重唱の楽しみ(1)

2006.08.30| 林望

イギリス音楽に心を潜め、多くの音源に耳を傾けてみると、そこに一つのイギリスらしい特色を見ることができます。それは何かというと、純粋な響きへの志向、ということではないかと思います。

日本の合唱が学校音楽を出発点とするのに対して、イギリスのそれは教会のクワイア(聖歌隊)を出発点とすることが、もっとも大きな違いかもしれません。

学校音楽では、純粋で精密なハーモニーの響きというようなことは、あまり意識されていないように思います。そもそも学校の教室では音が響かないので、純粋な響きを感じようがないのです。外からは野球部の叫び声やら、ちり紙交換の音やらが交錯して乱入し、純粋なハーモニーどころではないというのが、遺憾ながら学校という空間の現実です。

ところが教会、たとえば、ケンブリッジ大学の各コレッジにあるチャペルなど、教会建築というものは、天井がたかく、壁という壁が石と硝子でできています。

そういうところでは、外の音はほぼ完全に遮断され(防音性というのは壁素材の質量に比例するというのは建築学上の常識です。石造りの建物がその意味で圧倒的に有利であることは現実が証明しております)しかも内部空間では、音は天井高くまで響き、返ってきて、陶然とするようなハーモニーをかたちづくってくれます。この音の挙動が、純粋なハーモニーへと人を導いてくれるのです。

そもそもこの環境が彼我の違いを生む基となっています。この空間に助けられて、彼らは、ほんとうに見事な、精密機械のようなハーモニーを聞かせてくれます。私がいつも羨ましいのはここです。そうして、教会音楽としてのクワイアからは、無数の音楽家が生まれています。

学校音楽としての合唱は、それなりに見事なハーモニーを聞かせてはくれるのですが、そこから多くの歌い手や重唱団や作曲家や演奏家などが育ってくるわけではありません。あくまでもその学校の中に留まっているということころが、哀しいかな、現実であります。

私は、イギリスに行くたびに、CDを探し、多くの楽譜を買い集めてきます。もっとも気に入りの場所は、ケンブリッジの真ん中にあるブライアン・ジョーダンという楽譜舗で、ここには、無数の中古楽譜が、まるでただのような値段で売られています。その楽譜の山を、日がなひっくり返してあれこれと探していると、思いがけず珍しいものを発掘したり、かねてから捜しあぐねていた曲のオリジナルなどに遭遇したりして、その楽しさはまた比類がありません。

そんな風にして、毎年ケンブリッジに行っては、夥しく楽譜を買って戻ってくるのが例になっていますが、その殆どは声楽曲、さらにその多くは重唱譜です。クワイアの天国イギリスには、あらゆる曲の重唱譜がそろっているといっても過言ではありません。それらの楽譜は、重唱林組のレパートリーとして舞台に掛けたりもしましたが、なおやってみたい曲はまだ無尽蔵に残っています。

林望(トーク&バリトン)

2006年08月30日

2006.08.30| 岸本力

岸本力ロシア民謡集CD裏面の曲目一覧

私が幸運にも、日本音楽コンクールに一位に入り、続いて1974年のチヤイコフスキー国際音楽コンクールでも日本男声で初めてのチヤイコフスキー国際コンクール最優秀歌唱賞を「ボリスの死」の歌でいただいたのです。

しかし一方で、私に来る演奏会に来る仕事は、ロシア物以外のドイツ物、イタリア物など、自分が不得意とする仕事までが入り、少しずつ自分の欠点を出す結果に終わり、世間では「岸本は、もうおしまいだ!鼻っ柱が高く、勉強もせず、調子に乗っている!」などとささやかれるようになりました。焦りだけが自分を苦しめました。

そのころ文化庁在外派遣の話があり、イタリア、オーストリアの留学の話があり、ミラノに住み勉強したのです、その頃ロシアには政治的に無理でしたから。
帰国後も、発声のやり方を変えた為、さらに声のバランスが悪くなり、完全に日本で演奏する望みを失ったのです。そのどん底の時、やはり自分の原点であるロシア民謡「ヴルガの舟歌」の力強い励ましの歌で、私自身が蘇ったのです。もう後戻りは出来ない、自分が信じたロシア物の歌をしっかり歌って行こう!

その為には自主企画リサイタルを開催しょうという強い決心をしたのでした。このリサイタルを開くことにより、世間に「岸本力は死んでいないぞ!」と証明するための、一歩でした。

今日はここまで。

岸本力(バス)

ゆけわが

2006.08.29| 林望

次に、勝又さんの独唱は、これも私の作詩、伊藤康英さん作曲の恋愛歌曲集『ゆけ、わが想い』という長大な作品のなかから、三曲抜粋で歌います。

この『ゆけ、わが想い』は、かねて日本歌曲の世界に恋愛の歌が少な過ぎるということに不満をもっていた私と伊藤さんが、はじめて、真っ正面から恋愛歌曲に挑んだ記念碑的作品で、本来は、テノールとソプラノの二人による二重唱曲です。「くすのき」「夜」「うでのなかで」「おこらないで」「わすれない」「ゆけ、わが想い」という六歌曲と、間奏曲一曲からなる作品で、全曲演奏すると四十分近くかかるという大作です。

このうち「くすのき」「夜」「わすれない」「ゆけ、わが想い」の四曲はテノール独唱(一部ソプラノが加わることもある)の歌で、「うでのなかで」はソプラノ独唱、そして「おこらないで」は、二人の二重唱、という構成になっています。

この曲もまた、CDブック『あんこまパン』のなかに収められていて、そこでは、鈴木准さんのテノール、鵜木絵理さんのソプラノ、そして伊藤康英さんのピアノという演奏で録音されています。

勝又さんは、この『ゆけ、わが想い』を浜離宮朝日ホールで演奏したときに、ソプラノの鵜木絵理さんとともに見事に演奏してくれたテノール歌手で、以来、洪純玉さん、橋本真帆さんなどと共に、なんどもこれを舞台にかけてくれています。

今回は、その円熟した演奏で「くすのき」「わすれない」「ゆけ、わが想い」の三曲を熱唱してくれます。とくにこの三曲は、失恋と痛切な追憶を歌う作品で、深い哀しみを湛えています。これまた、鈴木准さん、布施雅也さん、小林彰英さん、など多くのテノール歌手が演奏してくれています。

音楽業界では、一種の符丁として、曲名を略すということがあり、たとえばモーツァルトのレクイエムを「モツレク」などと言ったりしますが、この『ゆけ、わが想い』は、声楽家たちの間では『ゆけわが』と略称されて親しまれています。

しかし、これまた、演奏するのは並大抵ではない難曲で、とくに演技力が大いに要求されるために、オペラ歌手たちによって歌われることが普通です。

オペラの方で活躍中の勝又さんの表現力豊かな歌唱をぜひお楽しみください。

林望(トーク&バリトン)

2006年08月29日

2006.08.29| 岸本力

岸本力ロシア民謡集「つかれた太陽」のジャケット

私の歌に対する意欲は、ロシア民謡から始まりました。ロシア民謡の持つ旋律からくる哀愁に非常に惹かれました。そして民謡から芸術歌曲へと心が動かされ、チヤイコフスキー、リムスキー・コルサコフ等の歌曲を次ぎから次と勉強し始めたのです。

大学の図書館で手にするロシアの楽譜は誰にも手がついていない、真新しい譜面に感動し、自分の、新しい歌の道に感動があったのです。しかし、友人や先輩達は、私のロシア歌曲への熱い思いに、呆れ、皆が私を馬鹿扱いでした。「岸本は、あんな暗い音楽を愛しているなんて!」と言われていました。大学卒業試験で、ムソルグスキー作曲オペラ「ボリス・ゴドノフ」の“ボリスの死”を歌いました。この歌は、ボリスが自分の行いを責め、苦しみ死んでいく様子を歌ったアリアです。

私が、中学三年の夏に、父を亡くしていましたので、その死に様が、突然であり当時の私には、父の死は深い悲しみであり、今でもその悲しみが永遠に続いていますが、父への思いを込めて歌った「ボリスの死」のアリアは、私自身が信じ難い二番という成績で卒業する結果となったのです。

その年の秋の日本音楽コンクールで、この「ボリスの死」を本選で、身振り手振りのアクションを交え舞台上で泣き叫びながら歌ったのです。結果は審査員25人中23名が私に一位をつけたのです。それは夢のような出来事でした。父の死が私を高めたのです。今日はここまで。

岸本力(バス)

いま評判の・・・

2006.08.28| 林望

まずセッション77の方から御案内しましょう。このセッションでは、私と勝又さんと、それぞれが独唱曲を歌います。

私が歌うのは、じつはいまちょっとした評判になっている『あんこまパン』という面白い歌です。これは、今を時めく宮本益光さんや、佐藤しのぶさん、あるいは小栗純一さん、加賀清孝さんなど、著名な歌い手の方々が、全国各地で歌ってくれているせいで、急速にその名前が知られるようになってきたのでした。

『あんこまパン』というのは何であるか、というのは、まあ曲を聞いていただいてのお楽しみ、ということにしておきますが、これは実は、私の作詩、伊藤康英さんの作曲という比較的新しいコンサート用歌曲です。

とはいえ、もともと、私がこの曲のテキストを書いたのは、決して歌曲用にと思ってのことではなくて、『音の晩餐』(徳間書店)というお料理の本に、ひとつの純然たるレシピとして書いておいた記事を、作曲家の伊藤さんが、おもしろがって全三楽章の堂々たる歌曲にしてしまったというものでした。こういう歌はガーシュインなどにも先例がありますが、伊藤さんの歌曲は、作者の私がこう申してはなんですが、ガーシュインのそれより百倍面白いと思います。

そうして、この曲は加賀清孝さんの歌唱で録音され、数年前に小学館から『あんこまパン』というCDブック(歌詩、総楽譜、エッセイ付き)としてリリースしました。その当初はあまり評判にもなりませんでしたが、声楽家たちの間に次第に浸透し、今ではちょっとした評判の一曲にまで育ってくれました。これを今回、作者である私自身が歌おうという趣向です。

とはいえ、この曲は技術的には非常に難しい作品で、そう簡単に歌える曲ではありません。声域も相当に広く、声量や表現力も要求され、なおかつ音程的に極めて難しいところのある作品、しかも伴奏ピアノがまた、なみなみならぬ難曲というわけなのですが、それに私自身あえて挑んでみたいとおもいます。

しかし、歌えば歌うほど、これほど歌い甲斐のある楽しい曲もまた稀で、伊藤さんの作曲の見事さに、いつも感心しながら歌っています。なにぶん、テキストについては、私が作者なので、私以上によく理解している人は居ないだろうと思いますから、その作者としての思いを、せいぜい歌に表現してみたいと思っています。

どうぞお楽しみに。

林望(トーク&バリトン)

2006年08月28日

2006.08.28| 岸本力

念願の東京藝大に入学しました。当時、今から30年前は大学の教育方針は、声楽についてもドイツ音楽が中心であり、次にくるのはイタリア音楽でした。当然私達学生にとって、ドイツリートをいかに上手く歌えるかが勉強の中心でした。しかし、田舎者の私にとって、ドイツ語の繊細な発音、がっちり構成されたメロディーを正確に歌うことが不可能でした。だんだんと歌に対する意欲がなくなりました。

大学一年生の終わり頃、自分にはクラシック音楽が向いていないと悟り、せっかく苦労して入った「藝大をやめてしまう!」という思いで、故郷の茨木へ帰り、母の田んぼの手伝いをやりながら、ふとロシア民謡「ヴォルガの舟歌」「鐘」などを農業の労働と共に歌っていたのです。当時ダークダックスなどが男声四人で歌っていたのを自然と耳にしていたからでしょう。

そのロシア民謡には、自分が力一杯表現できる「悲しみ、苦しみ、喜び、怒り」が入っていたのです。田んぼを耕しながら歌ったのは「ヴォルガの舟歌」で、なんとも言えない快い、自分が癒される「思い」を感じたのです。

私は「これだ!」と思い、藝大に復学したのです。
今日はここまでです。

岸本力(バス)

私の音楽活動

2006.08.27| 林望

人間、あきらめずに地道に努力していると、どんな幸いがやってくるか分からぬものです。

私がそれまでずっとやっていた能楽から、かねて学びたかった声楽に転向したのは、もう十五年も以前のことです。それから何度も挫けそうになりながら、でも継続して努力しているあいだに、声楽的発声というものが少しずつわかってきて、だんだんと人前で歌うことが楽しくなってきました。

今はバリトンの田代和久さんに師事して学んでいますが、以前はテノールの勝又晃さんが私の先生でした。

やがて、勝又さんはじめ、何人かの歌い手たちと重唱グループ「ザ・ゴールデン・スランバーズ」を結成して全国各地で演奏会をするようになり、また山下牧子さんなど別のメンバーと共に、英語歌曲のみに特化した「重唱林組」をも結成して、津田ホールをはじめ各地で演奏をしてきました。

最近は、私と非常に声質のマッチングの良い勝又さんと男声二重唱のユニットを組んで活動をしています。このユニットにいつもピアニストとして参加してくれているのが、五味こずえさんで、紅一点というか、花一輪というか、男二人の殺風景なところに彩りを添えて、見事な演奏で音楽的に支えてくれています。

こういう地道な音楽活動もすでに七八年になる今年、「せんくら」の平井プロデューサーから、是非出演してくれないかと有り難い嬉しいお誘いを受けました。それで、今回もまた、勝又・林組(このユニットにはまだ名前がついていません)で、参加することにしたのでした。

また、私たちの音楽活動を、作曲・編曲という側面でいつも支えてくれているのが、日本歌曲作曲界の若き俊英、上田真樹君です。今回も上田君編曲の作品を中心にプログラムを組みました。

セッション77の方は、私と勝又さんの、それぞれが独唱曲を歌う形で構成します。そして78の方は、二人で歌う男声二重唱のコンサートとしました。

それぞれ、どんな曲を歌うのか、それは明日のこのブログに書く事にしましょう。

林望(トーク&バリトン)

2006年08月27日

2006.08.27| 岸本力

はじめまして、バス歌手の岸本力です。仙台でのロシア民謡のリサイタル楽しみにしています。

私が何故ロシア民謡を好きになったかをお話ししましょう。

私の生まれは、大阪の茨木で父が大工さん、母が農業をやっていました。その四人兄弟の末っ子として生まれました。私の子供の頃は、家の周りは田んぼばかりで、いつも日が暮れるまで、泥んこになりながら遊んでいました。いつも土の感触があったのです。

実際、小さい頃から、田植えの手伝い、稲刈りの仕事と、家族中でやっていました。その環境の中で育った自分が、突然、声が良いというだけで、声楽を始めたのですから、それも高校三年生でしたから、音大受験のためのピアノはバイエルから、声楽はイタリア歌曲、コーリュブンゲンなど、こんなに多くのことを!するなんて! その結果二年間の浪人の結果、やっとの思いで東京芸大にはいりました。

この続きは明日!

岸本力(バス)

2006年08月26日

2006.08.26| 米良美一

私のとりとめもないつらつら日記も7日目をむかえました。

仙台に伺えるのが本当に楽しみです。

私の財布には『仙台四郎』さんという福ノ神のお札が入っています。以前どなたかに頂いたものです。仙台には独特の『はやり』があるみたいですね。四郎さんの他にも四郎の女性版で幸せになれるといううわさの『お守り』があるそうです。おもしろい!!

とにかく仙台に行くと、きっと何か小さな幸せが見つかるのではないでしょうか。

そんな気がします。

まぁ、私は「ずんだ餅」を口にほおばると顔が自然とほころんで自分自身が福福しくなるのです!

では食欲の秋、芸術の秋に、杜の都で一緒に輝きましょうね!

その日まで呉々もご自愛下さい。ご拝読ありがとうございました。

米良美一

せんくらでお会いしましょう!

2006.08.26| 赤坂達三

通称イワシダマと言うイワシの群れとそれを狙うアオサギ=筆者撮影

当然の事ながら、演奏会で演奏する当日と言うものは、演奏が終わるまで、それに向けてあれこれと考えたりと・・・それが仕事なのですが。

ですから夜公演ですと、その日一日一回公演だとしても終日お仕事と言う事に成る。別に悪いとは言っていませんが・・・。

その点、朝の演奏会であれば午前中にはお仕事終わり!

せんくらではその日有効に使って、いろいろなコンサートにも足を運ぼうと思います。

では、皆様にお会い出来ます時を楽しみにしております。

赤坂達三(クラリネット)

 

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