今日は、田原さえのコーナーです。
あっという間にこんなに時間が経ってしまいましたが(自分でもビックリ!)1987年1月から1990年12月まで、結局4年間もザルツブルグに留学していました。
人口約16万人。オーストリアの小さな田舎町なのに、この美しい風景と(どこを撮ってもまるで絵ハガキのようです!)モーツァルト、そしてカラヤンのおかげで世界的に有名な音楽の街です。
朝から晩まで音楽のことだけを考えていられた幸せな時間…。
その時間を共有した仲間は、私の大切な宝物です。
当時よく一緒に演奏をした彼らとは今でもコンタクトがあり、異国の地でそれぞれの道を行きながらも、何かの時にはエールを送ってくれます。
あの大震災の時もそうでした。
自然の持つもの凄い力の前に、“音楽なんて何の役に立つんだろう”という気持ちになってしまいましたが…その音楽に、いろいろな意味で私は救われました。
たくさんのやさしさに、どうやって“ありがとう”を返せるかなぁ。
どこにいてもどんな時でも、精一杯の想いをこめて音楽に向かいたいと思います。
私事ですが、そんな気持ちをいっぱいに膨らませて、今年の末に、3年ぶりのソロリサイタルをします!
12月9日(日) 14時から、太白区文化センター・楽楽楽ホールで。
東京では、勤務先の昭和音楽大学・ユリホールで。
こちらは12月5日(水) 18:30開演です。
よろしかったらどうぞいらしてくださいね♪
その前に、まずは今月29日、マリンと一緒に皆さんにお目にかかります!
楽しくて、でもちょっとホロッと…懐かしい匂いのする45分になりますように。
田原さえ(ピアノ)
こんにちは!
大変お暑い毎日が続いておりますが、皆様お元気ですか。
今日は私のもう一つのふるさとハンガリーについて少しだけ書いてみたいと思います。
ハンガリー共和国は東ヨーロッパにある小さな国です。
広さ9万3千㎢、人口は約1000万人。
そんなハンガリーですが、かつてはヨーロッパの中でも大変大き力を持った王国でした。
第一次世界大戦の後、国のおよそ9割が他国に奪われてしまい、現在の大きさになってしまいました。
ハンガリー人は元々アジア系騎馬民族の「Hun民族」としてモンゴルあたりから徐々に西へ移動して来たとされています。
人種、文化、宗教、言語、全てが周りの国と違うためヨーロッパの中の島国とも言われてきました。
言語のハンガリー語(正式にはマジャール語)は、独立言語で、不思議と他のヨーロッパの言葉よりも日本語やモンゴル語によく似ています。
一つ面白い例ですが、ハンガリーでも人の名前は日本と同じように姓→名の順で呼ぶのですよ!
首都は町全体が世界遺産として有名なブダペスト。
昔は別々の町だったブダとペストの間をドナウ川が流れています。
ブダ側の王宮、ペスト側の国会議事堂、そして両側をむすぶチェーンブリッジは人気の観光スポットです。
町中歴史的建築物が多く、夜景が特におすすめです。
写真は今年の春、ブダペストを飛行機の窓から写した一枚です。
短い紹介文になってしまいましたが、皆様も是非、機会がありましたら一度ブダペストに行ってみてください!!
次回はハンガリーが生んだ音楽家達について書いてみたいと思います。
金子三勇士(ピアノ)
皆様一年ぶりでございます。如何お過ごしでしたか?
一年なんてあっという間といいますが、私は本当に早く感じています。
この間ベートーベンを弾かせてもらったばかりじゃないの?!
…あまりに忙しすぎて、間のことも覚えていないのがホントのところ。
どうしても震災と区別できないお仕事環境ですが、共に生きていくのが使命なんだろうなぁと考えています。
震災前から使っていた携帯の待ち受け。
(*写真1(桜))
立派な、見事な桜です。
ガンバってる感じ、しますよね。
一年半たってチェンジ。
(*写真2(うさぎ))
癒やされます(^-^)
今回はあまり馴染みのない作曲家でしょう、コダーイを取り上げました。
東京でも、ライブで聞くことはまずないでしょうね。
コダーイと同じくハンガリー生まれで同時代の作曲家、バルトークのカルテットはやったことがありますが、コダーイも作っていたとは知りませんでした。
ロンドン留学時代、私はハンガリー人のジョルジュ・パウクに師事しました。
当時「バルトークは理解できない!」と嫌がった私に、「日本人はなぜか上手く弾けるんだ、血が似てるのかな、大丈夫。」と優しく微笑んだ先生のお顔が忘れられません。
お陰で、バルトークはコンチェルトやソナタ(無伴奏ひとつとピアノとのデュオ二つ…後者は滅多に弾かない)など、民族色の強い独特なリズムの出し方やメロディーの歌い方はもちろん、そのためにボーイングはどうしたら簡単に表現できるのかを体得しました。
実はコダーイはそっくりなのです。
こんなところで役に立つなんてヽ(´▽`)/
皆さんも、コダーイねぇ…なんて煙たがらずにまずは同じ時間を共有しませんか?
大丈夫、日本人ならなぜか理解しやすいのですから。
お待ちしています。
セレーノ弦楽四重奏団 小川有紀子(ヴァイオリン)
室内楽、楽しいです。
まだまだです。
難しいです。
特に4人だとさらに難しいです。
でもやりがいがあります。
もっと上手くなりたい・・・・!
あすからは小川さんにバトン渡します。
セレーノ弦楽四重奏団 西江辰郎(ヴァイオリン)
今日はマリン・ミュージックのコーナーです。
私たちは今回、はじめて「せんくら」に出演させていただくので、自己紹介をしますね。
マリン・ミュージックは、1994年に誕生した童謡を歌う子どものグループです。
ただし、“マリン”といっても、何か海と関係があるわけではありません。
メンバーは幼稚園の年少から大学生までと幅広い年齢層にわたっていますが、共通しているのは、みんなとっても元気でしかもユニークだということ。
個性あふれる子どもたちが集まって、磯村由美先生のご指導のもとでいろいろと活動しています。
国民文化祭には5回出演させていただきました。
今年も、11月4日に徳島県板野町・文化の館さくらホールで行われる第27回国民文化祭「童謡とわらべ歌フェスティバル」で歌ってきます!
そこまで夜行バスで行くんですが、夜8時に仙台を出ると、翌朝には桃太郎の岡山に着いているんです。
ちょっと不思議な感じがします。
そのほか地域のお祭りや敬老会等で演奏したり、毎年夏には東北楽天のクリネックススタジアムで国歌斉唱セレモニーにも出演しているんですよ。
今年も8月に出演しました。
その日は見事、楽天の勝利でした!
この写真は、そのときの歌っている様子です。
どんな大きなステージでも、ひるむことなく真剣勝負。
本番に強い子どもたちです!
せんくらを聴きにきてくださる皆さまが、そんな子供たちのやさしい歌声であたたかな気持ちになっていただけたなら…
こんなうれしいことはありません。
マリン・ミュージック (合唱)
みなさまこんにちは
セレーノ弦楽四重奏団ヴァイオリンの西江辰郎と申します。
毎日暑いですね~
個人のせんくらブログも読んでくださったかた、どうも有難うございます。
セレーノ弦楽四重奏団
今年のせんくらでは民族音楽っぽい作品に挑戦です。
国は違うのに、どこかで聞いた覚えのあるようなメロディーがそこかしこに出てきます。
小川さん、佐々木さん、原田さん、メンバーも各々の生活を送っていて、合わせの日までしばらく会わないので、初あわせ楽しみです。
是非聴きにいらしてくださいね!
【62】
10:45~11:30
西江 辰郎(ヴァイオリン)
坂野 伊都子(ピアノ)
《ヴァイオリニスト 西江辰郎を聴く ストラヴィンスキーとグリーグ》
【57】
14:30~15:30
セレーノ弦楽四重奏団
《躍動と感動。
仙台生まれのカルテット「セレーノ」》
セレーノ弦楽四重奏団 西江辰郎(ヴァイオリン)
皆さまこんにちは。
ピアノの田原さえと、童謡を歌う子どものグループ“マリン・ミュージック”です。
初回の今日は、田原がブログ担当です。
まずはマリン・ミュージック(以後、“マリン”って呼びますね)と私の不思議なご縁について。
マリンを率いている磯村由美さんは、私と高校時代の同級生です。
個人的なお話で恐縮ですが…私は高校生の時に休学して、1つ学年が遅れました。
彼女とは、もしそうでなければきっと出会うことはなかったと思います。
思い出話をひとつだけ。
今でも小田和正さんは現役ですが、あの時彼(オフコースですね)の曲をたくさん教えてくれたのが由美さんでした。
彼女が育ててきた子どもたちの歌声に魅せられて、昨年の3月5日に一緒にコンサートをしたのが、私たちの音楽活動のスタートでした。
そして、あの東日本大震災。
同じ被災した宮城県民として何かできることをしたい!ということで、震災直後の5月、女川町の避難所で「田原さえ&マリン・ミュージック」のミニコンサートを行いました。
皆さんに少しでも笑顔になっていただけることを願って…。
バスで避難所へ向かう途中には、まだまだ津波の被害の跡が残っていました。
大人の私たちでさえ、言葉を失うようなむごさでした。
子どもたちはそれを見て、小さいながらも何かしら感じたものがあったようです。
コンサートでの歌声には、とってもとっても気持ちがこもっていました。
お年寄りにとっては懐かしい曲もたくさんあったんでしょうね。
避難所の皆さんは大変喜んで聴いてくださいました。
子どもの声って、パワーを秘めていますよね。
震災から1年半が経ちましたが、まだまだ復興途中です。
これからも、マリンと一緒に皆さんが明るく元気になれるお手伝いができればいいなと思っています。
田原さえ(ピアノ)
本日でラストの担当になりました。
今まで一週間お付き合いいただきありがとうございました(^^)
前回のブログでも熱く語りましたが(笑)仙台へ伺えること、せんくらへ出演できること本当に光栄に思っております。
とっても楽しみです。
僕自身も色々な公演を聴きにいく予定ですので、もし見かけた際は是非かけてくださいね♪
会場でお会いできるのを楽しみにしております!!
ありがとうございました(^^)
米津真浩(ピアノ)
このベビーバギーは、私がアメリカに行った6才の頃にお人形用にと買ってもらったものです。
気の遠くなるような年数なので何年前のものと明記するのはあえて避けさせて頂きますが(笑)、母がずっと大事にとっておいてくれ、自身もとても愛着があったものでしたが、この度断捨離中に思い切って親友の7才の娘さんにあげてしまいました。
‘70年代のアメリカらしい、ポップな配色と柄がかわいく、しっかりとした骨組みで折り畳むことも出来ます。
日本ではあまり見かけませんが、アメリカの幼児は歩けるようになる頃になると、必ずと言っていいほどバギーに人形を乗せて押して歩いているのです。自分が乗った方がいいのでは?!と思ってしまう小さい女の子がこういうバギーを押して散歩をしている姿は、それはそれは微笑ましく、たまらなく可愛いのです!
いつまでも思い出としてとっておきたく手放すのをずいぶん迷いましたが、私の娘も充分使いましたし、友人の子が嬉しそうに押しているのを見て、また違うおうちで「大事なもの」となってくれるのも幸せなことだな~と思いました。
思い出は形に残すものではなく、心のなかに残るもの。
音は消えてなくなってしまうけど、音楽も心に残り続けますよね。
今年もせんくらで「思い出づくり」、しましょう。
今日で最後のブログとなりました。読んでくださってありがとうございます。
See you soon!
三舩優子(ピアノ)
こんにちは!今日はモーツァルトについて少し・・。
モーツァルトは幼いころより神童としてヨーロッパ中にその名をとどろかせていました。
まだ若干6歳の頃から、ヴァイオリン奏者で、モーツァルトの才能を人々に広めようと尽力した父親、また才能豊かなピアニストであった姉と共に、ヨーロッパ各地を旅することもありました。
そんなモーツァルトが、手紙で「世界中でこれ以上の場所はありません。」と父親に書き送っているのがウィーンです。
当時の音楽の中心地はウィーンでしたが、ここでもモーツァルトは盛大に歓迎され、宮殿に招かれて女王の前で演奏しました。
ウィーンにはモーツァルトの家が残され、今でも当時の建物のまま保存されています。
この夏、音楽講習会の合間に、ウィーンとザルツブルグにあるモーツァルトの家を訪れてきました。
写真はザルツブルグにあるモーツァルトの生家です。
通りの石畳や周りの建物も当時のままの姿で残っており、家の内部には彼の書いた手紙や実際に使われた家具、直筆の楽譜が展示され、非常に興味深いものでした。
モーツァルトの協奏曲の中で、この第2番は演奏される機会は多くないかもしれませんが、本当に魅力の溢れた曲です。(私はモーツァルトの協奏曲の中で最も好きです!!)。
曲の随所に、彼の持ち味であるオペラの要素と、子供らしいチャーミングないたずら心、そして何よりさまざまな色彩の光を感じさせます。
コンサートでは皆さまと共に、音楽を通して少しでもその光やあたたかいエネルギーを共有できましたら幸いです。
モーツァルトの光が皆さまの心に届きますよう、心を込めて演奏させていただきます。
それでは、当日会場でお目にかかれますことを楽しみにしております!
1週間お付き合いいただきありがとうございました。
佐藤 優芽(ヴァイオリン)