仙台フィル:野崎明宏第2弾です。今回は「私の履歴書」(音楽編)を書きます。
初めて音楽に触れたのは、幼稚園時代に母親に言われて「ヤマハ音楽教室」でオルガンを習い始めた時ですから、4歳でしょうか。足踏みだったか、すでに電気オルガンだったか、思い出せませんが、小学校2年生の時に家に「アップライト・ピアノ」と言うとても大きな荷物が運ばれて来ました。
とは言え、単純な「ハノン」の練習が好きでもなく、「楽譜カード」と言うのを渡されて「ツェー」とか「ベー」と言わされるのがとても苦痛だったので、レッスンに行くふりをして学校でサッカーをしていました。当然、すぐにバレて母親に怒られ、ピアノは小学校の途中でやめてしまいました。つまり、最初の「音楽」との出会いは不幸でした。
中学に入ると、楽譜が読めると言うことでブラスバンド部に無理やり引きずり込まれ、「ホルン」を無理やり渡されましたが、行進曲ではメロディがほとんど無い楽器なので、つまらなくなりかけた頃にトランペットに変わり、とても楽しくなりました。その先生は、最近亡くなられた宮川泰先生と同時期に大学でジャズを演っていたらしいのですが、今では考えられないことに、夜になると中学校の音楽室で街の音楽愛好家を集めて、歌謡曲を演奏して楽しんでいました。一度だけ、そのバンドに参加させてもらったのですが、大人になったような気分で嬉しかったのを覚えています。
「音楽はオモロイデ!」と、いつも酒で赤い顔をして笑っていた先生は、若くして肝臓がんで亡くなりました。それから40年ぐらいたった今でも音楽の仕事を続けていられるのは、「音楽の楽しさ」を教えてくれたその先生のお陰だと思っております。
その後色々な音楽体験をして、今はひとりでも多くの人に「音楽の楽しさ」を伝えるための環境作りに携わっていますが、今度はなかなか心から楽しむと言うことが出来なくなってしまいました。演奏を批判的に聴いたり、価値判断をしてしまうのは、一種の職業病でしょうか?
引退したら、大好きなオペラをいっぱい見たいと思っているのですが、その時に心から楽しめるかどうか、自信がありません。(悲しい・・・かも)
「せんくら」に来てくださる方には、心から楽しんで欲しいと思います。でも、客席で「演奏がうまく行ってくれ」と心の中で叫びながら、毎回胃が痛くなるほど緊張して聴いているおじさんもいます。(私です!)
仙台フィルハーモニー管弦楽団演奏事業部長 野崎明宏(のざき・あきひろ)
http://www.sendaiphil.jp/