こんにちは!!
仙台フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターの西本幸弘です。
昨年の10月に就任して以来、一年近く経ちました。
多くのコンサートで皆様とお会いしてきましたが・・・
いよいよ、『せんくら』に初登場です!!
とても楽しみにしていました。
今回は仙台フィルコンマスとしてオーケストラ演奏、ヴァイオリニスト西本幸弘としてリサイタルと盛りだくさんに皆様と共にコンサートをつくってまいります。
お祭り好きの僕にとっては、この『せんくら』はたまらない時間になること間違いなしです。
とにかく仙台市内のいたるところで、地元ゆかりの演奏家、世界中で活躍する音楽家が一同に介し、三日三晩常にコンサートが行われるというなんとも贅沢なものですね(^^)
さて、僕は10/4にイズミティにてリサイタルをさせていただくわけですがテーマは『カンタービレ』。
一時【のだめカンタービレ】という漫画が流行り、『カンタービレ』という言葉をお聞きになったことがある方が多いかもしれません。
この言葉はイタリア語で《cantabile》と書きます。
意味は[歌うように~]。
この言葉昔から大好きですo(^o^)o
歌を聞いたり、歌を歌ったりすることが好きな僕にとっては、楽譜にこの言葉を見つけると、気持ちを解放してくれる魔法の言葉なんです。
6才からはじめたヴァイオリン。
いつも先生には
「自分の口で歌うようにヴァイオリンを弾きなさい」
「どう弾いたらよいかわからないときは楽器で音を出す前に、歌ってみなさい」
と教えていただきました。
これって、とっても大事なことなんですよ!!!!
自分のイメージをもっとも身近な楽器〔体〕を使って再現できなければ、ヴァイオリンでできるはずがありません。
この意味通り、今回のコンサートではヴァイオリンでたーーーっぷりと歌いたいと思います!!! 《molto cantabile》
共演者は大学時からの演奏パートナー平山麻美さんです。
彼女も歌が大好きで、学生の頃、練習を一緒にしていて煮詰まってしまうと、よく二人で歌いました。(笑)
コンサートでは皆様もつい口ずさんで歌いたくなってしまうような名曲をお届けします。
明日はその名曲についてなども書いてみようと思います。
ではhave a nice day!!!
西本幸弘(ヴァイオリン)
先日は、せんくら打合せのために仙台に行ってまいりました。
東京からたった新幹線で1時間半の距離。
しかし、仙台は涼しくてとても過ごしやすかったです。
夏バテ気味の私も、なんだか元気が出てきました。
打合せ終了後、新幹線が東京に着いてドアが開いた瞬間、モワ~~ッと暑い空気が押し寄せてきて、一気に現実に引き戻されましたが。。。
せんくらメイン会場の日立システムズホール仙台(仙台市青年文化センター)がある旭ヶ丘駅を降りた瞬間、目の前には緑が広がりとても癒されます。
確か定禅寺通りも木々が溢れていて、豊かな風景ですよね。
さすが「杜(もり)の都、仙台!」
特に蒸し暑い今年は、仙台の緑溢れる優しい雰囲気や、夕方に涼しくなってくる感じがとても心地よいです。
せんくら開催の秋には、時折、冷たい風が吹くときもあるけれど、秋の色づく木々もとても素敵。
季節によって様々な顔を見せてくれる仙台。
次は、秋に皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
事務局(東京) 井上
3日間の僕のブログも今日がラストです。
せっかく七夕の時期にブログを担当したのに、ウチの近所の事ばかり書いちゃってスミマセン!
でも、
仙台の七夕はまだ1ヶ月先でしょ?
僕の故郷(秋田県湯沢市)の七夕も8月です。
仙台とは比べられないぐらい地味な七夕祭りですが…
東京にいても冬の夜空は結構星が見えるので、犬の散歩中にベテルギウスの超新星爆発はまだかな?とか、地平線近くにカノープス見えないかな?とか、夜空を見上げる事は多いんだけど…
さすがに夏はあまり星が見えません。
ベガとアルタイルのロマンチックな出会いは東京では難しいですね…
そういえば、去年のベガルタ仙台の活躍は見事でしたね!
いつか手倉森ジャパンが見られるかも知れませんね!!
今年は苦戦してますが、まだまだ!!
頑張ってほしいものです。
さて、
今年のせんくらでは、あまり演奏される事の少ないチマーラの歌曲を2曲歌うつもりです。
郷愁 と 海のストルネッロ という曲です。
大切な人との美しい思い出を歌う曲と、忘れられない美しい海の情景を歌う曲です。
その他には、いつものように陽気なテノールの名曲をお聴き頂こうと思っています。
初めての方も、何度かおいで下さった方も楽しめるコンサートにしたいと思っていますので、ぜひお越しくださいねっ!
へばっ、まんず、
10月に!
中鉢聡(声楽 テノール)
さて、
ムクドリが巣を作るような、のどかなとこに住んでいるけど、ウチは東京都のど真ん中です。
イヤ、
地図上ではですけど…ちょうど東西に長い東京都の真ん中あたりなんです。
ウチの近くにはRCサクセション時代に忌野清志郎さんが歌った名曲、多摩蘭坂があります。
毎日、2匹の犬達とその坂辺りを散歩してるんだけど、先日、見馴れないヤツに遭遇しました。
アライグマか?タヌキか?と思って調べたら、ハクビシンでした!
ウチの犬達を気にもせず、イヤ…ウチの犬達がよっぽどボンヤリしてるのか?
前を横切り、変な鳴き声だしながらしばらく多摩蘭坂の近くまで5~6メートル後ろを付いて歩いてくる…
なんだ?凶暴なヤツなのか?ウチのちちゃこい犬を襲うつもりか?
って思ってたら、道の反対側にもう1匹のハクビシン!
あ~っ?
ツガイなのね!
こっちがデートの邪魔だったらしい…
去年はウチの奥さんが、「タヌキがいた!」って言ってたし(確かに近所の目撃談多数です。)東京都のど真ん中には野生動物が沢山いるみたいです。
みんな仲良く暮らせたらイイけど…
もっと静かに暮らしやすいとこあるだろうに…
んっ?
やっぱりウチらが邪魔なのか?
中鉢聡(声楽 テノール)
ここ数日、夜明けとともに目が覚める…
バタバタ ビヨビヨ ギイイ~
寝ている枕元からわずか2メートルぐらいのとこで騒がしい音…
初めのうちはパタパタ ピヨピヨぐらいだったけど、最近は声がたくましい!!!
犯人は
ムクドリ らしい。
ウチの雨戸の戸袋に巣を作ってしまいました…
数日前から車にやたら鳥のフンが落とされてるなぁって憤慨してたら…プププ(笑)
いや、笑い事じゃない!
気付いたら戸袋の中にすっかり巣が出来上がり、ヒナがピヨピヨ。
Bob marley の曲でThree little birds って曲があるんだけど
(朝起きたら3羽の鳥が「大丈夫、どんな小さなことも 全てうまくいくから」って歌ってる)
大好きな曲だけど…
これはヤバいと色々調べたら、野鳥の巣に手を触れちゃいけないらしい。
2~3週間、巣立つのを待って速やかに掃除しないと…
ダニやらワケわからん虫やらが発生するらしい(泣)
日に日に逞しさを増す鳴き声で起こされる日々が、あとどれぐらいなのかわからないけど、静かになったらさみしいのかな…
イヤイヤ
その後の掃除が大変だ!
そろそろダニ用の殺虫剤買ってこよう…
中鉢聡(声楽 テノール)
Drum Taoのコンサートに行ってきました。
素晴らしいデザイナーJunko Koshinoが衣装を全部プロデュースした、本当に素晴らしいコラボレーションのコンサートでした。
和楽器はずっと前から憧れを持っていながら、これまで数える程度しか聴く機会がなかったのです。
今回三味線がつかわれていたのですが、こんなにシャミセンがrockできるとは想像もしませんでした!
rockはrock’n rollのことです。。
太鼓の迫力も、たまらないですねーー。
全身に響いてきて、気がついたら、わたしは、ヴァイオリンと一緒にやったらどうなるかなということばかり考えていました!
もしかして、すっごく刺激的でよいかもしれません!
いつか・・・将来、和楽器とのコラボレーションもしてみたい!
川久保賜紀(ヴァイオリン)
私は食べることがとにかく大好きです。
とくに日本は美味しいものがイッパイあり、いろんな町でそこの名物を食べることができて、いつも、「なんて幸せなんだろー!」と食べながら思ってしまいます。
仙台ですと牛タン!!
今考えただけでも、食べたくてよだれがでてきそうです!(^0^)
昨日は大阪にいました。大阪というと、たこ焼き!!
大量の数を注文して、マヨネーズとたこ焼きソースをタップリかけて全部食べちゃいました。
食べることが好きな音楽家は、多いと思いませんか?
でもなぜ食べることがこんなにも好きなのか・・・
私も何回か聞かれたことがありますが、はっきりとした答えがでませんでした。
でももしかして、音楽と食べ物とは、共通するところがあるのかもしれません。
音楽は人を幸せにしたり、素敵な想い出を思い出させてくれたり、悲しみを慰めてくれたり、言葉がなくても音楽を通して心が一つになるなどの力を与えてくれるように思います。
食べ物も一緒ですよね。
本当に美味しいものを食べたとき、幸せを感じさせてくれますし、なにかを食べてお母さんの味を思い出したり、小さい時に食べた懐かしい想い出がふいにうかんできたり、それに、忙しかったり大変な時にはしっかり食べて、「さー、また頑張ろう」と思えたりする、力をくれます。
私は、この間、ほんとうに久しぶりにデニーズに行って、パンケーキを頼みました。
なんだかとっても懐かしい味がして、急に10代の頃の自分に戻った感じがしました。
食べ物の力、その味から感じる人間の五感というか、感性というか、こういうときに人間って本当にすごいなぁーと、我ながら思ったりします。
食べ物の力は果てしないですね!!!
さて明日はなにを食べようかな~
川久保賜紀(ヴァイオリン)
皆さんこんにちは!川久保賜紀です。
今年もまた、仙台クラシックフェスティヴァルで皆さんに、お会いできるのをとても楽しみにしています!
いまちょうど私は、ドレズデン・フィルの日本ツアーが終わったところです。
今回、ドレスデン・フィルとも指揮者のザンデルリングさんとも始めての共演でしたが、オーケストラのあたたかい空気と素晴らしい音にひかれ、とても気持ちよく演奏できました!
聴きにきてくださった方々にも感謝しています。ありがとうございました!!!
写真は、1枚目はマエストロのザンデルリングさんと。
2枚目は ドレスデン・フィルのコンサートマスターと。
川久保賜紀(ヴァイオリン)
仙台市民交響楽団が初めてせんくらに出演させていただいてから5年。
自分自身も5つ歳を重ね、いろいろと思うところがありますが…それはひとまず置いておきます。
この5年の間、様々な事がありました。
その中でも一番の出来事は、やはり東日本大震災です。
当時は我々も音楽を出来る状況では無く、予定していた定期演奏会も中止を余儀なくされました。
ようやく楽器に触れる事が出来た時のあの気持ちは、一生忘れる事は無いと思います。
その反面、私達団員の生活が日常に戻りつつあっても、まだまだ不自由な生活をなさっている方々が大勢いらっしゃる中、音楽なんてやっていていいのだろうか?という思いもありました。
それでも、毎日の報道や情報番組で観た、ジャンルを問わない「音」や「声」によってもたらされた被災地のみなさんの笑顔や涙…。
この時ほど音楽の力を感じた事はありません。
アマチュアのオーケストラの私達に出来る事は、やはり音楽であると確信しました。
あれから2年と数ヶ月。
演奏が出来る事に感謝し、もちろん楽しむ事も忘れていません!!
今年のせんくらに出演出来る事は最高の楽しみです。
今回は大曲に挑みますが、初共演となる宮本先生と共に、心を込めて演奏します。
今現在の市民響はと言うと、6月の定期演奏会が終わり、一息つく間も無く練習に励んでいます。
いつもは演奏会の後にある【お疲れ休み】が今回は無し。
個人的には、だら~んとせず良かったと思っていますが、平均年齢が若干上がってきた我ら。
これからやってくる夏に不安が無いと言ったら……相当ありです。
(ヴァイオリン 鈴木)
はじめまして!仙台市民交響楽団でコンサートマスターを務めさせていただいております、ヴァイオリンパートの庭野と申します。
今回指定されたブログのお題はズバリ、チャイコフスキーの『交響曲第6番《悲愴》』。
言わずと知れた超名曲であり、このようなお題を与えられたことがすでに悲愴・・・。
せめて「ついに解明!衝撃のチャイコフスキー陰謀死説の真相とは!?」などとしてくれれば、まだあれこれ思うままに書きようがあったというものです。
ところで、チャイコフスキーと聞いてまず思い浮かぶのが、あの眉間にしわを寄せて下から睨みつけるようなコワモテの老人像でしょう。
もしくは左手で頭を抱えるようなポーズを撮った横顔の写真。
常に「憂い」がまとわりつくような印象は、人々の作品に対するイメージにも影響を及ぼし、特に『交響曲第6番《悲愴》』ともなると、誰もがチャイコフスキーの「暗い情熱」に導かれざるを得ないようです。
試しにCDショップの《悲愴》コーナーを覗いてみてください。
ジャケット写真からすでにただならぬ空気が漂っており、指揮者の苦悶の表情は、作品の行く末をありありと示しているようではありませんか。
(この曲に限っては、副題によるところが多分にありますが。)
そんな中、ふと私の目を引いたのは、ヤニック・ネゼ=セガンの指揮によるCD。
昨今の音楽界をけん引する旗頭として台頭中の若手指揮者ですが、そのジャケットがちょっと「変」なのです。
ブルゾン風の上着に黒いVネックシャツ、そしてジーンズ姿の若者(指揮者本人)が、腕組みをしながら自信たっぷりのドヤ顔でこちらに笑いかける。
ちょっと待って、交響曲第5番なら分かるけど、《悲愴》でそんなグイグイ系はちょっと・・・。
しかし、面喰いつつも、私はこのネゼ=セガンの姿勢が、《悲愴》交響曲の本質を突いていると感じたのです。
クラシック・ファンなら一度は手に取ったことがある、全音楽譜出版社のミニチュア・スコアの解説のなかで、著者は、《悲愴》交響曲を「レクイエム」と評する論調を批判しており、「もっと深く死と生の一般化された体験といったものを描いている」と述べています。
また、件の指揮者、ネゼ=セガンも、CDの解説文のなかでは、この曲を安直に死と結びつけることを良しとはしていません。
もちろん、この曲がチャイコフスキーの死の直前、それもロシア革命につながる激動の19世紀末に書かれたことや、彼の陰のある性格のことを考えると、不穏なドラマ性を作品に求めることは決して間違いではないでしょう。
しかし、これらは単にチャイコフスキー自身の絶望を音にしたものなのでしょうか。
優美な第2楽章、心躍る第3楽章を聴いて、「これが本当に《悲愴》?」と頭を抱えた経験がおありの方も多いはずです。
生きる喜び、人を愛すること、痛み、悲しみ。
チャイコフスキー自身もこの曲の標題を「謎」と表現しているように、演奏者も聴衆も作品の向かう先に答えを見いだすことはできないのです。
しかし、演奏者が頭を抱えていては話になりません。
楽譜を見ながら自問自答を続け、なんとか解釈の着地点を見つける必要があります。
やはり死の痛ましさにむせび泣くことになったとしても、チャイコフスキーの投げかけた「人生とは?」という難問に対し、いかに内容たっぷりで説得力のある解答案を示すことができるか。
私はネゼ=セガンのCDを眺めながら、この捉えどころのない物語に対し、悲哀に安寧することなく、あえて自信に満ちた立ち姿を見せる指揮者に驚嘆しつつも、自分たちの演奏により、お客様にどれだけ豊かで千差万別な感動をお伝えすることができるか、今から不安と期待でいてもたってもいられないのです。
・・・以上、とあるアマチュア音楽家の雑感、ご精読ありがとうございましたm(__)m
世界的な元オーボエ奏者にして、今や東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督を務める魂のマエストロ、宮本文昭先生のタクトのもと、いつも以上の力を発揮する(はずの)仙台市民交響楽団。
ぜひお楽しみに☆
(ヴァイオリン 庭野)