いよいよ岡本誠司が担当するブログも第3弾、最終回となりました。
今回は書き残したことを書いていきつつ、第1、2弾の伏線たちを回収していこうと思います。
前回のブログでは2016年の仙台国際音楽コンクールの時の思い出を書きましたが、今年7月初旬にはコンクール以来久しぶりに仙台に戻ってくることができました。
7月2日の仙台市政施行129周年記念コンサートでは、仙台フィルハーモニー管弦楽団さんとブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を共演させていただきました。
僕のベルリンでの新しい師匠、アンティエ・ヴァイトハース先生の十八番のひとつでもあるこの作品は、一見ソリストが大活躍の華々しいコンチェルトに見えるものの、実はオーケストラと密に絡む部分が沢山あり、とても“美味しい”曲なのです。
2年ぶりの仙台フィルさんとの共演はとても充実していて幸せな時間でした。
写真提供: 仙台フィルハーモニー管弦楽団
その翌日と翌々日は仙台市内の小学校での訪問コンサートへ。
子供達にも楽しんでもらえるよう選曲した、様々な国の作曲家たちのヴァイオリンの小品を7曲ほど演奏しました。
当日の気温は33度、会場は灼熱の体育館。聴いていた子供達も汗だくでしたが僕はもっと汗だくに。人生で2番目に暑い本番でした。
しかし、子供たちから沢山のエネルギーを貰い、むしろ始まる前より元気をもらって帰ってきました。
さて、いよいよ本題へ、9月末のせんくらの出演公演について。
今回僕は9月29日(土)に2公演出演することになっており、まず1公演目はこちら!
9月29日(土) 15:45~16:30 @仙台銀行ホール イズミティ21 小ホール(403席)
仙台国際音楽コンクールとドイツが結ぶアンサンブル ~シューマン・ブラームス~
https://sencla.com/program/537/
ベルリン芸術大学で学んでいらっしゃるピアニスト坂本彩さんと北端祥人さんは第6回仙台国際音楽コンクールの入賞者仲間(?)なのですが、初めてお会いしたのはベルリンでした。
その後、何度かご飯をご一緒したり、聴きに行った演奏会でばったりお会いしたりという間柄に。お二人とも演奏会で共演するのは初めてなので、これからさらに仲が深まっていくものと思われます。
そして仙台フィルの首席チェリスト、吉岡知広さんとの出会いは実は仙台国際音楽コンクールよりも前、2014年のドイツ・ライプツィヒのバッハ国際コンクールの時でした。
ファイナルを弾き終え、その後の結果発表で喜びを噛み締めた翌日、歴史あるゲヴァントハウスの大ホールにて入賞者ガラコンサートが催されました。
出番の前だったか後だったか、舞台裏をふらふら歩いていると、ピアノ部門のオーケストラのメンバーの中に日本人チェリストの姿が!それが吉岡さんとの初めての出会いでした。
その後、仙台国際コンクールの時に再会を果たし、前回のブログで長々と書いたシューマンの協奏曲では第2楽章にはチェロ・ソロとの掛け合いがあったこともあり、既に二人で何度も共演させていただいているつもりになってしまっていますが(勝手に)、室内楽での共演は今回が初めて。
とても楽しみです!
そして今回のプログラムについて。
4人で話し合った時に様々なプログラムのアイデアが出てきていたのですが、せっかくドイツにゆかりのある4人なので、シューマンとブラームスというドイツ・ロマン派を代表する2人の作曲家の作品を並べたプログラムになりました。
シューマン愛は前回のブログで語った通りですが、ブラームスも僕がずっと大好きな作曲家の一人。シューマンとブラームスは師弟のような関係であると同時に、クララ・シューマンを巡った三角……この話題だけでブログが一つ立ち上がるほど長くなりそうなのでこの話はやめておきましょう。
代わりに演奏する3曲の繋がりについて少々。
坂本さんとのデュオで1849年作曲のシューマンのロマンス、そしてシューマンとブラームスが出会った頃、1853年に彼らが合作して完成させたFAEソナタよりブラームスが作曲した第3楽章スケルツォを。
そして北端さん、吉岡さんとはブラームスが21歳の1854年に作曲し、57歳になった1890年に書き直したピアノ三重奏曲第1番を演奏します。
シューマンとブラームスが過ごした時代のドイツに思いを馳せながらお聴きいただくのも、また一興かもしれません。
(ブラームスが作曲に使用していたものと同型のピアノと、1855年のプライベートコンサートのプログラム。時代を感じます。いずれもハンブルクのブラームス博物館にて)
もう一つの出演公演は、毎年恒例のせんくら・フェスティバル・ソロイスツ!
9月29日(土) 19:00~20:00 @日立システムズホール仙台 コンサートホール(796席)
せんくら・フェスティバル・ソロイスツ
https://sencla.com/program/510/
こちらはバッハやヴィヴァルディといった18世紀前半のバロックの作品をお届けするプログラムとなっています。
作曲されてから既に300年ほどが経っているということもあり、バロックの作品には特に演奏家それぞれの音楽の捉え方やセンスの違いが如実に現れるように感じます。勿論、それだけ作品自体の懐が深いとも言えます。
そういった作品だからこそ、今回のような素晴らしい方々と音楽を作ることができるのはとても楽しみなのです。
中でも僕が第1ヴァイオリンを務める予定のバッハのブランデンブルク協奏曲第3番は、高校の時に友人たちと学内の有志コンサートで演奏した思い出の曲ということもあり、尚更わくわくしています。
さて、そういうわけで、9月29日は夕方の室内楽公演をお聴きになってから、喫茶店でお茶をしながらひと休み、会場を少しだけ移動して夜はソロイスツ公演へ是非どうぞ、と書こうと思っていたのですが、大人気ソロイスツ公演はあっという間に完売してしまっていたとのこと。
みなさま、完売になってからでは遅いですので、気になった公演を見つけたらすぐに手帳をご確認いただき、是非その後はチケット購入へ進んでくださいませ!
3日間のブログにお付き合いいただきありがとうございました。
僕のTwitterやFacebookページでは引き続き日々の生活や演奏会情報、そして勿論せんくらに関する情報も発信していく予定です。もしよろしければそちらも是非ご覧くださいませ。
Twitter: @seiji_vn
Facebook: 岡本誠司-Seiji Okamoto @seiji.okamoto.violin
それでは、9月末の仙台で皆様にお会いできることを心より楽しみにしております!
みなさまこんにちは、ヴァイオリニストの岡本誠司です。
昨日の第1弾のブログでは、ドイツのベルリンに留学するに至ったきっかけや最近の生活について書きましたが、今回の第2弾では仙台での思い出やコンクールのことなどを書いてみることにします。
実は以前は仙台にあまりご縁がなく、2012年に岩手県の陸前高田で、翌年に宮城県の松島で演奏した時に仙台駅で新幹線を降りてそれぞれ一泊ずつしただけでした。
なので、僕にとっては2016年の仙台国際音楽コンクールが初めての仙台での長期滞在でした。
規模の大きい国際コンクールのほとんどは、DVD審査を通過すると、第1次予選で20~30分の持ち時間で無伴奏やピアノと小品など、第2次予選は40~60分のハーフリサイタル、セミファイナルで小編成のオーケストラと古典派の協奏曲、ファイナルでロマン派や近現代の協奏曲を2曲演奏する、というのが一般的です。
2014年のドイツ・ライプツィヒでのバッハ国際コンクールや、その後にも上記のような課題曲の国際コンクールをいくつか受けましたが、仙台国際音楽コンクールの特色はなんといっても予選からオーケストラと共演できること。
第6回に僕が受けた時は、予選でモーツァルトのヴァイオリンとオーケストラのための小品を2曲と無伴奏作品、セミファイナルでは大変思い出深いシューマンの協奏曲とラヴェルのツィガーヌ、そしてファイナルではメンデルスゾーンとプロコフィエフの2番の協奏曲を演奏しました。
通常ソリストがオーケストラと共演する時には1つのコンサートで協奏曲1曲というのがスタンダードなため、2週間の期間中にオーケストラと協奏曲3曲+小品3曲を演奏するというのは非常にハードで、これは余程の売れっ子やベテランの方々でなければなかなか経験できないことでもあります。
この貴重な経験が今の自分にしっかりと生きていることは言うまでもありません!
さて、先ほどセミファイナルのシューマンの協奏曲が大変思い出深かったと触れましたが、これについて少し書くことにしましょう。
19世紀前半のドイツ・ロマン派を代表する作曲家、ロベルト・シューマンは特にピアノ曲や歌曲、室内楽曲のジャンルで多くの名曲を世に残しています。
協奏曲も数曲書き残しており、その中で一番有名なのはおそらくピアノ協奏曲でしょうか。そしてチェロ協奏曲もチェリストにとって大切なレパートリーの一つで、僕が大好きな曲の一つでもあります。
そんな中でヴァイオリン協奏曲は実はこれまであまり演奏機会が多くない作品でした。
というのも、シューマンの晩年の作品は彼が精神的な問題を抱えていたこともあいまって非常に難解で、彼の妻で偉大なピアニスト・作曲家でもあったクララがこの作品を封印してしまっており、大作曲家の作品にしては非常に珍しく、死後80年間ものあいだ陽の目を見ることがなかったのです。
楽譜が再発見され、初演されたのは実に1937年になってからのこと。その後もソロ・ヴァイオリンパートの演奏困難さや音楽的な解釈の難しさから、なかなか演奏家の主たるレパートリーとはなりませんでした。
ここ最近になってようやく、ヨーロッパのソリストを中心にこのシューマンのヴァイオリン協奏曲を取り上げる機会が増えており、僕も何度か曲を耳にはしていました。
が、まさかその曲がコンクールの必須課題曲になるとは!!
コンクールの一年少し前に課題曲が発表された時、藝大の周りの友人たちと共に動揺したことは今でも忘れられません。
さて、楽譜を手に入れ、いざ譜読みを進めていくとどうでしょう、この作品の虜になってしまったわけです。
身体の奥あるいは地の底からふつふつと湧き上がってくるエネルギー、絶え間無く何かに突き動かされるような焦燥感。その中にひとすじの光が現れ、消えて行く。ついにそこから確信を掴み取ったかのように見える最終楽章も、果たして現実のものなのか幻なのか。
細かい表現や音楽の作り上げ方の難しさも、まるで噛めば噛むほど味がしてくるスルメの如くとても味わい深く、、、と書くとせっかくのイメージがぶち壊しになりますね、前言撤回します。
兎にも角にも、DVD審査と予選を通過でき、この曲を仙台フィルさんと弾けることになった時は、不安とわくわくが入り混じった気持ちでした。
リハーサルでオーケストラと実際に音を重ねてみて、新たな可能性やアイデアが湧いてきたこともあり、出番前2日間をほとんど徹夜して、細かい部分の練習やさらなる楽譜の読み込みに費やしたことは、ここだけの秘密です。
(よいこのみんなはまねしないでね!)
そのシューマンを演奏したセミファイナルでは聴衆賞もいただくことができ、とても嬉しかったと同時に、また近い将来どこかでこの協奏曲を演奏できるように精進し続けようと心に決めたのでした。
写真提供: 仙台国際音楽コンクール
ファイナルではメンデルスゾーンとプロコフィエフの2番を演奏、結果は第6位と奮いませんでしたが、審査員の方々や指揮の広上マエストロ、仙台フィルの皆様、そして会場やライブ配信で聴いていただいていた方々からも、感想や激励のお言葉、今後のためのアドバイスを沢山いただきました。
この数ヶ月後、2016年10月に挑戦したポーランドでの第15回ヴィエニャフスキ国際コンクールでは、仙台での経験が大いに生き、第2位を受賞できたことに繋がったと感じています。
写真提供: International Henryk Wieniawski Violin Competition
さて、明日の最終回のブログではいよいよ今年のせんくらの公演のことを書きます!
以上、外気34度、冷房・扇風機何もなしのベルリンからのブログ投稿でした。あつい。
みなさまこんにちは!
今年初めて”せんくら”に出演させていただく、ヴァイオリニストの岡本誠司です!
2016年の第6回仙台国際コンクールの時に長期間仙台に滞在して以来、仙台のことが大好きになり、今年2018年の7月初旬に再び仙台フィルハーモニー管弦楽団さんとの共演と学校訪問ミニ・コンサートのために仙台を訪れた時は、第二の故郷に戻ってきたかのような心持ちでした。
そんな僕ですが、1994年生まれの千葉県市川市出身、昨年東京藝術大学を卒業し、現在はドイツ・ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で研鑽を積んでおり、そして今このブログはなんとスペインのマヨルカ島で書いています!
仙台での思い出やせんくらの出演公演(ちなみにどちらも9月29日、公演番号は25番と52番。覚えやすい!) の詳細はこの後の2回のブログで書くといたしまして、今回は自己紹介がてら主に最近の生活について書こうと思います。
3歳の時に一緒に遊んでいた女の子に自慢されて羨ましくなったのがきっかけでヴァイオリンを始め、その後ここには到底書ききれないほどの様々な方々との出会いがあり、20歳になった2014年にはドイツ・ライプツィヒの60年以上の伝統を持つバッハ国際コンクールのヴァイオリン部門でアジア人として初めて優勝しました。
実は小さい頃から不思議とバッハの作品が好きでした。6歳の頃そのとき練習していた曲がどうしても好きになれず、一度ヴァイオリンをやめたときも、しばらくして不意にバッハのシャコンヌが弾きたくなったのがやる気を取り戻したきっかけでした。
もちろん当時の僕にはシャコンヌを弾くだけの充分な技術はなく、本来15分ほどの曲を弾き終えるのに1日半かかってしまったのですが!笑
そういう事もあって、バッハやベートーヴェン、シューマンやブラームスら数々の偉大な作曲家が誕生し、活躍したドイツには自然と愛着を持っており、留学先にはドイツを考えていました。
実はもう少し早く留学しようと考えていたこともあったのですが、様々な要素が重なり、昨年夏に入学試験を受けて秋からドイツのベルリンに住み始めたというわけです。
ベルリンの壁が崩壊した後に生まれた世代ではありますが、街や物事の歴史を知るのが大好きな僕にとって、ベルリンはとても興味深い街です。
人口350万人のドイツの首都でありながら、冷戦中の西ベルリンへの物資輸送用に2ヶ月足らずの急ピッチで作られたそれほど規模の大きくないテーゲル空港が未だにメインの空港として使われているため、アジアとの直行便が一切ない事や、名物がカリーヴルスト(ソーセージの上にトマトソースとカレーパウダーがかかったもの)とアイスバイン(塩漬けした豚のすね肉を煮た料理)くらいしかないのはご愛嬌として、旧東西の街並みや空気感の違いを同じ街の中で感じることができ、大戦や冷戦中の悲惨さとそこから立ち上がった人々のエネルギーが伝わってきます。
ちなみに僕が今住んでいるのは旧西側の中心地、Zoologisher Garten駅からほど近い地域なのですが、通っているハンス・アイスラー音楽大学はAlexanderplatz駅から近い旧東側、ベルリンで師事しているアンティエ・ヴァイトハース先生も旧東ドイツ出身です。
今年4月、イタリアでのヴァイトハース門下の合宿の折には、30~40年前から現在までの様々な実体験を交えた話を先生から聞くことができ、非常に興味深かったです。
さて、そんなベルリンにはベルリン・フィルは勿論のこと、その他にもいくつもの素晴らしいオーケストラ、コンサートホールがあり、世界中から音楽家が集まってきます。
演奏会は到底行き尽くせないほどあり、しかも学生のためのチケットの料金はどんなオーケストラ、演奏家のコンサートでも10ユーロ~高くて15ユーロ(約1300~2000円)ほど!
そういった好条件にも関わらず、都合がつかずに聴けない演奏会があることをとてももどかしく思っています。
というのも、留学が始まった昨年秋以降も、ありがたいことに日本での演奏会や2016年のヴィエニャフスキ国際コンクール(次回以降のブログで少し詳しく書こうと思います!) がきっかけのご縁で、ポーランドなどヨーロッパ内での演奏会をいくつも戴いており、ベルリンと日本、ベルリンと他の街との往復が続いているのです。
長期間ベルリンに逗留している事も当然あるのですが、例えば忙しかった今年の6、7月はこのようなスケジュールでした。
4月末~6月12日…ベルリンにてアレクサンダー・テクニーク、中世声楽、視覚文化論の授業、通常のレッスンやカルテットのリハーサル、レッスンなど
6月13日…ベルリンの学校のホールにてヴァイトハース門下のクラスコンサート
6月14~19日…パリにてリハーサル
6月20、21日…ベルリンに戻って授業や先生のレッスンなど
6月22~24日…ポーランド東部のSzczawno-Zdrojという街の伝統あるヴィエニャフスキ音楽祭にて、ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番を演奏
6 月25~27日…ベルリンに戻って授業など
6月28、29日…東京へフライト、そのまま夜に仙台入り
6月30日~7月5日…仙台フィルハーモニー管弦楽団さんとのブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番の共演、仙台市内の小学校訪問コンサート
7月6~11日…東京にてリハーサル、楽器の調整など
7月12~15日…東京・銀座ヤマハホールでの室内楽演奏会のリハーサルと本番
7月17日…ベルリンへ
留学中はできる限りひとつの場所に留まってしっかり学びなさい、という先達の皆様のアドバイスも戴いておりますが、様々な方々とのリハーサル、様々な土地のコンサートでの演奏から得られる経験は毎回計り知れないもので、そのひとつひとつが自分の血となり肉となっていると感じています。これからも人一倍有意義に活動し、たくさん吸収して経験を積めるよう頑張っていこうと思います。
…とは言うものの、束の間の息抜きの必要性を感じたため、マヨルカ島に来てこのブログ第1弾を書き終えようとしているわけです。
ちなみに地中海に浮かぶマヨルカ島はドイツ人に大人気のリゾート地で、観光客の出身国は地元スペイン、イギリスを抜いてドイツが堂々の第1位。
ドイツ国内からも格安航空会社が多くの直行便を運航しており、僕もそれに乗ってマヨルカに降り立ちました。
真っ青な空、燦々と照りつける太陽、透き通った海、真っ白な砂浜、新鮮な海産物の美味しい料理。
どれもドイツでは味わえないものですね!(おっと失礼)
それではブログ第2弾、第3弾もお楽しみに!
(マヨルカ島でせんくらブログを執筆中)