『作曲の秘密など、誰に知れましょう。海のざわめき、地平線の曲線、木の葉のあいだを吹きわたる風、小鳥の鋭い啼き声、そういうものがわれわれの心に、ひしめき合う印象を与えます。すると突然、こちらの都合などは少しも頓着なしに、そういう記憶の一つがわれわれのそとに拡がり、音楽言語となって表出するのですよ。———
———だからこそ、私は自分の音楽的な夢想を、できるだけ私自身から切り離して書きたいと思っています。私は自分の内的風景を、子供の素朴な、こだわりのない心で歌いたいと思っています。』
(音楽のために─ドビュッシー評論集 より
アンリ・マルレブによる「聖セバスティアンの殉教」初演に際してのインタビューより抜粋
訳 杉本 秀太郎)
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今年、2018年はフランスを代表する作曲家、クロード・ドビュッシー没後100年の記念の年にあたります。
「月の光」「亜麻色の髪の乙女」「アラベスク」など、聴く人を魅了する調べを産み出したその人物は、この「評論集」において赤裸々に音楽について語っています。時々かなり辛辣に同時代の音楽を批判することも……。しかし、自分のことになると、彼はそんなに多くを語りません。
ブログ冒頭のインタビュー抜粋、彼は「作曲の秘密」について語るかと思いきや、「誰に知れましょう」と我々をはぐらかす。しかしこの後に続く言葉こそ、彼の美学を象徴しているように感じます。
彼は、こういう言葉も遺しています。
「言葉が表現する力のなくなったところ、そこから音楽が始まる。」
僕にとって音楽は自分の主張です。
小さい頃、どちらかというとシャイで、大人しく口数の少ない方でしたが、音を通して自分の言葉とし、音楽を通して自分に正直になれる。それは大人になった今でも同じです。
僕には3つ上の兄と、2つ下の弟がいます。
そう、僕は「だんご3兄弟」によるところの「自分がいちばん 次男(次男)♫」です。
別にその様な選民思想はありませんでしたが、兄弟の中で僕はとりわけマイペースだったと思います。

間に挟まれ次男。
僕が4、5歳の頃、兄が家から徒歩10秒のピアノ教室でレッスンを受け始めた時、よく一緒について行っていました。僕の目的は兄の監視……ではなく、教室にあった特大のゴマちゃんぬいぐるみ(「少年アシベ」より)と戯れることでした。先生の優しい声と、兄の弾くピアノの音、ふわふわのゴマちゃん…それは僕が覚えている限りとても幸せな時間でした。
その後対峙する対象がぬいぐるみではなくピアノになり、まさか、そんな僕がピアニストになるとは——
僕の周りの人々は、僕の家族を含めて、思っていなかったはずです。
月日が経ち、大人になり……今年の3月にソロリサイタルに出演した際、プログラムの最初にドビュッシーの「子どもの領分」を取り上げました。僕は既に10歳の時にこの作品を弾いていたのですが、20年ぶりに取り組んでみて…なんだかムツカシイ。ギコチナイ。
「素朴な、こだわりのない心で歌う」
これがいかに難しいことか、奇しくも、子供の頃に簡単に弾けていた曲を通して思い知りました。

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ベルリン芸大で共に学ぶ盟友・彩ちゃんこと坂本彩さんと、ピアノ連弾のステージに出演します。
ドビュッシー「小組曲」では、舟に揺られたり、バレエを踊ったり優雅なひとときを、ビゼー「子どもの遊び」では童心に返り、リスト「ハンガリー狂詩曲」ではお互い関西弁で喚き散らすが如く火花を散らします。
(注 坂本さんは兵庫県出身、僕は大阪府出身です)
詳細は公演番号【73】をご覧下さい♪
https://sencla.com/program/558/
それでは、また明日…。
北端 祥人