せんくらブログをご覧くださりありがとうございます。
仙台に来て11年目、授業で学生に地道にリコーダーを紹介してきました。
誰もが持っているのに、学生にもあまり親しまれていなかったリコーダーですが、今ではすっかり市民権を得て、学生たちもあちこちへ出かけて、喜んで演奏してくれているようです。
仙台でリコーダーそのものの授業は持っていませんが、以前から持たせて頂いている、富士山の裾野に建つ都留文科大学でのリコーダー授業をご紹介します。恩師の吉澤実先生が、20年以上受け持たれていたクラスです。
そして、最近わが家に仲間入りしたリコーダーたちです。
「放課後の音楽室」では、ちょっと変わったリコーダーの仲間たちもご紹介します。
それでは、当日の会場でお会いしましょう!
宮城教育大学リコーダーず
原田博之
こんにちは。作曲家の吉川和夫です。
今年の【せんくら・うた劇場】「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」(宮澤賢治原作・吉川和夫作曲)では、とてもすてきなコラボレーションが実現することになりました。
アトリエ・コパン美術教育研究所(石巻)主宰の新妻健悦、悦子ご夫妻のご協力を得て、小学生たちのアートを、演奏と併せて、スライドで投影するのです。
新妻さんご夫妻は、絵画や造型の制作を通して、表現することの楽しさを教えていらっしゃいます。
しかし、単なる絵画教室ではありません。
自由な発想と可能性を引きだすために、子どもたちには毎回違う「ミッション」が与えられます。
定規を使って直線だけで描く、絵の具を垂らす、厚く塗った色を引っ掻く、いがいが、でれでれ、トロトロといったオノマトペを形にする、新聞紙に描く、コラージュ、でたらめな漢字を作る等々…。
大人だったら硬くなった頭をかかえてしまうような「ミッション」を、子どもたちは、制約があるからかえって柔軟に発想できるのです。
生まれるほとんどすべての作品は抽象で、ここには「上手」「へた」の尺度はありません。
だからこそ、思いきり楽しく表現できるのですね。
アトリエ・コパンの活動は、今年41年目を迎えたそうです。
その作品は、仙台や東京をはじめいろいろなところで紹介され、昨年は横浜美術館などで開催された「ヨコハマトリエンナーレ」(日本を代表する現代美術展です)にも招かれたそうです。
新妻さんは、東日本大震災の津波でアトリエ、ご自宅とも大きな被害を受け、多くの作品が失われてしまいましたが、幸い写真ファイルは残りました。
【せんくら・うた劇場】とのコラボレーションについてご相談したところ、喜んで協力してくださり、「虔十公園林」にふさわしい作品を30点ほど選んでくださいました。
それらを拝見して、元は意味が付与されていない作品なのに、まるでこの公演のために描いてもらったようなものばかりであることに、驚き、感激しました。
アトリエ・コパンの子どもたちのアートは、「虔十公園林」の世界をより一層深めてくれるでしょう。
公演は10月4日(日)14時15分~15時、エルパーク仙台ギャラリーホール(公演番号69)です。
どうぞお楽しみに!
8月も末となればフィンランドはすっかり秋です。
白樺の葉は黄葉を始め、白夜の季節も終わりに近づいてきました。
24日にデュッセルドルフへの一週間の演奏旅行から中部フィンランドの別荘に戻り、過ぎ行く夏の日を惜しみながら一日一日と大事に過ごしています。
時々オーロラが見えるようにもなりました。
一日の終わりにサウナを暖めるのが大事な儀式です。
白樺の薪で二時間ほどかけて80度ぐらいにするのが妻のマリアには最適らしいのですが、私は90度ぐらいあったほうが、よく汗もかくし快適です。マリアはせいぜい20分ほど、私は間に何度も湖に飛び込みながら1時間ほど入っています。
八月のはじめには星野仙一監督がヘルシンキの我家を訪ねてくれるというサプライズもありました。
今回の仙クラでは10月2日に音楽劇「生月島の伝説」を初演するのが楽しみです。
既に名曲としての評価を得た<サムライ>の作曲者、光永浩一郎さんの作品です。
10月3日にはバッハーブラームスのシャコンヌ、スクリャービンの前奏曲と夜想曲、ブリッジの<3つのインプロヴィゼーション>など、左手作品名曲中の名曲を弾けるのですから嬉しいです。
加えて光永さんの<サムライ>と吉松隆さんの大河ドラマ<平清盛>を弾かせて貰えるのです。
おおいに楽しんで弾きたいと思います。
今年は5月にパスカル・ヴェロ指揮の仙台フィルとラヴェルの<左手のための協奏曲>を4回協演させていただくという幸運に浴しました。
来年11月に私は80歳になります。
その記念公演として、名誉館長を務める南相馬市民文化会館<夢はっと>でラヴェルほか4曲のピアノ協奏曲を演奏する計画があります。是非聴きにいらしてください!
(2015年8月27日 中部フィンランドの別荘にて)
こんにちは。作曲家の吉川和夫です。
昨年大好評を頂いた【せんくら・うた劇場】を、今年も開催させて頂けることになりました。
公演は10月4日(日)14時15分~15時、エルパーク仙台ギャラリーホール(公演番号69)です。どうぞよろしくお願いいたします。
【せんくら・うた劇場】って?
小さなお子さんに「読み聞かせ」ということをしますよね。
【せんくら・うた劇場】は、歌いながらお話をたどっていく、いわば「歌い聴かせ」ということになるでしょうか。
子どもさんでも大人の方でも楽しんで頂ける公演になるよう、目下練習を重ねているところです。
今年のプログラムは宮澤賢治原作・吉川和夫作曲「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」です。
「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」のようには知られてはいませんけれども、とてもすてきなお話です。
虔(けん)十(じゅう)は、ある日お母さんに700本の杉の苗を買ってほしいと頼みます。そんなたくさんの杉をどうするのだ?といぶかるお母さんとお兄さん。「買ってやれ。虔十は今まで何ひとつ頼みごとをしなかったのだから」とお父さんが言ってくれました。そして、家の後ろの大きな運動場くらいの広さの野原に杉苗を植えていきます。杉はすくすくと育っていったのですが、ある日野原の北側に畑をもっている平二が怖い顔をしてやってきました。虔十が植えた杉林は、どうなってしまうのでしょうか…。
虔十さんは、年齢不詳です。
「いつでもはあはあ笑っている人でした」という証言があります。
みんなから「少し足りない」と思われてもいたようです。
この話、私には、どこか「仙台四郎」という人の話と重なるように思えてしまうのです。
仙台では、飲食店の神棚などに、仙台四郎の写真や置物が飾られているのを見かけることがありますよね。
仙台四郎さんは幕末から明治にかけて実在した人物です。
知的障害によって言葉をちゃんと話すことができず、子どもが好きでいつもニコニコ笑っていた、立ち寄る店は必ず繁盛したので、どこの店でも温かくもてなしたそうです。
だから、四郎さんは今でも商売繁盛の「福の神」として祀られています。
ほほえましい都市伝説ですが、特別な支援が必要な人を地域の人々がみんなで守っていた証でもあるように思います。もちろん、地域の人々がみな寛容だったわけではなく、「虔十」を疎ましく思う「平二」のような人もいたでしょう。
虔十や平二にモデルがあったのかどうかわかりませんが、賢治が、今でいうノーマライゼーション、健常者と障害者とが区別されることなく生活できる社会の実現を見据えていたのは間違いありません。
限りなくお伽話風でありながら、同時に限りなく現実に隣接しているところがこの作品の凄さだと思います。
この作品は、1999年にオペラシアターこんにゃく座が初演したオペラ「虔十公園林」を、山形の合唱団じゃがいもが合唱劇として上演しました。
昨年に続き、今年も中村優子さん、髙山圭子さん、原田博之さん、髙橋正典さん、そして倉戸テルさんというとても素晴らしい演奏家の皆さんが、演奏を引き受けてくださいました。
重唱としては初めての演奏になります。
仙台四郎の伝説のように、虔十のお話もどうか長く伝えられますように。
そして、今回は、もうひとつすてきなコラボレーションが実現することになりました!
詳しくは次回に!
今日はこれからデュッセルドルフに行く。ヘルシンキからは空路で2時間半。
東京—沖縄がだいたいこの位の距離ではないだろうか。
24日までの滞在でコンサートは2回。22日と23日に行なう。
アルゼンチンのパブロ・エスカンデのピアノ協奏曲、それに吉松隆のピアノ五重奏曲「優しき玩具たち」、cobaのチェロとピアノのための「TOKYO CABARET」、エストニアの作曲家シサスクのピアノ・ソロ作品、それにバッハーブラームスのシャコンヌというプログラムだ。
オーケストラと恊演するピアノ協奏曲、それに室内楽曲、ピアノ・ソロと盛りだくさんで、ピアノは全部私が受け持つ。
こういうコンサートも楽しいではないか。素敵なプログラムだと思う。
今年の仙クラでは私は二回演奏させていただくが、そのうち一回は朗読とピアノの音楽劇「生月島の伝説」だ。
作曲は熊本の人、光永浩一郎。
この人のピアノ曲「サムライ」をこの二年ほど日本の各地ではもとより、ベルリン、南フランス各地、それに北欧の国々で弾かせていただき、CDにも入れた。12月13日にはパリでのリサイタルでも演奏する。素晴らしい作品だ。
その「サムライ」に続く今回の作品「生月島の伝説」には大きな期待を寄せている。
1550年に長崎県平戸島にフランシスコ・ザビエルが渡来し、生月島にはガスパル・ヴィレラ神父によりキリスト教の布教が始まる。
領主はじめ島民の多くが信者となり、その勢いは島原・天草にも及んで、とどまるところを知らぬほどだったが、後に禁令が出され、信者たちは棄教を迫られることになり、その中のひとりであるダンジク様にも悲劇が襲いかかる。
その悲劇と浄化を朗読とピアノにより描いた「生月島の伝説」は10月2日の仙クラが初めての上演となる。
ご期待を頂きたい。
(2015年8月17日 ヘルシンキで)
8月も半ばを過ぎるとフィンランドでは秋風が吹く。
空は高く遠くなり、樹々の葉は色づきはじめる。
森の中で集めてきた夏の茸やブルーベリー、野苺なども終わりを告げ、湖水は日を追うごとに冷たくなっていく。
今日、白鳥が一羽、目の前の湖で翼を休めていた。シベリアへでも渡る途中だろうか。
子供の頃、仙台の五十人町で夜の闇を走り抜けていく蒸気機関車の汽笛に耳を澄ませていた。
まだ子供だった小父や小母達も同じ寝室で、泣くようなその音を聴いていた。その音が私たちを近くも孤独にもした。
昼間は小父たちと火鉢を囲んだり炬燵に入ったりして侍の本を読んだ。
荒木又右衛門のことをアラキ・マタウエモンと読んで、まだ小学校にもあがらない私は小父たちに笑われた。
青年になり成年になり、外国に飛び出して行き、青い目の娘と結婚し、ピアノを弾いて世界中を廻り、年をとり半身不随になり、お爺さんになったいまでも一年に何回かは仙台を訪れる。
いつまで経っても、新幹線の時代になっても、私には蒸気機関車の汽笛が聴こえている。
(2015年8月15日 ヘルシンキで)
昨秋の「せんくら・うた劇場 ~45分でめぐる銀河鉄道の夜~」が懐かしく思い出されます今日この頃、いよいよ!待ちに待った!!「虔十公園林」の楽譜が届きました!!!
宮澤賢治氏の短編童話で、彼の亡くなった翌年の1934年に発表されたそうですが、私はこれまでまだ一度も読んだことがありません。
童話の始まりはいつもワクワクしますね。
「虔十はいつも縄の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくり歩いているのでした。雨の中の青い薮を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたたいてみんなに知らせました。けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑ふものですから虔十はだんだん笑はないふりをするようになりました。風がどうと吹いて‥・」
こうして楽譜を読み進んで行くと、宮澤賢治氏の言葉がとても生き生きとして、まるで吉川和夫先生の音楽のようです!いや、音楽が言葉のようなのです!
ふと、そんなことを考えては‥・よく譜読みが止まってしまうのですが。
さて、いつも笑顔の虔十はどうなるのでしょうか?童話の続きがとても気になって、譜読みの再開で~す!
10月4日のせんくら・うた劇場にぜひいらしてください!
(2015.08)
私はクラシックのピアノのソロ、室内楽、現代音楽、ピアノのワークショップなどいろいろなジャンルで活動を行うことが出来て、本当に感謝しております。
ところで、アンサンブルを行う時に、どうして縦に音楽があっていくのか?ということを考えてみました。
曲の出だしはいつもある種の緊張感があります。
最初の音がいい音にならないと、そのあともがっかり・・・ということになりかねません。
アンサンブルの一番小さい形は二人なのだと思います。
二人というとたとえばヴァイオリンと二人で、ソプラノの方と二人で、ないしトランペットの方と二人で・・・などという風になるかと思います。
大抵ピアニストはヴァイオリニストなどのソリストの真後ろにいます。
そうすると表情も見えないような状態です。
ではどうやって最初の音をあわせるのか?
私の場合はまずは最初の音を出す前の「息」です。
どんなに小さな音でも、息をしているのがなんとなくわかる、これが長年演奏しているとどんな人と共演していても感じることができてきます。
それと関係したことなのですが、同時になんとなく演奏者の背中、特に肩甲骨のあたりを無意識のうちに見ています。
息をするとちょっと体が膨らむような感じがして、それが特に背中、肩甲骨あたりがちょっとだけ膨らむような気がします。
これは気のせいなのかもしれませんが、長年沢山の方と共演させていただいて得た知恵です。
「息をあわせる」とよく言いますが、まったくその通りで、この最初の息がうまく合わないとなかなかそのあともうまくいかないことがあります。
その息を合わせる感じも、背中を見る感じも、実は横を向いて共演者をみなくとも、入るタイミングがなぜかわかってくるようになります。
最後はもしかしたらお互い視覚を使わずに、なんとなく息というか、気のようなもので、アンサンブルできるようになるのが究極のアンサンブルなのかもしれませんね。
せんくらでは、チェリストの長谷川陽子さん、バンドネオンの三浦一馬さん、ヴァイオリンの神谷未穂さんと共演いたします。各々の方とのリサイタルになるので、3公演ですが、もしよろしければそんなところを気にして聴いていただいても面白いかもしれませんね!
では、みなさんブログをお読みいただきありがとうございました。是非公演でお待ちしております!
かなりの演奏家は移動、旅を避けて通ることができないと思います。
私も東京に住んではいますが、東京以外でのお仕事をいただくことも多く、かなりの時間が移動、旅になります。
人によって必要なものが違ってくると思いますがどうしても私の持ち物は多くかさばっております。
旅前に必ずチェックするものは
●スペアのめがね
●着替え
●ラップトップコンピューター(場合によっては二台)
●iPad
●iPodtouch
●手帳
●これから一か月くらいまでの演奏会の楽譜
●無線lanルーター
●演奏会衣装
となります。
まずは、めがねはすぐに替えがききません。いつどのような理由で壊れるかわからないのですが、これがないとまったく演奏できません。
着替えは理由はいらないと思います。
私は普通のソロの演奏だけではなく、様々なワークショップやアウトリーチを行っているので、ラップトップのコンピューターは、アウトリーチなどで何かグループで演奏するのに、突然編曲が必要になった時の為に、急遽の事態に備えていつも持っております。
このブログを書いているのも、とある音楽祭で10日間あるところに逗留していますが、そこでフルート、クラリネット、サクソフォン、ピアノという普通ありえない組み合わせのアウトリーチをすることになり、全員で演奏する曲がないので、電車の中で編曲作業をしておりました。
また、アンコールなど、突然以前演奏した楽譜が必要になるときもあり、それをコンピューターお中に入れていて、いざというときに取り出して演奏に間に合わせることも沢山あります。
特に現場に行っての作り物、例えばダンス、読み聞かせなどもともと沢山楽譜を持って行ってその場で決めるようなものは、楽譜を持参せずに、コンピューター一つで済むので助かります。
なぜ場合によってもう一台持っていくのかというと、音楽編集などする時のためで、音楽編集にはコンピュターのハードディスクににかなりの容量がなくてはならず、下手をすると固まってしまうので、別のラップトップを持っていくようにしております。ここに沢山の録音との共演のための資料が入っており、それをその場その場に合わせて取り出したりします。
iPadは、ここにやはり沢山の楽譜をため込んでおり、重い楽譜を沢山持ち歩くのではなくこれ一枚で済みます。また、楽譜を何らかの理由で紛失した時もこれですぐ確認できます。
iPodtouchは同じく新曲で楽譜だけではわからないものもその音源を聴くことでわかることが多いので、特に空き時間の多い旅の途中で勉強できるので、必須です。
手帳は毎日しっかり予定の確認をしてないとダブルブッキングの可能性もあり、常に確認できるように携帯しております。
そしてなんとも重いのが、これからある演奏会の楽譜なのですが、私はあらゆる方法で旅先で練習場を確保するように努力して、そこで毎日ちょっとずつ新しい曲を譜読みしております。この「毎日ちょっとずつ」がとても重要で、きちんと弾けていなくとも、なんとなく曲の全体位がわかるのが重要で、そうすると本番の日まではなぜか弾けている状態になり、体にストレスが来ません。
これが、時間があっても一日で新曲を何とかしなくてはならないとなるとすごいストレスになります。いま10日間逗留の音楽祭に参加中もせんくら4公演分の楽譜、ほかに指揮するスコアなど含めると、11月最初の週までで9つ分の公演の楽譜を持って歩いています。
滑稽かもしれませんが、突然時間があくとその時に練習したい気分の曲をさっと開くことができるので必要です。私は新曲を演奏することも多いので、なかなかそれはiPadに入れたりできないものがあったり、本番の大きさの楽譜で練習したいので、こればかりはその楽譜そのものを持っていきたいというものがあります。
これを支えてくれるのがリモワのスーツケース。
キャスターが本当になめらかで、平面であればどんなに重くとも、軽く押すとスーッと勝手に前に進んでくれるくらいです。これなしでは私の旅は成立しません!
さて、今日もチェックチェック・・・・
「オラ!」というのはスペインで「やあ!」「元気?」みたいな感じで挨拶の時に使う言葉です。
私がヨーロッパに留学していた時に、私の先生が指揮をしていたオーケストラのスペインのツアーがあって、バレンシアに行ったときです。
そこには何日間か滞在したので、コンサートをするホールにの地下に練習室があるので、毎日練習のために通っていました。
その部屋の鍵を借りるために、まずは守衛さんから鍵を受け取らなくてはならないのですが、受け取るときに、挨拶代りに「オラ!」と言っていました。
毎日同じ守衛さんなので、なんとなく仲良くなり、でも守衛さんは英語が話せないので、私たちはとりあえず毎日笑顔で「オラ!」と言っていました。
コンサート当日、ゲネプロでどんなピアノなのか?と思って大きなホールに入っていたら、カンカンと調律の音がするので、調律中の調律師に挨拶をしようと思ったら
「オラ!」
とあの守衛さんが調律していました・・・
確かにホールの調律は毎日必要で、狂ったり弦が切れたりしたら、すぐに直さなくてはならないので、調律師がいつもホールにいる練習室の鍵を渡す守衛さんを兼ねるというのも実際的ではありますね。
ヨーロッパでは色々なことが起こります。
楽しい思い出でした!