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SENCLA BLOG

ブログ

松山冴花
2006.08.03

ヒトリ

私、この半年ほど彼氏さんいません。

そう堂々と宣伝してもしょうがないんですが、私の母は早よ一緒に遊んでくれるBF作ったら?っていいます。で、私、男友達は女友達より遥かに多く、母もその中から選べばいいじゃないって言いますが、付き合うのがイヤだから友達にする。25歳越したら次は50よ、適当でいいじゃないってゆう彼女に、

“結構、結構、コケコッコー”

って言ったら脱力してました。

母、そして友達にも、なぜ私に彼氏さんが出来ないのか聞いてみました。

これが、彼らが私に対するコメント:

−構わないでってゆう顔してる。(母)
−極端で白黒はっきりしすぎる。(いいじゃん、解りやすくて)
−えり好みしすぎ。(何が悪い?)
−いつも笑ってるから何考えてるのか解らない。(別に何も)
−笑ってない時は殺気立ってる。(はあ?)

らしいです。

日本の友達はいつも髪の毛もお化粧も念入りきれい。この前友達と一緒に遊んで彼女のバッグの中身を見せてもらったらヘアカーラーがでてきました。休日は化粧に2時間かかるとか。それに比べて私、学校いかなきゃいけない日はベッドから起き上がって、ショワー、朝ご飯、用意いれて20分で家を出れます。顔はいつもスッピンピン。ステージの上に立つ意外は髪の毛ボサボサにノーメイク。家にいる時は母も呆れるようなボロボロ服で気楽にすごしてます。母は、ちょっとはきれいにしたらって嘆いてますが、誰にその‘きれい’をみせたらいいんだ?と思い始めるからやる気全くなし。

別話ですが、私の友達ほとんどが色々な血が流れてて男女共々顔がいい。一つの血が流れているのは私含めて少数人。なんでミックスにして生んでくれなかったんだって母に文句言ったら彼女、こう言い返してきました。

“一つの血でちょっとはマシに作ったんだから感謝しなさい!”

母には全然勝てません。

松山冴花(ヴァイオリン)

松山冴花
2006.08.02

Eric and Mike

私の四重奏のヴィオラ弾きとチェロ弾きを紹介します。彼らの許可なしに書かしてもらいます。

ヴィオラのエリックは、彼がインターロッケン学校(全生徒寄宿制)にいた頃は手につけられない奴だったそうで何度か退学なりそうになった、って彼から聞きました。ビールを自分の部屋の押入れで作ったのがバレたり、ゲストハウスに友達と無断侵入してこれもバレたりとか。

でも今は美人のしっかりした彼女さんもでき、まともに暮らしてます。ついでに彼女は日本で昔モデルさんをしてて、今はコロンビア大学でPh.d.を目指しています。

チェリストのマイケルはいい競争相手。メキシコで唐辛子を食べるのを、辛いの大好き私に挑戦してきたのも彼。メキシコ人の友達もあまり進めない屋台食を食べようって、私に言ってきたのも彼。

そんなマイクもちょっと変。

Quartetでマイアミに行った時、泊まらしてもらった家の練習部屋のお手洗いのドアは西部劇の飲み屋さんにでてくるようなドア。だから全くプライバシーがなくて、みんなで珍しがってみてると、マイク、いきなり尿をしたくなったと。私、慌てて彼に私が部屋の外に行くまで待てっと言っても聞かず、そのまま普通に用をすませました。彼の言い訳は“いいじゃん、だってどうせ体の水じゃん”って。

そりゃそうだけど...

次はメキシコに行った時。一人一人各自部屋をもらって私は大満足。リハの後、皆自分の部屋に戻ってくつろいでました。少しするとドアにノック。マイクが立っていて、どうしたの?って聞くと暇でつまらないと。私、彼に‘私、今から昼寝するとこだったんだけど’って告げると彼は‘ふうーん’って。そしたら彼、

“じゃ、トイレ使わせて”

...別に使うのは全然かまわない。けど彼の部屋はマジ5メーター先にあるから自分の使ったらいいじゃん、って後からマイクに言ったら

“だってそこにトイレあるんなら、わざわざ自分の部屋まで戻る方が理屈に合わない”と。

...マジ?犬じゃあるまいし縄張り争いしなくても。

そうゆうマイクはカナダ人。カナダ人ってゆうだけでアメリカ人は割といっぱい見逃してくれます。

見逃してくれるなら私もカナダ人になりたい。

松山冴花(ヴァイオリン)

松山冴花
2006.08.01

ハト

お向かいのアパートの窓に鳩が巣を作りました。たまごがあるみたいでいつも巣に座ってます。

NYは鳩と雀がウジャウジャいて、特に鳩は‘羽根がついたネズミ’って呼ばれてます。でも誰も鳩のヒナは見た事がない。この事はNY Timesにも数年前書かれてました。

ついでにNYはシングル*マザーが多くて、自分だけで子を育て、仕事しながら大学に通ってがんばってる人がいっぱいいます。

その二つが目の前の窓にあるってゆうだけで、一人で興奮してました。母に電話して、“一匹の鳩が一生懸命たまご温めてるよ”。彼女も、“さすがNYね。鳩も一羽で子育て大変ね。”ってゆった直後、別の鳩が巣に来てバトンタッチ。ちょっと裏切られた気持ちで母にその事を告げると彼女、爆笑。そして、

“なに? あんた、ハトにも負けてるわけ!?”

って言われました。
...ほっといてくれ。

気を取り直して数週間みてて、あともうすぐでヒナ生まれるんじゃないかってゆうとこで日本に一週間。NYに帰って窓から探しても巣があるだけでヒナどころか鳩も面影なし。

思い切って友達に聞きました。鳩のヒナは雀?

彼、私にマジ?って言う表情で‘はあ?’って。その一言でこのサブジェクト、ドロップされました。

松山冴花(ヴァイオリン)

松山冴花
2006.07.31

ピアス

耳に穴両方あわせて9ツあります。

なんで9ツ?って聞かれる事がよくあります。理由は偶数好きじゃないから。

最初のピアスは10歳ぐらいの頃。母も羨ましがって彼女もピアスしちゃいました。日本に行って父が飛行場に迎えにきてくれて、その時満足げにピアスを見せたら1発、頭はたかれました。理屈は私がキズ物になったと。

その時状況を見てた新しくピアスした母は知らんぷり。ママ、ありがとう。

18歳になったら親のサインなしでピアスの穴をあける事ができるのでこの数年で7つ付け足しました。この前開けたのは1年前。お店の人にいっぺんに5つ開けてくれと頼んだら呆れてました。でも、お安くしてくれたのは嬉しかった。

母がどうゆう風にこの沢山ピアス状況をとるのかを恐れて、数日間は髪の毛で隠してました。でも1ヶ月後には髪がうっとうしくなってくくりはじめても彼女、全然気づかず。半年後、やっと気づいたらこういいました。“なにその耳?あんた、ロケットみたいよ”と。

その時調子に乗っておへソにもピアスの穴あけました。

...ピアスをなめた私がバカでした。

耳の穴はガンで、一発であけるのであまり痛みもない。おヘソは違うんです。台に寝たところで、ピアス/タットウー師が釘と彼の力使って身に穴あけるんです。

...めっちゃ痛かった。冗談じゃない。

彼からの話だと失神する子の方が多いとか。そりゃそうだろう。

その後、家でおヘソピアスをインターネットで選んでたら、母が後ろからぬうーっと。“ヘソに穴開けたら承知しないからね”と一言ゆって去っていきました。しらばっくれてコンピューター消し、数ヶ月たった後でも傷が治らなく、泣き泣きおヘソピアスを取り出して穴がなくなるのを承知で傷を治しました。

あの痛みにたえた私をちょっとでもえらいと思って下さい。で、母には内緒に。
松山冴花(ヴァイオリン)

松山冴花
2006.07.30

ペット

チビの時からペットを飼ってます。

最初は兄の怠け者シーズ犬と私の猫。NYに移ってから間もなく父からどっちも家出したと。

NYでも猫を。家を出たので私の猫は母の家に。真っ黒のメス猫のクロ(16歳)とタキシード柄のオス猫チビ(9歳)。数年前までは鳥好きの母がカナリア4匹も飼ってました。

で、7、8年ぐらいの夏の事。

日本に母と一緒に行って、兄キに鳥と猫の世話を。彼から電話がかかってきて用を聞くと、鳥がタマゴを2つ生んだ。すごく嬉しかったのを覚えてます。カップルのカナリーが一組いて、いつベビーちゃんが生まれるのかみんな待ち通しかったです。兄キ、どうしよう、どうしようと言った後、“手に取って見てみる”と。その直後“ウゲッ”って彼が悲鳴あげました。数秒の沈黙の後、彼が言った言葉は

“...割れちゃった...”

バカ。

夏のFestivalでItalyに一ヶ月に行く事なって母、兄キ、私3人で行きました。ビルの管理人さんにアパートにきてもらって猫と鳥の世話を頼みました。先に母と兄がNYにもどって管理人さんに会ったら、悪夢みたいな状態を語ってくれました。話によるといつも通りに猫、鳥にエサをやりに行ったら、鳥の羽根が布団の中身みたくアパート中に。

満足猫2匹:全滅鳥4匹。

カメのカメ太郎も飼ったけど1ヶ月後には干涸びました。

今度はヘビ飼いたい。
松山冴花(ヴァイオリン)

池上英樹
2006.07.29

2006年07月29日

最後のブログになりました。この変な文章を読んでいただいて、少しでも打楽器の世界に興味を持ってもらえたら嬉しいです。ってはじめの2回しか楽器について書いてないですけど。あとは遊んでました、すみません!

ロック少年だった時代からクラシックの世界へ飛び込んできて、打楽器の先生に習うより歌やピアノ、ヴァイオリンの先生に習いまくっていたパリ時代、それじゃあ何のために打楽器をやってるの?!と打楽器を一から学びなおしたドイツ時代、そして日本に帰国して少しずつ社会と関わって今があります。

これからはこの打楽器をつかって何を表現していくか、自分は何を求めているのか、が大切になってきました。そういうことにおいては、ジャンルとしてのクラシックからは離れていっているのかもしれません。

僕がクラシックの世界って何だろう?すげーな〜!と思ったのはジャンルからではありませんでした。
確かショパンのノクターン嬰ハ短調を聞いた時、体に衝撃的な何かが起こり、これはなんだろうと探していったら今になってました。

うまく説明できませんが、そのためにあらゆる伝統的なテクニックを習得して、それで感じたものに近づきたかったんだと思います。気合や集中力とかではない何か。それはこれからのほうが長く、迷いながらいろいろ試してやっていくことになるでしょうね。

仙台でお会いできるのを楽しみにしています!
つたなすぎる文を最後まで読んでいただいてありがとうございました!

池上英樹オフィシャルサイト
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御喜美江
2006.07.29

よい夏を!

あっという間に一週間が経ってしまいました。

これからはコメント欄で参加させていただこうと楽しみにしています。

アコーディオンという楽器は、“誰でも知っている”ようで“誰も詳しくは知らない”ということが多く、このブログを通して少しでも紹介が出来ればと思っておりました。でも楽器はやはり実際にその演奏を見て聴いて、初めて知ることが出来ると思います。今回は仙台クラシックフェスティバル3日間中、5回コンサートをさせていただきます。皆様に聴いていただけたら本当に嬉しく幸せです。

さて、今日から一週間フィンランドのオウルへまいります。

館野泉さんが音楽監督をなさっているオウルンサロ音楽祭で、ソロ・リサイタル一回、ヴィオラとのカフェー・コンサートを一回、そして館野さん70歳バースデー・ガラ・コンサートで弾かせていただきます。フィンランドは、クラシック・アコーディオンのレベルが世界で最も高い国ですが、それだけではなく、人間と風景が限りなく魅力的なので、私の大好きな国です。11時50分発のFinnairにこれから乗りますが、猛暑が何週間も続いたドイツからやっと脱出できるのも本当にうれしい。澄んだ空気、涼しい風、青い水、静寂、そして白く明るい夜に期待が膨らみます。

最後に:一週間も私の拙い文章を読んでくださった方々に心から感謝いたします!

猛暑の夏、どうぞくれぐれもお体お大切になさって、お元気でお過ごし下さい。

仙台の美しい秋を今から夢見ています。

写真解説:ラントグラーフの自宅にて。

アコーディオン御喜美江〜オフィシャルブログ〜『道の途中で』

http://mie-miki.asablo.jp/blog/

池上英樹
2006.07.28

2006年07月28日

せんくらブログ拝見しました。

御喜さんのご自宅から歩いていける荒野?すごいですね!あの真ん中で太鼓を打ち鳴らしたいっ!僕は森の中にいますが、理想は海辺か(楽器が傷むけど)、あのような広い大地の真ん中です。

そういえば近年コンサートでよく演奏している、ジェフスキー作曲の”TO THE EARTH” というホメロスが書いた大地賛歌の詩をしゃべりながら、植木鉢をたたくといった作品があります。やりたいなあ!お会いするのを楽しみにしています!ってブログで交換日記してすみません。。。

普段ソロコンサートしかしないので、共演というのは間違うと大変ですが?!好きだなぁと思える演奏家とできるなんて擬似恋愛的。。。明日からまた東京です。今日は練習もやめて、シューマンの本でも読もう。パリ時代から習っていた歌の先生(歌も習いましたが、マリンバや太鼓のレッスンもしていただきました)が今ずっと僕の中での師なのですが、いわゆるサロン的なクラシックの世界がまだ現実にあったころの理想をそのまま生きていらっしゃる方でした。

精神的にも、日々の生活自体も。今はクラシックも鑑賞用になっている感もありますが、その時代は生きることそのものだったということをいつも感じさせられました。難しいテクニックでもなく、先生が一音出したその音に涙があふれて仕方なかった体験をずっとずっと何だったんだろう?と追い求めています。いつまでも生徒でいたい。大人になりたくない。と思っていました。別れを今は経験したので、留まっているわけにもいかないと自分の足で歩きだしています。

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御喜美江
2006.07.28

13歳の春

私が初めてドイツを訪れたのは13歳の春だった。

南ドイツのトロッシンゲンという町で国際イースター・アコーディオン週間が開催されるという情報を母が知り、それを聞いた私は何が何でもそこへ行きたいと思った。クラシック・アコーディオンの本場ドイツでは、どんな楽器で、どんな人が、どんな曲を、どんなふうに弾いているのか一日も早く知りたかった。日本語以外の言葉は何もわからないのに、また一人旅なんて一度もしたことないのに。というか一人ではデパートにすら行ったことないのに、突然一人でドイツの田舎町トロッシンゲンまで行くことになってしまった。

あの頃は両親も私も若く、意欲的で、勇気があったと思う。高校で英語を教えていた母が、表が英語&裏が日本語というカードを何枚も作ってくれて、それを首から紐でさげて羽田空港を発った。「・・・駅で乗り換えて・・・まで行きます。乗り換えホームまで連れて行ってください」「・・・学校はどこですか?」「レストランはどこですか?」「電話をかけさせてください。」「トイレはどこですか?」「これを下さい。おいくらですか?」など。私はまさに動く小包。必要に応じてカードを選びながら、ほとんど困ることもなく、親切なドイツの人々にお世話になりながら、夢のような楽しい2週間を過ごした。

ドイツは風景も町並みも美しく、静かで落ち着いて暮らしやすい。食べ物はいまいちパッとしないが、でも清潔。そして、何よりもフリーベース・アコーディオン(左手にも5オクターブ半の音域を持つ単音ボタンがあるアコーディオンのこと)を生まれて初めて見て、バッハやスカルラッティのポリフォニー音楽をオリジナルの音域で聴いて、さらにこの楽器のために超絶技巧の素晴らしいオリジナル作品があることを知って、この驚きと感動は13歳の私の道をその場で決めてしまった。

「もう日本に帰る必要は全くなし。このままここに住みたい。」との強い希望を出したのだが、音楽学校の校長先生は「ドイツ語を勉強してから来ないと入学は出来ません。」なんて言うし、両親は「日本における義務教育は終えないと・・・」と、そんなこんなで結局日本に戻ってきた私。

でもそれからの3年間はドイツ語習得しか念頭になく、放課後は週3回大森のドイツ学園へ会話を、週2回上智大学へ文法を、夏休み中は毎日学習院大学のドイツ語講座に通っていた。大変とか、つらいとか、疲れたという意識は、当時の自分にはなかったと思う。

あの頃の自分と、今の自分が同じ人間とは思えない。あのエネルギーは一体どこからきたのだろうか。

旅は夢、未知は希望であったあの時代にもう一度戻りたいとは思わないけれど、肉体が健康なうちにそんな冒険的な時期が2〜3年もう一回あってもいいかなと、時々思う。

写真解説:真夏の自宅のバルコニー

アコーディオン御喜美江〜オフィシャルブログ〜『道の途中で』
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池上英樹
2006.07.27

2006年07月27日

今僕は、8月から始まる富士山河口湖音楽祭に向けて準備しています。円形ホールのリサイタルでは、道化の世界を、打楽器やマリンバ、パフォーマンスで表現します。イタリアからフランスで全盛期を迎えた時代の雰囲気を、道化作家のむらいこうじさんが作ってくださり、その中でバレエダンサーやパントマイムのかたと一緒にロマン派音楽を軸とした舞台を作ります。

音楽祭はいつも超盛りだくさんで、その他子供たちと一緒に作る森の音楽会や、佐渡裕さんが指揮でシエナウインドオーケストラとの共演もあります。

西湖ではまわりに家がないので、打楽器でも24時間音が出せます。静寂というものを本当に体感できる場所で、古民家で練習していると音が見える存在のような気がしてきます。普通の家のように変に響いたりしなくて、出したものが出したままそこにいてくれるので自分がやっていることがよく見えます。ここで練習してから各地に行ってコンサートをしても、いつも響きの基本は西湖の家ですね。

今日は一日中雨の音
霧が世界を覆っている
時は水のよう 過ぎていくものではなく
溜まっていくように思える
黄昏の経過をくぐり
夜は今ここにいる

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