私は基本的には国文学者なので、歌の「詩」をとても大切にしたいと思っています。歌には詩がある、そこがもっとも基本のところで、その「詩」を、文学的にきちんと味わいながら「歌」にしていく、そのことがもっとも大切だと思っているわけです。また、そういうことになれば、国文学の、とくに古典文学の研究をずっとしてきた私は、詩の解釈について、一段深いところまで分け入っていくことができます。
唱歌といっても、ほんとうに子供向けの、単純で深みのない詩のものも多く、すべてが文学的な内容を持っているわけではありません。
しかし、たとえば『朧月夜』(高野辰之作詩)などは、もっとも見事な詩を持った作品のひとつで、これは純然たる歌曲として見てもいいくらい、美しい詩を歌にしています。
菜の花畑に入日薄れ、見わたす山の端霞深し・・・
あの詩の歌っている景色のなかには、私たちのもっとも懐かしい原風景が息づき、今や失われつつ日本の田園の風景美や季節感が、かなしいほど見事に表現されています。それに応じてまた、岡野貞一の作曲も間然するところなき名曲というべきもので、こういう歌を歌うときに、私たちの心に湧き上がってくる郷愁の切なさは、なんとも言えないものがあります。
ところが、こんな名曲が今は学校の教科書からも消え、ほとんど知らないという若い人が増えてきたという、この現実は、残念を通り越して、憤りを感じざるを得ません。せめて私たちは、こういう曲を、なんとかして新しい編曲で甦らせ、今の若い人たちにも、ああ、素晴らしいなあ日本は、とそう思ってもらいたいと念願しています。
あるいはまた、『夏は来ぬ』という唱歌も、素晴らしい作品です。これは和歌界の大御所佐々木信綱が作詩し、東京音楽学校(後の東京芸大)の作曲の中心人物であった小山作之助が作曲をしたという、唱歌の世界の金字塔ですが、ここには、古今集以来の、日本的な風物詩と、その倫理観宗教観のようなものが、あえかに息づいています。こんな歌を歌うことは、やがて日本文学の精髄に触れていくための階梯として格好のことであって、ぜひとも子供たちに歌わせたいものと思っています。そのために、私はいつも演奏に先立って簡単な解説を試み、よく解っていただいてから、歌として演奏する、ということにしています。
今は忘れられてしまっている名歌『野菊』(石森延男作詩、下総皖一作曲)も、昭和十七年に作られた比較的新しい歌ですが、これまた、なんという優しい情調を持った美しい歌でしょうか。私はこの歌もまた、ぜひ復活して多くの人に歌われてしかるべきものと信じています。
そんなわけで、この機会に、ご存じの方は、ああ懐かしいと昔を思い出しつつお聞きいただき、知らなかった人には、ああ、こんな美しい歌があったのか、と改めて認識をしていただきたい、とそんな思いで歌って参りたいと思っています。
林望(トーク&バリトン)