はじめまして、せんくら初参加となります森下です。
ありがたいことに(ちょっと大変でもありますが!)3公演に出演させていただけるということで、ちょうどブログの担当も3本、それぞれ演奏会内容にからめて書いてみることにします。
まずはアルカン・プログラムの話から。アルカンってのは誰だ、とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。この人はですね、歴史に埋もれかけていたロマン派時代の大作曲家! です。
クラシックって、よく知られた定番作曲家の曲ばかりが演奏されているイメージが強いですよね。でも実は、いまではすっかり忘れられた作曲家というのがものすごく大勢いるんです。大勢というのはどのくらいかというと……
たとえばIMSLP(著作権が切れた楽譜のスキャンをPDFで公開している大プロジェクトです)を見てみると、登録されている作曲家の人数は14319人(2016年8月現在)! ロマン派のカテゴリーだけでも9155人! 楽譜がちゃんと出版されているような人だけでもこんなに存在するんですね。スキャンされていない、どこかの古本屋で朽ちかけているような楽譜だってまだまだあるはずなので、これだって全体の何割にあたる数字なのかはわかりません。
いわゆる有名なクラシック作曲家がいかに特別な、一握りの存在なのか痛感させられます。こんな人数の中から選ばれて残るのって、ほとんど運みたいなもんなのでは? とすら思えてくる。ということは、知られていないだけで、名曲として有名になり得たような素敵な作品が大量に残っているかも!?
――どちらかというと、現代においても世間のメインストリームで大流行するような作品よりちょっとマイナーなものに魅力を感じてしまうことが多い自分としては、そんな“珍しい宝石探し”にはついつい興味を惹かれてしまいます。
しかし! 悲しいかな、勇んで「忘れられた」作品の森に踏み入ってみると大いにため息をつくことになります。やっぱり、知名度の高い作曲家たちというのは、決して運だけで歴史に選ばれたわけじゃないんだなぁ、と……。あんまり好きじゃないなあ、と思っていたようなあの作曲家のあの曲なんかも、こうしてみるとすごい曲だったんだ、と実感したり。
演奏家だって、生涯で演奏できる曲は限られるのだから、より感銘を受けた作品を扱いたいと思ってしまうのは当然のこと。ほとんど反論の余地なく偉大な作曲家が何人もいるんでは、演奏されるのが「いつもの面子」の曲ばかりになってしまうのもある程度は仕方ないようにも思えてくるのです。
そんな中で、アルカンはかなり特別な存在です。その作品の質は、同じ時代の「大作曲家」たちに引けをとらない。誰かの亜流でもないし、かといって決してゲテモノでもない。何より、おもしろい。そんなこんなで彼の音楽を通してすっかり彼と意気投合した気分になった私は、この人の曲を弾き続けていかねば、と決意したのです。
(CDまでつくってしまいました)
作品を通して勝手に意気投合した気分になる、っていうのはとても大事なことだと私は思ってまして、「この人の作品は自分がいちばんわかってるんだ!」みたいな気持ち(勝手な思い込み)をたくさんの人がそれぞれに抱いている、というのが世の偉大な作品の姿のような気がするんですね。
なので、私のアルカン演奏を聴いていただいて、「森下は彼の何もわかってない」でもなんでもいいので、アルカンと意気投合してくれる人が増えてくれたら嬉しいなあと思ってます。
もちろんできれば「森下はアルカンのことわかってるなあ」と思ってもらえた方が嬉しいし……実際のところ、アルカンの作品のことは私がいちばんわかってるんですけどね!(←勝手な思い込み)
萩の月大好き 青柳晋です(要求ではありません)。
明後日は夏最後の本番!コンクール審査と用事の他はささやかな夏休みに入ります。
明後日はソウルで友達とご飯を食べ、翌日は 世界文化遺産、ルアンパバーン(ラオス)へ。
托鉢中のお坊さまの群れに混じってお寺を見学して来ます。戻る頃には悟りを開いているかも?!
では仙台で皆様にお目にかかれるのを楽しみにしています!
昨日に引き続きピアノの青柳晋です。
今回はヴァオリンとの共演がありますが、今これを書いている福岡でもヴァオリンリサイタルを控えています。
もっとも大変なのは初出しのブラームス1番。「この年になるまでやってなかった超有名曲」のひとつです。
雨の歌、の表題の通り3楽章では右手の16分音符が雨粒のように「しとしとと」流れ続けますが、これを自然現象のように素直に聴かせるのが難しい!どうしても人間臭くなってしまいます‥
最後に雨が止んで、優しい陽の光が聴いている者を包み込むようなコーダは、弾いていて癒されます。いつか仙台でも弾けるといいなぁ。
ソナタではありませんが、せんくらでは最も好きなヴァオリン曲のひとつ、ラヴェルのツィガーヌを弾くのが楽しみです。
来世生まれ変わったらヴァオリンを勉強してツィガーヌと、シベリウスのコンチェルト弾きたいです!
写真はホテルの朝ごはん。今日も一日頑張りましょう!
こんにちは。
ピアノの青柳晋です。今回はソロリサイタル、 ピアノガラコンサート、そして渡辺玲子さんととデュオでお邪魔します。
普段は東京ですが、今はヴァオリンリサイタルのリハと本番ために福岡に来ています。
福岡には何かとご縁があり年に何度か来ていますが、来るたびにホッとする独特な感覚を覚えます。
両親が博多出身で、(本人はなぜか中米生まれですが)自分に九州の血が流れているせいなのかもしれません。
仙台に伺う時は「お邪魔します」という気持ちになりますが、とても好きな街のひとつです。 今回もコンサートのあと、仲間とお気に入りの牛タンの店に行くのが楽しみです!
写真は福岡で共演するヴァオリニストの良永季美枝さん。彼女が楽器と一緒に手にしているのは、おやつ用のプリンです!今日もリハーサル頑張りましょう。
「せんくら」ブログ読者の皆様、こんにちは!
宮城学院女子大学音楽科長の太田峰夫です。
10月2日に開催されるコンサート「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」についてのシリーズ、最終回の本日は宮城学院女子大学音楽科の研究生達に登場してもらいます!
宮城学院女子大学には研究生制度があります。これは学生が卒業後も引き続き(最長で2年)専攻領域を学べるようにつくられた仕組みです。今年度は3名の研究生(ピアノ2名、声楽1名)が在籍しています。本日は普段の勉強や「せんくら」出演について、話を聞いてみましょう・・・
まずは研究生2年次の高橋伶奈さん(ピアノ)から。
—今はどんな勉強をしているのでしょうか。
「年度末の修了リサイタルに向けて勉強中です。学部時代は目の前の作品のことだけで精一杯でしたが、今はもう少し視野を広げて、知識を増やしているところです。将来的には、同期の仲間たちと演奏する機会を持っていけたらと思っています。」
—せんくらへの抱負を聞かせてください。
「せんくらのような、地元の大きな音楽祭に出演させていただけることがとてもうれしいです。及川先生や井坂先生、それに後輩達と共演できることに、今からワクワクしています。一生懸命準備して、お客さまにもぜひ楽しんでいただければと思います。」
次は研究生1年次の沼里杏子さん(ピアノ)。
—及川先生のレッスンの様子は?
「毎回熱がこもっていて、応えていくのに必死です。でも、言葉でアドバイスしてくださるだけではなく、実際に演奏しながら、身振り手振りで教えてくださるので、勉強になります。」
—せんくらでは及川先生と連弾を弾きます。
「今レッスンで勉強しています。連弾は2台ピアノとも少し違っていて、呼吸感や歌い方を近くで共有できるところがとても楽しいです。せんくらの公演では先生の隣で弾くことになりますが、胸を借りる気持ちで精一杯取り組んで、作品の魅力を引き出せたらうれしいです。」
最後は研究生1年次の佐藤初音さん(声楽)です。
—オペラ・アリアを歌いますね。
「未知な部分がまだまだ多いのですが、オペラの世界に強くひかれています。チレーアのアリアは経験を積んだ方が歌われる曲ですが、自分なりに今できる一番良いものを表現できたらと思います。」
—せんくらへの抱負を聞かせてください。
「国内外で活躍されている、素晴らしい方々が出演する音楽祭に学生の私が出演させていただくというのは考えてもみなかったことですし、本当にありがたいことでもあります。先生方や先輩方と一緒に頑張って、良いコンサートにしたいと思っています。」
以上、研究生それぞれの熱い思いを聞くことができました。3日間続いた「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」のシリーズはこれにて終了とさせていただきます。ご愛読いただき、ありがとうございました。
本番は10月2日。宮城学院女子大学音楽科の教授陣と研究生達のコラボレーションを聴きに、当日はぜひエル・パーク仙台までいらしてください!
「せんくら」ブログ読者の皆様、こんにちは!
宮城学院女子大学音楽科長の太田峰夫です。
10月2日に開催されるコンサート「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」についてのブログ、2日目の本日は音楽科を簡単に紹介した後、声楽の井坂惠先生にご登場いただきます!
まずは宮城学院女子大学音楽科について、少しだけ書かせていただきます。
1886(明治19)年9月に始まった「宮城女学校」は当初、予科(現在の中学校に相当)と本科(現在の高等学校に相当)からなっておりました。米国カンザス州出身のケート・I・ハンセンKate I.Hansen先生(1879~1968)の尽力により、5年制の音楽専攻科が設置されたのが1916年、今から100年前のことです。以来、女子大学音楽科の時代に至るまで、先生は学科の充実に精魂を傾けてこられました。
ハンセン先生は、日本人に西洋の音階を訓練するためにソルフェージュを授業に取り入れるなど、東北地方の音楽教育に大きく貢献されました。音楽教育への厳しい態度とキリスト教精神に貫かれた教えに、多くの教え子達が強く感化されたと言います。
今でも宮城学院では、ハンセン先生の足跡をいろいろな場所で偲ぶことができます。「宮城女学校(現在の宮城学院)」の校歌の歌詞は土井晩翠(1915年〜1924年 宮城女学校専攻科教授)によるものですが、ハンセン先生が作曲をしています。礼拝堂のカリヨンが定刻に奏でるメロディの中にもハンセン先生が作った讃美歌が入っていますし、桜ヶ丘キャンパスの音楽館ホールはハンセン記念ホールと名付けられ、大切な学びの拠点となっています。
1992年の文化系設置、2016年の3コース(声楽コース・器楽コース・作曲コース)制導入など、音楽科の構成はそれぞれの時代の状況に応じて少しずつ変わってきましたが、本格的な音楽教育を志向する姿勢はハンセン先生の時代から連綿と受け継がれています。本日は音楽科准教授であり、二期会のメッツォ・ソプラノ歌手でもある井坂惠先生に現在の音楽科と今回のコンサートについて、少しお話をうかがってみることにしましょう・・・
—先生が宮城学院で声楽を教えられるようになってから、3年が経ちました。大学の印象はいかがでしょうか。
「小規模の大学である分、学科が違っていても(学生や先生の)顔が見える場所ですね。働いていて安心感があります。」
—音楽科の学生はいかがでしょう。
「非常に真面目という印象です。いいものをたくさん持っているのに謙虚というか、奥ゆかしくて、そのことにまず一番驚きました。なかなか出会えないようなすごい声を持った学生もいます。彼女達がこれからどうなっていくんだろうと考えながら、毎日を過ごしています。」
—今回はヴォルフの歌曲を歌われます。
「学生時代にはオペラのことばかり考えていました。でも、大事なオペラの役柄をキープする一方で、ある時から歌曲を歌うことが楽しくなってきました。」
—ヴォルフの歌曲の魅力はどのあたりにあるのでしょう?
「ひとくちに歌曲と言っても、いろいろなものがあります。同じゲーテの「君よ知るや南の国」でも、作曲家が違えば、全然違う音楽になります。シューベルトやシューマンも同じ歌詞に曲をつけていますが、ヴォルフのものは最初、なにがなんだか分かりませんでした。でも、やればやるほど深くて・・・スルメみたいに(笑)味が出てくるというか。狂った感じになったり、平常に戻ったり、そういうミニョンの感じがヴォルフのものだとよく出ていると思います。」
—今回は及川先生が伴奏をなさいます。
「普段は穏やかで暖かい方なんですけど、演奏の時の集中力や、エネルギーの凝縮された感じが素晴らしい。ヴォルフの歌曲にはピアノが重要な役割を果たすところが多いですから、ご一緒できるのは本当にありがたいし、怖いなあとも思います(笑)。」
—コンサートの抱負をお聞かせください。
「今回は私も学生達も及川先生と共演させていただくわけですが、一緒に出演するということは同じ土俵の上に立つことでもあります。先生と学生で一緒に一つの演奏会を作り上げていけたらいいし、そういう意味では、チームワークはいいんじゃないかと思っています。《コジ・ファン・トゥッテ》では私が妹役だったりしますけど(笑)、お姉さん役もしっかり歌ってくれるでしょうから、存分に楽しんでいただければと思います!」
以上、音楽科について井坂惠先生に語っていただきました。本番は10月2日。先生の歌声を聴きにぜひ当日はエル・パーク仙台までいらしてください!
「せんくら」ブログ読者の皆様、はじめまして。
宮城学院女子大学音楽科長の太田峰夫と申します。
本日からの3日間、宮城学院女子大学や音楽科のこと、それに10月2日に開催されるコンサート「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」について書かせていただくことになりましたので、よろしくお願いいたします!
さて、私達が「せんくら」に出演するのは初めてですので、第1日目の本日は、宮城学院について簡単に紹介した後、及川先生にご挨拶していただこうと思います。
まずは宮城学院について。
アメリカ合衆国改革派教会宣教師と押川方義をはじめとする日本人キリスト者達の尽力により、「宮城女学校(後の宮城学院)」が仙台の地に産声をあげたのは今から130年前の、1886年のことでした。初代校長のE.R.プールボーはペンシルヴァニア州出身の若い女性でした。
女子のための高等教育機関がほとんどなかった時代、キリスト教教育に基づく女子教育を行う学校として始まった「宮城女学校」はやがて広い校地を取得し、生徒数を増やしていきました。昔の仙台をご存知の方のなかには、東三番丁の旧校舎を覚えていらっしゃる方もおられるかもしれません。
1980(昭和55)年、一層豊かな教育環境を求めて、宮城学院は東三番丁キャンパスから、現在の桜ヶ丘キャンパスへ総合移転しました。そして創立130周年を迎えた今日に至るまで、幼稚園、中学校・高等学校、大学・大学院を持つ東北最大の女子教育機関として、スクールモットー「神を畏れ、隣人を愛する」のもと、数多くの卒業生を世に送りつづけています。
この宮城学院の音楽科で教鞭をとられているのが、ピアニストの及川浩治先生です。大学音楽科の特任教授であり、コンサートのナビゲーターでもある及川先生にここでお話をうかがうことにいたしましょう・・・
—まずは今回の企画(「及川浩治と宮城学院女子大学の仲間達」)について、着想に至った経緯をお聞かせください。
「具体的なことはともかく、何年も前からせんくらで学生達と共演できたらいいなと思っていました。(宮城学院女子大学音楽科は)東北唯一の(4年制大学の)音楽科だし、学生からすれば、ステージの上でしか学べないこともある。自分としても若い人たちとコラボすることはとても楽しいですし、聴きにいらした方にとっても面白いものになるんじゃないかと思っていました。」
—今回は歌曲の伴奏もなさいますね。
「学生時代、歌の伴奏はたくさんやっていました。実はテノール歌手にすごく憧れていたんです(笑)!プロになってからは歌を伴奏する機会はずいぶん減りましたけど、歌は音楽の基本だと思っています。井坂先生のお声も、歌い方もすごく尊敬しているので、楽しみにしています!」
—連弾もなさいます。
「デュオは子供の頃からずっと身近なところにありました。日本で教えていただいた児玉(邦夫・幸子)先生も、ブルガリアのガネフ先生もデュオを専門にやっていらっしゃったので、レッスンではたくさん勉強しました。標準語の表現にあったらいいと思うんですけど、連弾って「いづい」*んです。何しろいつもと違うところに座らなくちゃいけないので(笑)。いづいんだけど、息があった時の喜びは大きい。名曲が多いので、聴きに来られた方々にも、楽しんでいただけるのではと思っています。」
—宮城学院の学生達はいかがでしょうか。
「自分が学生だった時と比較すると、いい意味で真面目だと思います。最近、自分が学んできたことを(次の世代に)伝えていくことも演奏家の一つの役割だと感じるんですが、彼女達が僕の言うことを素直に受け取ってくれるのは驚きでしたね。僕の方でも、学生に分かるように説明する中で頭が整理されてきたところがあります。教えつつ、学ばせてもらっている感じです。とはいえ、ピアノの前に座れば、先生も学生もありません。今回のコンサートも、半世紀ばかり年をとった演奏家と若い演奏家とのコラボレーションのように考えていただければと思います。音楽のすばらしさを皆さんと一緒に感じられるような、特別な時間を作れたらいい。そう願っています。」
本番は10月2日。先生の熱い演奏を聴きにぜひ当日はエル・パーク仙台までいらしてください!
*「いづい」・・・仙台弁で「しっくりこない」こと。
とうとう最終日になってしましました。
私は普段ブログはやりませんが、これを機に始めてみようかな(^^)/
こうやって普段思う事を文章にすることは、とても楽しいですね。
唐突ですが今年6月に第一子を授かりました!
未だに父親の実感がないぐらいほやほやです💦
出産に立ち会った際、生まれてすぐの泣き声は一生忘れることはないでしょう。
今思えば、妻が身ごもってからずっと心配していました。
無事、元気な子が生まれるだろうか?と。
いざ産まれてからは、元気に育つだろうか?
病気にはならないだろうか?
びっくりすることに、将来友達はできるだろうか?に至るまで。
子どもの事はずっと心配です。
親とはそういうものなのでしょう。
自分もそして妻も、人間皆そう思われているはずです。
人は必ず誰かに思い思われているはずなのに、そのことが感じられない人々が、世界の平和を壊しているように思います。
とても残念なことです。
はたして我が子が生きる未来の世界は平和なのでしょうか・・・
このままでは未来の子供たちがかわいそう、平和な時代を残してあげたい。
最近、本当にそう思うようになりました。
そのために、今私たちにできること、自分が未来のためにできること、それぞれがしっかりと責任をもって担うべきですね。
私達演奏家が出来ることは、音楽に対して真摯に向き合う事。
その姿勢は必ずお客様に伝わります。
お客様が音楽を聞いて、心が豊かになれば、それが広がれば・・・大げさかもしれませんが平和に近づくのではないでしょうか。それが演奏家の使命です!
現在、私が演奏を出来ているという事はまだ日本は平和なのでしょう。
大げさなことはさておいて、ぜひ心のリフレッシュに会場にお越しください。
あっそうそう、前回書きましたが、実は私のリサイタルの日(10月1日)、
偶然にも私の35回目の誕生日です。
なんだか仙台に運命を感じる今日この頃です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは会場でお会いしましょう!!
さて予告通り私の変な!?経歴をご紹介いたします。
私は34歳です(7月30日現在)←次回のブログでもう一つとっておきの情報をお届けいたします!!
なぜ私が歌手になろうと思ったか。
正直子供のころ全く歌手には興味はございませんでした。
私の夢はプロバスケットボールの選手でした。
高校のバスケ部の顧問であった父の影響で3歳ごろから体育館で過ごし、
中学では迷わずバスケ部に入部しました。
自分で言うのもなんですがまあまあ活躍していました。
千葉県代表で全国大会にも出場しましたし、アメリカ遠征もしました。
もちろん高校もバスケットボールで入学しました。(勉強は・・・)
東海大学付属の高校で3年間寮に入り、親元を離れまさにバスケット漬けの生活でした。
3年次はキャプテンを務め本気でインターハイ目指し汗を流していました。
しかし、残念ながらインターハイ出場を逃し、夢破れました。
そこで進路を考えることに。
両親の影響もあり、中学校の教師になり、バスケ部の顧問になる!という夢を持ちました。
ただ机で勉強することが苦手だった私は、何か実技で大学に行けないものかと考えました。(高校受験みたいに笑)
もちろん体育の教師も考えましたが、父が体育科だったので違う教科をと。
そこで音楽という選択をしました。
今考えれば無謀ですね。なぜなら音楽大学に進学しなければなりません。
当時は音大受験の仕方すら知りませんでした💦
ただ若い時の好奇心はすごいもので、受験の仕方、そして音大の受験勉強(色々特別な教科があります・・もちろん実技も)を必死で勉強し、奇跡的に現役で合格しました。
大学時代ももちろん先生になるつもりで過ごし、教員免許を取得したのですが・・・
なんだかもう少し声楽を勉強したくなり、続けようと思ってしまいました。
勉強しているうちにオペラ歌手になってしまったというわけです。
人の人生は本当にわかりません。なにが仕事になるか。
もしインターハイに行けていたら!?・・・・・・・
今の私はなかったでしょう。
皮肉なことに、今年9月に日本でプロのバスケットボールリーグ、Bリーグが開幕します。
Bリーグで私の仲間でライバルだった鵜沢潤選手(名古屋ダイヤモンド)は現役として、佐藤博紀さんは千葉ジェッツの監督になられました。
夢を叶えた仲間たちを羨ましく思いますが、私はまた新たな夢に向かって頑張っています。
未だに夢に向かえる人生を送れることが、私にとって一番の喜びです。
なぜなら音楽家はとてつもなく難しい課題を、一生かけて勉強するのですから。
体育会系オペラ歌手!こんなこともあるのです。
それではまた次回!
みなさん初めまして!
今回初めて「せんくら」に参加します、テノールの西村悟(さとしと読みます💦)です。
今日から3日間ブログを書かせて頂きます。
「せんくら」に参加するのは初めてです。しかし仙台へは本当によく訪れました。
というのも私の父は仙台市青葉区中江出身です。
ずっと祖父母もいましたし、叔母も仙台でしたから幼少時は毎年夏冬と訪れたものでした。
ずんだ餅や七夕、秋保温泉までもが青葉区(青葉区広いんです・・・)だという事まで知っています(笑)
今はお仕事で訪れることが多いため、緊張感と節制とで、正直あまり仙台を堪能できていないのです。本当は2,3日仕事なしで滞在したいものですね・・・
そんな緊張感を解くのが本番終了後、帰京するまでの束の間の時間です。
そこでは楽しみのお酒タイムです。存分に楽しみます(^^)/
仙台でお酒の友といえば笹かまぼこです。
チーズ、サラミ、しそ等々さまざまな味が売られていますが、やはり一番はプレーンでしょう。
沢山のメーカーがありますが、私にはお決まりの店があるのです。(店名は控えます)
そこで家族にお土産を買いつつ新幹線で食べる分も購入、
大宮で下車するので、ほんの1時間30至福の時間を堪能します。
杜の都仙台、私にとっては懐かしい場所ですし、思い出も沢山あります。
そんな仙台でクラシックのお祭に、参加できるということは感無量です。
ぜひみなさん、「仙台にさとし君が帰って来たよ〜」くらいの気持ちで会場に足を運んでください。思い出と感謝を歌に込めてお届けします。
次回は私の変な経歴をご紹介いたします。
お楽しみに!!