「せんくら」ブログ読者の皆様、こんにちは!
宮城学院女子大学音楽科長の太田峰夫です。
10月2日に開催されるコンサート「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」についてのシリーズ、最終回の本日は宮城学院女子大学音楽科の研究生達に登場してもらいます!
宮城学院女子大学には研究生制度があります。これは学生が卒業後も引き続き(最長で2年)専攻領域を学べるようにつくられた仕組みです。今年度は3名の研究生(ピアノ2名、声楽1名)が在籍しています。本日は普段の勉強や「せんくら」出演について、話を聞いてみましょう・・・
まずは研究生2年次の高橋伶奈さん(ピアノ)から。
—今はどんな勉強をしているのでしょうか。
「年度末の修了リサイタルに向けて勉強中です。学部時代は目の前の作品のことだけで精一杯でしたが、今はもう少し視野を広げて、知識を増やしているところです。将来的には、同期の仲間たちと演奏する機会を持っていけたらと思っています。」
—せんくらへの抱負を聞かせてください。
「せんくらのような、地元の大きな音楽祭に出演させていただけることがとてもうれしいです。及川先生や井坂先生、それに後輩達と共演できることに、今からワクワクしています。一生懸命準備して、お客さまにもぜひ楽しんでいただければと思います。」
次は研究生1年次の沼里杏子さん(ピアノ)。
—及川先生のレッスンの様子は?
「毎回熱がこもっていて、応えていくのに必死です。でも、言葉でアドバイスしてくださるだけではなく、実際に演奏しながら、身振り手振りで教えてくださるので、勉強になります。」
—せんくらでは及川先生と連弾を弾きます。
「今レッスンで勉強しています。連弾は2台ピアノとも少し違っていて、呼吸感や歌い方を近くで共有できるところがとても楽しいです。せんくらの公演では先生の隣で弾くことになりますが、胸を借りる気持ちで精一杯取り組んで、作品の魅力を引き出せたらうれしいです。」
最後は研究生1年次の佐藤初音さん(声楽)です。
—オペラ・アリアを歌いますね。
「未知な部分がまだまだ多いのですが、オペラの世界に強くひかれています。チレーアのアリアは経験を積んだ方が歌われる曲ですが、自分なりに今できる一番良いものを表現できたらと思います。」
—せんくらへの抱負を聞かせてください。
「国内外で活躍されている、素晴らしい方々が出演する音楽祭に学生の私が出演させていただくというのは考えてもみなかったことですし、本当にありがたいことでもあります。先生方や先輩方と一緒に頑張って、良いコンサートにしたいと思っています。」
以上、研究生それぞれの熱い思いを聞くことができました。3日間続いた「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」のシリーズはこれにて終了とさせていただきます。ご愛読いただき、ありがとうございました。
本番は10月2日。宮城学院女子大学音楽科の教授陣と研究生達のコラボレーションを聴きに、当日はぜひエル・パーク仙台までいらしてください!
「せんくら」ブログ読者の皆様、こんにちは!
宮城学院女子大学音楽科長の太田峰夫です。
10月2日に開催されるコンサート「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」についてのブログ、2日目の本日は音楽科を簡単に紹介した後、声楽の井坂惠先生にご登場いただきます!
まずは宮城学院女子大学音楽科について、少しだけ書かせていただきます。
1886(明治19)年9月に始まった「宮城女学校」は当初、予科(現在の中学校に相当)と本科(現在の高等学校に相当)からなっておりました。米国カンザス州出身のケート・I・ハンセンKate I.Hansen先生(1879~1968)の尽力により、5年制の音楽専攻科が設置されたのが1916年、今から100年前のことです。以来、女子大学音楽科の時代に至るまで、先生は学科の充実に精魂を傾けてこられました。
ハンセン先生は、日本人に西洋の音階を訓練するためにソルフェージュを授業に取り入れるなど、東北地方の音楽教育に大きく貢献されました。音楽教育への厳しい態度とキリスト教精神に貫かれた教えに、多くの教え子達が強く感化されたと言います。
今でも宮城学院では、ハンセン先生の足跡をいろいろな場所で偲ぶことができます。「宮城女学校(現在の宮城学院)」の校歌の歌詞は土井晩翠(1915年〜1924年 宮城女学校専攻科教授)によるものですが、ハンセン先生が作曲をしています。礼拝堂のカリヨンが定刻に奏でるメロディの中にもハンセン先生が作った讃美歌が入っていますし、桜ヶ丘キャンパスの音楽館ホールはハンセン記念ホールと名付けられ、大切な学びの拠点となっています。
1992年の文化系設置、2016年の3コース(声楽コース・器楽コース・作曲コース)制導入など、音楽科の構成はそれぞれの時代の状況に応じて少しずつ変わってきましたが、本格的な音楽教育を志向する姿勢はハンセン先生の時代から連綿と受け継がれています。本日は音楽科准教授であり、二期会のメッツォ・ソプラノ歌手でもある井坂惠先生に現在の音楽科と今回のコンサートについて、少しお話をうかがってみることにしましょう・・・
—先生が宮城学院で声楽を教えられるようになってから、3年が経ちました。大学の印象はいかがでしょうか。
「小規模の大学である分、学科が違っていても(学生や先生の)顔が見える場所ですね。働いていて安心感があります。」
—音楽科の学生はいかがでしょう。
「非常に真面目という印象です。いいものをたくさん持っているのに謙虚というか、奥ゆかしくて、そのことにまず一番驚きました。なかなか出会えないようなすごい声を持った学生もいます。彼女達がこれからどうなっていくんだろうと考えながら、毎日を過ごしています。」
—今回はヴォルフの歌曲を歌われます。
「学生時代にはオペラのことばかり考えていました。でも、大事なオペラの役柄をキープする一方で、ある時から歌曲を歌うことが楽しくなってきました。」
—ヴォルフの歌曲の魅力はどのあたりにあるのでしょう?
「ひとくちに歌曲と言っても、いろいろなものがあります。同じゲーテの「君よ知るや南の国」でも、作曲家が違えば、全然違う音楽になります。シューベルトやシューマンも同じ歌詞に曲をつけていますが、ヴォルフのものは最初、なにがなんだか分かりませんでした。でも、やればやるほど深くて・・・スルメみたいに(笑)味が出てくるというか。狂った感じになったり、平常に戻ったり、そういうミニョンの感じがヴォルフのものだとよく出ていると思います。」
—今回は及川先生が伴奏をなさいます。
「普段は穏やかで暖かい方なんですけど、演奏の時の集中力や、エネルギーの凝縮された感じが素晴らしい。ヴォルフの歌曲にはピアノが重要な役割を果たすところが多いですから、ご一緒できるのは本当にありがたいし、怖いなあとも思います(笑)。」
—コンサートの抱負をお聞かせください。
「今回は私も学生達も及川先生と共演させていただくわけですが、一緒に出演するということは同じ土俵の上に立つことでもあります。先生と学生で一緒に一つの演奏会を作り上げていけたらいいし、そういう意味では、チームワークはいいんじゃないかと思っています。《コジ・ファン・トゥッテ》では私が妹役だったりしますけど(笑)、お姉さん役もしっかり歌ってくれるでしょうから、存分に楽しんでいただければと思います!」
以上、音楽科について井坂惠先生に語っていただきました。本番は10月2日。先生の歌声を聴きにぜひ当日はエル・パーク仙台までいらしてください!
「せんくら」ブログ読者の皆様、はじめまして。
宮城学院女子大学音楽科長の太田峰夫と申します。
本日からの3日間、宮城学院女子大学や音楽科のこと、それに10月2日に開催されるコンサート「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」について書かせていただくことになりましたので、よろしくお願いいたします!
さて、私達が「せんくら」に出演するのは初めてですので、第1日目の本日は、宮城学院について簡単に紹介した後、及川先生にご挨拶していただこうと思います。
まずは宮城学院について。
アメリカ合衆国改革派教会宣教師と押川方義をはじめとする日本人キリスト者達の尽力により、「宮城女学校(後の宮城学院)」が仙台の地に産声をあげたのは今から130年前の、1886年のことでした。初代校長のE.R.プールボーはペンシルヴァニア州出身の若い女性でした。
女子のための高等教育機関がほとんどなかった時代、キリスト教教育に基づく女子教育を行う学校として始まった「宮城女学校」はやがて広い校地を取得し、生徒数を増やしていきました。昔の仙台をご存知の方のなかには、東三番丁の旧校舎を覚えていらっしゃる方もおられるかもしれません。
1980(昭和55)年、一層豊かな教育環境を求めて、宮城学院は東三番丁キャンパスから、現在の桜ヶ丘キャンパスへ総合移転しました。そして創立130周年を迎えた今日に至るまで、幼稚園、中学校・高等学校、大学・大学院を持つ東北最大の女子教育機関として、スクールモットー「神を畏れ、隣人を愛する」のもと、数多くの卒業生を世に送りつづけています。
この宮城学院の音楽科で教鞭をとられているのが、ピアニストの及川浩治先生です。大学音楽科の特任教授であり、コンサートのナビゲーターでもある及川先生にここでお話をうかがうことにいたしましょう・・・
—まずは今回の企画(「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」)について、着想に至った経緯をお聞かせください。
「具体的なことはともかく、何年も前からせんくらで学生達と共演できたらいいなと思っていました。(宮城学院女子大学音楽科は)東北唯一の(4年制大学の)音楽科だし、学生からすれば、ステージの上でしか学べないこともある。自分としても若い人たちとコラボすることはとても楽しいですし、聴きにいらした方にとっても面白いものになるんじゃないかと思っていました。」
—今回は歌曲の伴奏もなさいますね。
「学生時代、歌の伴奏はたくさんやっていました。実はテノール歌手にすごく憧れていたんです(笑)!プロになってからは歌を伴奏する機会はずいぶん減りましたけど、歌は音楽の基本だと思っています。井坂先生のお声も、歌い方もすごく尊敬しているので、楽しみにしています!」
—連弾もなさいます。
「デュオは子供の頃からずっと身近なところにありました。日本で教えていただいた児玉(邦夫・幸子)先生も、ブルガリアのガネフ先生もデュオを専門にやっていらっしゃったので、レッスンではたくさん勉強しました。標準語の表現にあったらいいと思うんですけど、連弾って「いづい」*んです。何しろいつもと違うところに座らなくちゃいけないので(笑)。いづいんだけど、息があった時の喜びは大きい。名曲が多いので、聴きに来られた方々にも、楽しんでいただけるのではと思っています。」
—宮城学院の学生達はいかがでしょうか。
「自分が学生だった時と比較すると、いい意味で真面目だと思います。最近、自分が学んできたことを(次の世代に)伝えていくことも演奏家の一つの役割だと感じるんですが、彼女達が僕の言うことを素直に受け取ってくれるのは驚きでしたね。僕の方でも、学生に分かるように説明する中で頭が整理されてきたところがあります。教えつつ、学ばせてもらっている感じです。とはいえ、ピアノの前に座れば、先生も学生もありません。今回のコンサートも、半世紀ばかり年をとった演奏家と若い演奏家とのコラボレーションのように考えていただければと思います。音楽のすばらしさを皆さんと一緒に感じられるような、特別な時間を作れたらいい。そう願っています。」
本番は10月2日。先生の熱い演奏を聴きにぜひ当日はエル・パーク仙台までいらしてください!
*「いづい」・・・仙台弁で「しっくりこない」こと。
とうとう最終日になってしましました。
私は普段ブログはやりませんが、これを機に始めてみようかな(^^)/
こうやって普段思う事を文章にすることは、とても楽しいですね。
唐突ですが今年6月に第一子を授かりました!
未だに父親の実感がないぐらいほやほやです💦
出産に立ち会った際、生まれてすぐの泣き声は一生忘れることはないでしょう。
今思えば、妻が身ごもってからずっと心配していました。
無事、元気な子が生まれるだろうか?と。
いざ産まれてからは、元気に育つだろうか?
病気にはならないだろうか?
びっくりすることに、将来友達はできるだろうか?に至るまで。
子どもの事はずっと心配です。
親とはそういうものなのでしょう。
自分もそして妻も、人間皆そう思われているはずです。
人は必ず誰かに思い思われているはずなのに、そのことが感じられない人々が、世界の平和を壊しているように思います。
とても残念なことです。
はたして我が子が生きる未来の世界は平和なのでしょうか・・・
このままでは未来の子供たちがかわいそう、平和な時代を残してあげたい。
最近、本当にそう思うようになりました。
そのために、今私たちにできること、自分が未来のためにできること、それぞれがしっかりと責任をもって担うべきですね。
私達演奏家が出来ることは、音楽に対して真摯に向き合う事。
その姿勢は必ずお客様に伝わります。
お客様が音楽を聞いて、心が豊かになれば、それが広がれば・・・大げさかもしれませんが平和に近づくのではないでしょうか。それが演奏家の使命です!
現在、私が演奏を出来ているという事はまだ日本は平和なのでしょう。
大げさなことはさておいて、ぜひ心のリフレッシュに会場にお越しください。
あっそうそう、前回書きましたが、実は私のリサイタルの日(10月1日)、
偶然にも私の35回目の誕生日です。
なんだか仙台に運命を感じる今日この頃です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは会場でお会いしましょう!!
さて予告通り私の変な!?経歴をご紹介いたします。
私は34歳です(7月30日現在)←次回のブログでもう一つとっておきの情報をお届けいたします!!
なぜ私が歌手になろうと思ったか。
正直子供のころ全く歌手には興味はございませんでした。
私の夢はプロバスケットボールの選手でした。
高校のバスケ部の顧問であった父の影響で3歳ごろから体育館で過ごし、
中学では迷わずバスケ部に入部しました。
自分で言うのもなんですがまあまあ活躍していました。
千葉県代表で全国大会にも出場しましたし、アメリカ遠征もしました。
もちろん高校もバスケットボールで入学しました。(勉強は・・・)
東海大学付属の高校で3年間寮に入り、親元を離れまさにバスケット漬けの生活でした。
3年次はキャプテンを務め本気でインターハイ目指し汗を流していました。
しかし、残念ながらインターハイ出場を逃し、夢破れました。
そこで進路を考えることに。
両親の影響もあり、中学校の教師になり、バスケ部の顧問になる!という夢を持ちました。
ただ机で勉強することが苦手だった私は、何か実技で大学に行けないものかと考えました。(高校受験みたいに笑)
もちろん体育の教師も考えましたが、父が体育科だったので違う教科をと。
そこで音楽という選択をしました。
今考えれば無謀ですね。なぜなら音楽大学に進学しなければなりません。
当時は音大受験の仕方すら知りませんでした💦
ただ若い時の好奇心はすごいもので、受験の仕方、そして音大の受験勉強(色々特別な教科があります・・もちろん実技も)を必死で勉強し、奇跡的に現役で合格しました。
大学時代ももちろん先生になるつもりで過ごし、教員免許を取得したのですが・・・
なんだかもう少し声楽を勉強したくなり、続けようと思ってしまいました。
勉強しているうちにオペラ歌手になってしまったというわけです。
人の人生は本当にわかりません。なにが仕事になるか。
もしインターハイに行けていたら!?・・・・・・・
今の私はなかったでしょう。
皮肉なことに、今年9月に日本でプロのバスケットボールリーグ、Bリーグが開幕します。
Bリーグで私の仲間でライバルだった鵜沢潤選手(名古屋ダイヤモンド)は現役として、佐藤博紀さんは千葉ジェッツの監督になられました。
夢を叶えた仲間たちを羨ましく思いますが、私はまた新たな夢に向かって頑張っています。
未だに夢に向かえる人生を送れることが、私にとって一番の喜びです。
なぜなら音楽家はとてつもなく難しい課題を、一生かけて勉強するのですから。
体育会系オペラ歌手!こんなこともあるのです。
それではまた次回!
みなさん初めまして!
今回初めて「せんくら」に参加します、テノールの西村悟(さとしと読みます💦)です。
今日から3日間ブログを書かせて頂きます。
「せんくら」に参加するのは初めてです。しかし仙台へは本当によく訪れました。
というのも私の父は仙台市青葉区中江出身です。
ずっと祖父母もいましたし、叔母も仙台でしたから幼少時は毎年夏冬と訪れたものでした。
ずんだ餅や七夕、秋保温泉までもが青葉区(青葉区広いんです・・・)だという事まで知っています(笑)
今はお仕事で訪れることが多いため、緊張感と節制とで、正直あまり仙台を堪能できていないのです。本当は2,3日仕事なしで滞在したいものですね・・・
そんな緊張感を解くのが本番終了後、帰京するまでの束の間の時間です。
そこでは楽しみのお酒タイムです。存分に楽しみます(^^)/
仙台でお酒の友といえば笹かまぼこです。
チーズ、サラミ、しそ等々さまざまな味が売られていますが、やはり一番はプレーンでしょう。
沢山のメーカーがありますが、私にはお決まりの店があるのです。(店名は控えます)
そこで家族にお土産を買いつつ新幹線で食べる分も購入、
大宮で下車するので、ほんの1時間30至福の時間を堪能します。
杜の都仙台、私にとっては懐かしい場所ですし、思い出も沢山あります。
そんな仙台でクラシックのお祭に、参加できるということは感無量です。
ぜひみなさん、「仙台にさとし君が帰って来たよ〜」くらいの気持ちで会場に足を運んでください。思い出と感謝を歌に込めてお届けします。
次回は私の変な経歴をご紹介いたします。
お楽しみに!!
コンチェルトはまさしく「大冒険」ですが、ソロリサイタルの時とも全く違う感覚になります。
舞台袖でコンサートマスターのチューニングのAの音が聴こえると、毎回必ず「ぶるっ」となるのですが、舞台に立つとソロリサイタルの時のような孤独ではなく、素晴らしい仲間との共演の喜びの方が勝ります。
いざ始まるとその緊張も吹っ飛び、そしてまた
ピアノ協奏曲は名曲の宝庫なので、オーケストラが音楽を奏で始めると感動さえしてしまいます。
今年のせんくらでは協奏曲は演奏しませんが、一昨年、仙台フィルとシューマンのピアノ協奏曲を演奏させていただき、今年もまた9月に巨匠小泉和裕氏との共演でブラームスのピアノ協奏曲の2番を演奏させていただくことになっており、大変名誉で光栄なことと思い、大変楽しみにしています。
コンチェルトといえば、実はチャイコフスキーのライブCDも今年発売になります!
こんな感じでピアノの事ばかり書きましたブログでしたが、
不慣れなもので、どうかお許しください。
皆様と会場でお会いできることを楽しみに、日々練習を続けます!
ぜひご来場下さい!
ソロリサイタルの時と違い室内楽を演奏する時、特にデュオの場合、それは全く感覚が変わります。
「大冒険」=特別編とでも言いましょうか。
室内楽の時は、デュオ、トリオ、四重奏、五重奏、とアンサンブルが増えて人が増えていけばいくほど、ピアノが包み込んでいけるような包容力のあるような音楽を理想としたいと思っています。
それぞれの楽器が生きるように、そしてピアノは全てを包み込み、まるでオーケストラを奏でるように、そんな形が私の究極の理想です。
妻の鈴木理恵子とは長年デュオを組んでいますが、ソロリサイタルの時同様、いつも緻密にしつこく、時間をかけて作り上げていきます。
ただ本番になると、ソロの時よりも相手がいることによって、自我に対する意識から客観的に音楽をする、という意識が更に強くなるようで、勝手に自分の中のチャンネルが切り替わるような気がしています。
実はそれをいつもソロの時にも取り入れたいと、願っている次第であります。
写真は今年7月末のレコーディング風景。モーツアルトのヴァイオリンソナタ第2集が9月に発売になりますので、ぜひ聴いて下さい!
この度、6年振りに「せんくら」に出演させていただきます、若林顕です。
この素晴らしいフェスティヴァルに再び出演させていただくことができ、大変嬉しく光栄に思っています。
今日はブログ初日という事で、何を書こうかと考えましたが、自分はピアノ馬鹿なので、「ピアノ」のことを書こうと思います。
「大冒険」というと、皆様は「なんだろう?」と思われることと思いますが、「大冒険」とは、私の演奏活動全般のこと。リサイタル、コンチェルト、室内楽、全てコンサートの時は、いつもまるで大冒険に出かけていくような気持ちで舞台に上がりますので、コンサートは全て、私にとってはすなわち「大冒険」なのです。
その1~リサイタル
今年1月に、サントリーホール大ホールで再びリサイタルをしましたが、リサイタルで舞台に出ていく直前は、いつもとにかく「孤独」です。舞台裏は、オーケストラとの共演とは対照的に「シーン」として静寂そのもの。背筋が「ぶるっ」と寒気さえ走ります。
そんな極限緊張状態の中でいかに自分の意識を保ち、いかにベストを尽くせるか、が勝負です。そのために朝から晩まで研究し準備をしますが、舞台に出ていく瞬間は、まさに「大冒険」への船出の瞬間なのです。舞台に上がってからは、様々な瞬間が訪れます。一瞬の恐怖を始め、どんな障害物が来ようとも、日々の努力によって乗り越えていくしかありません・・。
「リサイタル」で私が一番理想とすることは、ピアノを一人で演奏しているのではなく、まるでピアノではない楽器、または何人かの人が演奏しているように聴こえるような音楽を奏でることですが、楽譜を隅から隅までくまなく、絶えず読み込み、探究する、それのみが大冒険を乗り越えられる唯一の武器、そして自分の理想に少しでも近づくことができる唯一の道。
それを信じて地味な努力、細かいことの積み重ねを続けるのみの毎日です。
この度、せんくら ではベートーヴェンとショパンを担当させていただきます。
ベートーヴェンのピアノソナタ第22番と第23番「熱情」。そしてガラコンサートではショパンの即興曲1番と4番「幻想即興曲」を、演奏させていただきます。全力投球あるのみ。
ぜひ皆様にご来場いただけましたら嬉しいです。
そして今日も、準備のために悩みながら練習を続けています・・。
仙台市内の僕の好きな場所です、小さい頃よく親に連れてきてもらいました。
よく行っていたのはもう20年も前のことですが、ふと懐かしく思い、記憶を辿って地元をふらふらする事があります。
やはり育った場所というのは本当に特別なものですね。
夏の仙台は北海道より涼しい日があるくらい過ごしやすく穏やかな街です。
自然もたくさんあるので散歩するだけでも気持ちがいいですね。
せんくら、次のコンサートまで時間が空いたなーという方はぜひ街ブラしてみて下さい。
きっとたくさんの癒しポイントが見つかりますよ!