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SENCLA BLOG

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前橋汀子
2006.06.30

(6)2006年06月30日 

おはようございます。

最初にこの「せんくら2006」のブログを1週間計7本お願いします、と言われたときには、「えぇ、そのブログ1週間分って?」とどぎまぎしました。でも、いよいよ残り1日。明日で終わりと思うと「あら、もう1日だけ??」というそんな気分にもなっています。

梅雨のこの季節、庭の雑草が日に日に勢いを増し、芝生にある白い金属製のテーブルと椅子の足元にまで生い茂っています。このところ、ときどき白い猫がどこからともなくやって来て最初は用心深く椅子の上に乗っていたのに、今日はテーブルの上で長々と気持ちよさそうに寝転んでいます。ゆったりと安心しきったようなその様子はノラ猫ではないようです。白い猫とばかり思っていたら、ガラス越しのこちらから見えるお腹の部分が真っ白で、あちらから見える背中の部分は黒のぶちでした。名前を「ねこチャン」とつけて、やって来た姿を見つけると、しばし彼女(勝手に女の子と決めました!)を眺めています。

先日生まれてはじめてテニスをしました!本当にはじめてだったのです。ラケットを手でさわったこともなかったと言ったら、一緒に行った方たちにあきれたような顔をされてしまいました。「テニスをしたっ」というよりは、コートでラケットを持ってテニスの“マネ”をした、というのが正しいでしょうか(笑)。それがやってみたら、コートでラケットを振り回しボールにはかすりもしなかったのですが、「テニス面白そう〜」「ボレー出来たらいいなぁ・・・」なんてすぐに思ってしまい、、。

それには基礎からしっかり習ったほうが?

でも、やめておきます。翌日、筋肉痛で・・・笑

前橋汀子(ヴァイオリン)

加藤洋之
2006.06.30

2006年06月30日 

こんにちは、加藤です。

自分がいままで一緒に音楽を作り、そして大きな影響を受け続けている素晴らしい音楽家たちについての話、今日はヴァイオリニストの川村奈菜さんです。
ブリュッセル在住で、ベルギー王立モネ歌劇場管弦楽団のアシスタント・コンサートマスター(女性だからミストレスですね)を務めていて、音楽監督である大野和士さんとの昨年の日本公演にも同行していました。これまでは自分より上の年代の巨匠たちばかり登場しましたが、彼女は私よりもずっと若い世代に属する音楽家です。しかし、誰よりも長い期間に亘っての大切な音楽仲間です。

1994年からブリュッセル音楽院に留学し、イゴール・オイストラフ氏の薫陶を何年間も受けながら、途中パリ音楽院の室内楽科の学生も掛け持ちし、卒業と同時に、その自分の学んだ音楽院で堀込ゆず子さんの助手として、たくさんの学生を教え、その後、モネ管に入団し、前述したポジションに就任しました。アシスタント・コンマスといっても、実際は多くのオペラやコンサートでコンマスを務めるようです。

今に至るまで一体どれだけの、ピアノとヴァイオリンのために書かれた作品を一緒に勉強し、演奏しただろうか・・・。

譜面はたいていヴァイオリン・パート1段+ピアノ・パート2段(増えるときもあるが)の計3段で書かれている。

ソナタと名付けられているものは、それぞれの音が緻密に関連しあい、反応しあって、3段のスコアで書かれた、隙間のない一つの作品として出来上がっている。ヴァイオリン・ソロとピアノ伴奏という発想、あるいは2人の奏者がそれぞれの個性を違った方向にぶつけて、お互い好き勝手に演奏するようなものを2重奏の醍醐味だなどとする感覚は、そのいずれもが実は、曲の書かれている姿を歪曲しているだけで、面白いときもあるが、作曲家がなぜ、どんなイメージで、何を伝えたくてその編成でその音楽を書いたのかというのが後ろに追いやられ、演奏家の姿ばかりが、その音楽自体がもっているエネルギーとは別の次元で、大きく前面に出てきてしまう。偉大な音楽を利用して、何かをしているだけだ。

もちろんヴァイオリン用のショーピースやヴィルトゥオーゾピースの場合は違っていて、オペラの舞台で華やかに演じているプリマドンナと、それを絶妙に支え、導くピット内のオーケストラとの関係のように”伴奏”をするのが、やはり最も譜面の求めているものを実現することになる。
しかし、この編成のソナタというのは室内楽であるにもかかわらず、なぜ、2つの楽器がそれぞれの持つキャラクターを演じながら、1つのものに融合していく作品なんだと理解されないことがままあるのだろうか。

たとえば、弦楽四重奏で同じように演奏して、聴けるものなどあるのだろうか。あるいは、一つのオーケストラで「この楽器はソロ、あとは伴奏」などということもありえない。
伴奏形というようなモティーフをある部分演奏している楽器があったとしても、それはいずれかの楽器に従属しているわけではなく、オーケストラ全体とのバランスを取りながら、その一つの作品を構成するパートに最適な表現を与えているだけだ。あえていえば、その曲に対して従属しているだけである。

二重奏は最も小さな編成にまで凝縮されたオーケストラのようなものと考えています。ただ、そこには指揮者はいません。だからこそ、お互いが音楽的によく理解しあい、遠慮せず同格に譜面全体を読み、融合して演奏し、初めて一つの音楽作品が姿を現してくる。

またあまり気心の知れていないもの同士が、単にテンポや、ダイナミクスのバランスを短時間のリハーサルでさっと整えるだけで本番を迎えたとき、その結果として、もしお互いが舞台上で音による会話をしていないのであれば、それは単に同時に始まって、同時に演奏し、同時に終わったというだけである。

私は2人以上で演奏するとき、「合わせる」とか「つける」とかいう言葉を使うのが好きではありません。リハーサルのことを「合わせ」と呼んではいますが・・・。演奏中にやっていること、それは「反応し合ってる」というのに尽きます。そして、まるでヴァイオリニストが弾いているかのようにピアノが聞こえ、ピアニストが弾いているようにヴァイオリンが聞こえるというのが最高の状態かな、と思います。

ここまで述べてきたことはみな、川村さんと一緒に講習会に行ってレッスンを受けたり、コンサートで一緒に演奏をしてきて、自分の中に強く埋め込まれてきた感覚です。
こうした意識の積み重ねに、その後出会った(今回取り上げているような)偉大な演奏家たちとの共演の際、どれだけ助けられたことでしょうか・・・。

最初に会ったときから、ピアノ・パートを蔑ろにせず、スコア全体に目を配ることができた人で、さらに後に彼女がパリで室内楽を習ったのは、イヴァルディ氏がピアノの名教師&演奏家でもあったせいで、なおさらそれは強固なものとなっていきました。どんなときもピアノのあらゆる音に反応しながら、そこにヴァイオリンという楽器ならではの表現方法、魅力を、彼女のパートに与えられた使命のようにして増幅させていくのです。

勝手に、自己を剥き出しにしているかのように演奏をすると、一見(一聴?)すごいテクニックとテンペラメントを備えた演奏家として大向こうを沸かせやすいのですが、演奏中に反応し合いながら、生まれてくるインスピレーションをそこに共存させ、美しい調和を保ちながら、自由な音楽を奏でていく方がはるかに難しく、高いレベルの音楽性とテクニックが要求されることです。こういったことを彼女の技術面から支えているのは(もちろん、音楽的欲求と結びついていない技術などはないのですが)、ボウイングで、まるで弓が弦に吸い付くようで、そしてスピード、重さ等を自在にコントロールし、どの瞬間の音も生き物のように息づいています。

ヴァイオリンを始めてある程度までは必要なことですが「弓は均等に使って弾くもの、均等に音を持続して出し、決して弦に当たる角度を変えてはいけないもの、浮かせるなんてとんでもない」・・・などという奏法が、いまだにどこかでまかり通っているというのを聞いたことがありますが、それではまったく変化のない、素材としての「音」しか出せない。

でも、彼女のボウイングは、それがたった一つの音でも和音が聞こえてくるし、それが次にどんな和音に変化しようとしているのかさえも分るように音を出します。
だから一緒に演奏しているときは、音さえ聴いていればタイミングから、次にどんな音色がふさわしいかまで全部わかるので、合わせるために「見る」ということが少なくてすみます。その上、彼女のヴァイオリンに反応しながら音楽の中に入って演奏しているだけなのに、出来上がる曲全体の姿というのは、最初にスコアを読みながら、一人で練習していてイメージしたものに非常に近いのです。
これは音楽の志向が重なっているからそうなるのでしょうが。

室内楽には本当に素晴らしい音楽作品がたくさんあって、あれも弾きたい、これも弾きたいという欲求があっても、同じような音楽性とスタンスを持った人に出会わないと、その作品に懐いたイメージをより多く実現できず、お互い、それぞれのパートだけに満足を求めることになってしまいます。そんなわけで、彼女のようなヴァイオリニストに、ヨーロッパで出会うことができ、自分がソロを弾くときの意識となんら変わることなく、たくさんのヴァイオリンとピアノのための作品に演奏の面から接することができたことは大きな宝です。

よく、「ソロと室内楽、伴奏でどのような違いがあるか?」と訊かれることがありますが、その楽譜の求めている最適だと思える表現をしようと努力しているだけなので、どんな演奏形態であってもまったく変わることはなく、重要なのは、それがどんな音楽かだけであり、私にとっては編成などより、モーツァルトとベートーヴェンの違いのほうがはるかに大きいです。

彼女の旦那さんは、ブリュッセルで一緒に学んでいたスペイン人のチェリストで、やはり音楽的感性に溢れた人で、音楽への敬愛と献身的な姿勢に共感することが多く、時々3人で一緒にトリオを演奏することもあります。
もうすぐもう一人家族が増えるようで、そのせいかどうかわかりませんが、3月の末にブリュッセルに行って久しぶりに一緒に演奏をしてみたら、以前よりもさらに暖かくゆったりとした、母性の滲み出てくるような音楽を奏でていて、とても幸せな気持ちにさせられました。

日本で彼女のことを知っている音楽ファンは決してたくさんはいないと思います。「知名度と実力が必ずしも一致するものではないという傾向は、昨今ますます強まっているのではないか」と感じている人が多いと耳にしますが、彼女のような、本物の音楽を持ったヴァイオリニストの演奏を、一人でも多くの方に聴いてもらう機会があることを願っています。

それにしても・・・・・

火曜サスペンスや土曜ワイドの好きな彼女は、日本から送られたビデオをよく見ているが・・・・・
同じ回のをあんなに繰り返し見てて、何故飽きないのだろうか・・・・・

加藤洋之(ピアノ)

前橋汀子
2006.06.29

(5)2006年06月29日 

ヴァイオリン、って?

起源は馬のシッポの毛で弓を作ることができる、多分中央アジアではないか、といわれている。東西の文化が盛んになった10世紀のころ、シルクロードに位置するその地方から初期の弦楽器タイプのものがヨーロッパに伝えられ、15〜17世紀初期に音色が優雅で繊細な現在のヴァイオリンにかなり近いヴィオールという楽器になった。

現在ヴァイオリン族といわれている楽器は4種:
ヴァイオリン(60cm)、ヴィオラ(66cm)、チェロ(120cm)、コントラバス(200cm)※長さは平均的な全長

ルネサンス期〜16世紀あたりから作られ始めたようだ。特に、16世紀末〜17世紀にかけ、北イタリアのクレモナ(ミラノから南東60km、ロミオとジュリエットで有名なマントヴァに近い)という町で、アマティ、グァルネリ、ストラディヴァリといった優れたヴァイオリン製造職人達によって多くの名器が作り出された。彼らは、それぞれ家族ぐるみ、父子、兄弟で制作していて世襲でその製造技術が受け継がれていた。どうしてクレモナの町が特に優れたヴァイオリンを作り出していたのか、確かな理由はわかっていないが、たぶん・・・
・ニスの作り方に秘伝があった
・最適な材料となる松がその時代この町の周辺に群生していた
17世紀にクレモナで作られたもの以上の楽器が作り出せないのは「なぜ?」かということは、21世紀の現在までも明確に説明できない。

ヴァイオリンは魂が紡ぎ出す楽器!? なぜなら、ヴァイオリンの中に“魂柱”という5cmほどの、例えて言うなら割り箸状のものが入っていて、その魂柱の位置、調整によって楽器が適正に音を出し、演奏できるようになっているから。“魂柱”と日本語で訳されていますが、ヨーロッパの他の言語でも“魂”という意味合いの言葉で呼ばれています。
ところが、英語だけは誠に無味乾燥な「Sound Post=音響/音の柱」なのです!

ヴァイオリンとは、、、ほんのさわりですが、簡単に。

前橋汀子(ヴァイオリン)

加藤洋之
2006.06.29

2006年06月29日

こんにちは、加藤です。唐突ですが、昨日までのテーマから離れてしまいます(明日から戻ります)。フランスvsスペインの試合に感動したので・・・。

ここ何年もの間、フランスサッカーの凋落がいたるところで語られていました。そして実際に今回の予選リーグでもかろうじて勝ち上がったものの、私は魅力を感じ取ることができませんでした。私の大好きなアンリも空回りを続け、どこら辺に強さがあるのかもまったく見えず、なんとなく漠然としたプレーに終始しているようにしか感じなかったのです。

ところが昨日の試合では、あの流れるようなフランスチームのスタイルが、何年もの時を越えて戻ってきたかのようでした。攻撃的、闘争的なものとは別の価値観でプレーしてるんじゃないか、と思ってしまうほど美しいのです。

ボールがレガートのかかった旋律のようにピッチを曲線的に、澱むことなく廻り続け、とにかく音楽的でした。
その中心にいたのは、もちろんジダンで、この大会でチームが破れたそのとき、この史上最高のプレイヤーの歴史に終止符が打たれます。

昨日の試合、ここ数年の衰えがうその様に、最初から最後までピッチ上に大きな軌跡を描き続けました。走っているというより、まるで氷の上を縦横無尽に滑っているようで、ボールや両チームの選手たちがそれぞれ連動して動いているさまは、極上のオーケストラの奏でる音楽を目の当たりにしているようでした。

太陽が地平線に沈もうとしているそのとき、一瞬、さらに巨大になったかのように見え、何倍もの輝きを放射するのを思い出しました。もう二度と帰ってくることのない瞬間、瞬間が美しく流れていく・・・。夕映えの中にいるかのような惜別の念が重なり合い、試合後にもずっとノスタルジーにも似た余韻が残りました。
本当に美しかった・・・・・

加藤洋之(ピアノ)

前橋汀子
2006.06.28

(4)2006年06月28日 

昨日に引き続き、今日はもうひとつの“コース”<前橋汀子特選ヴァイオリン小品名曲2>の曲目解説を。

○クライスラー(1875〜1962): 愛の喜び
クライスラーは、ウィーン生まれの大ヴァイオリニストでもあった作曲家。古いウィーンの民謡を題材にして作ったウィーンの舞踏曲で、明るくはずむような洒落た曲。

○クライスラー: 愛の悲しみ
「愛の喜び」とは対照的な感傷的で憂いを含んだウィンナ・ワルツ。

○クライスラー: 美しきロスマリン
英語名は「ローズマリー」で花の名前だが、少女の名前でもある。「愛の喜び」、「愛の悲しみ」と3部作としてよく知られている。

○モーツァルト(1756〜1791): ヴァイオリン・ソナタ第25番 ト長調 K.301
モーツァルトが22歳の「マンハイム=パリ旅行」のときに作曲したソナタ集のうちの1曲。のびやかな主題を歌ってはじまる第1楽章、可憐でもの悲しいロンド形式の終曲からなる全2楽章のソナタ。

○マスネ(1842〜1912): タイスの瞑想曲
独奏ヴァイオリンが中心の、歌劇「タイス」の間奏曲。今日では単独でオーケストラと、またはピアノと演奏されることが多い。

○ブラームス(1833〜1897): ハンガリー舞曲第1番 ハ短調
ハンガリーのジプシーや農民の音楽をもとに、ピアノ連弾用として原曲は作曲された。全21曲からなり、第1番はチャルダーシュ舞曲。哀愁をおびた旋律がひたひたと押し寄せるように歌われ、中間部に転じ、ふたたび最初の旋律に戻り大きく巻き上がり吹き抜けるように終わる。

○サン=サーンス(1835〜1921): 序奏とロンド・カプリチオーソ
ヴァイオリンの華麗なテクニックと、哀愁おびたスペイン風の独特の主要主題のロンドが見事な曲。天才的ヴァイオリニストのサラサーテに献呈された。

これでコンサートのプログラムご案内と解説は終わります。さて明日は・・・?

前橋汀子(ヴァイオリン)

加藤洋之
2006.06.28

2006年06月28日 

こんにちは、加藤です。この7日間、私と何年も一緒に演奏を続けてきてくださっている方たちについてお話ししようと思っていました。しかし、この間の4、5月に一月以上に亘って断続的に、初めて共演をした、クラリネットの巨匠、カール・ライスター氏の印象が強烈だったので、今日は彼について少しだけお話しさせていただきます。

最初のリハーサルはまったく、何一つといっていいほどうまくいきませんでした。私は、初対面の音楽家と初めてリハーサルをするとき、それがいいのか、悪いのか判らないのですが、無意識のうちに、ひとつひとつの作品において、その人が、どんな音楽をやろうとしているのかを、またその人特有の音楽言語ともいうようなものを探るべく、全身がアンテナのような感じになって、それまでの準備の間に醸成されてきた、自分の主張のようなものをあまり前面に出すことなく1回目は弾く、というのが習慣になってしまっていたようです。

1回でも音を出してしまい、また相手の音も聴いてしまえば、その数分後にはかなり図々しい演奏に豹変するのですが・・・。ところが彼も同じスタンスで臨んでいたようで(あとで解ったのですが)、「何でそんな風に弾くのか分らない」とか、「そんな神経質に弾かれたら、こちらもナーヴァスになって演奏できなくなる」、・・・そりゃそうです。向うもこちらを探って吹いてるし、それを聞きながら弾いているこちらもさらに探ってしまう・・・挙句の果てには「ピアニストというのはどうして皆、云々・・・」「この日程は、云々・・・」などと、半ば他で作ったストレスの八つ当たりじゃないか、と思わされるような事態になっていきました。

実際その日彼はとても疲れていたし、色々なことが思った通りにいっていなかったらしいのです(これも後に分ったのですが)。そしてまったく響きのない、天井の低い、吸音されまくりのスタジオで、小さいピアノのふたの真横にいたので、素っ気ない、無味乾燥な、まったく非音楽的なハンマーの衝突音しか聞こえないわけですし・・・。しかしあとで彼はその条件に気がつき、納得していました。

彼はベルリン・フィル時代からもう本当に完全主義者で、あらゆる歌い方や音色、テンポ感を試みた上で、もうそれしかないというような、考えに考え抜いた究極の姿になったものを、さらにそれとは気づかせずに完璧なテクニックで自然に聞かせる、といった感があるので、そことかけ離れたものが同時に鳴っていると思った瞬間、何をどうしたらいいか深く悩み始めてしまうようです。そんなわけで一回も通すことなく、1小節単位で止まってしまうので、こちらも訳が分らず、本番ではただもう音を並べているだけの、音楽的感興の溢れた演奏など程遠いものになるんじゃないかという気になりました。

でも、次のリハーサルを違う場所に移した頃から様子が変わり始め、最初のコンサートの前日に、大変素晴らしい音響のホールでリハーサルをした後、とてもよい雰囲気になりました。彼も私も、初対面の相手に対して顔見知りする、というか緊張するタイプなので、それが打ち解けてきたというのも大きかったと思います。そして何よりも最初、自分が決めたどんな細かい部分もまったく動かさずに、ひたすらそれを実現させる作業として演奏してるんだろうか、とさえ思わされたのが、実はその反対で、共演者の音楽や、聴衆の雰囲気、ホールの響きに敏感に反応して湧き上がるインスピレーションを、最も大切にする演奏家だと分りました。

本番でその状態を作り出すために、どんな下ごしらえをしておくか、ということに専念しているリハーサルと分り、また彼も私がそれを理解したと気づいたようで、その時からずっとお互い信頼しながら楽しく“音楽”ができるようになりました。結局私もリハーサルというものの意味づけが似ていたようで、初めに相手の音楽に注意深く耳を傾けるのは、どのように自分の感興を共存させられるか(もし相手と方向が違うようなものだった場合は特に)を探るプロセスだし、それがないと、一体化した一つの作品をいつまでも作り上げられないのです。ただ単に同時に音を出してるだけで・・・。その状態が出来上がってしまえば、もう安心していくらでも演奏中のテンペラメントに身をまかせて弾けるし、ハプニングさえも楽しむことができ、そこから思いもよらなかったインスピレーションが湧いてくるので、その場でしかありえないような、1回きりの生きた演奏を生み出すことができるようになると思っています。

最初のコンサートで取り上げた作品の中に、現在出版されているものと、第1稿との間に、多くの相違があるものが含まれていました。いまの譜面では、最後に音楽を完結させるためのピアノ・パートに和音が2つあるのですが、出版されていない最初の譜面では、それが無くて中途で終わるようになっているのです。彼は「そっちでいこう」と言うので、本番ではそのように演奏しました。なぜ、その方がよかったのか・・・・・
「しばしば人生において、解決しないとか、結論にたどり着かないほうが素晴らしいことがある。なぜなら、夢や希望、あるいは不安を持ち続けていられるということだから。それはとても美しいことだ。」・・・などと言うのです。
これってまさにドイツ文学のようで、彼の論理的な、計算しつくされた音楽の根底には、このようなドイツ・ロマン的感覚が脈々と流れていたのです。

松山でのコンサートでも印象的なことがありました。ちょうど40年前の春に、カラヤンとともに初めて来日した彼は、いたるところで桜が舞い、当時の温かく献身的に親切な日本人たちに出会ったこの国を、本気で「夢の国だ」と思ったそうです。今回の松山の会場は、彼が40年前にベルリン・フィルで演奏したのと同じ建物内の中ホールだったのですが、「どうしても、あの時の大ホールにちょっとだけ入ってみたい。」ということで、スタッフの方々のご好意により、ステージを空けてもらいました。
彼はスタッフから離れてステージの真ん中に無言で歩いていき、しばらく物思いに耽った後、楽器を取り出しました。そしてベートーヴェンの7番のシンフォニーの、2楽章のクラリネット・ソロを無人の客席に向かって吹き始めました。それは40年前、その同じステージでカラヤンと演奏した曲目です。その姿を見ていた私の心には不思議な感動が広がっていきました。

彼は来年70歳になり、またプロの演奏家としてステージに立ってから50年目という節目の年を迎えます。
各地でそれを記念したコンサートが企画されているそうです。きっと彼がこれまで歩んできた道のりのすべてが凝縮された、感動的な演奏を聞かせてくれるに違いないと、個人的にもいまからとても楽しみにしています。特別なときには特別な思いがこもってしまうタイプの演奏家だということをもう私は知っています。何といっても彼は「歩くドイツ・ロマン」なのですから。

それにしても・・・・・

健康に気を使っている彼は、
「日本食が一番ヘルシーなのだから、日本にいるときはできるだけ他のものを食べないよう心がけている」と言うのですが、すし屋でウニばかり10巻も注文し、大トロも一緒に食べるというのは如何なものだろうか・・・・・

追記 :コメントをくださった佐藤寿子さま、私も同意見ですよ。

加藤洋之(ピアノ)

前橋汀子
2006.06.27

(3)2006年06月27日 

では、最初の“コース”<前橋汀子特選ヴァイオリン小品名曲1>の曲目解説を。

○エルガー(1857〜1934): 愛のあいさつ
「威風堂々」の行進曲で有名な近代イギリスを代表する作曲家、この曲は1888年にピアノ曲として書かれました。ヴァイオリンをはじめ、チェロやフルート用にも編曲、演奏されています。

○ベートーヴェン(1770〜1827): ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調 op.24 「スプリング」
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中でも最も明朗で、そして優美でロマン的な感情を色濃く漂わせている曲。いつからともなく「春のソナタ」と呼ばれています。

○ドヴォルザーク(1841〜1904): わが母の教え給いし歌
歌曲集「ジプシーの歌」の第4番で、ボヘミアの詩人アドルフ・ヘイドゥーの詩を歌曲にしたもの。

○シューベルト(1797〜1828): アヴェ・マリア
原曲はスコットの「湖上の美人」から詩をとった、乙女エレンが父の罪が許されるよう湖畔の聖母像に祈る歌です。ドイツのヴァイオリニスト・ウィルヘルミがヴァイオリン独奏曲に編曲して大変有名になりました。

○ヴィエニャフスキ(1835〜1880): モスクワの思い出 op.6
ポーランド出身の作曲家で、また近代ヴァイオリン演奏法の基礎を築いた大ヴァイオリニストでもある彼が、よく知られたロシア民謡「赤いサラファン」を使った豪華で自由な幻想曲。ピアノが主題を奏し、ヴァイオリンが技巧を駆使しながらさまざまに変形させていき、途中から別なメロディーも現れる。

○ブラームス(1833〜1897): ハンガリー舞曲第5番 嬰ヘ短調
ハンガリー・ジプシー舞曲の4分の2拍子のチャルダーシュを素材に、素朴でしかも格調高く作り上げられた、もとはピアノ連弾用(全4集21曲)の作品。親友で指揮者としても有名なヴァイオリニストのヨアヒムがヴァイオリン用に編曲。この第5番は、主部は情熱的で流麗な旋律、中間部は静と動が激しく交差するリズムが刻まれるジプシー音楽の特徴が際立っている全21曲中でも有名な曲のひとつ。

前橋汀子(ヴァイオリン)

加藤洋之
2006.06.27

2006年06月27日 

こんにちは、加藤です。昨日のポルトガル vs オランダ戦、すごかった。両チームとも好きな私は、もっと後のほうで当たってほしかったなぁ、と思いました。

さて三日目ですが、今回はヴァイオリニストの加藤知子さんです。

初めて会ったのは、1999年の7月でした。当時、在欧生活が10年になろうしていた私は、ずっとそのままドイツにいるべきか、どこか他のヨーロッパの国に移る可能性を探るべきか、久しぶりに日本に生活の場を移してみるか、悩み始めた時期でした。それぞれのメリットやデメリット、何が困難か等を比較しては悩んでいました。

時々日本に戻って来るたびに、街を歩くテンポ感がうまくフィットしないような感覚や、ピアノに向かっているときの、どこか仮の場所で音を出しているような、現実感のないような感覚、人とコミュニケートしててもどこか変なんじゃないか、妙に浮いてしまってるんじゃないか、と勝手に自分自身で思ってしまったり、でも以前に日本に住んでいた頃、どんな感覚でピアノを弾いてたのかを考えようとしても、他人事のような感覚でしか思い出せなくなっていた私にとって、ヨーロッパの住所が無くなることを想像するだけでも恐怖でした。

自分の知っている範囲の中でも、長年ヨーロッパにいて素晴らしい感性を持って音楽をしていた人が、日本に戻ったとたんに、何も見ず、何も聞かないで来たかのように、音の感覚も、音楽への思いもまったく変わってしまう例があり、やるせないような、悲しい気持ちになったことがままありました。

でもむしろ日本にずっといて音楽活動をしてきた人が、 一度海外に出て戻ってきた人よりずっと、音楽への純粋さと真摯さをキープしたままでいるケースにたくさん接すると、うーん、何なんだろうか・・・、どうしよう・・・。気をつけていても、自分の気づかないうちに感覚は麻痺することがあるので、以前と正反対のことをしているのに、同じことを継続してやれているとか、もっとレベルが上がったなどと勘違いさせられてしまうケースが起こる、いつも自分の美意識や価値観にきちんと向き合い、それと行動に矛盾が無いか検証し続けるという作業をしていかなければ、とても脆くて危ういし、しかしそれは大変なエネルギーを要するものだろうから、ちゃんとやっていけるのかな、と。

そんな中で出会ったのが加藤知子さんでした。初めてお会いしたとき、緊張している私を本当に優しく気遣ってくれ、しかも、ごくたまに出会う演奏家の、仕事ずれした感覚というのが全然無くて、音楽に心から愛情を抱いていて、初対面の自分に、同等の一人の音楽家として接してくれているのも感じ取ることができ、とてもうれしい出会いでした。

リハーサルでは、感覚的な言葉やジェスチャー等で「こ〜んな感じなのよ。」とイメージを表現して伝えてくれます。「ごめんね〜、私、具体的な言葉でうまく言えないから、何がいいたいのか分らないってよく言われるのよぉ。」・・・だからこそ言葉でなく音楽で表現する意味があるのだ。結局音楽は、気持ちや感覚が音を通して聴き手に伝わる、あるいは個々の音そのものが持つ不思議な力が、聴き手の何らかの感覚を喚起するという、目に見えない抽象的なもので、そのイメージを表現するために、あーでもない、こーでもないと弾き手が方法を探し求めていく作業も練習といえるのだから、手段をすべて言葉で具体的に示せない方が、結果として出来上がるものは、 音楽にしかできない内容をより表しているものになるんじゃないかなぁ、という気がします。

インスタントで音楽を出来上がらせるようなことを嫌い、また喜怒哀楽も押し殺さず、表情がとても豊かで、色々な心配りも自然に(無意識に?)してしまっている加藤さんは本当に魅力的で、日本で会えたときにすごく嬉しかったのをよく覚えています。

自分が海外にいるうちに勝手に誇大化していってた、日本で音楽家として生きていくのに辛いであろうと考えていたある種の危惧は、かなりの部分が吹き飛ばされました。大分で初めてのコンサートが終わった後、「今日は最初に一緒に演奏した日だから乾杯しましょう。」と、ホテルの最上階のラウンジに誘ってくださいました。ビールで乾杯した後「加藤さんを見てたら、なんか日本でやっていけそうな気がしてきました。」と言ったら、「え・・・、何、どおゆう意味?」と困惑したような、怪訝な顔をしていました。

チェコの民主化の象徴であった、ハベル元大統領が、
「現在自分がいるその場で自己実現できないのであれば、どんな素晴らしい所に行っても決して満足することはないだろう」(うろ覚え)と言っていましたが、勇気と理想と良心を持ち続けることができれば、音楽家として、内面において揺らいだり惑わされることがなく成長していけるはずだ、と信じています。

それにしても・・・・・

時々発する「ブヒブヒ・・・」って、
一体なんだろう・・・・・

加藤洋之(ピアノ)

前橋汀子
2006.06.26

(2)2006年06月26日 

ヴァイオリンを楽しむ!食事を楽しむ!

コンサートのプログラムを考えるのは、お料理のコースを考えるのと一緒のように思います。どの料理を、どの順番で、味、食感、色彩の取り合わせ、そして食器はどれとどれを使おうかしら、と考えたりしながら。季節感も大切ですね。それらのひとつひとつがほど良く、適切でなければどんなに美味しいお料理も台無しになってしまうことだってあるでしょう。

そして、何より大切なことは楽しく食べること!

コンサートも同じです。聴いてくださり、楽しかった、と思えるひと時をお過ごしいただければ本当にうれしいです。

「せんくら2006」では、<前橋汀子特選ヴァイオリン小品名曲1>と<前橋汀子特選ヴァイオリン小品名曲2>の2つのプログラムで演奏いたします。なんといっても小品の魅力は、余計なものがそぎ落とされて、作曲家の人間性、本質がそのひとつひとつの曲に込められているところではないでしょうか。長い歴史を経て生き残った小品たちは、どこかで人間の生き方に通じているように思います。

明日からは2回にわたり、そんな“フルコース”ともいうべき小品たちの曲目解説を。きっと「知っている曲」、「あの曲だわ!」と思われるどこかで聴いたことのある懐かしい名曲の数々でしょう。

では、また明日。

オフィシャルサイト
http://www.bunka.city.sendai.jp/sencla/

前橋汀子(ヴァイオリン)

加藤洋之
2006.06.26

2006年06月26日 

こんにちは、加藤です。

二日目は、ヴァイオリニストのライナー・キュッヒルさんです。いわずと知れた、ウィーン・フィルの第1コンサート・マスターです。そしていままで最も多く一緒に演奏し、音楽上の言語を最もたくさん共有している(たぶん・・・)演奏家の一人です。

高校生のときザルツブルクで初めてウィーン・フィルを聴いて虜になってしまい、それ以来数え切れないほどのコンサート、録音を通して、一ファンとしてこの西洋音楽のすべてを体現しているようなオーケストラに接してきた私にとって、彼はまさに雲の上の存在でした。ブダペストにいた頃、シーズン中はほとんど毎週ウィーンに通っていたほどです。列車で3時間ほどだったし、コンサートが無くても、オペラはほとんど毎日上演していたのでウィーンの街の空気と、ウィーン・フィルのオーラを浴び続けることができました。それはもう恋愛感情に近いような感覚でした。(留学した当初はまだハンガリーの体制が変わったばかりで、いろいろと手に入らないものも多かったし、重苦しい雰囲気がまだまだ支配していたので、買出しと西側の空気を吸うという目的もありましたが。)

その後ケルンに住むようになってからも、しばらくは一月に一度くらい夜行列車に乗ってウィーンに通っていました。ケルンではウィーン・フィル・ケルン・ツィクルスというのがあり、年に2,3回、フィルハーモニーで聴くことができたのは幸せなことでした。

「キュッヒル氏と一緒に来日する予定だったピアニストが急病なので、代わりを探している」と、東京のK音楽事務所から国際電話がかかってきたのは、1999年の10月末のことでした。本番までちょうど3週間、全部新しく読まなければならない曲ばかりだったが、そんなことより何よりも「え、あの・・・キュ、キュッヒル氏って・・・ったって・・・いや・・・自分なんか・・・恐れ多い・・・否、恐ろしい・・・」と動揺し、「その日はですね、友人のコンサートがこちらであり、日本に行くのは難しく・・」などと訳のわからないことを口走り、断ってしまったのです。

電話を切った後も動揺は続き、やがて夜ベッドに入ってからは、いままでに聴いたウィーン・フィルの名演の数々が、そしてその中から聞こえるキュッヒルさんのソロ・パート(特に、クライバーの指揮で聴いた「英雄の生涯」のソロ、シェーンベルクの「浄夜」で聞こえてきた、クリムトの絵にある金と同種の音色等)の眩い音が頭の中に響き続け、一睡もできませんでした。空が白み始める頃、「一生に一度かもしれない、何か特別な経験を得られるかもしれない機会から、自ら去るなんてバカじゃねーの」という思いが頭をもたげてきて、そうすると急に「どうしよう〜、もう誰か他のピアニストに決まってしまっていたら・・・あああああ」と、いても立ってもいられなくなり、即座に「やりますっ!やっぱりやりますっ!やらせてくだされぃ!」と連絡を取りたかったのだが、時差があるためどうにもできず、事務所が開く10時・・・ドイツは午後4時・・・まで持って行きようのない気持ちを抱えながら過ごし、そしてずっと起きていたことによる変なテンションで電話をかけ、「まだピアニスト決まっていませんかっ」と勢い込んで話すと、受話器の向こうからは「あ〜、まだですよぉ、全然。」とノンビリした声が聞こえてきた。

最初の本番は岐阜のサロンでした。合っているはずなのに、なぜかしっくりと来ない。一緒に一つの作品を演奏しているのに一体感を感じられない。録音を聴いてみたら、それはより明らかでした。

まるで偏執狂のように、あらゆる音、フレーズ、イントネーション、ヴァイオリンとピアノの音程、ボウイングetc.....思いつく限りの事をチェックしやり直してみました(もちろん音楽的な感興を伴わずにはそんなことをしませんが)。・・・が、ディテイルをいくら詰めていっても精巧なイミテーションにしかならなくて、到達したいところへの距離はまったく変わらないだろうなぁ、結局根本的なところに気づかなければ意味がないよなぁ・・・・・・と思い始めた矢先、

!パッと閃いた!

「彼といつも一体となることができ、音楽を演奏している存在・・・・・・・・それはまさにウィーン・フィルそのものだ」
「私自身が彼をコンマスに擁くオーケストラになってしまえばいいんだ。」そういえば彼のパート譜には、鉛筆でピアノの対旋律や強弱までもが書かれていました。「彼は本当にピアノと一体となって、一つのシンフォニーを作り上げようとしていたんだ。」(後年、一緒にインタビューのようなものを受けたとき、私が「ヴァイオリンとピアノという編成の、一つのオーケストラになるように心がけて云々・・・」という話をしたら、彼が横で大きくうなずいていました。)

そもそもピアノ・パートがどんなに分厚くなろうとも、単に音量だけでなく表現の面でも何の心配もいらない。ウィーン・フィルのブラス・セクションが全開しようと、オーケストラ全体が地鳴りのように轟いていても、その上に虹がかかるような輝かしい音で演奏しているのを思い出した。

数日後、東京のコンサートでは演奏中、至福のときというか、恍惚感の中を漂っていました。その後2001年に共演してからは、ずっと一緒に音楽を作る喜びを与え続けてくれています。彼が初めて会う人に、私のことを「音楽双生児」とか「音楽の上での兄弟」と言っているのを耳にするたび、決して大げさではなく、本当に天にも昇ってしまうような気持ちにさせられます。

しかし彼のハード・スケジュールを知れば知るほど呆れてものが言えなくなるし、心配になってしまう。ウィーン・フィル、国立オペラのコンマス、ツアー、レコーディング、彼自身の弦楽四重奏団、その他にも様々なアンサンブル、ぎっしりと詰まったリハーサル、ウィーン音大の教授として15〜6人の学生を抱え、彼らへのレッスン、ヨーロッパ各地のオーケストラと協奏曲を演奏し、国際コンクールの審査員を務め・・・、書いているだけで吐き気が・・・。

移動の列車内ではいつも何冊ものスコアを積み上げて、指揮者以上に曲の隅々まで知ろうとしています。(国立オペラでも、指揮者に問題があったり、十分なリハーサルができなくて本番中にアクシデントが発生した場合、キュッヒルさんが弾いているときなら、彼を見れば次の1小節以内に立て直すことができると言われていて、歌手たちからも絶大な信頼を得ているそうです。)

そんな訳で健康管理には大変気を使っていて、ジョギングをしているのですが、いつも20kmくらいを平気で走っています。2年前に国立オペラの日本公演で来日したときは品川に宿泊していて、夜オペラがある日に「昼間ちょっと走った」と言うので、近所だろうと思っていたら「皇居まで行って一周して戻ってきた」そうです。

いままでできるだけ、プログラムに1曲ずつベートーヴェンのソナタを入れてきていて、「全10曲をやり遂げた後、3回に分けてベートーヴェン全曲ツィクルスを実現しよう」と、これまた天に昇ってしまうようなことを言ってくれているので、心技体が最高のバランスとレベルでそのときを迎えられるように日々過ごしていきたいな、と思っています。

それにしても・・・・・

相撲観戦で、力士への掛け声を、
誰かから「なんでも好きなことを叫べばいい」と云われたからといって、「なっとぉ〜っ(納豆)!!!」と千代大海関に声をかけるのは如何なものだろうか・・・・・
・・・それは自分の好物でしょ。あんまりだ。

オフィシャルサイト
http://www.bunka.city.sendai.jp/sencla/

加藤洋之(ピアノ)

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