昨日のSL登山鉄道で30分。
うしたちも、音楽を聴いてくれるかの実験。
ちなみに、ほとんどの牛さんがこちらを向いて聴いてくれました??
もしや・・・セロ弾きのゴーシュやブレーメンの音楽隊も実話・・・!?
(演奏曲:タイスの瞑想曲)
牛たちが首につけている鐘ですが、実のところかなり頻繁になるので、とても賑やかです。
実際行って見るまでは、あっちでガラン、こっちでゴロン・・・・
っていうのを想像していたんですが、
草を食べる時・・・・
首を動かした時・・・
移動中・・・
だけでなく、
耳を動かしたり・・・・
尻尾を振っても・・・・・鳴るんです!
つまりはハエを追い払うのに・・・ですね(笑)
もし僕が指揮でR.シュトラウスを振ることがあったとしたら・・・・
ガラン ガラ 、ガラン、ガラ、ガラン
ゴロンガラン、ゴロン、ガラ、ガラ・・・
かなりうるさくやってやる。
西江辰郎(ヴァイオリン)
せんくらブログ4日目!
昨日に続いて音楽祭について。
海外の音楽祭といえば、北九州国際音楽祭の室内楽コンクールで優勝した際に副賞で頂いた「TOTOクフモプライズ」で行く事が出来た1995年のフィンランドのクフモ・フェスティバル。
白夜のシーズンで夜も明るいので、朝から夜中までずっと様々なコンサートが続く「マラソンコンサート」がありました。
クラシック音楽だけでなく、バロック、タンゴ、ジャズ、民俗舞曲、と色々なジャンルの音楽にここで触れる事が出来ました。
滞在中に、レッスンを受けさせて頂き、コンサートで涙が出る程感動的な演奏をされたクリスティアン・アルテンブルガー先生に長期的に習いたい!と思い、先生が当時教えていらしたドイツ・ハノーファー留学を決めました。
湖と木のゆったりとした自然の景色の美しさと、当時日本ではかなり珍しかった携帯電話を、フィンランドの子供達も使用していた最先端さのギャップに、驚きました。
熱いサウナから、みんなで冷たい湖に飛び込んだのも、懐かしい良い思い出です。
今回最後に書くのは1995年のイル・ド・フランス・フェスティバル。
パリ郊外のお城、ヴィラソーで開催された音楽祭。
ヴィオラのジェラール・コセ氏に招かれ、日本からヴィオリストとして参加しました。
私は当時ヴァイオリニストとしてか、ヴィオリストとして留学しようか、かなり悩んでいた位、ヴィオラの魅力に取り付かれていたんですね。
その前に参加したクフモ・フェスティバルで、ヴァイオリンでドイツに留学する事を決意していましたが、ここでヴィオラの世界にどっぷり浸かり、この楽器の特長を再確認出来たのは、今オーケストラで演奏する時にとても役立っています。
また期間中一歩も広大なお城から出なかったからか、フランス人、チェコ人の音楽家と室内楽、食事、散歩、ゲームを連日一緒にして過ごしたおかげで、とても親しくなりました。
その親しくなった音楽仲間の中の一人には、室内楽奏者として招かれていたフランス人チェリストで、音楽祭の6年後に私と結婚した主人も。
何ともいい音楽祭でした(笑)!
今まで宮崎、ナント、モンゼー、サイトウキネン、サンドニ、オーストリア国際室内楽、シエナ、ヴィルクローズ、e.t.c…
と数多くの音楽祭に参加させて頂きましたが、参加する度に素敵な出会い、発見があります。
今度のせんくらではどんな良い事があるか、今からワクワクしています!
神谷未穂(ヴァイオリン)
「明日から音楽をやめますと言ったら、何人の人が悲しみますか?」 (クラウス・ヘルヴィッヒ先生)
そう問いただされた時私は、音楽人生で最大のスランプを迎えていました。
レッスンやコンサートを控えているのにピアノの蓋を開けただけで吐き気がするので、先生に電話をして、正直に「ピアノを弾きたくなくなった」と相談しました。
先生はそんな私をご自宅に招いて下さり、食事の席でこの質問を投げ掛けられたのです。
考えてみると、今までに大金を投じて育ててくれた両親と、子供の頃からかわいがって下さった先生方のほかに「青柳」がピアノをやめて本気で悲しがる人は確かにいません。
つまり先生が言いたかったのは、こういう事です。
「音楽はあなた無しでも悠然と存在する。 あなたは音楽無しで悠然と存在できますか?」
興行的な成功や認知度を差し置いても、本気で音楽を欲してさえすれば満ち足りているのが音楽家の筈なのです。
今でも心に残る貴重な言葉です。
青柳晋(ピアノ)
昨日の写真、プロが写したものではありません。
空気が綺麗だと誰が取ってもああなるのかも~
Brienzから、このSLに乗ります。
急勾配のため、車両はもともと斜めなんですね。
僕は別に電車オタクではないんですが、興味津々。
西江辰郎(ヴァイオリン)
せんくらブログ3日目!
今日は私が参加した事がある“音楽祭”について、いくつか書いてみたいと思います。
まず先月参加したばかりの霧島国際音楽祭。
(写真は滞在したホテルの部屋からの景色。温泉地なので、その煙がいくつも見えます!)
国際という名前が付いている通り、韓国、台湾、ドイツ、アメリカ、イタリア、イギリス、ポーランド、ロシア、と様々な国から演奏家が参加していました。
講習会に参加した生徒も色々な国から来ているので、レッスンは英語を使う事が多かったです。
自分の語学力の無さを痛感しましたが(ドイツ、フランスに留学したんですけどね…)、優秀な生徒達から刺激を沢山受けました。
十代、二十代の吸収力の凄さ、器用さには羨ましくなります。
また先輩演奏家の知識の深さ、音色の豊かさには、その方々の人生が滲み出ている様な気がして、とても憧れました。
色々な世代と音楽で交流させて頂いたおかげで、自分のこれからの目標を新たにいくつか持つ事が出来ました。
また、ボランティアスタッフの皆様の心のこもったおもてなしには、感激!名物・黒豚の美味しかった事!!
滞在ホテルの近くの料理屋さんも、音楽祭初参加の私の名前をすぐ覚えて下さり、「神谷さん、神谷さん」と親しくお声掛け下さり、とってもアットホームな雰囲気をつくって下さいました。
霧島に来年また伺えるのが、今からとても楽しみです。
神谷未穂(ヴァイオリン)
「キャリアを築く為には戦わないといけない」(パスカル・ドヴァイヨン先生)
ベルリン留学時代。
スペインのハエンコンクールで賞に入ったことをレッスンで報告するとドヴァイヨン先生は開口一番、「それで、その後どうしたの?」と私に質問しました。
その後?と聞かれても咄嗟に答えが出ません。
ミラノに寄って、美味しいものを食べてベルリンに戻っただけだったので、「何もしません、ミラノで遊んで帰ってきました。」と答えたら先生は「ススムは子供だねぇ。」とため息まじりに呆れられました。
受賞した事を、少なくともスペインのすべてのオーケストラと思いつく限りのエージェントに、なぜ売り込んで帰って来ないんだ、(笑いながらですが)とこの時先生に怒られたのです。
「ピアニストなんていくらでもいるんだから、少しでも自分を売り込まないと。練習は自分のすべてのエネルギーの3分の2、あとの3分の1は電話をしたり、今後の事を考える時間に当てないといけないよ。これは戦いなんだからね。」
先生が、普段音楽の事ばかりをレッスンで注意し、本来はもっとキャリア作りのアドヴァイスをしなければならない・・と、自分に言い聞かせるようにおっしゃっていたのが印象的でした。
プレトニョフが優勝した年にチャイコフスキーコンクールで2位に入賞したり、数々の名録音を残した輝かしいキャリアの持ち主である先生からくると、この言葉はとても重いものに感じられました。
良い演奏を心掛けながら常に自分の立ち位置をアピールし続けて行く事が、音楽家として生き残っていく大事なファクターの一つなのでしょう。
帰宅後、録音、経歴、新聞の批評記事のコピーをスペイン10数カ所のオーケストラと事務所に郵送しましたが「親切な事務所は書類を送り返してくれた」だけで、受賞コンサート以外は何も起こりませんでした。
私のstruggling daysは決して短いものではありませんでしたが、この経験は今の私の弟や妹たちに面白い話をして聞かせる「養分」には充分なったと考えています。
青柳 晋(ピアノ)
今日はちょっと変わった話題。
みなさんテレビはみますか?
時間をとられるという意味ではテレビはNGですが、日本には面白いバラエティー番組が沢山あります。
僕は見たいテレビは録画してみるようにしていますが、中でも好きなのは明石家さんまさん。
「さんまのまんま」、「さんま御殿」、「ほんまでっかTV」などトーク番組が好きです。(出演できたとしたら夢のよう!)
気持ちが浮かない時でも、「笑う」ことで救われた気持ちになる人も多いのでは。
そんなさんまさんに是非会ってみたいものです。
ところで、国民がどれだけテレビを見ているかという調査、某テレビ番組の国際見本市「MIPTV」で発表された当時の統計では、日本人の平均視聴時間は5時間1分で世界で一番テレビを見ているといいます。
ちょっと多すぎで、このままだと日本の将来やばいとおもいます。
これでは労働時間の他にはほとんどテレビを見ているということになるのですが、最近は若者の男性は少し減少方向にあるそうです。
というか、インターネットやネットテレビ、さらには携帯電話までスマートフォンがあるのだから、実際どうなのだろう・・・・
媒体が変わっただけ?あるいは結局増えている??
東京では電車で6割以上のひとが下を向いてスマホ。
勉強に使ってる人もいますが、ゲームが多いです。
おかげで将来人間は遺伝子に「寄り目」というのが加わって「ひらめ顔人間」になってしまうのでは!
ほどほどがいいですね=
P.S.
写真は、目の保養に。スイスのブリエンツから1時間、山頂から見るユングフラウ、アイガーです。
西江辰郎(ヴァイオリン)
せんくらは、仙台クラシック”フェスティバル”、という音楽の”お祭り”ですよね。
せんくらはじめ、仙台ではお祭りが沢山開催されます。
青葉まつり、とっておきの音楽祭、秋保大滝不動尊春祭り、定義如来夏祭り、定禅寺ストリートジャズフェスティバル、萩まつり、みちのくYOSAKOIまつり、どんと祭、e.t.c.、、、。
昨年の東北のお祭りが集結した六魂祭は、大盛り上がりでしたね。
盛り上がり過ぎて、私は目の前の人の頭しか見れませんでした〜!!
今の時期は、仙台七夕まつりのお飾り(和紙で作られたもの)が仙台駅や商店街、市役所等を華やかに彩り、私達を楽しませてくれます。
昨年のお飾りには、東北復興を願うメッセージが沢山書かれてあったので、一つ一つじっくり見て、とても励まされたものです。
お飾りは同じ様な形に見えますが、よく見ると違いがあり、繊細な色使いや折り方に感動しますよ。
是非間近で見る事をおすすめします!!
(写真は昨年の七夕まつりに主人と商店街のお飾りの前で記念撮影したものです)。
お祭りの楽しみの一つと言えば屋台ですが、せんくらにも屋台が出るんですよ。
私は以前、この屋台で初めて”玉こんにゃく”(お隣山形の名物)の存在を知りました。味がよく染みていて、美味しかったこと。
今年のせんくらにはどんな屋台が登場するのでしょうか??
神谷未穂(ヴァイオリン)
初めまして。
8月3日から9日までこちらのブログに初めてお邪魔する、ピアノの青柳晋です。
リレー形式での一週間ブログを認めるにあたり、何について書こうかと相当迷いましたが、この期間を使って、以下のようなテーマで書き進めることにしました。
それは、「修行時代に先生に言われた印象的な言葉」。
先生から受けるご指導の言葉は、その場で完全に理解出来るものでは到底なく、何年も経ってから、様々な体験を通して心の中に浸透してくるものだと思います。
私が今まで師事した先生方からいただいたアドヴァイスの中で、特に印象に残っているものを毎日ひとつずつ、当時のエピソードを交えながらこのブログに載せていきます。
【修行時代に先生に言われた印象的な言葉・1】
「ルービンシュタインは楽曲の為に存在しようとし、ホロヴィッツは楽曲を自己表現の手段とした」(クラウス・ヘルヴィッヒ先生)
ルービンシュタインが弾くショパンのマズルカに耳を傾けていると、恰も音が演奏の瞬間に新しく紡ぎだされているのかと思うほど自然に音楽が流れていくのを感じます。一切の無駄な緊張や余計な表現を省いて、曲に溶け込もうとする意思の現れではないでしょうか。
ルービンシュタインは曲を通じて大仰な自己主張を試みたのではなく、音楽といかに無理なく、自然に一体になるか、ということを突き詰めていった偉大な音楽家だと思います。
一方、ホロヴィッツの弾くスクリアビンの小品や、バッハ=ブゾーニのコラールを、それぞれの曲を創った3人の作曲家たちが聞いたらどう思うでしょうか?
残念ながらその「実験」を試みる事は不可能ですが、きっと彼らはホロヴィッツが自分たちの想像を超えた、楽曲に眠っている新しい魅力を引き出した事に感嘆するのではないかと思います。
ホロヴィッツの音色には「この世のものとは思えない」魔力があって、それは時には深いため息であったり、厭世感であったり、儚い夢であったりして、人の心をとろけさせてしまいます。
曲を取り込んで自分にしか出せない魅力を解き放つ、デモーニッシュな音楽家ですね。
ヘルヴィッヒ先生は、どちらがどうかという事ではなく、「私は前者が好きだが、あなたはどちらを志すのか?」という事を私に問いただしたかったのだと思います。
音楽と作曲家の意図に誠実な先生は、ルービンシュタインとリヒテル、ケンプを崇拝していらっしゃいました。
私は、恐れ多い事ですが、ホロヴィッツの出す音の一つに、少しでも近づけたら本望です。
(リヒテルの平均率とケンプのシューマンも大好きですよ!)
青柳晋(ピアノ)
みなさまこんにちは!
無事に過ごされていますでしょうか?
今日より一週間、せんくらブログのバトンを引き継ぎます。
どうぞお付き合いください!
今年のせんくらはソロと、セレーノ弦楽四重奏団の2公演。
ピアノの坂野さんとは共にデュオをさせていただいてから、いつの間にか十年ほど経ちます。
ほんと早いものですね
9月30日、ソロではストラヴィンスキー、そしてグリークというプログラムを組ませていただきました。
カルテットではコダーイの弦楽四重奏曲、民族的な音楽にチャレンジです。
【62】
10:45~11:30
西江 辰郎(ヴァイオリン)
坂野 伊都子(ピアノ)
《ヴァイオリニスト 西江辰郎を聴く ストラヴィンスキーとグリーグ》
【57】
14:30~15:30
セレーノ弦楽四重奏団
《躍動と感動。
仙台生まれのカルテット「セレーノ」》
是非聴きにいらしてくだされば嬉しいです!
僕は2001- 2005年まで仙台フィルのコンサートスターをさせていただいて、2005年から現在の新日本フィルでコンサートマスターをしています。
いまでも仙台での4年半という生活の中で、実に充実した時間を過ごせたなと思っています。
ちょっと思い返してみるだけでもさまざまな出来事があり、初めての国内での一人暮らしでもあり、いきなり1000曲ほどのオケ曲とも出会い、初体験だらけでした。
色々な方との出会い、つながり、共演、などを通して、今でも多くの方が連絡を取ってくださっていますし、ときには手紙や、お中元まで頂いてしまいます。
ありがたや~
2012年も8月に入りました。
皆様とお会いでき、演奏を聴いていただけるのを楽しみにしています。
Viva!せんくら
西江辰郎(ヴァイオリン)