上野にお嫁に来ていたパンダ「シュアンシュアン」に会いに行く
私は楽器にパンダを彫ってもらうほどのパンダファンで、パンダの彫られた楽器を見るのもぜひ楽しみにお越し頂きたいのですが、メキシコはなんと、中国以外の国で初めてパンダの繁殖に成功した国とのこと。日本とのパンダ交流の歴史もあり、2003年に上野動物園のリンリン(オス)のもとへメキシコからお嫁さんとして出張に来た伝説のパンダ・シュアンシュアン(メス)が、ポンセの墓のあるチャプルテペック公園内の動物園で現在も暮らしているので会いに行ってきました。
感動の再会のはずが、シュアンシュアンは、姪のシンシンと共にずっと寝ていて起きてくれませんでした。日本から会いに行ったのに、、、。
仙台にもパンダ導入の取り組みがありますが、平成28年度はジャイアントパンダ導入関連予算の計上を見送っているとのこと。難しいとは思いますが、長年かかっても実現させて頂けたら、必ず動物園に通います。
最後に、このまま趣味の話に迷走します。
仙台と言えば東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地ですが、私は日本ハムファイターズが東京の球団だった時からの日ハムファンです。
せんくらが終わった丁度あとにkoboスタジアムで楽天vs日ハムの代替試合が見られないかと期待していますが、今のところ代替開催日は9/9(金)のようですね。
楽天には同じ苗字の池山コーチがいらっしゃるので、厳しい目では見られない自分がいるのです。
と、なんやかんやたくさん書いてしまいましたが、、、、
せんくらまであと2ヶ月半。
仙台に伺えること、仙台の皆様にお会いできることをとても楽しみにしています!
よろしくお願いします。
今日は、私がアルパに出会い、今の演奏スタイルとなった経緯を書きます。
私は、小学生の時に父の仕事の都合でアルゼンチン・ブエノスアイレス市に2年弱住みました。
サッカー、タンゴ、お肉、、、と魅力満載の現地の文化を何か一つでも取り入れて帰ってこようと考えた母が見つけて来たのが隣の国・パラグアイのアルパで、ブエノスアイレス在住の先生が日本人駐在員の奥様にレッスンしているのを聞いて、便乗しました。(ちなみに兄は、ケーナとチャランゴを習いました)
通った学校は日本人学校ではありましたが、日本では経験できない思い出はたくさんあります。
特に修学旅行は、長らく地平線しか見えないパンパ(草原地帯)をガウチョさん(現地のカウボーイ)と一緒に馬に乗って片道2時間以上かけて釣りに行く、という非常に大胆なものでした。
自作のルアーを使い、黄金の魚・ドラドは釣れませんでしたが、名前を覚えていない白身魚を釣ることが出来、帰ってその晩に食べました。パンパの夜の星空の綺麗なこと!忘れられない思い出です。
ちなみに近年、日本で流行っているガウチョパンツを私は愛用しています。
中学・高校では合唱部に燃え、大学は声楽科に。大学2年生の時に合唱に参加した大学院オペラ「イドメネオ」でエレットラを歌っていらして当時から憧れの的だった嘉目真木子先輩、受験生の時にソルフェージュ教室を紹介して下さったピアニスト森下唯さん、同じ先生のもとで学んだバリトン草刈伸明先輩もせんくらに出演なさるとのこと、楽しみです!
このような流れで、アルパと歌を組み合わせて、弾き語り奏者として活動をしています。現地パラグアイでは弾き語り演奏も少なくありません。せんくら公演では、楽器演奏のみの曲と弾き語りの曲、両方をお送りします。
こちらは先日の、フルート奏者・篠原梨恵さんとの七夕コンサート後の写真。篠原さんはメキシコ、私はパラグアイの民族衣装を着ています。
せんくら当日も民族衣装も着ますので、そちらもお楽しみ頂ければ嬉しいです。
はじめまして!
アルパ&歌の池山由香です。
せんくらに仲間入りさせて頂けてとても光栄です!どうぞよろしくお願いします。
早速ですが、楽器の紹介から。簡単に説明させて頂くと・・・
アルパ(Arpa)は、スペイン語で「ハープ」を意味します。
何故スペイン語かというと、中南米のスペイン語圏で発展したハープだからです。
歴史はさかのぼること16世紀。スペインがアメリカ大陸の植民地化を行った際にハープなどの西欧の楽器も持ち込み、その後ハープ=アルパは中南米風に進化を続けました。
従って中南米各地に形の違うアルパがありますが、日本にあるアルパはパラグアイのアルパが一番多く、私の演奏するアルパもパラグアイのアルパです。
奏法の特徴としては、自分の爪で弾くので、クリアでシャープな音色がします。力強さも必要で、現地では男性奏者が主流です。(グランドハープは指の腹)
自立しないので、置くときはこのように横にして置きます。
パラグアイアルパの特徴は
・ナイロン弦
・弦の数は37本前後(工房によって違う)。グランドハープより約10本少ないです。
・重さは約7kg。タクシーの後部座席に乗ります。
といったところでしょうか。
また、グランドハープのように半音操作のペダルがありませんので、半音を出すことは得意ではありません。ピアノで言う白鍵のみで演奏するようなイメージです。
なお、上の写真のアルパには弦の上部にレバーがついていて、比較的簡単に違う調への調弦ができますが、曲中にコロコロ変えられるものではありません。
アルパの名曲と言えば、間違いなく「コーヒー・ルンバ」です!
スペイン語では“Moliendo Café”(コーヒーを挽きながら)と言います。
ベネズエラのアルパ奏者、ウーゴ・ブランコの作曲&演奏で世界的に大ヒットし、日本ではアラブの偉いお坊さんがコーヒーを教えてあげた曲として親しまれていますね。
せんくらではアルパの名曲「コーヒー・ルンバ」は勿論のこと、日本で人気のラテン曲「ベサメ・ムーチョ」、ケーナ&サンポーニャ奏者・高橋易宏さんをお迎えして「コンドルは飛んで行く」など親しみやすい名曲をお送りしますのでお楽しみに!
皆さん、時代劇はお好きでしょうか?
私は大の大河ドラマ好き。
今年の「真田丸」もオープニングの音楽から引き込まれ、三谷ワールドにハマって一週も欠かさず^_^;観ています!
そんな事もあって?新たに始めたコンサートシリーズ
その名も「寺子屋クラシックス」
読み書きや計算を教えていた寺子屋で、当時音楽の授業があったかどうか…
それは定かではありませんが、私の始めた寺子屋では、音楽、しかも楽器の魅力に特化した授業をしています。
「ピアノ」がテーマなら、ピアノの歴史やピアノの名曲を紹介しながら、鍵盤の中身を出して楽器の構造を確かめたり
「サックス」がテーマなら、新しい楽器ならではの実験? と言うことで
F1のエンジン音や暴走族の音が出せるかを実験したり(笑)
楽しく学べるコンサートを目指して、共演者の方とミッチリ打ち合わせをして企画を考えています。
「せんくら」では今回「チェロ」をフューチャーしてチェロの魅力をたっぷりご紹介します!
この公演をキッカケに、クラシック音楽をより楽しめるようになり、音楽を深く鑑賞する技を習得できますので、「せんくら」でコンサートのはしごを考えていらっしゃる方は、まずは「寺子屋クラシックス」からスタートしてみてはいかがでしょうか^_^;?
ブログも最終日になってしまいました。
三日間、お付き合い頂き、ありがとうございました。
一緒に豊かな時間を身体いっぱいで感じましょう!
コンサート会場で、お待ちしてますね!
NHK Eテレで毎週土曜日21:30から放送の「ららら♪クラシック」
皆さんご覧頂いてますでしょうか^_^;?
毎週、クラシックの名曲を様々な切り口で紹介しています。
ピアノを使って聴き所を解説したり、作曲家がなぜこの時期にこんな曲を書いたのか、ゲストの皆さんと楽しくお話ししたり。
番組も5年目に入りましたが、毎回新鮮な驚きと発見の連続で、大きな刺激をもらっています。
雲の上の様な大作曲家の皆さんも、孤高の天才と言う訳ではなく、失恋や挫折をバネに苦労を重ね、悩みながら作曲していたんだなぁ〜としみじみ思う事も度々。
愛すべきチャーミングな作曲家を身近に感じて頂き、作品もグッと近くに感じて頂けるような、そんなコンサートを目指して「せんくら」のプログラムも考えました。
私自身も作曲家の端くれとして(^_^*)
曲を生み出す苦労を感じている人間として、皆様にリアルな音楽とリアルなこぼれ話をお伝えしたいと思っています。
乞うご期待!
作曲家の加羽沢美濃です。
昨年の「せんくら」で仙台の素晴らしい音楽祭を初体験させて頂きました!
街中が音楽でいっぱい、みんなが笑顔で、スタッフやボランティアの皆さんの優しさに包まれた、最高の時間でした。
もちろん、美味しいものも沢山頂きましたよ^ – ^!
普段、全国各地にコンサートでお邪魔しても、なかなかゆっくり街歩きする時間もなく、バタバタする事が多いのですが、音楽祭の間はたっぷり音楽に浸りながら、街歩きも楽しみしっかり充電させて頂きました。
今年も、あの豊かな時間を身体いっぱいで感じたいと思っています。
皆さんの笑顔を楽しみに伺います!
まわりの人たちに「最近、ヨーデルのグループに参加しています」というと「長谷川さんは、歌もやってるんですか?」と驚かれます!
それほど、ヨーデルにバイオリンが入っているイメージは薄い…いや、もしかしたら僕は『世界で唯一のヨーデルバイオリニスト』かもしれません(笑)
さて、そのような状況ですから…オーケストラみたいに最初から『バイオリンのパート譜があって、指揮者の意向に沿って演奏』することは出来ません。
基本、ヨーデルの楽譜は単旋律とコードのみの手書きのものに、ヨーデルメンバーとアイディアを出し合って音符を書き込んでいきます。
もはや僕にしか理解できない『暗号?』みたいな楽譜なので、他のバイオリン奏者には解読できないものになっています(笑)
さて、ヨーデルチロリアンに僕が正式入団してから約5年になります。入りたての頃に比べ、いろいろな部分で進歩してきました。アドリブも利くようになってますます面白くなりましたし、ヨーデル音楽を通じて日本全国に仲間も増えました。
『せんくら』での公演、是非お楽しみに!!
スイスでは毎年各地域で小さなヨーデルフェスティバルが行われています。
そして3年に一度のスイス連邦ヨーデルフェストは、スイス全国から集まった演奏者だけで1万人、聴きに来る人はなんと30万人とも言われる大きなお祭りです。
そこでは、ヨーデルはもちろん、アルプホルン、旗振り等数々の部門があり、演奏を競います。
私が初めて参加したのは2011年の夏、場所はインターラーケン。その年は東日本大震災があった年で、悩み迷いましたが参加することを決意しました。
私どもの参加にはスイスのマスコミも興味を持ったようで、ヨーロッパでは有名な「スイスファミリエ」という雑誌の取材クルーがわざわざ仙台までやって来て取材をして行きました。
連邦ヨーデルフェストでは私たちの友人ノルディ・フォン・デシュバンデンが、パートナーとしてアコーディオンを弾いてくれました。
彼はスイス中央部、ザルネンという町の高校の教師をしています。津波というスイスでは絶対体験できないであろう悲惨な経験をした仙台に住む私たちに、彼の高校で講義をして欲しいと言われました。
スイスの高校生にとっては聞きづらいであろう私たちのしゃべりでしたが、彼らは私たちの話を信じられないというような表情で一生懸命、必死で聞いてくれました。
そんなことから始まった2011年ヨーデルフェストでしたが、いざ会場のあるインターラーケンに行くと、そのお祭りの盛大さに驚きの連続でした
参加者はフェスティバル期間中、皆それぞれの地域の衣装を着ています。
それを見るだけでも面白い
大人だけでなく、子どもたちも
本当に様々です。
佐藤憲男さんは、なんとスイス国営放送の取材も受けました。
会場になった町中は期間中、ホール、教会はもちろん、
ありとあらゆる場所がすべて演奏会場になります。本番の会場は超満員、熱気がムンムン!!!
会場以外でも、道であろうと、レストランであろうと、人が集まっても集まらなくても、上手くても上手くなくても、夜も朝も、ところかまわず演奏をしたり踊ったりしています。
インターラーケンでは夜明けの4時まで、そしてもう朝の5時からはどこかで演奏が始まっていました。
さすがパワーが違います。
2014年、私の参加2回目のダヴォス大会には、ヨーデルチロリアンが指導をしている講座の生徒さんたちが自由参加の部で出演を果たしました!
ヨーデルというのは“焼肉食べ放だ~い♪”のようなイメージがあるかもしれませんが、とんでもありません。
クラシックの合唱と同じように大変美しい曲がたくさんあります。
スイスの教会ではヨーデルミサというのもあり、その歌声には本当に感動します。
一度皆さんも訪れてはいかがでしょうか?
そして、スイスまではなあ~という方もそうでない方も、どうぞ10月のせんくらにいらしてください!
ヨーデルチロリアン佐藤憲男です。
今年もみなさまにアルプス音楽をご紹介できますこと、とても嬉しく思います。
去年は3日分のブログ、私が代表して書きましたが、今年はメンバーの素顔に触れていただきたく、3人が1本ずつを担当します。
で、最初は私から。手帳のメモから近々の出来事を引っ張り出してみましょうか。
6月25日(土)
今をときめくピアノとヴァイオリンのデュオ「スギテツ」さんとのジョイントコンサート。
今年1、2月オンエアのNHKEテレ「おんがくブラボー」で共演させていただいたのがきっかけです。
スギテツさんの遊び心溢れる音楽にヨーデルやアルプホルンを加えてもらったのですが、特に喜んでいただいたのがターラーベッケン。これはスイスのアッペンツェル地方に伝わる民族楽器で、山芋を擦る「すり鉢」のような磁器の中で5フラン硬貨を回転させて音を出します。
アルプス地方に行きますと、牛やヤギ、ヒツジたちの首には金属のベルが吊り下げられ、そのカランコロンという音が風景に独特の彩りを添えています。牧童たちはこの鳴り響くカウベルの音をバックに草原でヨーデルを歌っていたのですが、やがて、建物の中で聴衆のために歌うようになると、牛を何頭も建物の中に連れて来ることはできず、もともと食器だったこの楽器を使うようになったとのこと。
私は典型的な伝統楽器だと思っておったんですが、(何故か突然まんが日本昔話風に)スギテツさん曰く、「これはシュールだ」と。奇抜と言えばそうかもしれませんが、超現実的と訳すと、アルプス音楽は実にシュールな音楽なのかもしれません。
よおし、スギテツさんのコンサートにターラー引っ下げてまた“殴り込み”かな。
ところで「おんがくブラボー」は今年秋にも再放送されるそうです。
この頃のテレビ画面は大きいし、4K画面とかで映像も鮮やか。しかもバックは白ときたもんだから、歯の色が実に目立つ。また流れるのかと思うと超恥ずかしくて。
「〇〇人は歯が命」なんて宣伝あったけど、あの歯磨き粉、効くのかなあ。髪の毛は帽子被れば済むけどさ。
6月28日(火)
日本テレビからバラエティ番組でアルプホルンを吹く私の写真を使いたいと神戸・六甲山牧場を通じて連絡がありました。何でも牧場のホームページで使用していた私の写真を担当者が気に入ってくれたとのこと。こちらがその写真。
で、肝心のその中身ですが、クイズ番組で、「ホラを吹くのホラはホルンのこと」という質問の際にバック風景にこの写真が使われるのだそう。答えはもちろん×で、正解はほら貝の方なのかな?収録の際直接行って吹きたかったんだけど、テレビに出られるのは写真だけで、本人の収録は×。
司会進行は有吉弘行さんで、私は彼のファンだから彼にいじって欲しかったなあ。でも収録はもう終わっちゃったしなあ。
写真、何秒ぐらい使われるんだろ!番組名は「超門!真実か?ウソか?」、オンエアは8月12日(金)午後7時からの2時間。
お盆だし、テレビの前にクギ付けになって見てやる!!ついでに歯もしっかり見るぞ。
7月2日(土)
ヨーデルチロリアンのヴァイオリン奏者・長谷川康は仙台フィルのメンバーですが、実は宮城県第2の都市、石巻市の市民オケ、石巻市民オーケストラのコンサートマスターも務めています。
で、その石巻市民オケが定期演奏会でウィーンの森の物語と第3の男をやることになり、この日、日本のチター界第一人者、内藤敏子先生との共演を聞きに行きました。チターはアルプス音楽にはアルプホルン同様、無くてはならないものであり、私どもも8年前の秋に内藤先生とご一緒に高松、埼玉越谷、長野池田町など全国公演をさせていただきました。久しぶりの再会に胸躍ったのですが、同時に当時先生からお聞きした言葉をまざまざと思い出しました。いえいえ、音楽的な話とかではないのです。
何かの話題で新宿御苑の話になりました。「新宿御苑?私どもの庭でしたよ!!」私は卒倒しかけました。
「何てシュールな!!(奇抜な)」この先生は一体何者なのか??
あとで調べたところ、新宿御苑は江戸時代まで信濃高遠藩内藤家の下屋敷があったところで、明治になって新宿植物御苑となり宮内省管轄に移行したのです。
ですから先生がおっしゃるとおり、もともと新宿御苑は内藤先生の先祖のものだったのですね。そのせいというわけでもないのでしょうが、当日も遠くは和歌山県などからもお客様が石巻までお越しになっていましたよ。そんなことを考えながら、チターの音色に聞きほれた一日でした。
先生、ネタにしちゃってごめんなさい。
別れ際、10月2日、長野県で一緒に演奏して、と嬉しい言葉をいただいたけど、ざんね~ん、その日はせんくらの日。せんくらに行かなきゃ。