『旅の思い出は、ほぼ〈食〉の思い出』
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旅行における食事がいかに大事かということ、言い換えれば、食事以外が良かったとしても、食事が駄目なら、それは良い旅だったとは言えない……
これは僕の名言……
もとい、旅行をする時に自らに唱える「格言」です。
そういう意味で、先日のベルギー旅行はとても良い旅でした。
演奏活動とベルリン芸術大学での学業が落ち着いた7月下旬ごろ、思い切って旅行に出かけることにしました。
ドイツ・ベルリンに腰を落ち着けてそろそろ5年が経とうとしていますが、思い返すと色々な所に行きました。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド、オーストリア、イギリス、デンマーク……
などなど。陸路でも空路でもアクセスが豊富なのは、ヨーロッパを拠点とする利点かもしれません。
ベルリンから飛行機で1時間、ベルギーの首都ブリュッセルに到着しました。
到着ゲートでもう既に甘い香りがする……気がする。さすがワッフルとチョコレートの国、ベルギー。
街中に移動し、早速ワッフルを物色。
早速食べてみると……フワフワで、焼きたての甘い香りが口の中にいっぱい!
ブリュッセル中心部はそこら中にワッフル屋さんがあるので、誘惑多過ぎ危険地帯です。
この後、美術館や楽器博物館(かなりオススメ!)なども楽しみましたが、本ブログは食べ物に特化してる為、割愛します。
さて、もう一つベルギー名物といえば…
北海で獲れる新鮮なムール貝!
身がプリプリ……
白ワイン風味であっさりしています。
他にも色んな味付けがありましたが、今回はフライと、グラタン風を選びました。
そして、ベルギーに来たからには、ビールを忘れてはなりません。
こちらはシメイという銘柄。ビターで芳醇な味わい。この他にもかなりの種類があるので、ビール好きはかなり楽しめます。
もう既にかなり満足したのですが、夜の散歩をしたのち、またしてもワッフルの誘惑に負けてしまう。イチゴトッピングのオマケと共に……。
というわけで、ごく一部ではありましたが、旅の(食の)記録をご覧頂きました。
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僕は仙台出身ではありませんが、コンクール以後、仙台に来る度に「あぁ、帰ってきた!」と思います。それぐらい、僕にとっては思い入れのある街です。
3日間、ブログにお付き合い頂き有難うございました!
秋に「せんくら」の会場でお会いできることを楽しみにしています。
〈補足〉
Twitterでは演奏会情報や、日々の出来事をつぶやいてます。
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『作曲の秘密など、誰に知れましょう。海のざわめき、地平線の曲線、木の葉のあいだを吹きわたる風、小鳥の鋭い啼き声、そういうものがわれわれの心に、ひしめき合う印象を与えます。すると突然、こちらの都合などは少しも頓着なしに、そういう記憶の一つがわれわれのそとに拡がり、音楽言語となって表出するのですよ。———
———だからこそ、私は自分の音楽的な夢想を、できるだけ私自身から切り離して書きたいと思っています。私は自分の内的風景を、子供の素朴な、こだわりのない心で歌いたいと思っています。』
(音楽のために─ドビュッシー評論集 より
アンリ・マルレブによる「聖セバスティアンの殉教」初演に際してのインタビューより抜粋
訳 杉本 秀太郎)
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今年、2018年はフランスを代表する作曲家、クロード・ドビュッシー没後100年の記念の年にあたります。
「月の光」「亜麻色の髪の乙女」「アラベスク」など、聴く人を魅了する調べを産み出したその人物は、この「評論集」において赤裸々に音楽について語っています。時々かなり辛辣に同時代の音楽を批判することも……。しかし、自分のことになると、彼はそんなに多くを語りません。
ブログ冒頭のインタビュー抜粋、彼は「作曲の秘密」について語るかと思いきや、「誰に知れましょう」と我々をはぐらかす。しかしこの後に続く言葉こそ、彼の美学を象徴しているように感じます。
彼は、こういう言葉も遺しています。
「言葉が表現する力のなくなったところ、そこから音楽が始まる。」
僕にとって音楽は自分の主張です。
小さい頃、どちらかというとシャイで、大人しく口数の少ない方でしたが、音を通して自分の言葉とし、音楽を通して自分に正直になれる。それは大人になった今でも同じです。
僕には3つ上の兄と、2つ下の弟がいます。
そう、僕は「だんご3兄弟」によるところの「自分がいちばん 次男(次男)♫」です。
別にその様な選民思想はありませんでしたが、兄弟の中で僕はとりわけマイペースだったと思います。
間に挟まれ次男。
僕が4、5歳の頃、兄が家から徒歩10秒のピアノ教室でレッスンを受け始めた時、よく一緒について行っていました。僕の目的は兄の監視……ではなく、教室にあった特大のゴマちゃんぬいぐるみ(「少年アシベ」より)と戯れることでした。先生の優しい声と、兄の弾くピアノの音、ふわふわのゴマちゃん…それは僕が覚えている限りとても幸せな時間でした。
その後対峙する対象がぬいぐるみではなくピアノになり、まさか、そんな僕がピアニストになるとは——
僕の周りの人々は、僕の家族を含めて、思っていなかったはずです。
月日が経ち、大人になり……今年の3月にソロリサイタルに出演した際、プログラムの最初にドビュッシーの「子どもの領分」を取り上げました。僕は既に10歳の時にこの作品を弾いていたのですが、20年ぶりに取り組んでみて…なんだかムツカシイ。ギコチナイ。
「素朴な、こだわりのない心で歌う」
これがいかに難しいことか、奇しくも、子供の頃に簡単に弾けていた曲を通して思い知りました。
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ベルリン芸大で共に学ぶ盟友・彩ちゃんこと坂本彩さんと、ピアノ連弾のステージに出演します。
ドビュッシー「小組曲」では、舟に揺られたり、バレエを踊ったり優雅なひとときを、ビゼー「子どもの遊び」では童心に返り、リスト「ハンガリー狂詩曲」ではお互い関西弁で喚き散らすが如く火花を散らします。
(注 坂本さんは兵庫県出身、僕は大阪府出身です)
詳細は公演番号【73】をご覧下さい♪
https://sencla.com/program/558/
それでは、また明日…。
『ブラームスは、自分自身を能力の限界まで押し上げるためには、知識だけでなく、心や精神や想像力をつねに育む必要があると感じていた。だからこそ、つねに詩や文学や美術で満たされるように生活を組み立て、ひとりだけの思索をしたり、これこそが真実と思えることに関わったり、何よりも自然と親しんでいたのだ。あるとき「早く上達するにはどうしたらよいでしょう」とたずねると、即座に答えが返ってきた。
「とにかく森を歩くことだよ」
それはブラームスお気に入りの処方箋で、本人は言葉を文字どおりに受け取ってほしかったのだ。』
(ブラームス回想録集第1巻 ヨハネス・ブラームスの思い出 より
クララ・シューマンの弟子、フローレンス・メイによる回想録より抜粋
天崎 浩二 編・訳 関根 裕子 共訳)
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ピアニストの北端祥人(きたばた・よしと)です。
僕は練習の合間の読書が好きです。気分転換になるし、本を通して様々な世界を覗き見している様な、そんな気分になります。
音楽に関わる書物や小説はもちろんのこと、サッカーの長友佑都選手の自伝や、俳優・堺雅人さんのエッセイ集などを通して、全く違うジャンルで活躍する方々のプロフェッショナルな生き様から学ぶことも沢山あります。
最近読んでいるのは、ドイツの作曲家・ブラームスの回想録で、ブラームスの友人や、ブラームスがピアノのレッスンをしていた生徒が彼の思い出を語る事により、知られざる作曲家像が露わになるという内容のものです。ブログ冒頭の一節はその抜粋です。
別にブラームスと僕自身を重ねるつもりはないのですが……。
今から2年前の6月、僕は森を歩いていました。
場所は仙台の台原森林公園。日立システムズホールのすぐ隣にあり、ホールでは連日仙台国際音楽コンクールが催されていました。
僕はコンテスタントとして、練習・リハーサル・本番(予選)の毎日。本当に緊張の連続でした。そんな生活と並行して、コンクール期間中、実は僕は会場の隣の公園で散歩することが日課となっていました。
この公園、地図上で見ていただければわかりますが、とっても広い!
木々もかなり生い茂っているので、ほぼ「森」なんです。
この森を歩きながら色んな事を考えました。自分のこと、音楽のこと、コンクールのこと、これまでのこと、これからのこと。そして自分を応援してくれた人々のこと。
その様な思いを巡らせている時は、コンクールの緊張から解き放たれる瞬間でもありましたし、自分と静かに向き合える貴重な時間でもありました。
僕にとって忘れられない、仙台国際音楽コンクール。
あの時もしかしたら、ブラームスの「処方箋」が効いていたのかもしれません。
写真提供:仙台国際音楽コンクール事務局
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「せんくら」では、ヴァイオリニストの岡本誠司さん、仙台フィル首席チェリストの吉岡知広さんとブラームスのピアノトリオ第1番を演奏致します。
詳しくは公演番号【52】をチェックして下さい♪
https://sencla.com/program/537/
それではまた明日、別の話題で・・・・・・。