新モノオペラ~人情歌物語「松とお秋」
永年オペラを歌ってきたが、今月と来月に東京都内で上演する人情歌物語「松とお秋」は、自分で自分を演出して端役を除き9役をひとりで歌い語るという「モノオペラ」。真冬の物語「松」では雪が降るが、僕は舞台前方で演技しているから、後方で降る雪の様子は見えないからコントロールしようがない。
「お秋」は真夏の物語。蛍が飛び交う沼は後方に紗幕ででるから、これも前で歌う僕には全く見えない。誰にも文句は言えない。セットを考え歌う場所を決めたのも僕なのだから!
オペラは高価だ。1枚5万円もする外来オペラの券を買う一部のフアンはいつも同じごく限られた人々。だから大衆のものにはならない。高価なのは制作に金がかかるからで、それを補うために殆どのオペラ団は出演者が売る券代をあてにする。ということは出演者が多ければ多いほど主催者にとってはいいのだ。だからモノオペラは殆ど我が国では上演されない。
敢えてモノオペラを創作したのはそういう理由が非常に大きい。僕とクラリネットとピアノの3名だけ。出演料、大小道具や照明の人件費、道具費用を入れても、首都圏なら110万円と、通常のオペラ公演の小道具代ほどで賄えるのだ。
底辺に生きる周五郎の原作から大中恩が和魂洋才で作曲したモノオペラ。
6月28日(土)13:15開演(ルネ小平)、7月6日(日)13:45開演(江東区文化センター)
お問い合わせは 048-837-7056 NPOみんなのオペラ事務局まで。
面白く安いモノオペラを是非ご高評下さい。
【シェルブールの雨傘】
日常生活において、ふとしたことから予期せぬ展開、例えば知らない路地に迷い込んでしまったりすることがある。でも、もしそこには美しい花が咲き、可愛い猫がくつろぎ、いかにも美味しそうな小さなパン屋があったとしたら・・・私だったらまず猫に声をかけ、花をデジカメに収め、ちょっとドキドキしながらパン屋を覗き、まだ自分が一度も口にしたことがないパンを手に取るかもしれない。それが予想以上に美味しかったら、自分の味覚に新発見を見出し、翌日からの朝食風景に小さな変化が生まれるかもしれない。
ある日、『シェルブールの雨傘』の楽譜が送られてきた。尊敬する佐渡裕氏との共演なので、「えぇ~?映画音楽?」とは言わず、真面目に練習を始めた。
すると序奏からして、すでにゾクゾク感が伝わってくるではないか?その叙情溢れる美しいメロディーと切ない響きに私はすっかり酔いしれ、時間の経つのも忘れて弾き続けていた。それはうっかり迷い込んだ路地があまりに美しく、そこから出られなくなったような体験だった。
私のレパートリーには今までなかった映画音楽から、これほどまで心動かされたことは大きな驚きであり、自分がどれほど自分の好みを知らないかを、それは教えてくれた・・・
この写真は、ノルウェーの古都ベルゲンで撮ったものだが、こんな異国の路地に迷い込んで何故か出られなくなってしまう・・・そんな情景をテーマに、今回はソロ・プログラムを構成しました。お聴きいただけたらほんとうに嬉しいです。
55番:10/12(日)10:45-11:30 仙台市青年文化センター/D.交流ホール
田中徹二さんは全盲。日本点字図書館・理事長で、このほどNHK放送文化賞を受賞した。俳優の渡哲也、藤村志穂などと一緒に、永年の盲人向け放送への貢献を表彰されたものである。その偉業を讃えて、一昨日、東京、ホテル・グランドヒル市谷で160名の人々が集まりパーテイが開かれた。僕は同点字図書館の理事の一人で、同図書館の為に資金を集めるチャリテイコンサートでアーテイストの選定などのお手伝いをしている。田中さんは早稲田の理工学部学生で図面を引いていたが、視力を失い文学部に入りなおした。僕は彼がまだかすかに視力を持っていた頃から知っている。
全員着席の宴は1万円の会費でフルコースのフランス料理が供されたのだが、それは、目の不自由な方々にはビュフェースタイルは駄目なのだそうだからで、このホテルが最もそういうパーテイに慣れているのだそうだ。新しい皿が目の前に供される毎に、サービスの人は丁寧に耳元で、料理の説明を一人ひとりにくどく繰り返す。晴眼者には必要ない説明である。例えばフィレステーキに付く温野菜類は一括して、柄がついていて取りやすい小分けの鉄製鍋に入り、同一皿の上に並ぶ。小皿でなく鉄鍋なのは柄が付けてあり取りやすく、万一落としても破損し怪我などしない為だろう。
僕は田中さんたち盲界の人たちと付き合い、色々と勉強をした。田中さんという人がそうなのだろうと思ったら、実は盲人は皆、謙遜だった。そして、このホテルのように世間には、そういう人々の為に便宜を計らうすべを知っている人がいるのだ。聾界の人々にもこのホテルは対応するすべを知っているのかもしれない。駅のホームにも盲人向けに黄色い点線が引かれている。ファミリーレストランにも点字のメニューがある。缶ビールにも点字で印があり何々ビールであること、そして開け口が解るようになっている。
本間一夫という人が日本点字図書館を盲人の為に私財を投げ打って開設した。僕たちがやっているチャリテイコンサートは本間一夫記念と銘打っていることで解るように、本間先生は盲界の先進的偉人である。そして本間先生が田中さんを後継者に指名した。本間先生、田中さんたちのお陰で世間にはバリアフリーの思想が広まったのである!
私は小さい頃から美しい風景を眺めることが何よりも好きでした。
なんだか年寄りじみた子供と思われるでしょうが、人混みと騒音が苦手で、満員電車やデパートの特売場などはまさに悪夢でした。お友達と一緒に町へ出掛け、買物や食事をして遊ぶこともたまにはありましたが、そういう時間からエネルギーを得ることはまず不可能でありました。ですから13歳の春に単身ドイツを訪れ、シュワルツワルトの深い森に囲まれたメルヘンのような小さな街トロッシンゲンを見た瞬間、無条件に魅了されてしまったのです。
だからといって大学の定年まではまだまだ…、「風景との対話」だけを生活のテーマに出来るほど時間もお金もないのですが、はっとさせられる風景に出会うと、その余韻はいつまでも心に残り、直接ではありませんが演奏上でもインスピレーションやアイデアとして、少しばかり良い効果があるようです。
大好きな作曲家の一人E.グリークが22年間、亡くなるまで住んでいたトロルドハウゲンの家は大きな湖のほとりにあります。グリークは「私はこの地球上にパラダイスを見つけた」と言ってこの地を愛したそうです。 昨年11月ちょうど日没の頃、アンドレ・ワッツ、夫シェンクと一緒にここを訪れましたが、空と雲と水と森がほとんど同系色となって静寂の中に横たわっている、それは現実から遠く離れた不思議な空間であり、いつまでも忘れられない美しい風景でした。
Ready’s Cut 3200円。――我が家の近くの調髪店の入り口の立て看板にチョークでこう書いてある。その下に、新規調髪 Rady’s Cut 20%Off。とある。
その店にはReady かRadyという調髪師がいるのですかね?!? もしそうだとしても、そんな人名は特記するには値しないから、このへんてこな英文は、ほぼ間違いなくLady’s Cut と書きたかったのだろうが、なら、女性が調髪してくれるのですかね!?!いや、本当は、女性客の調髪は3200円、と日本語で書くべきだったのではないですか?
昔、高知でのこと。飲み屋の名前が Luna Losso となっていた。固有名詞だからどう名付けようとかまわないのだが、Luna Rossa にしないと横文字系の客は大笑いする!――でも赤い==rossa、月==lunaを僕はまだ見たことがないけど!
尤も、僕もその昔、ローマで大笑いされたことがある。足にマニキュアをした女を見たぜ、と言ったときのことだった。どんなにいかれた子でも、今も昔も、足にはペデイキュアしかしない。マーニ=手の複数形。ペーデイ=足の複数形。つまり、目が痔になった、と同じようなことを言ってしまったのだった!!
同胞のことは笑えない!
私は、ドイツ・エッセン市にあるフォルクワング音楽大学でアコーディオンを教えています。
平均でいつも10人くらいを教えていますが、国籍は現在セルビア、ロシア、フィンランド、ブルガリア、日本、オーストリア、ドイツ、ルクセンブルグの8カ国で、年齢は19~29歳、男女の割合はまあ半々といったところです。音楽大学の本科は個人レッスンですから、毎週一人一人を60分~120分教えるわけですが、私の生徒には2人として似たタイプがいません。性格のみならず個性、習慣、趣味、演奏スタイル、どれをとっても皆さん全く異なります。これは長年教えてきて感じることなのですが、「アコーディオン奏者になろう!」なんてことを考え付く時点で、すでに世の中の平均から離れ、どこかずれているのでしょうか。
私から見ると実にバラバラ・タイプの集団ですが、不思議なことにクラスはそれなりにまとまっていて、もちろんライバル意識はあるでしょうが、他の楽器のクラスに比べると横の繋がりは強いように感じます。この写真は、昨年12月に行われた「慣例クリスマス・コンサート」その打ち上げ会のスナップです。尚、どのグラスも空になっていますが、この10人には一つだけ共通点があります。それは「お酒が非常に強い」ということであります。
年に一度の同期会が一昨日、熱海で開かれた。早大29年卒のグリークラブの仲間が8名、皆妻同伴で都内のホテルに集まった。このホテルの元社長、岡君がメンバーの一人である。今年は彼が幹事だ。僕は商売だから当然だが、彼らは今でも男声合唱を続けている。だからかどうかは知らないが、後期高齢者たちにしては――嫌な言葉だ――かくしゃくたるものである。熱海を知り尽くした岡の案内で、僕は「お宮と寛一」しか知らなかった熱海の名所をつぎつぎと見ることができた。
アカオ・ハーブ&ローズガーデンは、春と秋がシーズンのバラを中心として、ローズマリーやミント、レモングラスなどなどのハーブに覆われ、馥郁たる香りが、東京ドームの15倍とかいう、海を見下ろす山の斜面を利用した花園に満ち満ちていた。ギリシャ扇形劇場風の屋外結婚式場もある。ローズハウスというバラの蜜をお茶やアイスクリームと楽しむ茶屋もある。戸外では咲き乱れる薔薇に蜜を求めて蜂が寄ってくる。 蜂は蜜を感じて花弁に集まるのです、と案内人が教えてくれる。
ではあの美しい花びらは、蜂にとっては必要ではないではないか。蜂は花弁の種を別の期に運んで交配を媒介する役を担っているが、それは意識的にではなく、万物の生命が枯れないように司る、天の配剤の結果として無意識におこなっているのだろう。しかし、美しい薔薇は人間の感性に訴えて我々を喜ばせてくれる。じゃ、蜂にも人間と同じく美を感じる感覚はあるのだろうか?――
知っている方は教えてください!――。
生命の起源はたった一つの細胞だったそうな。だとすると、昆虫だろうと、爬虫類だろうと、哺乳類だろうと、ひとしく、生きとし生きるものは、美しいものに集まる本能をもっているのかも知れない。だとすると、美しいものを鑑賞しない人間は、生き物の生き方に反しているのではないか!
先進国といわれているこの日本で、音楽会にも、展覧会にも、美術館にも、一度も足を運ばないで、―――運べないのではない―――、一生を終わる人がいることを僕は思いだして、案内の人が教えてくれたように、咲き競う幾種類ものバラの花びらに鼻を当てて、微妙な香りの違いを楽しんだのである。
長いこと外国に住んでいる日本人は、ほとんど例外なく日本食が大好きだと思います。私の場合は外国生活がこの秋で36年になりますが、日本食に勝る食文化は他にないと信じて疑いません。幸いデュッセルドルフにいることが多いので、日本食に困ることはないのですが、ちょっと疲れたとき、食欲のないときなど、「お刺身、焼き魚、酢の物、山菜、白いピカピカのご飯…」などを思い浮かべるだけで空腹感が体内に生まれてきます。また心の通った友人達と楽しい夕食会をしたいと思うとき、まず候補に挙がるのが「日本食レストラン」であります。そして不思議というか嬉しいというか、最近では外国人でも”日本食がベスト”と信じている人が年々増えはじめ、ドイツ人の夫など、食卓にお箸が置かれているだけで「今日は日本食?」と満面の笑みを浮かべます。
仙台には美味しいものがたーくさんあります。 今回は夫も一緒なので「仙台に行ったら何を食べようか、何を飲もうか…」と今からその日を楽しみに心待ちにしています!
新国際版「マダマ バタフライ」世界プレミア、2009年日伊両国公演。
プッチーニフェステイヴァル財団とNPOみんなのオペラの共同公演だが、我々NPOの負担は1億5000万円。イタリア側とは、指揮者と、ピンカートン/テナー、シャープレス/バリトン、ケート/ソプラノの3役の全6回のギャラ、東京とトーレ・デル・ラーゴ(プッチーニフェステイヴァルの公演会場)での約1ヶ月ずつの稽古と公演のための滞在費、それに日伊間の国際航空費用、東京に於ける5日間のオーデイションのイタリア側4名の審査員の全費用、トーレ・デル・ラーゴの会場、稽古場、オーケストラ、合唱団、舞台などの裏方の全費用の負担、というのが我々の合意内容だった。米人3役のダブルキャスト6名はイタリア側が向こうで選考して来日し、あとの全日本人役は全て国際公募オーデイションで、東京で日伊合計8名の審査員で選出。東京オーチャードホールでの公開総練習2回と本公演2回でイタリア公演の為のシングルキャストを選び、イタリアで4回の公演をおこなうのである。1億5000万円には総勢46名のギャラ、渡航費、滞在費、大小道具を入れた衣裳の4トンコンテナー2台のカーゴ代である。イタリア側の負担が少ないじゃないか、という話題はここではよそう。向こうはオペラ宗主国で、プッチーニオペラの世界の中心。そこで上演するだけで大変な名誉なのだ。
オペラの資金集めは初めての体験である。これまではお金をもらって歌うだけだった。それも10万、100万ではない。1億5000万という見たこともない大金。それは大企業のトップにお願いするしかない。お願いの武器は、世界初の日本誤認訂正をしての上演。こういう日本にとって又とはないチャンスだから、誰かが必ず意気に感じで出してくれるだろう。これが我々チームの計算だった。チームとは、愛知和男・衆議院議員、元・防衛庁/環境庁長官。愛知先生は国会コーラスでお知り合いになった。僕はこの合唱団の指揮者だ。先生にはNPOの特別顧問になっていただいた。そして鷲尾悦也・NPOみんなのオペラ理事長。それに博報堂の泊・常務、白川・宣伝部長、大野・宣伝部員。
彼ら影響力の或る方々が味方についてくれねば、一歌うたいには不可能な仕事だ。そしてすぐに企業訪問が始まった。オペラ歌手は夜遅くまで歌いそれから食事をして寝るわけだから朝に弱い。僕が起きるのは朝9時である。企業のトップとのアポは朝9時頃が多い。眠い目をこすって愛知先生たちのお供をして、僕は「マダム バタフライ」の原作の間違いを説明し、この上演が、オペラだけでなく文化を輸入ばかりしてきて、経済大国のイメージばかりが強い日本の文化度を世界に示す絶好のチャンスであることを力説し、援助をお願いする。大阪にも2度行った。どなたも親切に耳を傾けてくれた。しかし金はなかなか出ない。意義は認めても、金を出すにはその見返りがいるのであろう。どなたも自分のポケットマネーではない、会社の金なのだ。目に見える見返りがなければ、出す理由の説明が部下につかないのではないのだろう。
東京公演は来年5月。オーチャードホールは好意で4日間をあけて待っていてくれる。どうしても3月末までには公演をやるかやらないかを決定せねばならない。チームの方々の顔色は、日が進むにしたがい曇っていった。幾つかの申し出はあったが、1.5億には遠く及ばない。慣れない金集めにくたくたに僕はなった。体力が続かないのではない。金集めには特殊の能力がいるようで、それが僕には生まれつき備わっていない、ということが解るにつれ、精神的に参ってきたのである。食事もろくろく喉に通らなくなった。そして4月1日のチームの会議で、皆は涙を飲んで、来年のプロジェクトの延期を決めざるを得なくなったのである!
大きな空と白い雲、そして広い地平線がわたしは大好きです。
この風景は自宅近くの散歩道なのですが、ここに2本の木があります。右のそれは幹から大枝、小枝まで緻密かつ左右均等に育ち、まっすぐ空に向かって元気に伸びています。しかし左側の木は(きっと同年齢&同種と思うのですが)、右の木に寄りかかりながら枝も少なく不揃いで、なんとなく「一人では生きていけない」といった印象を与えます。しかしこの体力・体質・キャラクターの違いが、なぜかバランスのとれたひとつのハーモニーをつくっているように私には思えるのです。もしここで左の木も右同様に枝ぶりよく、まっすぐ垂直に伸びていたら2本の木はそれぞれに孤立してしまい、白い雲にも、広い草原にも、大きな青空にも馴
染まず、地平線ですら単なる一本の背景線としてのみうつるのではないでしょうか。
「デュオ」とは「2つ」という意味ですが、この2本の木に実に似たデュオが身近に存在します。もし次のコンサート→:(88番:10/13(月)13:00-13:45仙台市青年文化センター/D.交流ホール)にいらしていただけたら、そんなデュオを聴いていただけると思い、今日はこの写真を記載させていただきました。