練習室で演奏会の話を。

2018.08.11| 岡本誠司

いよいよ岡本誠司が担当するブログも第3弾、最終回となりました。

今回は書き残したことを書いていきつつ、第1、2弾の伏線たちを回収していこうと思います。

 

前回のブログでは2016年の仙台国際音楽コンクールの時の思い出を書きましたが、今年7月初旬にはコンクール以来久しぶりに仙台に戻ってくることができました。

7月2日の仙台市政施行129周年記念コンサートでは、仙台フィルハーモニー管弦楽団さんとブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を共演させていただきました。

 

僕のベルリンでの新しい師匠、アンティエ・ヴァイトハース先生の十八番のひとつでもあるこの作品は、一見ソリストが大活躍の華々しいコンチェルトに見えるものの、実はオーケストラと密に絡む部分が沢山あり、とても“美味しい”曲なのです。

2年ぶりの仙台フィルさんとの共演はとても充実していて幸せな時間でした。

 


写真提供: 仙台フィルハーモニー管弦楽団

 

その翌日と翌々日は仙台市内の小学校での訪問コンサートへ。

子供達にも楽しんでもらえるよう選曲した、様々な国の作曲家たちのヴァイオリンの小品を7曲ほど演奏しました。

当日の気温は33度、会場は灼熱の体育館。聴いていた子供達も汗だくでしたが僕はもっと汗だくに。人生で2番目に暑い本番でした。

しかし、子供たちから沢山のエネルギーを貰い、むしろ始まる前より元気をもらって帰ってきました。

 

 

さて、いよいよ本題へ、9月末のせんくらの出演公演について。

今回僕は9月29日(土)に2公演出演することになっており、まず1公演目はこちら!

 

公演番号 52

9月29日(土) 15:45~16:30 @仙台銀行ホール イズミティ21 小ホール(403席)

仙台国際音楽コンクールとドイツが結ぶアンサンブル ~シューマン・ブラームス~

https://sencla.com/program/537/

 

ベルリン芸術大学で学んでいらっしゃるピアニスト坂本彩さんと北端祥人さんは第6回仙台国際音楽コンクールの入賞者仲間(?)なのですが、初めてお会いしたのはベルリンでした。

その後、何度かご飯をご一緒したり、聴きに行った演奏会でばったりお会いしたりという間柄に。お二人とも演奏会で共演するのは初めてなので、これからさらに仲が深まっていくものと思われます。

 

そして仙台フィルの首席チェリスト、吉岡知広さんとの出会いは実は仙台国際音楽コンクールよりも前、2014年のドイツ・ライプツィヒのバッハ国際コンクールの時でした。

ファイナルを弾き終え、その後の結果発表で喜びを噛み締めた翌日、歴史あるゲヴァントハウスの大ホールにて入賞者ガラコンサートが催されました。

 

出番の前だったか後だったか、舞台裏をふらふら歩いていると、ピアノ部門のオーケストラのメンバーの中に日本人チェリストの姿が!それが吉岡さんとの初めての出会いでした。

その後、仙台国際コンクールの時に再会を果たし、前回のブログで長々と書いたシューマンの協奏曲では第2楽章にはチェロ・ソロとの掛け合いがあったこともあり、既に二人で何度も共演させていただいているつもりになってしまっていますが(勝手に)、室内楽での共演は今回が初めて。

とても楽しみです!

 

そして今回のプログラムについて。

4人で話し合った時に様々なプログラムのアイデアが出てきていたのですが、せっかくドイツにゆかりのある4人なので、シューマンとブラームスというドイツ・ロマン派を代表する2人の作曲家の作品を並べたプログラムになりました。

シューマン愛は前回のブログで語った通りですが、ブラームスも僕がずっと大好きな作曲家の一人。シューマンとブラームスは師弟のような関係であると同時に、クララ・シューマンを巡った三角……この話題だけでブログが一つ立ち上がるほど長くなりそうなのでこの話はやめておきましょう。

 

代わりに演奏する3曲の繋がりについて少々。

坂本さんとのデュオで1849年作曲のシューマンのロマンス、そしてシューマンとブラームスが出会った頃、1853年に彼らが合作して完成させたFAEソナタよりブラームスが作曲した第3楽章スケルツォを。

そして北端さん、吉岡さんとはブラームスが21歳の1854年に作曲し、57歳になった1890年に書き直したピアノ三重奏曲第1番を演奏します。

シューマンとブラームスが過ごした時代のドイツに思いを馳せながらお聴きいただくのも、また一興かもしれません。

 

(ブラームスが作曲に使用していたものと同型のピアノと、1855年のプライベートコンサートのプログラム。時代を感じます。いずれもハンブルクのブラームス博物館にて)

 

 

もう一つの出演公演は、毎年恒例のせんくら・フェスティバル・ソロイスツ!

 

公演番号 25

9月29日(土) 19:00~20:00 @日立システムズホール仙台 コンサートホール(796席)

せんくら・フェスティバル・ソロイスツ

https://sencla.com/program/510/

 

こちらはバッハやヴィヴァルディといった18世紀前半のバロックの作品をお届けするプログラムとなっています。

作曲されてから既に300年ほどが経っているということもあり、バロックの作品には特に演奏家それぞれの音楽の捉え方やセンスの違いが如実に現れるように感じます。勿論、それだけ作品自体の懐が深いとも言えます。

そういった作品だからこそ、今回のような素晴らしい方々と音楽を作ることができるのはとても楽しみなのです。

中でも僕が第1ヴァイオリンを務める予定のバッハのブランデンブルク協奏曲第3番は、高校の時に友人たちと学内の有志コンサートで演奏した思い出の曲ということもあり、尚更わくわくしています。

 

 

さて、そういうわけで、9月29日は夕方の室内楽公演をお聴きになってから、喫茶店でお茶をしながらひと休み、会場を少しだけ移動して夜はソロイスツ公演へ是非どうぞ、と書こうと思っていたのですが、大人気ソロイスツ公演はあっという間に完売してしまっていたとのこと。

みなさま、完売になってからでは遅いですので、気になった公演を見つけたらすぐに手帳をご確認いただき、是非その後はチケット購入へ進んでくださいませ!

 

3日間のブログにお付き合いいただきありがとうございました。

僕のTwitterやFacebookページでは引き続き日々の生活や演奏会情報、そして勿論せんくらに関する情報も発信していく予定です。もしよろしければそちらも是非ご覧くださいませ。

Twitter: @seiji_vn

Facebook: 岡本誠司-Seiji Okamoto @seiji.okamoto.violin

 

それでは、9月末の仙台で皆様にお会いできることを心より楽しみにしております!

 

岡本 誠司

ドイツで仙台の話を。

2018.08.10| 岡本誠司

みなさまこんにちは、ヴァイオリニストの岡本誠司です。

昨日の第1弾のブログでは、ドイツのベルリンに留学するに至ったきっかけや最近の生活について書きましたが、今回の第2弾では仙台での思い出やコンクールのことなどを書いてみることにします。

 

 

実は以前は仙台にあまりご縁がなく、2012年に岩手県の陸前高田で、翌年に宮城県の松島で演奏した時に仙台駅で新幹線を降りてそれぞれ一泊ずつしただけでした。

なので、僕にとっては2016年の仙台国際音楽コンクールが初めての仙台での長期滞在でした。

 

規模の大きい国際コンクールのほとんどは、DVD審査を通過すると、第1次予選で20~30分の持ち時間で無伴奏やピアノと小品など、第2次予選は40~60分のハーフリサイタル、セミファイナルで小編成のオーケストラと古典派の協奏曲、ファイナルでロマン派や近現代の協奏曲を2曲演奏する、というのが一般的です。

 

2014年のドイツ・ライプツィヒでのバッハ国際コンクールや、その後にも上記のような課題曲の国際コンクールをいくつか受けましたが、仙台国際音楽コンクールの特色はなんといっても予選からオーケストラと共演できること。

 

第6回に僕が受けた時は、予選でモーツァルトのヴァイオリンとオーケストラのための小品を2曲と無伴奏作品、セミファイナルでは大変思い出深いシューマンの協奏曲とラヴェルのツィガーヌ、そしてファイナルではメンデルスゾーンとプロコフィエフの2番の協奏曲を演奏しました。

 

通常ソリストがオーケストラと共演する時には1つのコンサートで協奏曲1曲というのがスタンダードなため、2週間の期間中にオーケストラと協奏曲3曲+小品3曲を演奏するというのは非常にハードで、これは余程の売れっ子やベテランの方々でなければなかなか経験できないことでもあります。

この貴重な経験が今の自分にしっかりと生きていることは言うまでもありません!

 

 

さて、先ほどセミファイナルのシューマンの協奏曲が大変思い出深かったと触れましたが、これについて少し書くことにしましょう。

19世紀前半のドイツ・ロマン派を代表する作曲家、ロベルト・シューマンは特にピアノ曲や歌曲、室内楽曲のジャンルで多くの名曲を世に残しています。

協奏曲も数曲書き残しており、その中で一番有名なのはおそらくピアノ協奏曲でしょうか。そしてチェロ協奏曲もチェリストにとって大切なレパートリーの一つで、僕が大好きな曲の一つでもあります。

そんな中でヴァイオリン協奏曲は実はこれまであまり演奏機会が多くない作品でした。

 

というのも、シューマンの晩年の作品は彼が精神的な問題を抱えていたこともあいまって非常に難解で、彼の妻で偉大なピアニスト・作曲家でもあったクララがこの作品を封印してしまっており、大作曲家の作品にしては非常に珍しく、死後80年間ものあいだ陽の目を見ることがなかったのです。

 

楽譜が再発見され、初演されたのは実に1937年になってからのこと。その後もソロ・ヴァイオリンパートの演奏困難さや音楽的な解釈の難しさから、なかなか演奏家の主たるレパートリーとはなりませんでした。

ここ最近になってようやく、ヨーロッパのソリストを中心にこのシューマンのヴァイオリン協奏曲を取り上げる機会が増えており、僕も何度か曲を耳にはしていました。

 

が、まさかその曲がコンクールの必須課題曲になるとは!!

コンクールの一年少し前に課題曲が発表された時、藝大の周りの友人たちと共に動揺したことは今でも忘れられません。

 

 

さて、楽譜を手に入れ、いざ譜読みを進めていくとどうでしょう、この作品の虜になってしまったわけです。

身体の奥あるいは地の底からふつふつと湧き上がってくるエネルギー、絶え間無く何かに突き動かされるような焦燥感。その中にひとすじの光が現れ、消えて行く。ついにそこから確信を掴み取ったかのように見える最終楽章も、果たして現実のものなのか幻なのか。

細かい表現や音楽の作り上げ方の難しさも、まるで噛めば噛むほど味がしてくるスルメの如くとても味わい深く、、、と書くとせっかくのイメージがぶち壊しになりますね、前言撤回します。

 

兎にも角にも、DVD審査と予選を通過でき、この曲を仙台フィルさんと弾けることになった時は、不安とわくわくが入り混じった気持ちでした。

リハーサルでオーケストラと実際に音を重ねてみて、新たな可能性やアイデアが湧いてきたこともあり、出番前2日間をほとんど徹夜して、細かい部分の練習やさらなる楽譜の読み込みに費やしたことは、ここだけの秘密です。

(よいこのみんなはまねしないでね!)

 

そのシューマンを演奏したセミファイナルでは聴衆賞もいただくことができ、とても嬉しかったと同時に、また近い将来どこかでこの協奏曲を演奏できるように精進し続けようと心に決めたのでした。

 


写真提供: 仙台国際音楽コンクール

 

ファイナルではメンデルスゾーンとプロコフィエフの2番を演奏、結果は第6位と奮いませんでしたが、審査員の方々や指揮の広上マエストロ、仙台フィルの皆様、そして会場やライブ配信で聴いていただいていた方々からも、感想や激励のお言葉、今後のためのアドバイスを沢山いただきました。

 

この数ヶ月後、2016年10月に挑戦したポーランドでの第15回ヴィエニャフスキ国際コンクールでは、仙台での経験が大いに生き、第2位を受賞できたことに繋がったと感じています。

 


写真提供: International Henryk Wieniawski Violin Competition

 

さて、明日の最終回のブログではいよいよ今年のせんくらの公演のことを書きます!

以上、外気34度、冷房・扇風機何もなしのベルリンからのブログ投稿でした。あつい。

 

岡本 誠司

スペインでドイツの話を。

2018.08.09| 岡本誠司

みなさまこんにちは!
今年初めて”せんくら”に出演させていただく、ヴァイオリニストの岡本誠司です!

 

2016年の第6回仙台国際コンクールの時に長期間仙台に滞在して以来、仙台のことが大好きになり、今年2018年の7月初旬に再び仙台フィルハーモニー管弦楽団さんとの共演と学校訪問ミニ・コンサートのために仙台を訪れた時は、第二の故郷に戻ってきたかのような心持ちでした。

 

そんな僕ですが、1994年生まれの千葉県市川市出身、昨年東京藝術大学を卒業し、現在はドイツ・ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で研鑽を積んでおり、そして今このブログはなんとスペインのマヨルカ島で書いています!

仙台での思い出やせんくらの出演公演(ちなみにどちらも9月29日、公演番号は25番52番。覚えやすい!) の詳細はこの後の2回のブログで書くといたしまして、今回は自己紹介がてら主に最近の生活について書こうと思います。

 

 

3歳の時に一緒に遊んでいた女の子に自慢されて羨ましくなったのがきっかけでヴァイオリンを始め、その後ここには到底書ききれないほどの様々な方々との出会いがあり、20歳になった2014年にはドイツ・ライプツィヒの60年以上の伝統を持つバッハ国際コンクールのヴァイオリン部門でアジア人として初めて優勝しました。

 

実は小さい頃から不思議とバッハの作品が好きでした。6歳の頃そのとき練習していた曲がどうしても好きになれず、一度ヴァイオリンをやめたときも、しばらくして不意にバッハのシャコンヌが弾きたくなったのがやる気を取り戻したきっかけでした。

もちろん当時の僕にはシャコンヌを弾くだけの充分な技術はなく、本来15分ほどの曲を弾き終えるのに1日半かかってしまったのですが!笑

 

そういう事もあって、バッハやベートーヴェン、シューマンやブラームスら数々の偉大な作曲家が誕生し、活躍したドイツには自然と愛着を持っており、留学先にはドイツを考えていました。

実はもう少し早く留学しようと考えていたこともあったのですが、様々な要素が重なり、昨年夏に入学試験を受けて秋からドイツのベルリンに住み始めたというわけです。

 

 

ベルリンの壁が崩壊した後に生まれた世代ではありますが、街や物事の歴史を知るのが大好きな僕にとって、ベルリンはとても興味深い街です。

 

人口350万人のドイツの首都でありながら、冷戦中の西ベルリンへの物資輸送用に2ヶ月足らずの急ピッチで作られたそれほど規模の大きくないテーゲル空港が未だにメインの空港として使われているため、アジアとの直行便が一切ない事や、名物がカリーヴルスト(ソーセージの上にトマトソースとカレーパウダーがかかったもの)とアイスバイン(塩漬けした豚のすね肉を煮た料理)くらいしかないのはご愛嬌として、旧東西の街並みや空気感の違いを同じ街の中で感じることができ、大戦や冷戦中の悲惨さとそこから立ち上がった人々のエネルギーが伝わってきます。

 

ちなみに僕が今住んでいるのは旧西側の中心地、Zoologisher Garten駅からほど近い地域なのですが、通っているハンス・アイスラー音楽大学はAlexanderplatz駅から近い旧東側、ベルリンで師事しているアンティエ・ヴァイトハース先生も旧東ドイツ出身です。

 

今年4月、イタリアでのヴァイトハース門下の合宿の折には、30~40年前から現在までの様々な実体験を交えた話を先生から聞くことができ、非常に興味深かったです。

 

 

さて、そんなベルリンにはベルリン・フィルは勿論のこと、その他にもいくつもの素晴らしいオーケストラ、コンサートホールがあり、世界中から音楽家が集まってきます。

演奏会は到底行き尽くせないほどあり、しかも学生のためのチケットの料金はどんなオーケストラ、演奏家のコンサートでも10ユーロ~高くて15ユーロ(約1300~2000円)ほど!

そういった好条件にも関わらず、都合がつかずに聴けない演奏会があることをとてももどかしく思っています。

 

というのも、留学が始まった昨年秋以降も、ありがたいことに日本での演奏会や2016年のヴィエニャフスキ国際コンクール(次回以降のブログで少し詳しく書こうと思います!) がきっかけのご縁で、ポーランドなどヨーロッパ内での演奏会をいくつも戴いており、ベルリンと日本、ベルリンと他の街との往復が続いているのです。

長期間ベルリンに逗留している事も当然あるのですが、例えば忙しかった今年の6、7月はこのようなスケジュールでした。

 

4月末~6月12日…ベルリンにてアレクサンダー・テクニーク、中世声楽、視覚文化論の授業、通常のレッスンやカルテットのリハーサル、レッスンなど

6月13日…ベルリンの学校のホールにてヴァイトハース門下のクラスコンサート

6月14~19日…パリにてリハーサル

6月20、21日…ベルリンに戻って授業や先生のレッスンなど

6月22~24日…ポーランド東部のSzczawno-Zdrojという街の伝統あるヴィエニャフスキ音楽祭にて、ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番を演奏

6 月25~27日…ベルリンに戻って授業など

6月28、29日…東京へフライト、そのまま夜に仙台入り

6月30日~7月5日…仙台フィルハーモニー管弦楽団さんとのブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番の共演、仙台市内の小学校訪問コンサート

7月6~11日…東京にてリハーサル、楽器の調整など

7月12~15日…東京・銀座ヤマハホールでの室内楽演奏会のリハーサルと本番

7月17日…ベルリンへ

 

留学中はできる限りひとつの場所に留まってしっかり学びなさい、という先達の皆様のアドバイスも戴いておりますが、様々な方々とのリハーサル、様々な土地のコンサートでの演奏から得られる経験は毎回計り知れないもので、そのひとつひとつが自分の血となり肉となっていると感じています。これからも人一倍有意義に活動し、たくさん吸収して経験を積めるよう頑張っていこうと思います。

 

 

 

…とは言うものの、束の間の息抜きの必要性を感じたため、マヨルカ島に来てこのブログ第1弾を書き終えようとしているわけです。

 

ちなみに地中海に浮かぶマヨルカ島はドイツ人に大人気のリゾート地で、観光客の出身国は地元スペイン、イギリスを抜いてドイツが堂々の第1位。

 

ドイツ国内からも格安航空会社が多くの直行便を運航しており、僕もそれに乗ってマヨルカに降り立ちました。

 

真っ青な空、燦々と照りつける太陽、透き通った海、真っ白な砂浜、新鮮な海産物の美味しい料理。

 

どれもドイツでは味わえないものですね!(おっと失礼)

それではブログ第2弾、第3弾もお楽しみに!
(マヨルカ島でせんくらブログを執筆中)

 

岡本 誠司

 

 

 

台湾の親友と…

2018.08.08| 神谷 未穂

皆様、こんにちは。

いよいよせんくらブログ担当3日目=最終回です!

先日の仙台フィル7月定期演奏会に親友で台湾フィルコンサートマスターの、リ イーチンさんがゲストコンサートマスターでご出演下さいました。

霧島国際音楽祭で仲良くなった私達。来日後すぐに、旅疲れも見せず、私が月1回、レギュラー出演しているNHK TV「もりすた!」にご出演。

NHKのスタジオが今年新しくなりました。

杜の都仙台の名にふさわしく、木々の緑が沢山見える、とても気持ちの良いスタジオです。

イーチンも「明るくて素敵なスタジオ!」と☺。

 

スタンドパートナーとして隣で弾いて頂いただけでなく、台湾の方々の多大なご支援によって造られた南三陸病院に一緒に行ったり、わが家にもハードスケジュールの中、食事に来てくれました。

 

エアロバイクが写っていますね。

長らく息子の保育園バッグ掛けになっていたエアロバイクですが😅、4月から活動再開。

最近、私は健康オタクモードに切り替わっております。

毎食の様に食べていたデザートをやめ、バランスよく食べる事を心掛けたら、苦もなく痩せました(え?イマイチ写真だと痩せたのがわからないかしら??)。どれだけ甘いもの食べていたのかと。

高齢出産太りはなかなか減らないし、と思って半ば諦めかけていた私でしたが(と思いつつ、今まで全くダイエットモードにならなかった)、なんと、あと少しで出産前の体重に戻ります㊗。

身体の調子が以前より良くなりました。いかにバランス良い食事が大切か、実感。

 

さて、今年のせんくらでの仙台フィルのコンサートを指揮されるのは、仙台フィルの指揮者の角田綱亮さんなのですが、私は勝手にご縁を感じています。

 

息子が産まれた日に、仙台で従姉の礒絵里子(昨年のせんくらに出演!)がソリストを務めた仙台市民響のコンサートがあったのですが、その指揮をされたのが角田さんでした。記念にそのチラシを息子が産まれた日からずっと部屋に飾っているので、毎日角田さんのお顔を拝見しているので、親しみが☺。

 

今年の4月から仙台フィルの指揮者は新体制となり、飯守泰次郎氏、高関健氏、角田綱亮氏のお三方になりました。

前任のヴェロさんもお元気でしょうかね⁈

エマニュエルもですが、先日のサッカー ワールドカップ「フランス優勝」を喜ばれている事でしょう!!

フランス、おめでとう!!

 

次の写真は、髙橋麻子さんとエマニュエルと、全員宮城学院女子大学先生という共通点を持つトリオによる9月16日に行うブラームスのピアノトリオ全曲演奏会(三曲!!)のリハーサル。

髙橋麻子さんのシリーズ演奏会です。

 

チラシの写真は去年のコンサート終演後の写真(ダイエットビフォーアフターがわかりますか??)。

3曲、全て素晴らしい作品!というのがブラームスのすごいところ。

エマニュエルは「ブラームス作品は人を元気にさせる力がある!」

と。

食だけでなく、音楽も元気になる力を絶対に持っていますよね。

それは私自身、震災直後に強く感じました。音楽が消えたあの期間の息苦しかった事。今年も日本中で自然災害があり、心が痛みます(被災地の皆様に心からお見舞い申し上げます)。

楽都仙台の名に相応しく、音楽が至る所に溢れる音楽のお祭り「せんくら」で皆様が元気になりますように。

 

それでは、

フェスティバルソロイスツ25番

バロック26番

仙台フィル21番&86番公演で、

お会い出来るのを楽しみにしています!!

 

神谷 未穂

バロック音楽

2018.08.07| 神谷 未穂

せんくらブログ2日目の仙台フィルコンサートマスター・神谷未穂です。

 

前回に引き続きバロック話。

今年もバロックチーム(神谷未穂、小池まどか、エマニュエル  ジラール、梅津樹子)で出演します!

 

せんくら出演も回を重ね、チームワークはばっちりです。

毎年リハーサル時恒例の樹子さん作のガパオライスはまだ登場していません。

この暑さ、あの辛さを体が求めています。

樹子さん、よろしく☺。

 

 

梅津樹子さんが演奏するチェンバロの製作者 林さんも全面協力で、リハーサルの度に調律、楽器の状態をばっちり整えてくださいます。

当時のスタイルの楽器はとても繊細なので、有難い事です。

蓋の模様もとても美しい楽器ですね。

 

エマニュエルの楽器はヴィオラ・ダ・ガンバ。

 

ヴィオラと名前に付いていますが、仙台フィルの井野邉さんや飯野さん達が弾くヴィオラとは全く違う楽器、という事を、せんくらバロック通の皆様は既にご存知ですよね!(そうそう、ヴィオラといえば、今年のフェスティバルソロイスツで、私もヴィオラを弾きます!ヴィオラ歴は高校時代からと長いのですが、ヴィオラ奏者としてせんくら初出演)。

 

私が初めてヴィオラ・ダ・ガンバの生演奏を聴いたのは、1995年にフィンランドのクフモ音楽祭に招かれた時でした。

その音色、楽器、演奏姿(まるで踊っているみたい!)の美しさに、一瞬のうちに魅了されてしまいました。

私にとって、この1995年という年は、人生で大きな影響を受けた人(師匠クリスティアン アルテンブルガー氏、夫のエマニュエルも😁)、物(ガンバ)との出会いの年で、その他、ほぼその全てが“音楽祭”での出会いでした。

 

今年はテレマン、マレ、クープラン作品を演奏します。

クープラン生誕350年を皆様ご一緒にお祝いしましょう!!

そして、今や日本を代表する音楽祭の一つとなった、今年の“せんくら”で皆様にも素敵な出会いがありますように。

 

神谷 未穂

楽器クイズ

2018.08.06| 神谷 未穂

皆様、こんにちは。

仙台フィルコンサートマスターの神谷未穂です。

3日間ブログを担当させていただきます。

お読みいただけたら幸いです。

 

 

せんくらには、毎年オーケストラ、室内楽で出演させていただいています。

この暑ーい、暑ーい、暑ーい夏が終わるとせんくらですね!今年もとても楽しみです!

 

夏といえば、「ニューヨークに行きたいかー!!」でお馴染みの《高校生クイズ》があります。

 

ではここでクイズ。

さあ、この楽器は何でしょうか?

 

 

正解はフォルテピアノ。

(5本ペダルに注目!)

 

今音楽室やホールのほとんどで使用されているピアノの前身です。

 

フォルテピアニストの平井千絵さんと、エマニュエル との秋に行うプロジェクトに向け、連日リハーサル。

 

彼女とのリハーサルのなんて楽しいこと!

想像力、ファンタジーに溢れていて、どんどんアイディアがうまれます。

 

いつかせんくらで彼女と共演したいなぁ、、、。

 

彼女のおば様に、私は幼少期にヴァイオリンのご指導いただいていたので、桐朋時代も(彼女は一年後輩)会えば必ず話したり、今では子供の年齢も近いので親子で一緒に遊んだりしています。

 

昔、パリで彼女が演奏時に使う足置き板を一緒に探しに行ったりもしました。工具売り場になくて、台所用品売り場でまな板を買って代用しようとしたり。

 

気軽に「千絵ちゃん」と話していますが、ははぁー、🙇‍♀とひれ伏したくなる程、心から尊敬する音楽家の一人です!!

 

いつかせんくらで共演したいなぁ、、、。

 

あ、二度も書いてしまったわ😁。

 

音楽家になって何が楽しいかって、「ニューヨークに行きたいかー!」、ではないですが、音楽を通して色々な国を旅したり、タイムマシンに乗った様に、作曲当時の時代にワープ出来るところ。

フォルテピアノの音を聴いていると、それを強く感じます。

 

今の時代、演奏会場が大きくなり、当時の楽器ではない、いわゆるモダン楽器(前出の音楽室やホールで使われているピアノ)を使用する事が多いですし、モダンの良さというのもありますが、クラシック音楽を本業としている身としては、その時代の楽器は知っていたい。

 

弾くと、聴くだけではわからなかった事が色々わかったりします。

ああ、だからこのスラーなのか!

だからスタッカート(弓を飛ばす奏法)なのか!この速度表記なのか!e.t.c…と。

 

今年も出演する神谷未穂、小池まどか、エマニュエル  ジラール、梅津樹子によるバロックアンサンブルでは、当時のスタイルの楽器を使用。

是非そのサウンドを体感してください。

 

なぜだか、バロック奏者を多く輩出し、在住者も多い仙台。

ロックの聖地はロンドンでしょうか?

日本でバロックの聖地といえば、ここ仙台ですよ\(^^)/。

バロック話は次回に続く。

 

神谷 未穂

ピアニストの休日

2018.08.05| 北端祥人

『旅の思い出は、ほぼ〈食〉の思い出』

 

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旅行における食事がいかに大事かということ、言い換えれば、食事以外が良かったとしても、食事が駄目なら、それは良い旅だったとは言えない……

これは僕の名言……

もとい、旅行をする時に自らに唱える「格言」です。

 

そういう意味で、先日のベルギー旅行はとても良い旅でした。

 

演奏活動とベルリン芸術大学での学業が落ち着いた7月下旬ごろ、思い切って旅行に出かけることにしました。

ドイツ・ベルリンに腰を落ち着けてそろそろ5年が経とうとしていますが、思い返すと色々な所に行きました。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド、オーストリア、イギリス、デンマーク……

などなど。陸路でも空路でもアクセスが豊富なのは、ヨーロッパを拠点とする利点かもしれません。

 

ベルリンから飛行機で1時間、ベルギーの首都ブリュッセルに到着しました。

到着ゲートでもう既に甘い香りがする……気がする。さすがワッフルとチョコレートの国、ベルギー。

 

街中に移動し、早速ワッフルを物色。

 

早速食べてみると……フワフワで、焼きたての甘い香りが口の中にいっぱい!

ブリュッセル中心部はそこら中にワッフル屋さんがあるので、誘惑多過ぎ危険地帯です。

 

この後、美術館や楽器博物館(かなりオススメ!)なども楽しみましたが、本ブログは食べ物に特化してる為、割愛します。

 

さて、もう一つベルギー名物といえば…

北海で獲れる新鮮なムール貝!

身がプリプリ……

白ワイン風味であっさりしています。

 

 

他にも色んな味付けがありましたが、今回はフライと、グラタン風を選びました。

 

そして、ベルギーに来たからには、ビールを忘れてはなりません。

こちらはシメイという銘柄。ビターで芳醇な味わい。この他にもかなりの種類があるので、ビール好きはかなり楽しめます。

 

もう既にかなり満足したのですが、夜の散歩をしたのち、またしてもワッフルの誘惑に負けてしまう。イチゴトッピングのオマケと共に……。

 

 

というわけで、ごく一部ではありましたが、旅の(食の)記録をご覧頂きました。

 

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僕は仙台出身ではありませんが、コンクール以後、仙台に来る度に「あぁ、帰ってきた!」と思います。それぐらい、僕にとっては思い入れのある街です。

 

3日間、ブログにお付き合い頂き有難うございました!

秋に「せんくら」の会場でお会いできることを楽しみにしています。

 

〈補足〉

Twitterでは演奏会情報や、日々の出来事をつぶやいてます。

こちらも是非チェックしてみて下さい♪

https://twitter.com/batako_batakita?lang=ja

 

北端 祥人

子どもの遊び

2018.08.04| 北端祥人

『作曲の秘密など、誰に知れましょう。海のざわめき、地平線の曲線、木の葉のあいだを吹きわたる風、小鳥の鋭い啼き声、そういうものがわれわれの心に、ひしめき合う印象を与えます。すると突然、こちらの都合などは少しも頓着なしに、そういう記憶の一つがわれわれのそとに拡がり、音楽言語となって表出するのですよ。———

———だからこそ、私は自分の音楽的な夢想を、できるだけ私自身から切り離して書きたいと思っています。私は自分の内的風景を、子供の素朴な、こだわりのない心で歌いたいと思っています。』

 

(音楽のために─ドビュッシー評論集 より

アンリ・マルレブによる「聖セバスティアンの殉教」初演に際してのインタビューより抜粋

訳 杉本 秀太郎)

 

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今年、2018年はフランスを代表する作曲家、クロード・ドビュッシー没後100年の記念の年にあたります。

 

「月の光」「亜麻色の髪の乙女」「アラベスク」など、聴く人を魅了する調べを産み出したその人物は、この「評論集」において赤裸々に音楽について語っています。時々かなり辛辣に同時代の音楽を批判することも……。しかし、自分のことになると、彼はそんなに多くを語りません。

 

ブログ冒頭のインタビュー抜粋、彼は「作曲の秘密」について語るかと思いきや、「誰に知れましょう」と我々をはぐらかす。しかしこの後に続く言葉こそ、彼の美学を象徴しているように感じます。

 

彼は、こういう言葉も遺しています。

「言葉が表現する力のなくなったところ、そこから音楽が始まる。」

 

僕にとって音楽は自分の主張です。

小さい頃、どちらかというとシャイで、大人しく口数の少ない方でしたが、音を通して自分の言葉とし、音楽を通して自分に正直になれる。それは大人になった今でも同じです。

 

僕には3つ上の兄と、2つ下の弟がいます。

そう、僕は「だんご3兄弟」によるところの「自分がいちばん 次男(次男)♫」です。

別にその様な選民思想はありませんでしたが、兄弟の中で僕はとりわけマイペースだったと思います。

 

間に挟まれ次男。

 

僕が4、5歳の頃、兄が家から徒歩10秒のピアノ教室でレッスンを受け始めた時、よく一緒について行っていました。僕の目的は兄の監視……ではなく、教室にあった特大のゴマちゃんぬいぐるみ(「少年アシベ」より)と戯れることでした。先生の優しい声と、兄の弾くピアノの音、ふわふわのゴマちゃん…それは僕が覚えている限りとても幸せな時間でした。

その後対峙する対象がぬいぐるみではなくピアノになり、まさか、そんな僕がピアニストになるとは——

僕の周りの人々は、僕の家族を含めて、思っていなかったはずです。

 

月日が経ち、大人になり……今年の3月にソロリサイタルに出演した際、プログラムの最初にドビュッシーの「子どもの領分」を取り上げました。僕は既に10歳の時にこの作品を弾いていたのですが、20年ぶりに取り組んでみて…なんだかムツカシイ。ギコチナイ。

 

「素朴な、こだわりのない心で歌う」

 

これがいかに難しいことか、奇しくも、子供の頃に簡単に弾けていた曲を通して思い知りました。

 

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ベルリン芸大で共に学ぶ盟友・彩ちゃんこと坂本彩さんと、ピアノ連弾のステージに出演します。

ドビュッシー「小組曲」では、舟に揺られたり、バレエを踊ったり優雅なひとときを、ビゼー「子どもの遊び」では童心に返り、リスト「ハンガリー狂詩曲」ではお互い関西弁で喚き散らすが如く火花を散らします。

(注 坂本さんは兵庫県出身、僕は大阪府出身です)

詳細は公演番号【73】をご覧下さい♪

https://sencla.com/program/558/

 

それでは、また明日…。

 

北端 祥人

ブラームスの処方箋

2018.08.03| 北端祥人

『ブラームスは、自分自身を能力の限界まで押し上げるためには、知識だけでなく、心や精神や想像力をつねに育む必要があると感じていた。だからこそ、つねに詩や文学や美術で満たされるように生活を組み立て、ひとりだけの思索をしたり、これこそが真実と思えることに関わったり、何よりも自然と親しんでいたのだ。あるとき「早く上達するにはどうしたらよいでしょう」とたずねると、即座に答えが返ってきた。

 

「とにかく森を歩くことだよ」

 

それはブラームスお気に入りの処方箋で、本人は言葉を文字どおりに受け取ってほしかったのだ。』

 

(ブラームス回想録集第1巻 ヨハネス・ブラームスの思い出 より

クララ・シューマンの弟子、フローレンス・メイによる回想録より抜粋

天崎 浩二 編・訳 関根 裕子 共訳)

 

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ピアニストの北端祥人(きたばた・よしと)です。

僕は練習の合間の読書が好きです。気分転換になるし、本を通して様々な世界を覗き見している様な、そんな気分になります。

音楽に関わる書物や小説はもちろんのこと、サッカーの長友佑都選手の自伝や、俳優・堺雅人さんのエッセイ集などを通して、全く違うジャンルで活躍する方々のプロフェッショナルな生き様から学ぶことも沢山あります。

 

最近読んでいるのは、ドイツの作曲家・ブラームスの回想録で、ブラームスの友人や、ブラームスがピアノのレッスンをしていた生徒が彼の思い出を語る事により、知られざる作曲家像が露わになるという内容のものです。ブログ冒頭の一節はその抜粋です。

 

別にブラームスと僕自身を重ねるつもりはないのですが……。

今から2年前の6月、僕は森を歩いていました。

場所は仙台の台原森林公園。日立システムズホールのすぐ隣にあり、ホールでは連日仙台国際音楽コンクールが催されていました。

 

僕はコンテスタントとして、練習・リハーサル・本番(予選)の毎日。本当に緊張の連続でした。そんな生活と並行して、コンクール期間中、実は僕は会場の隣の公園で散歩することが日課となっていました。

この公園、地図上で見ていただければわかりますが、とっても広い!

木々もかなり生い茂っているので、ほぼ「森」なんです。

この森を歩きながら色んな事を考えました。自分のこと、音楽のこと、コンクールのこと、これまでのこと、これからのこと。そして自分を応援してくれた人々のこと。

その様な思いを巡らせている時は、コンクールの緊張から解き放たれる瞬間でもありましたし、自分と静かに向き合える貴重な時間でもありました。

 

僕にとって忘れられない、仙台国際音楽コンクール。

あの時もしかしたら、ブラームスの「処方箋」が効いていたのかもしれません。

写真提供:仙台国際音楽コンクール事務局

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「せんくら」では、ヴァイオリニストの岡本誠司さん、仙台フィル首席チェリストの吉岡知広さんとブラームスのピアノトリオ第1番を演奏致します。

詳しくは公演番号【52】をチェックして下さい♪

https://sencla.com/program/537/

それではまた明日、別の話題で・・・・・・。

 

北端 祥人

 

楽曲を仕上げる工程(つづき)

2018.08.02| 村治奏一

(つづき)

 

前回は1つの楽曲を仕上げるまでの、

僕なりの工程1つ目「解析」と2つ目「運指付け」

について書いてみました。

 

今回は最後の3つ目の工程です。

ここで、いよいよギターを用いての練習に取り掛かります。

1つ目の解析作業、2つ目の運指決め作業を経て、

頭の中に出来上がった「イメージ」と、

指の「筋肉」を繋げる作業です。

 

これは、とても楽しい作業です。

根気もそんなに必要ありません。

日に日に、着実に、自分の奏でる音が、

「イメージ」に近づいていくからです。

 

あ、

でも、暗譜の作業はやっぱり大変です。

でもその先にご褒美のような響きが待っています。

その響きを、お客様の前で披露できた時は、

なるほど、ギタリストというのも

なかなか良い職業かもしれないなぁと思うのです。

 

 


暗譜作業は移動中にも行います

 

村治 奏一

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