世の中には映画俳優目指して苦労なさっている人がたくさんいらっしゃるのに…。なぜだか「カラスコライダー」という映画に、歌うのではなく、ある部長の役で出演してしまいました。
話をいただいて、初めは、「はい」とか「やぁ」とかだけだろうと思っていました。ところが台本を見たら、なんと2ページ分もセリフのやり取りがあるではありませんか!しかも台本を手にしたのは、収録の2日前。次の日はカルメンの本番。明後日はまあ何とかなるだろうなんて少し軽い気持ちで撮影に臨みました。
現場はKスタ宮城の正面広場。雪の残る喫煙所付近が撮影場所でした。早速に紹介され、これが映画の撮影現場かと変に感激しながら読み合わせが開始。まあ何とかなるかなくらいの調子でしたから、当然セリフが完璧に入っているわけではなく始まってしまったので、当然のことながら緊張しまくりでかみまくり。相手役の役者さん達は、いつ台本を手にされたのかわかりませんが、もうその場面のセリフと間合いはしっかり掴んでいらっしゃる。俳優のプロ魂を目の当たりにした瞬間でした。益々こちらの緊張は高まり、益々頭の中が真っ白になるといった状態に追い込まれてしまいました。(セリフにメロディが付いていたらもっと上手く覚えたかも、なんて言い訳も考えながら…)
もう一つ自分にとって大きな発見がありました。普段我々は舞台上ではマイクを使わないので、セリフも全て客席の隅々まできちっと聞こえるよう声を張って出すのですが、映画ではあのモコモコした長く伸びてくるマイクで声を拾ってくれるので、普通の話し言葉で十分だったようです。緊張とも相まって、一人だけ声がスタジアムの壁に反響していたようでした。そんな現場を今思い出すと、なんとも恥ずかしいですね。
テイク2で監督からOKが出ました!自分としては本当に大丈夫なのか半信半疑のまま終了。僕の映画初体験はおよそ1時間で終了でした。冷や汗をかきながらあっという間に時間が過ぎました。
カラスコライダーをご覧になった方はおられますか?僕に対してどうぞ率直なご感想を!ちなみに我が娘は、素人っぽくて大笑いしたと言っていました。でも何と言われても映画館のスクリーンの中に自分の姿が映ったなんて、これは大いに喜ぼうと思います。
この半年で入退院、そしてコマーシャルに映画と、なんだか派手な日々を送りました。この勢いを借りて、せんくらの本番も弾けたいと思います。是非たくさんの方々、コンサート会場にいらして下さい。3日間お付き合い下さりありがとうございました。
佐藤淳一(テノール)
昨年12月の中旬以降に、ア・カペラで第九の1フレーズを歌っているコマーシャルをご覧になった方がいらっしゃると思います。あれ、僕でした。眼鏡市場のCMでした。
何故にこのコマーシャル出演が僕に回ってきたのか?自分でも不思議な思いですから、そりゃ皆さんもどうしてとお思いになられたことでしょう!これは、ある広告代理店からいただいた仕事でした。3~4年前にこの会社の社長さんの還暦パーティで歌わせていただいたことが今回に繋がりました。
ではなぜこの会社からお声掛けいただいたのか?
これは、楽天の交流試合(それも巨人戦)で試合開始前のセレモニーで国歌を歌ったことからの繋がりでした。
今まで断ることをほとんど知らずに、いろいろなステージを経験させてもらいました。八方美人的だとか、もっと仕事を選べとかいう声も耳に入ることもありましたが、そんな様々の人との繋がりから、人生で何度も経験しないであろうことを経験させてもらいました。実に人生っておもしろいと実感した出来事でした。
全国版コマーシャルのインパクトは凄いですね!放送開始直後から、おまえにそっくりのヤツが歌ってたぞ、いったいあれは何のコマーシャルだ?とか、なんでテノールのおまえがバリトンパートを歌っているんだ?とか。それも県内はもちろんのこと、山陰地方や九州、関西、首都圏から北海道まで、あれは本当におまえかとの問い合わせがありました。15秒という短い時間でしたが、かなりインパクトがありましたね!
ちなみにこの仕事が退院後初の歌う仕事でした。
佐藤淳一(テノール)
今年の夏は技巧的な小品を中心にしたリサイタルツアーをやります。
いい演奏会になるよう準備も沢山しているので、七夕の真っ最中ではありますがいらしていただければ嬉しいです。
仙台の公演は8月7日の18時半からになります。
http://www.dendamasahide.com
伝田正秀(ヴァイオリン)
自炊が苦手なので外食の多い毎日ですが、最近イベリコ豚の生ハムにはまっています。
仙台市内に置いてある店は沢山あるのですが、こんなにおいしいものがあることこそが感動です。
イベリコ豚は自然のどんぐりでどれだけ太ったかでランクわけされるようで、1頭につき約1トンものどんぐりを食べて育つとのことです。
伝田正秀(ヴァイオリン)
こんにちは、斎藤雅広12歳です。ちょうどこの頃からでしょうか?目が悪くなりメガネが離せないようになりました。現在ならば近視矯正の手術も安全で進んでいますので、サッサとそうしたかもしれません。当時はまだコンタクトレンズもなかったような時代ですからね。きっかけは田村宏先生のレッスンに伺ったとき、私は初見がとても得意だとかなんとか親がペラペラ言ってしまい、それでは!と試されたら何にもできなくて(笑)。「この嘘つきめ~~!」とたたき出され、これは目が悪いからに違いないということになったのです(笑)。そうしているうちに学校の黒板も見えにくくなってきて、最初はつけたりはずしたりもしていましたが、14、5歳からはかけっぱなしです。1回コンタクトにしようと試みたのですが、1日で水に流して下水行き!親に烈火のごとく怒られて、メガネ人生が確定です(笑)。でも何の不自由もありません。
さて初見がきくかどうかはね、よくわかりません。世間では取材で、ライターが堀江昭朗さんだったりすると「その譜読みの速さと解釈の的確さにおいて・・・・」みたいな文が私の紹介の頭に来るので(笑)、そうでなければと!がんばっているのですが、どうでしょうか(笑)。でもピンチヒッターで二日前に楽譜をもらったり、ピンチヒッターでなくても歌手ってなかなか楽譜くれないから、どんな曲も大体三日で仕上げられないと、仕事にはならないですよね。リサイタルも1週間もあれば余裕みたいな感じであれば、他のコンサートとのタイミングがかなり楽になります。昔のピアニストのギーゼキングが、列車移動のさなかに楽譜を見て、目的地に着いたらそれをコンサートで弾いたなんていう伝説も、十分あり得ることだなあとプロの人は全員思っているはずです。
時間との戦いですが、それも子供の頃一日8時間近くきっちり練習したり、ちょっとでもいい加減なことは許さない師匠の田村先生のご指導、これがあったから現在があるのだと思います。厳しくしてくださった先生に心から感謝しています。先生のおっしゃることは絶対で「ピアノやるなら自転車なんか乗るな」という教えも守りました。ある日先生のお宅に伺うとご不在で、「あれ?」と思っていると、向こうから自転車に乗ったおじさんが手を振りながら・・・まさかとは思いましたが・・・(爆笑)。大人になってからの先生との雑談では、こんな「目からうろこ」的な面白い体験があって、私はとても運が良かった。怖いだけの思い出ならきっと身につくことも少なかったと思います。
多くのすばらしい先輩にも恵まれました。世の中が手のひら返しをしても、温かく見守ってくれている人がいることは、どれだけ心の支えになることでしょう。いまや不景気の中で、少しでも勝ち馬に乗ろうとする風潮盛んなこの頃、みんなが助け合って、それぞれ個性を出し合って進むのが正しいと思います。私たちの場合なら、楽しくみんなが気持ち良くなるように、ステキな音楽を通じて明るくジャンプ!仲間たちとともに悔いのない人生が過ごせるのではと思います。「せんくら」もそんなナイスな出会いの象徴です。
それではみなさま、斎藤雅広50歳がお目にかかれるのを心から楽しみにいたしております(笑)!お次のかた、おまたせ~ッ!
斎藤雅広(ピアノ)
昨日は浜離宮でリハーサルで、今日はトッパンホールでコンサート。
最後に、僕が小さい頃に住んでいた旭丘堤1丁目。
森隆君って小さい頃の友達に追いかけられるボク。
どこだか分かりますか。
右の住宅街の裏は、もう住宅移転し、南光台に向けた道路が出来て
います。
旭ヶ丘幼稚園に通ってたのに、遠かったのか、登校拒否を起こ
し、緑ケ丘幼稚園に。
その後、南光台小学校に1年間通っていました。
八乙女中学校の脇にあった小さな公園で散々遊んだのですが、今
は道路の橋桁工事のために、完全に山がなくなってしまったのが残
念だったけど、今も他の森林公園がたくさん残ってて仙台は今でも
本当素敵です。
当時は、写真の色のように、記憶も少し赤茶色の映像で残っています。黒松に池があった映像も少し頭に残ってトランザム鷹のマークの車を見つけて喜んでいたり、当時のシビックは、茶色で、フレームの脇から塗装がはげているので、学校の帰りがけに一枚べりっとはがしてたり、なんかろくな記憶がないのですが、
仙台名物じゃないかなと思うくらい、家の段差を埋める石とコンクリートの壁をよじ上ってよく遊んでいました。
友達も当時たくさんいたし、本当楽しかったのです。
仙台の小さい頃の記憶は僕にはかけがえのない宝物です。
あれから何十年とたった現在、こうして仙台に来れる事を誇りに思います。
せんくらまではまだ時間がありますが、早く皆さんに会いたいです。
そして、それまでにフルートの腕も磨き、新曲も作って仙台に赴きたいと思います。
その前に、実は8月に実は仙台にいくのですが、久石譲さんと新日本フィルハーモニー交響楽団のツアーで仙台県民会館に行きます。
こちらは完売なようなのですが、既にチケットお持ちの方、僕も吹
きます。いいコンサートになるようがんばります。
今後の情報はこちらまで→ http://hiroshiarakawa.com
荒川洋(フルート)
こんにちは、斎藤雅広6年前です。楽しそうな写真でしょう?今回せんくら初登場のザ・スーパートリオはまさにこのイメージ通りです。大人のためのエンターテインメント!足立さつきさん、赤坂達三さんとのユニットです。もともとは足立さんの伴奏をしていたところに、新しいユニットを組むなら赤坂さんしかいないということで結成しました。ソプラノに対してヴァイオリンやフルートならありがちだし、高音同士でぶつかってしまう。ユニットにするなら全員が主役のものにしたかった。クラリネットであれば音域はかぶらないし、またスピード感を持って自由自在に駆け回ることもできます。1つ難点はオリジナルの有名な曲がシューベルトぐらいしかないことで、それは私が編曲をすることで補っています。
あまりに楽しそうにやっているので、仲間内からもコンサートに行ってみたい!というメールをよくもらいます。またアマチュアみたいな人たちが、ああいうのいいね!と言って耳コピしたり、楽譜が欲しい等と言ってくるのですが、実はクラリネットパートは鬼のように難しい(笑)。歌の部分も足立さんの声のために書いたものだし、他の人には簡単に出来るものではないんです。で、今は楽譜も出版しないし、コンサートのためのレパートリーとして増やしています。ジョークを飛ばしながら楽しくやっていても、質は高い「ザ・スーパートリオ」なんですね。自慢に聞こえると困りますが、すばらしい共演者を誇りに思っているのでついつい。ぜひお許しを。私にとってコンサートは昔のラット・パック、フランク・シナトラがディーン・マーティンやサミー・デイヴィスといっしょに、楽しくゴキゲンにやっていたステージが理想。それを実現している感じで、本当に幸せです。
またザ・スーパートリオのコンサートの中ではそれぞれがソロをやりますが、赤坂さんは普段やらないプログラムを演奏しています。今回はそれを膨らませて、赤坂さんとのスタンダード・ナンバー等を網羅した楽しいものを、せんくら内でやることになりました。お初ですよ。今後も続けたいとは思いますが、このせんくらのために新たに編曲を作ります。どうぞお楽しみに!
昨年は結成5年ということでCDも作りました。コンサートも良い感じに増えて順調です。出来ればライフ・ワークにしたいですね。赤坂さんはこの3人で映画を作りたいと言っていました(笑)。そして引退してもザ・スーパートリオだけはやるんだって!その気持ちよくわかります!!音楽ジャーナリストの伊熊よし子さんは、日本だけじゃもったいないとおっしゃってくれました。豪華客船でエジプトにでも行って、ピラミッドの上でやってみたい。砂が口に入るって、足立さんには叱られちゃいそうだけど(笑)。
斎藤雅広(ピアノ)
パリにいたときの影響だが、ワインを飲む事のが多いのだが、実はおいしいお酒だったらなんでも好き。
うちの師匠の地元のニームの近くでとれるジゴンダスというワインがあるんだけど、特に好き。とはいっても、日本のワインもここ十数年で世界に負けない品質になってきてて面白くて、塩尻ワインが特に好きなんだけど、仙台の後援会でお世話になっている、ほまれフーズの丹野さんからいただいたオーガニックワインも本当に美味だった。
宮城県のお酒も、日本酒では、一ノ蔵、蔵王、日高見、勝山酒造などは大好き。勝山館は友人が結婚式をあげたところだし、馴染みもある。
最近では、熊本の生徒のお父さんと飲み交わしたときに飲んだ米焼酎。地元の空気とあうのかな。するっと入ってくる感覚がなんとも好きだった。
あと、特に好きなのは、やはり沖縄の泡盛。あまり自宅で晩酌とかはしないのだけど、泡盛だけは自宅に常備して、たまに飲んでしまう。
外で飲むときは、沖縄の離島、宮古で作られている古酒「菊之露VIPゴールト」が特に素晴らしい。泡盛特有のトップノートのきつさがない分、滑らかでとろりとしている。しかし30度もあるので、あなどれない。
先日も、ピアノの上田陽さんと、スタジオがある幡ヶ谷の駅前にある沖縄料理屋で「菊之露VIPゴールト」をしこたま飲んだ。
スペインのお酒は、日本でも気軽に飲める「トーレス」が好きだけど(牛の人形がついているお酒)、最近はヘレス(シェリー酒)に魅了されている。
東京・月島にある「スペイン・クラブ」にたまに行ったときに飲むんだけど、最近シェリーバーなるものも増えてきているらしく、開拓の余地があるのだが、以前、パリ時代からの友人チェンバロの辻本彩ちゃんと、大船の駅コンコースに設置されたお店「エキバカナル」に行ってきたが、ヘレスが普通に置いてあって感動した。数年前のイベリコ豚解禁前じゃ考えられないシチュエーションなんだけど、ヘレスを飲みながらイベリコ豚をつまんでいただいた。あれも素晴らしかった。
また、あまり馴染めないきつめのお酒も、なんでこの味なんだろうと思う事もあるし、好き嫌いもあるとは思うのだが、生産地の風土や環境を理解しようとすると納得する事が多い。
先月、沖縄本島の北東に位置する安田(あだ)という町でカヤックで無人島に行ったのだが、地元のやんばるエコツーリズム研究所の中根さんが勧めてくれた「まる田泡盛 」は、きつくて飲むのが大変だった。でもあそこの風土や人柄に接していると、味がだんだん理解できる気がする。
未だ味を克服できない久米島の泡盛も、現地で飲んだら全然違うんだろうなと思う。
その時々人と気持ちを共有できるお酒って大好きです。
音楽も同じ。人と触れ合う潤滑油になる。そして、その音楽(もしくはお酒)で一瞬で世界中を旅できるし、時間もさかのぼる事も出来る。
荒川洋(フルート)
今回のせんくらの出演者には、旧友・親友・仲間たちがいっぱい顔をそろえています。つい先日仙台放送のスポットの収録に行ったら、ヴァイオリンの漆原啓子さんに会いました。彼女も共演を含めて旧知の友人です。最初の出会いはなんと私が大学生で彼女が高校生、教育実習に行ったら、いたんです(笑)。副科のピアノも聴いたのですが、これが超うまい!普通は副科ピアノって、ビックリするくらい下手なはずなんですが(笑)達者でした。でもこの話をすると「覚えてないんだよね~」とすっかり忘れられているようなんです(笑)。この間は「久しぶり、随分金髪になったね~」と言われたので「今日からはジェニーと呼んでくれ」と言っておきました(笑)。
ピアニストは伴奏もするから他の楽器の人には友達も多いけれど、ピアニスト同士というのはなかなか交流はないものです。私の場合は2台ピアノ、3台ピアノ、4台ピアノのコンサートもちょくちょくやっていることもあり、お友達はけっこう多いんですよ。今回のせんくらには三舩優子さんがいますね。彼女ともとても仲良しです。仕事でも何回もごいっしょしているし、ご飯なんかもよく食べに行きます。一番最初に会ったのは2005年だから、割と最近ですね。そのときは及川浩治君もいっしょの仕事で、これもまたギャングみたいなユニットだよね(笑)。ブログでの(http://iisirase.exblog.jp/2707510)このお食事会が最初の出会い。ご存知のようにとても美人で教養に溢れたナイスなレディで文句なし。お人柄もとても気さくですばらしく、良い演奏家っていうのはこうでなくっちゃという見本みたいな人です。彼女に私がインパクトを与えたのは、あるときメールで「今、宇田川で夜のコースを食べてます。お肉はこんなですよ」と写真を送ったから。チラ見してこの写真が一瞬ヤバイ写真に見えたそうで「何て人だあ~!!」と呆れられたのが良かったようです(笑)。そういえば盛岡の岩手県民会館(9月10日)で、デュオ・コンサートがあります。
●徹底ピアノ・コンサート!三舩優子&斎藤雅広のピアノ三昧ブリランテ!●
ガーシュイン ラプソディ・イン・ブルー
ファリャ 火祭りの踊り
ショパン スケルツォ第2番 作品31
シュトラウス 美しき青きドナウ
チャイコフスキー 花のワルツ
リスト ハンガリア狂詩曲第2番
プーランク 2台ピアノのための協奏曲
リスト 巡礼の年・第2年補遺「ベネチアとナポリ」
ボロディン ダッタン人の踊り
え?宣伝しちゃ駄目だって?いいじゃないの~。むこうでも「せんくら」アピールしてきますよ!おまかせあれ!東京の人はさすがに無理かもだけど、仙台なら盛岡もぜひ!いらしてくださいませ。盛岡の方もぜひ「せんくら」にいらしてくださいね~!よろしく!
斎藤雅広(ピアノ)
もう一つのライフスタイルの形になっているアウトリーチ活動。
つまり子供への音楽の手引きの活動のこと。
どうしても子供が好きみたいで、様々な知へ赴いては様々な経験をしてきています。
その地元の子のために曲を作って一緒に演奏したり、絵本に音楽をつけて、鑑賞したり、いまのところそのアイディアが枯渇する事がなく、新しいことに挑戦しているのですが、マリ・ホール・エッツの書いた絵本「もりのなか」って知っていますか。
男の子がラッパをもって、もりのなかを歩きながら、様々な動物たちを誘って、行列を作って行進する絵本なんだけど、このお話を朗読しながら、同時に演奏できる曲を作ったんです。
だから、お話とスライドを子供たちが見ながら、同時に音楽も楽しめるという、なんとも贅沢な企画なのですが、直接イメージが目の前に飛び込んでくるものなので、世界に入りやすいなと思っています。
とよたかずひこさんが作った絵本の「バルボンさんのおさんぽ」にも音楽を作ったのですが、最近はこの2作品をあわせて演奏する事が多いです。
今年はレオ・レオニの作品に挑戦したいなと思っています。
あと、もう一つ素敵な企画。様々な場所でアウトリーチと共にコンサートに呼ばれていったとき、合唱曲を作る事もあるのですが、最近は他の地域の子供たちが、他の地域のために作った曲を歌い、地域交流をするようになってきているということです。
豪雪地帯を見た事のない千葉の子供たちが、北海道中標津町のために作った曲「またあえる」を歌い、その思いをビデオレターして送ったのです。
それを見た中標津の子たちが、自分の町に誇りを持って「またあえる」を元気に歌っている姿を見て、目頭が熱くなる経験をしました。
僕は宮城県の本吉町でもそういう活動をしたので、本吉町のはまなすホールのために作った曲「かぜがよんでる」という曲があります。
いつか、この曲も他の地域の人に歌われて、交流が広がって行く事を願っています。
荒川洋(フルート)