生きていく上で、想像力ってとても大切ですね。
あのホールどのように響くかな。あの人どんな人なんだろう。。
この魚なに考えて泳いでるんだろう等々、次のステップの潤滑油になりますね。
たくさんの体験と好奇心が合わさって、その人の想像力が広がって行きます。
家族を連れて江ノ島水族館に行きました。
まるで空中に浮いているようなエイ、大きな魚やペンギンたちを見て、うちのもうすぐ二歳になる子は大興奮でした。
きっと自分も魚になって一緒に泳いでるような想像をしてるのかしら。
そして、こんなときどんな音楽が流れてるんだろう。
子供の頭の中にいろんな音や音楽も、映像と一緒に入ってくるんすよね。
そんな時間に花を想像力を後押ししてあげられるような音楽もたくさん届けてあげたいなって思ってます。
荒川洋(フルート)
つい先日シリア出身の友人に連絡をとりました。
シリアの状況をニュースで目にするたび心が痛んでいたので。
友人いわく家族も無事だし地元に関しては心配いらないとは話していましたが、遠くからみているとそれでも心配になってしまうものです。
戦争、内乱・・そういうものと常に隣り合わせに暮らしていますがどんなときも変わらず穏やかな人柄で、いつもその場に平和をもたらしてくれるような(!)そんな友人。
振り返るとこれまでに、その友人と一緒に行動していると世の中の不条理さについて考えさせられるような出来事がたまたまよく起こりました。
一緒に広島を訪れた際、原爆死没者慰霊碑の前で、“この過ちは二度とくりかえしませんから”という言葉を心に刻んでいたまさにその日に、皮肉にも海の向こうではイラク戦争が勃発したり、たまたまエジプトで入ったカフェテリアのテレビで私達共通の知人である映画監督が、たまたま結婚式に参列する為に訪れたヨルダンでテロに遭い亡くなってしまったというニュースを目の当たりにしたり。
3.11の震災後、気分の落ち込んでいた私を心配してかけてきてくれた電話で慰めの言葉の代わりにその友人が言ったのが
“C’est la vie“
色々な意味をもつこの言葉だけど、あのときほど心の奥に響いた“セラヴィ”はなかったかな。
ゲルティンガー祥子(ピアノ)
暑い夏。
アツイーと言いながらクーラーの中で過ごす毎日。
仕事で仕方が無いとき以外はすご外へ飛び出して、青い空からのエッセンスを取り込みましょう。
先日の神奈川県の稲村ケ崎の写真。
海岸といえば、僕は仙台七ヶ浜がとても好きでした。
震災前、仙台いくと必ずと言っていい程海岸沿いに行き、マリンスポーツを楽しんでました。
6月に行ったときの現地の様子を見て悲しかったですし、稲村ヶ崎にきてもいろんなことを考えます。
でも、心のドアを開けて、あらためて深呼吸。
いる時間を最大利用して、生きるためのエッセンスを取り込みたいと思います。
荒川洋(フルート)
今日は自分のプロフィールの裏側を少し。
これまでの私の住民票の主な移動は
石巻→東京→パリ→ベルリン→ドレスデン→ベルリン→東京
今の所このような感じになっています。
私が初めて留学した当時、10代で日本からヨーロッパへ留学する人の数は現在に比べればまだそんなに多くはなかったため “若くて右も左もわからない国へ一人でいくとは勇気がありましたね” と言われることは度々ありましたが、正直にいいますと、私にとっては、一番勇気をふりしぼったのは15の時石巻から高校進学のため上京し、過ごした東京での3年間でした。
あの時のカルチャーショックの激しさに勝ることはその後なかったと思います(笑)
親から離れ、初めて自分一人だけの視点でみたものというのはやはり印象が強くなるものなのでしょうか。
もちろん国が変わると文化の違いは明らかにあるわけで、何をカルチャーショックとするかですが、ここではあくまで日常生活の視点でと言う意味です。
今思えば田舎育ちの私にとって、全般的にヨーロッパのテンポは、東京のような都会よりは、案外とらえやすいテンポだったのかもしれません。
実際向こうに行ってやはり少し安心感がありました。
15歳から数えるとその倍以上も歳をとった今現在、東京暮らしに再挑戦中!
帰国して東京に住み始めてもう4年は経ちますが、歩いていても、車を運転していても常に若干緊張気味というのは未だ変わらず・・・(笑)
ゲルティンガー祥子(ピアノ)
最近快晴続きで、毎朝ジョギングをするのが日課になってます。
体を動かすことは楽しくて仕方がなくて、ジョギングのほかにも水泳、自転車、ジムとか様々なんですが、やはり天気の良い日は、景色を眺めながら、今日はどのルートにしようか迷いながら、平均5-6キロの道のりを走ります。
自分で動けば動くほどシアワセがまっている。
左に行っても右に行っても。直進しても。
人生赴くままに走って行きたいものです。
せんくらの演奏は、そんな時間の使い方を音楽で感じてもらおうと思って、ただいま吸収中。
荒川洋(フルート)
私の出身地は宮城県の石巻市です。
普段東京で暮らす私はたまたま震災のあった3月11日のあの時間、まさに石巻の街中にいてその後は外部との連絡が途絶えたまま一週間ほど過ごしました。
自分が助かったことに対する違和感を覚えるくらい絶望的な風景や人々の表情は、言葉で説明することは難しく、ただ生涯忘れることの出来ないものとして残っています。
あの時そこにいた人の数だけストーリーがありました。
色々な事を思ったけれど、その中でひとつ小さな驚きが。
それは失った景色を見て記憶が蘇ったことです。
震災によって何もなくなってしまったり変わってしまった場所を目の前にしたとき、ここで地面に座り込んでみんなでスケッチをしたな、とか、ああここであんなことが起こったな、とか・・・
ほんの小さな、すっかり忘れていた幼い頃の思い出が、引き出しの奥の奥からポロポロと見つかったのです。
ものが簡単に失くなってしまうことがあっても、記憶は簡単に失わないと、実感した瞬間でした。
15歳で離れた故郷ですが、年を重ねる毎に帰ることが楽しみになっています。
そして、故郷を思う気持ちとはこういうことなのかなと少しわかったような気がする今日この頃です。
ゲルティンガー祥子(ピアノ)
皆様お元気ですか。
僕は八月生まれなせいか、とても夏が好きで、身も心も完全燃焼している今日この頃ですが、せんくらをとても楽しみにしています。
もう仙台出身の僕としては月に一度行きたいくらいなのですが、日々の演奏や仕事でなかなか仙台にはいくことができません。
せんくらの時間をとても大事にして行きたいと思います。
またみなさんに会えるのを楽しみにしています。
写真:8月18日北海道中標津町総合文化会館「しるべっと」小ホールにて。
PS
ブレーン(株)からフルートトリオ第一番が発売になりました。
よかったら是非チャレンジしてみてください。
http://www.brain-shop.net/shop/g/gENMS-84305/
荒川洋(フルート)
皆様こんにちは、ピアノのゲルティンガー祥子です。
毎年聴衆の一人として楽しみにしていた素晴らしいフェスティバルに、演奏者として出演させて頂けることをとても光栄に思っています!
いまや説明するまでもなく有名になった石巻というところで中学まで生まれ育った私にとって、仙台は幼児期から毎週ピアノのレッスンのために通った思い出の地です。
毎年の発表会が確かクリスマスの時期だったような・・・
上手く弾けなくて帰りの車の中から定禅寺通のイルミネーションが涙でにじんで見えたことが何度もあったような・・・(笑)
大人になって色々な都市を知ってから改めて仙台を訪れると、住みたい街として人気がある理由がよくわかります。
緑が多くて、美味しい食もあって、文化の香りが漂う、とても品のある街・・・
9月29日にはまた久しぶりの仙台、今から楽しみです。
今日から一週間リレーブログ担当させていただきます。
せんくらは初めてになりますのでブログを通して皆様に少しでも私のことを知って頂けたらと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
ゲルティンガー祥子
震災後、生き残った貴重なホールにて行うはずだったその演奏会は、せんくら出演者、ヴァイオリンの西江辰郎さんとチェロの原田哲男さんとの演奏会でした。
消滅してしまったその演奏会を復活させ、今年10月13日(土)開催致します。
<音楽の旅 第八弾 シューマンとブラームスの室内楽>
2012年10月13日(土) 14:30開演
常盤木学園 シュトラウスホール
シューマン:ヴァイオリンソナタ第1番
ブラームス:チェロソナタ第2番
ブラームス:ピアノトリオ第1番
ヴァイオリン:西江辰郎
チェロ:原田哲男
ピアノ:高橋麻子
もしお時間がありましたら・・・。
お問い合わせは takahashiasako@gmail.com までお願い致します。
髙橋麻子(ピアノ)
さて、今回の「せんくら」でフルートの荒川洋さんと演奏するアストル・ピアソラの名作「タンゴの歴史」は、そのタンゴの発展の有様を20世紀初頭から表現した名曲です。
話は1900年、ブエノスアイレスの場末から始まります。
第1楽章の 「Bordel (ボルデル)1900」これは酒場にてと訳されることも多いのですが、実際は売春宿、いかがわしい場所のことです。
世界中の駅や港町には必ずそういう場所が存在しますが、ブエノスアイレスもその例外ではありません。
世界各地から集まる多種多様なお客たちは、好みのお姐さんを待つ間、ちょっとした気晴らしの音楽を求めました。
それが初期のタンゴの在り方です。
大抵はフルートまたはクラリネットがメロディーを担当しギターが伴奏。ここで奏でられたのは、ひたすら明るい楽しい、陽気なお囃子風の音楽でした。
30年後、タンゴはカフェに進出していました。
第2楽章 「カフェ1930」は、一転して甘くメランコリックな旋律。
世界は大きな戦争の流れの中、退廃的な空気に満ちていました。
束の間の出逢い、別れを惜しむ恋人たち、その横で奏でられるヴァイオリンの感傷的なメロディー。
この曲はまさにその時代のセピア色の景色を見事に表しています。
続く、第3楽章は「ナイトクラブ1960」
ここでピアソラというタンゴの革命児が登場します。
アニバル・トロイロの率いる伝統的な楽団を離れ、それまでのキャリアを捨てて作曲家としてデビューしたピアソラはそれまでにあった既製のタンゴを破壊し始めたのです。
2拍子系のリズムに3拍子を持ち込み、組み合わせて5拍子や7拍子のタンゴを生み出しました。
保守的なタンゴファンの抵抗は相当なものだったようです。
この楽章はその新しいタンゴの萌芽を聴くことが出来ます。
そして、第4楽章は「現代のコンサート」
タンゴはストラヴィンスキーやバルトークをはじめとするクラシックの作曲家にも影響を与え、また多くの演奏家~タンゴ弾き以外のあらゆるジャンルの演奏家に受け入れられ演奏される音楽となりました。
ここでの激しいリズムの躍動は、もはや旋律線を感じさせない新たな時代の音楽となっています。
この「タンゴの歴史」は、1982年にベルギーのリエージュ国際ギターフェスティバルの委嘱で作曲、初演されたものです。
日本では2年後の1984年に東京/音楽之友社ホールで
工藤重典さんのフルートで私が演奏しました。
多くの日本人がピアソラの存在を知らない時代に、会場におられた武満徹さんから暖かい声援を頂いたのを今でもはっきり覚えています。
その後30年、世界中で最も多く演奏されるフルートとギターの定番曲になったのは本当に嬉しいことです。
福田進一(ギター)