仙台ジュニアオーケストラの事、演奏曲目の事を書き、あと演奏会に登場する中で触れてないのは私のことだけですね。恥ずかしいですけど、最終回なので少しは自分の事を…
私は仙台に移り住んで今年で丸3年が経ちます。「住めば都」と言われているとおり、今ではすっかり東北人気取りで、最近では「イズい」なんて言葉も自然に使えるようになりましたが、実は仙台に移る前は仙台とは何の縁もゆかりもなく、他の地域の人々がもっている「仙台=牛タン」というイメージしかありませんでした。
また、音楽の面でも大学の研究所を出たばかりで、学校での勉強は積んでいましたが、実際の現場の知識は皆無に近い状態でした。そんな今の自分に成長させていただいたのも、仙台で音楽に関わるすべての人のおかげです。(あ、成長したかどうかはわかりませんが…)
まず、仙台フィルの方々には感謝の言葉もありません。特にオケのプレイヤーの皆さんは、ありきたりな言い方になってしまいますが、本当に「人柄は優しくも仕事に厳しい」方々で、その時私に出来る事、出来ない事を見極めつつ、色々なことを要所要所で教えてくださいました。というより一緒に居させていただくだけで毎日が勉強になります。
また、忘れてならないのが、仙台フィル合唱団の皆さんの存在です。合唱団の皆さんは若い私の事を、人生の先輩として色々な面で助けてくれました。私は仙台に移り住むまで仙台ジュニアを含めて、仙台に音楽に関わるこんなにも素敵な団体が多くある事を知りませんでした。ごめんなさい。
今は感謝の気持ちでいっぱいです。私はもし将来、指揮者としてこんな質問をされたら、こう答えます。
「松元さんはどちらで音楽の勉強をされたんですか??」
「仙台です!」
短い間ですがお付き合いありがとうございました!
演奏会でみなさんとお会いできる事を楽しみにしております。
仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者 松元宏康(まつもと・ひろやす)
http://www.city.sendai.jp/shimin/bu-shinkou/jr-orche/index.html
第1回にも書きましたが、私が子供の頃から持っている最大にして唯一の趣味は魚釣り、フィッシング、アンゲルンです。他にも読書や絵画鑑賞や民俗学や文化人類学に関する考察、コンサートで訪れる各地の美味しいものめぐり等もありますが、釣りへの情熱やキャリアに比べれば、全然たいしたことありません。チェロ歴26年ですが、釣り歴は35年以上ですし!
アメリカにいた頃は、父や兄の釣ったブルーギルやカットスロート(ニジマスの一種)に土をまぶしたり、バケツの中でもう1回針を魚の口に刺して釣るマネをしていた私は、当然のように小学校1年から広瀬川で釣りを覚え、毛バリでオイカワやウグイを、追い廻しや今は埋め立てられてもうない放れ山の池では、ミミズで釣ったザリガニやカエルをエサにライギョを、青葉山の奥にあった蛇沼(こちらはもう埋め立てられてしまいました)では、ネリエでキンブナ、ギンブナを、大倉ダムではルアーでニジマス、サクラマスを、また折立の貯水池では当時東北では希少だったヘラブナと1m超のノゴイをと、まさしく釣りキチ三平クンのように、しかも学業には全く勤しまず、日夜狙い続けてきたわけです。
東京芸大在学中だけは、チェロの技術向上のため大学院時代も含め7年間も“禁釣り”していましたが、プロになってからは、今度は芦ノ湖に通いつめ、念願のスーパーレインボー(60cm以上のニジマスのことを釣り師たちは畏敬の念をこめてこう呼んでいるのです)を釣り上げたのを区切りに、最近は磯釣りにハマッテおります。
5年前は週に2回(もちろん毎週!)ぐらい、磯や堤防にクロダイやメジナを求めて通っていましたが、最近は忙しくなってしまい、年に1、2回しか竿を出せません。
自分のやりたい仕事だけを自分のペースで選べる反面、そのオファーがいつ来るかは選べないのがフリーランスのツラサ…じゃなかった、楽しいところで。ひどい場合は「明日3ヶ月ぶりのオフだから釣りに行こ!」とワクワクしながら竿やリールの準備をしているある水曜日の深夜23時47分、無情にも「明日13時〜20時でサウンド・イン(スタジオの名前)お願いしまぁ〜す。」と明るくオファーの電話がくると、「ハイ、喜んで!!」とつい答えてしまいます。しかも翌日スタジオに行ってみると映画「釣りバカ日誌」の録音だったり…。
こうやってチェリストの休日はどんどん先送りになっていくのですが、今年はまだ1回も釣りに行けていないので、11月には何としても3、4泊ぐらい佐渡に釣行しようと思っています。今年はたぶん釣行はその1回だけでしょう。
先日、八丈島でコンサートがあり、演奏会翌日と翌々日も釣り用に空けていたのですが、何と朝起きてみると台風の襲来で2日間何もしないで、飛行機も欠航している中、次のコンサートのために何としても戻らなければならず、波高6mの海を船で11時間揺られて帰ってきました。グスン…。次こそ八丈島で1m級のヒラマサやカンパチを釣るべく、主催者と来年のコンサートのプログラムを打ち合わせている最終中です!
さて、長々と釣りの事等書いてしまいましたが、1週間これを読んで下さった皆様、私丸山泰雄という者がご理解いただけたでしょうか?
少しでも興味を持たれた方はぜひ、10月9日の12:30か14:45に「せんだいメディアテークオープンスクエア」にいらして下さい。そこで楽しそうにチェロを弾いているのが私ですので!
丸山泰雄
昭和34年、仙台ユネスコ協会に、少年少女合唱団を作る機運が高まり、福井文彦先生の熱意に、私が協力する形で、作られることになりました。先輩格にあたる東京少年少女合唱隊を見学させて頂くことから始まり、合唱団の組織・運営などについて、色々教えて頂きました。
当時、仙台ユネスコ協会の副会長であった有永弘人氏と、氏家愛子氏に、それぞれ、仙台少年合唱隊長、仙台少女合唱隊長に就任して頂き、各隊とも100名を超える子供たちで発足しました。今、考えると夢のような話です。
その後、仙台ユネスコ協会から独立し、名称も仙台少年少女合唱隊と変更、更に、昨年よりNHK仙台少年少女合唱隊と改称し、現在に至っているというわけです。
子どものうちから、良い音楽に接し、すばらしい合唱体験をさせるという福井先生の設立趣旨は、今も変わっていません。
間もなく50年にわたる活動を通じて、今でも音楽を楽しんでいる卒業生、あるいは、プロの音楽家として、オペラ歌手に、作曲家に、そしてミュージシャンとして活躍している人が沢山います。音楽家のプロを育てる目的ではないのですが、結果として、音楽を専門とする卒業生がいることは、大変嬉しいことでもあります。
日頃の厳しい練習の中から生まれた、子供達の、一途で、純粋な歌声が、聞いて頂く方々に、希望と力を与えるものであることを確信しつつ、合唱隊を育てて生きたいと考えています。
今後とも、ご支援よろしくお願いいたします。
NHK仙台少年少女合唱隊 指揮者 大泉勉
オペラは上演するために舞台装置を準備したり、多くの歌手や合唱が必要な分、とてもお金や時間がかかってしまいます。ですからオーケストラだけで演奏できて演奏時間も短い「組曲」を作ったほうが、その作品を世界中のオーケストラに演奏してもらえるチャンスが増えると思います。(もちろん言うまでもなく、オペラ全曲を上演する事とは比べられないことばかりですが…)
私が想像するに、作曲家にとってうれしいことの1つに「作品を多くの人に演奏してもらい、またそれを聴いてもらう事」というのがあると思います。
さて話し変わって、もしかしたらこのブログをお読みの方で、「それにしても松元さん、演奏する曲の様子を少しくらい教えてくれないと演奏会が楽しめないんじゃないですか??」なんてお感じの方もいらっしゃるかも知れません。どうぞ、ご安心を!
私がつまらない解説を入れるまでもなく、「だったん人の踊り」も「カルメン」組曲も、みなさんがよくご存知の旋律の登場する曲ですし、なによりどちらの曲も何の説明もいらないほどの、いわゆる名曲です。演奏会で子供たちの演奏を聴けばわかっていただけると思います。
仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者 松元宏康(まつもと・ひろやす)
http://www.city.sendai.jp/shimin/bu-shinkou/jr-orche/index.html
今年はモーツァルト生誕250年ということで、世界中でモーツァルトが演奏されています。私も5月のラ・フォルジュルネ・オ・ジャポンをはじめ、各地でモーツァルトを演奏していますが、残念ながら天才モーツァルトはチェロ独奏のための曲を1曲も作っていません。
まぁ、もし彼がチェロ協奏曲を書いていたら、弾くのがメチャクチャ難しい曲になったでしょうけども…。モーツァルトはチェロが嫌いで書かなかった様ですが、他にもチェロ・コンチェルトを書かなかった、もしくは書けなかった作曲家はけっこういます。ベートーヴェンも、自作のチェロ協奏曲を捧げようとした当時の名チェリスト・ロンベルクに「ピアニストの書いたチェロ曲なんかいらない!チェロ・コンチェルトは私が書いて弾くから。」と冷淡にあしらわれ断念。
またチェロ協奏曲の最高の傑作でもあるドヴォルジャークの作品を見たブラームスが「こういう風にチェロの曲を書けるとどうして私は知らなかったのだろう!知っていればずっと前に私が書いただろうに!」と絶句した話などはあまりにも有名です。
作曲家の友人に言わせると、たしかにチェロ曲は書くのが難しいらしく、何でもできる楽器だけど音がマイルドなため、他の楽器の音に埋もれやすく、オーケストレーションに苦労するということでした。
それに比べれば無伴奏作品は他の楽器に配慮する事なく、純粋にチェロの表現力や技術を追求できるためか、1915年のコダーイ作品以降、画期的な曲が目白押しです。私も来年には20世紀の無伴奏チェロの作品6,7曲を一晩で演奏するコンサートを、東京、仙台他で計画中です。
ぜひそちらも足を運んで聴いてみて下さい。チェロの表現力の多彩さにビックリすると思いますよ!
さて、いよいよ最終回の次回は音楽やチェロから離れて、私の趣味について少々書きたいと思います。
ではまた明日!
丸山泰雄(チェロ)
声ほど不思議なものはない。
人間の身体を楽器として、音を作り音楽を表現する。しかし、声帯では殆ど振動だけで音は鳴っていない。
声帯自身では、つやも響きもないブオーブオーといったひどい声なのだそうです。
響きのあるよい声は、あくまでも共鳴のさせ方、工夫次第にかかっているといえます。
私も歌う度にこのことを考えては声の不思議を思わされます。
毎週一度の子供達の練習でも、共鳴を求めて、初めにストレッチ体操を行い、腰や横隔膜筋に注意を向け、乍ら身体をほぐし、手鏡を使って注意深く自分の声のひびきを探します。買い替えることのできない、世界にただ一つしかない素晴らしい楽器を与えて下さった両親に感謝の気持ちをこめて・・・。誰もが素晴らしい響きを作る事が出来ると信じて・・・。
生まれつき良い声、悪い声というのはなく、あるのは声の質の違い(ソプラノやアルト等)だけと言い聞かせ乍ら、常に正しい姿勢を求め、健康で美しい姿勢からのみ美しい音が生まれる事を信じて・・・。
こうした事は、私自身根気強く、自分の声の響きを求め続ける以外になく、子供達も全く同様です。下あごの力をゼロにして頭の上の空気が美しく響いていく為にも、常に健康でバランスよく支えられた、素晴らしい楽器作りの為の努力を続ける事と、自分に言い聞かせ乍ら、これからも歩み続けるつもりです。私自身の、そして子供達の美しい声の響きをどこまでも追い求めて・・・。
NHK仙台少年少女合唱隊
発声指導 姉歯けい子
「だったん人の踊り」についてつらつら書いたのに引き続き、変化球で攻めた「私なりの演奏曲目について」です。
ここまでは「だったん人の踊り」について書かせていただきましたが、次はその後に演奏する、今回のメインの曲、フランス人作曲家ビゼーが作りました歌劇「カルメン」組曲第1番、第2番より抜粋、についてです。
「カルメン」組曲も「だったん人の踊り」同様、オペラの中の音楽を演奏するわけですが、「カルメン」は1曲だけでなくオペラから8曲を選んでお送りいたします。いわゆる「カルメン」の中の“美味しいとこ取り”ってやつです。
しかし、“この美味しいとこ取り”というアイディアですが、何も私が考えた訳ではありません。昔から作曲家や編曲家は、自分の作ったオペラやバレエが大ヒットしたり、作品が気に入ったりすると、より多くの人に聴いてもらうために、「組曲」という歌手が入らなくてもよい、オーケストラだけの編成でのダイジェスト版を作ったのです。
仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者 松元宏康(まつもと・ひろやす)
http://www.city.sendai.jp/shimin/bu-shinkou/jr-orche/index.html
よく「クラシックの人は毎回同じ曲を弾いてばっかりで飽きないの?」と私の仙台二中時代の友人達から聞かれます。そんな時はいつもこう答えることにしています。
J−ポップや演歌等の歌謡曲も映画も毎年何十、何百とリリースされるけど、10年後にその中の何%が人々に覚えられているか考えてみてくれと。今皆が知っているクラシックの曲は50年も200年も前からそれぞれの時代の人々に愛され、聴かれ続けてきた曲ばかり。当時その10倍以上作曲され、聞かれていただろう駄作たちはとっくに厭きられ、忘れ去られているのだから、今生き残っている作品が、いかに時代や国、流行と関係なく普遍的な魅力と内容を持った曲たちか解るでしょう?と。
同じように、「ヴァイオリンやヴィオラ、チェロといった弦楽器は古くないとダメ」と言われていますが、面白いものでこれも同様の理由で、有名なストラディヴァリウスやグワァルネリウス等は(どちらも軽く億を超えます、私が見た1番高いストラドのチェロはなんと15億円!!)、新品できたてのホヤホヤの頃から音も美しさも超一流だったので、大切にされ300年間も使われている訳で、当時の三流の楽器は現在ほとんど残っていません。雑に取り扱われ、壊れても修理される事なく、使い捨てられたのでしょう。
そう考えれば曲の場合も楽器の場合も、その素晴らしい作品を何度弾いても飽きるなんて事は全く無く、曲の場合はかえって毎回新しい発見を曲の中にできますし、様々な可能性を作品自体が内包しているので、「作品の忠実なる再現者」であるべき我々演奏家は、自分の表現力の可能性の拡大、深化を集中力の維持のため表現を変えなければいけません。それによって毎回作品に新たな生命力が生まれて、演奏する事がまた楽しくなるわけです。1度完成した、もしくは会得した表現法に安住した途端、その行為はあっという間に陳腐なものになるというのは演奏にかぎらず、すべての表現芸術に共通する事だと思います。
20世紀最大のチェリスト、パブロ・カザルスの偉大さを語る時、彼が少年期から毎朝、「自分のために」弾いていたバッハの無伴奏チェロ組曲を、90歳になっても今覚えたての曲のように新鮮に演奏していた話が取り上げられますが、私もチェリストの端くれとして、その話をいつも忘れないようにしています。
ではまた明日!
丸山泰雄(チェロ)
事務局を担当して16年目を迎えました。今日まで先生方をはじめ、沢山の子供達やご父兄と出会うことが出来、沢山の時間を共に歩んでまいりました。
私が事務局を担当した当初、隊員は70〜80名在籍しておりましたが、少子化の影響か、現在では50名前後となりました。しかし、今年の春にも新入隊員を迎えることができ、12月の定期演奏会へ向けて練習に励んでいるところです。
又、毎年夏には3泊4日の強化合宿があり、小学校1年生〜高校生までの隊員が共同生活を送ります。勿論、練習がメインの合宿ですが、隊員1人1人が隊員全員と親しくなれるチャンスとなり、結果、強い団結力が生まれます。そしてその団結力が定期演奏会へ向けて更に強くなり、美しいハーモニーとなって、ステージで輝く様子を見ると、毎年胸が一杯になります。
定期演奏会の他、様々なコンサートやテレビ出演、オペラ出演などの貴重な経験を通して、その度に隊員が成長し、自信に満ちた生き生きとした表情を見せてくれます。
在籍している隊員の年齢は小学1年〜高校生までですが、練習の中で思いやりの心、協力し合う事を自然と身に付けていくことができ、合唱の素晴らしさを、耳だけでなく、肌で感じています。
私として出来る事は、隊員の体や心の健康のフォローを、微力ながら心掛けていく事だと思っております。
これからも隊のため、応援して下さる皆様のためにも、陰ながら事務局としての仕事に努力したいと思います。
NHK仙台少年少女合唱隊事務局 庄子幸枝
現在、売られているペットボトルの某そば茶にも堂々と「だったんそば茶」って書いてありました。もし、使っちゃいけないんならこのお茶も発売禁止かなぁなんて…安易な理由ですみません!!
でもね、これだけだとアリバイ不足と思い、念のために近くのスーパーの麺コーナーにもリサーチに行ったんですよ。そしたら「だったんそば」と明記されているそばがたくさん取り扱われていました。ですから、この言葉を使っても良くなったんでしょう。つまり、今風に言うと「あり」なんでしょう。(なんていいながら、このブログがボツにならないことを祈ります)
ちなみにこの「だったん」という言葉が避けられていた時期は「だったん」を「ポロヴェッツ」と言い換えこの曲を「ポロヴェッツ人の踊り」と呼んでいました。
なぜなら、「だったん地方」と呼ばれていた地域を現地では「ポロヴェッツ地方」と呼ぶからです。
またまた余談ですが、これは私の知人のロシア留学に行っていた友人から聴いた話です。ポロヴェッツ地方に生まれた方は美男美女が多いらしいのです…男性は彫りがハッキリしていて男らしい顔立ちで、女性も非常に美しい人が多いということです。
そう考えれば今回演奏する「だったん人の踊り」もこの話のとおり、男性の力強い踊りと女性の美しい踊りの音楽が登場します。
仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者 松元宏康(まつもと・ひろやす)
http://www.city.sendai.jp/shimin/bu-shinkou/jr-orche/index.html