鶴岡たみ子です。
「いつもお元気ね!」
「いつも~?ね」「いつも~?ね」等々
言われる度に、嬉しいやら 恥ずかしいやら
複雑な気持ちで……でもちょっぴり心の中では喜んでまーす♪
私はひと口に言って夜型!!
これは大学時代の時から身に付いたもので、今でも直せず、何時でも体が対応してくれます。(世界中何処へ行っても時差ボケがありません!)
人が好き お祭りが好き ランドが好き ようするに にぎやかな所が結構好きなんです。いつも誰かはそばにいる毎日ですので、夜(23:00~)
になると やらなければならない事?を 一生懸命 私なりに気の済むままに時間を掛けます。(書きもの、FAX、資料作り、音符の置き換え)
先週は八甲田山の赤倉岳、岩木山の登山に参加しとても楽しい三日間を過ごしてきました。お花も空気も頂上からの全景も大変心が洗われ、音楽する私にとって、すべて協奏曲を演奏している感じでした。
これからの演奏にも役にたつ事でしょう!!
7月に入ると、吹奏楽コンクールの地区大会が毎週の様に開催されます。
先日、宮城教育大学の授業が終り帰ろうとした時の車のそばで、学生が「ある中学の指揮をするのですが、打楽器はどういう所に注意し指導したらいいでしょうか?」と質問がありましたので「打楽器は“活殺自在”の鍵をにぎっているので、スパイスよりも大切な役割を持っている事や木、皮、金、それぞれの楽器は奏法によって音が違います」と説明した所、学生は納得したようでした。担当した学校が金賞になり、代表になりますように!
鶴岡たみ子(ル・キャレ)
今日は、ライプツィヒに戻って、バッハがオルガンを弾いていたトーマス教会について書きたいと思います。
トーマス教会は、ライプツィヒの一番にぎやかな中心地にあり、すぐ近くにはたくさんのレストランやブティックが並んでいます。しかし、教会に一歩足を踏み入れると全く違う空気が流れているような気がするのです。それはもしかしたら、生徒が先生の前に出ると緊張するように、偉大なバッハ先生に会うような感じで、自分の気が引き締まるからかもしれません…。
教会でミサに参加させて頂きました。神父様のお話までなんとなく音楽に聞こえます。讃美歌をたくさん歌い、オルガン独奏の時間もありました。「バッハも、このようにオルガンを弾いていたのかな?」と思いを馳せてみたり…。なんだかコンサートに行ったような気持ちになりました。
教会の祭壇の所にはバッハが眠っているお墓もあり、バッハに会えたような気がしました。これで少しはバッハの演奏が変わるといいんだけど…(^_^;)
今日は、このへんで失礼します!それでは、また明日。
漆原啓子(ヴァイオリン)
第4回 エンターテイナー「レバイン」
ジェームズ・レバインは米国のメトロポリタン歌劇場管弦楽団で長く音楽監督を務めている名指揮者です。
2004年からは小澤征爾さんの後任として、ボストン交響楽団の音楽監督も兼任しています。
様々なタイプの指揮者がいますが、眼鏡をかけたレバインの明るく踊るような指揮姿と、いつも開放的な演奏はお客様にとても受けがいいです。テレビで放映される場合も、彼の物まねだけはカットされないことが多いですね。
レバインの陽とした人柄が、きっとクラシックを知らない人にも伝わるんでしょう。
彼と似た明るいタイプとしては、2004年に亡くなったカルロス・クライバーという指揮者がいました。しかし、彼の場合は少し難しさもあります。
クライバーをまねている私の映像を動画共有サイトに流したところ、熱狂的なファンのアクセスが殺到して、ずいぶんと書き込みもされました。クライバーのファンにしてみれば、「神聖な指揮者になんてことをするんだ」という憤りの表れだったのでしょうね。
そこへいくと、クラシック界におけるレバインの位置付けは、「根っからのエンターテイナー」と言えるかもしれません。メトロポリタン歌劇場管弦楽団のあれだけ偉い指揮者なのに、あちらこちらのオーケストラや歌劇場を飛び回ったり、3大テノールの伴奏も引き受けたり、八面六臂(ろっぴ)の活躍ですからね。そのバイタリティーと適応能力の高さは、私も見習いたいと思っています。
彼のまねをするときのポイントは、丸い眼鏡や、くるくる巻きになったパーマ頭のカツラといった「見た目」です。
パフォーマンスの部分では、明るく踊るような指揮姿でロッシーニの「ウィリアムテル序曲」や、グリンカの「ルスランとリュドミラ序曲」などの元気な曲を振ることが多いですね。私はレバインだけに限らず、なるべくその人の生き方や解釈が個性として見えるように、一人芝居のようなつもりで、この指揮者形態模写をやるように心掛けています。
好田タクト(パフォーマンス)
こんにちは!加藤詢子です。
仙台に生まれ 仙台で育ち
仙台大好きで~す!!
その 大好きな仙台で 大好きな“せんくら”で演奏できるなんて・・・皆さんに喜んでいただけるプログラムを用意してお待ちしています。
★コンサートで演奏する曲の中にはマリンバ4台を長方形に並べて
あっちに行ったり、こっちに来たり・・・・アレ~!?
私はどこで弾けばいいの!? 「スクエア」です。
お客様に後ろ姿を見られてしまうわ。ごめんなさいね。
「あの人のお尻 大きいね」なんて見ないでね。
私の桐朋時代の後輩の吉岡孝悦(たかよし)氏の作曲です。
当日 4人が間違わないで演奏出来るよう祈ってて下さい!!
★ドラムセットのバスドラム、ご存知でしょう?
バスドラムをたたきながら(もちろん、足で)、マリンバを弾いたり太鼓を叩いたり。という「HOOK」も演奏します。
★もう一曲は「ジュピター」で有名になったホルスト作曲の組曲《惑星》より「木星」です。
★ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」
(もしかしたら本物のタイプライターが見られるかも)
皆さんに喜んで頂けるよう頑張って準備致します。
疲れても私の癒し(いやし)トラちゃんが居るので
大丈夫!!
加藤詢子(ル・キャレ)
今日は、昨日のワイマール観光記の続きを書きたいと思います。
ゲーテの住んでいた家を見学したあと、今度はリストが住んでいた家へ行きました。が、なんとコンサートの最中ということで入れてもらえませんでした…残念…。外から見た限りではこじんまりしているけれど(ゲーテの家を見たあとは、なんでも小さく見えてしまいます…)、素敵なおうちなんだろうな、と思いました。
気を取り直して、ワイマール城に行くことにして歩いていたら、ガイドブックにも載っている「ヘルダー教会」の近くを通りかかりました。ちょっと覗いてみようと思ったら、今度は、明日のコンサートのリハーサル中ということで、またもや中に入れませんでした…。中からは、メサイヤが聴こえてきていました。
ワイマール城は「お城」というよりも、美術館に来たような感じでした。あまりにたくさんの展示物で、閉館時間ギリギリまで見ていたら、中庭でコンサートのリハーサルが始まってしまいました。今夜のプログラムはカルミナ・ブラーナで、オーケストラはチェコからバスで来ていました。
いろいろ感じたことはありますが、特に思ったことを少し…。
こちらには素晴らしいホールがたくさんありますが、ホールではない場所からも、音楽が町中で日常的に溢れていました。せんくらの時には、仙台の街に音楽が溢れると思いますが、日本ももっと身近なところでクラシック音楽にいつでも触れられる環境になればいいのになぁ、と思いました。
それでは、また明日!
※写真は、
1.リストの家
2.シラーの家
3.典型的なドイツの建物だそうです。400年前の建物だそうです。
4.「ワイマール城。コンサートの準備が出来ていて、パイプ椅子がたくさん並んでいます。」
漆原啓子(ヴァイオリン)
第3回 アンチから入った「小澤征爾」
私が小澤征爾さんの存在を知った1970年代、小澤さんの音楽活動は海外が中心だったんです。
だから、私にとってはまるで外国の人でした。たまにテレビで見ても、かっこいいアイドルが指揮をしているという感じで、どちらかと言うと私は「アンチ小澤派」でしたね。「彼はスターではあるけれど、どうせエリートだから」と思い込んでいた節がありました。
しかし、小澤さんの活躍ぶりがテレビで度々紹介されるようになると、そのイメージは一変しました。
彼の指揮姿はとても絵になるし、オーケストラの団員から信頼されているのがよく分かったんです。
その人心を掌握することにも長けたカリスマぶりを見て、さすがは名門ボストン交響楽団を長年率いているだけのことはあるなと、遅まきながら感心しました。
有名な写真家の木之下晃さんが、「小澤さんは、写真を撮っていて本当に面白い」とよく言っています。
私もそう思います。彼は表現意図が明確で、しかもそれが全身からわき出る指揮者ですね。
ですから小澤さんのまねをするのは楽しいですし、お客様の反応もいいので、私の芸には欠かせない存在です。
小澤さんをご存じの人は多いので、ライブ会場や寄席でお客様を指揮者芸に引き込むときは、ポピュラーな入り口として使わせてもらっています。口先をニワトリのようにとんがらせたり、汗びっしょりな指揮姿を表すのに霧吹きを使ったりと、いろいろデフォルメしていますね。
私が活動を続けられるのも、小澤さんがクラシック界の中心にいて、しかもその枠を越えて活躍してくださっているおかげだと感謝しています。
私はこの芸をやり始めた頃から、小澤さんの物真似はずっと主要なレパートリーにしていました。
おそらくこんなことをしている芸人(私)なんて、世界の小澤征爾さんにはばれるわけがない。
だから、思いっきりデフォルメしてもいいだろうと思いながら…。
ところが小澤さんが音楽監督をしている「東京のオペラの森」で、お仕事が一緒になりました。
「タクトさんのこと、小澤さんはとっくに知ってますよ」と小澤さんのマネージャーから言われました。
たしかに、テレビで演じるときは必ず小澤さんの物真似はよくしてたし、
小澤さんのネタはカットもされずに放映されてきました。それにしても…。
ヒャッーっと、冷や汗は出ましたが、ご本人はけっこう楽しんでいるみたいとの噂に意を強くし、ますますデフォルメしまくっているきょうこの頃です。
小澤さんをまねするときによく使うのは、マーラーの交響曲第2番「復活」です。フェルマータを演歌のように思い切り伸ばしたり、合唱の部分で一緒に歌ったり。
音楽と演奏家が一体になっている雰囲気を出せるのが魅力だと思います。
「復活」以外にも、ベルリオーズの「幻想交響曲」や、ヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」などの曲でもまねします。小澤さんはどんな曲をまねしても絵になりますけどね。
好田タクト(パフォーマンス)
はじめまして ル・キャレの熊谷昇子です。
幼少より加藤詢子先生にマリンバを習いました。
今は時々、詢子先生と一緒に演奏をさせていただき、
とても嬉しく思っております。
“ル・キャレ”のメンバーは、とても明るくてとにかく元気!!
(特に詢子先生と、鶴岡先生が元気です。)
打ち合わせや練習はいつもにぎやかです。
私は、登米町出身です。
旧登米尋常小学校に通っていたこともありました!
北上川はとても雄大!きれい!
作曲する時、登米の自然の景色を思い浮かべる事が、よくあります。
登米町、みやぎの明治村で たくさん遊んで育ちました(^_^)/
登米の「あぶらふ」「うなぎ」大好きです。とっても美味しいんですよ♪
現在は富谷町在住です。
夏は、富谷でブルーベリーの摘みとりができます。
富谷のブルーベリーゼリーも美味しいです!
目が疲れた時に時々食べます。
秋にはと十三夜のお祭りがあります。
マーチングも盛んです♪
私には今年百歳になる祖母がいます。
いつも私の演奏活動を応援してくれます。
昨年の敬老のお祝いに富谷の若生英俊町長が訪問してくださいました!写真には写っていませんが、このとき詢子先生もいらしたんです♪
10月4日に祖母が聴きに来るかもしれません♪
熊谷昇子(ル・キャレ)
今日は、ワイマール観光について書きたいと思います。小さい町なのでそんなに時間がかからないかなぁ、と思っていましたが、全部徒歩でまわったせいか、あっという間に時間がたってしまいました。
まず、駅からブラブラと町の中心地に歩いて行くと、とても小さな教会を発見。なんとなく中へ入ってみると、なんとオルガンの演奏の最中でした。小さなオルガンではありましたが、低い低い低音から天に抜けるような高音まで、体に浴びたような感覚でした。
演奏のあと教会の説明書を読むと、なんとゲーテが結婚式を挙げたり、シラーが埋葬されたり(今は、別の場所に移されゲーテと仲良く並んでいるそうですが…。)している由緒ある教会ということがわかり、びっくりしました。
教会から、さらに中心地に向かって歩いて行くと、今度は劇場を発見。なんと、リストが指揮をしていた所で、ワーグナーのローエングリンの初演が行われた劇場だそうです。
昼食を食べたあと、今度はゲーテの住んでいた家へ。ゲーテは、物凄く裕福だったそうで、まるで迷路のようなお屋敷でした。収集が趣味であっただろうたくさんのお皿を飾ってある部屋、石ばかり飾ってある部屋、絵を鑑賞するための部屋…など一つ一つ、違う目的の部屋がたくさんありました。このような環境で暮らしていたからこそ、あれらの作品が生まれたんだなぁ、と感じました。仕事部屋(他の部屋に比べると、とっても広い!)と、小さな寝室が隣接していて、そこに展示してあるベッドで亡くなったそうです。家の裏には立派な馬車も展示されていま
した。今の感覚で言えば「超高級な車と車庫」という感じでしょうか?
ちょっと長くなってしまったので、続きは、また明日(^_^;)
引き続き、お楽しみに!!
【添付写真】
1.ゲーテが結婚式を挙げたヤコブ教会
2.ローエングリンの初演が行われた劇場。前にたっている銅像は、ゲーテとシラー。
3.ゲーテの家の前に待機していた、観光用馬車。乗りたかったんだけど、時間が足りなくなっちゃったので、断念しました(>_<)
漆原啓子(ヴァイオリン)
第2回 あこがれの指揮者「チェリビダッケ」
ドイツで活躍した、ルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケは、
私にとって「神様」とも言うべきあこがれの指揮者でした。彼と出会ったのは、クラシックに思いっきりのめり込んでいて、ブラスバンド部にも入っていた高校時代です。
最初に見たのは、テレビで流れていた来日公演の演奏でした。曲はムソルグスキーの「展覧会の絵」。
その時、自分のそれまでの想像範囲を超える、衝撃的な解釈の数々に打ちのめされました。
念願のチェリビダッケの演奏を実際に聴くことができたのは1996年。
彼が最後に出会ったという名楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地ガスタイクでの定期演奏会です。彼が登場しただけで、満場の聴衆はスタンディングオベーション。
その時の光景は今でもはっきりと覚えています。
この日の後半に演奏された、ベートーベンの「交響曲第2番」第2楽章の途中では、私の隣にいたご婦人が突然泣き始め、会場のあちらこちらからも聴衆のすすり泣きが聞こえてくるほどでした。
それでもチェリビダッケは、感情を全く乱さず、終始穏やかに音楽をコントロールしていました。
演奏が終わると、会場は興奮のるつぼで、百戦錬磨の演奏家たちも放心状態でしたね。
演奏を終えたチェリビダッケは、いつものように禅のスタイルで合掌をしていました。
禅に傾倒し、輪廻転生も信じていたと言われる彼はこの時、誰に手を合わせていたのでしょうね。
私は「もう一度来るぞ」と心に誓い、同年に再びガスタイクを訪れましたが、私の神様は既に亡くなった後。あの日が最後の演奏会になりました。
彼のまねのポイントは、いつも頑固で、孤独で、ニコリともしない表情ですね。そして、むちをたたくような大きな振り方も特徴です。私のステージの最後を飾るのが朝比奈さんなら、最初に持ってくるのはチェリビダッケというくらい、私の中でこだわって大切にしている指揮者ですね。
好田タクト(パフォーマンス)
みなさんこんにちは。
ル・キャレの緑川葉子です。
私は仙台で生まれ、仙台で育ちました。
今回仙台での演奏の機会をいただき、
大変嬉しく思っております。
実は…隠していたわけではありませんが、発足時から数年間、仙台ジュニアオーケストラに在籍しておりました(年がわかってしまいますね…)。
仙台フィルの先生方の楽しいご指導のおかげで、今も太鼓を弾き続けることができています。
当日はマリンバを演奏しますが、太鼓もチョクチョク出てきます。
どうぞ楽しみにしてください。
緑川葉子(ル・キャレ)