ゴッドファーザー「愛のテーマ」等で知られる、イタリアの作曲家のニーノ・ロータ。
彼は映画音楽の作曲家というイメージが強いですが、実はクラシック音楽の作曲家でした。
本人も映画音楽は趣味と言っていたようです。近年、彼の純音楽の業績を見直す動きもあり、リッカルドムーティ―や、今井信子など、著名な音楽家が彼の作品を取り上げていて、その真価が見直されつつあります。ヴィオラとピアノのための「間奏曲」も、演奏される機会は少ないですが、ニーノ・ロータらしいやや陰のある、しかし何とも魅力ある美しい旋律に彩られた傑作です。
ヴォーンウィリアムズは、イギリスの作曲家です。
ヴィオラのために、多くの美しい作品を残してくれました。「ロマンス」はヴィオラの音域をフルに用いた美しい小品です。
ほかに、ドッビュシー、ヘンデル、ブラームスの愛らしい小品を、ヴィオラの暖かい音色にのせてお届けします。
今回せんくらの場で、この名曲たちを皆様と一緒に楽しむ事を、今からとても楽しみにしています。
10月2日金曜日の午後1時30分、太白区文化センター展示ホールでお会いしましょう。
皆様こんにちは。ヴィオラ奏者の佐々木真史です。
せんくら10周年ですね。本当におめでとうございます。
仙台に生まれたクラシックのお祭りがここまで根付いたことを、第1回目から濃密に関わってきた者の1人として心から嬉しく思います。
これも聴きにいらして下さる皆様のおかげと感謝いたしております。
10周年の今年は、久しぶりのセレーノ弦楽四重奏団、恒例のヴィヴァルディの「四季」
そして、「ヴィオラの優しさに包まれる午後のひととき」と題されたヴィオラリサイタルに出演します。こちらは、ピアノの國谷尊之氏と、金曜日の午後をゆったりと過ごしていただけるような珠玉の音楽達をお届けします。
30代を丸々過ごした懐かしの土地仙台。そこで生まれ育ったフェスティバルの10歳の誕生会。皆様と一緒に祝えるのを今からとても楽しみにしております。
さて3日目の今日は「民謡」についてです。
津軽三味線はもともと民謡の伴奏楽器として生まれたもので、切っても切れない関係です。
僕も民謡が好きで幼い頃から唄ったり弾いたりしてきました。
そもそも民謡という音楽は、昨日の記事にも関連しますが、その土地の風土、習慣、文化などから大きく影響を受けてできている音楽だと思います。
例えば宮城県の民謡を見てみると、初日に書いた伊達政宗に関係する唄も多いです。伊達家の御家騒動を題材にした「先代萩」という歌舞伎の演目もありますが、伊達騒動を唄った「仙台大津絵」。
伊達家の家紋「竹に雀」という文句が入る唄としては「宮城野盆唄」や、宇和島伊達家と仙台伊達家の両家が顔を合わせた酒席で仙台側が唄った宮城県民謡「さんさ時雨」に対抗して、宇和島武士が即興で唄ったとされる愛媛県民謡「宇和島さんさ」など。
うんちくを知るとさらに面白さ倍増!の民謡も沢山あるんですよ。
それから、民謡ってけっこう日本全国繋がっているんです。
江戸時代に北前船の船頭さんたちが広めた唄に熊本県の「牛深はいや節」という唄があります。
この牛深はいや節を元に生まれた唄が日本中にあり、例えば長崎県「田助はいや節」、島根県「安来節」、広島県「三原やっさ」、新潟県「佐渡おけさ」、山形県「庄内はえや節」、秋田県「飴売り唄」、青森県「津軽あいや節」「南部あいや節」、北海道「ソーラン節」、宮城県「塩釜甚句」、徳島県「阿波踊り」などなど、約200曲以上あると言われています!
人と人のつながりがあったからこそ生まれた音楽、それが民謡なんですね。とても日本人らしい本当に素敵な音楽です。
今回のせんくらでは、そんな民謡を昔ながらの形でお届けするだけではなく、僕なりにアレンジをしてピアノやバイオリンと演奏したり唄ったりと、皆様に楽しんでいただけるよう色んなことを考えております!
もちろん民謡だけでなく、クラシック音楽やジャズなども演奏する予定ですので、ぜひみなさん会場へいらしてください!
当日、皆様とお会いできることを楽しみにしております!
3日間お付き合いいただき、ありがとうございました。
今年もせんくらを大いに楽しみましょうね!
津軽三味線の浅野祥でした。
さて2日目は津軽三味線についてです!
津軽三味線の歴史は、世界で一番古い3本弦楽器と言われている中近東の「セタール」がシルクロードを通って中国へ渡り「サンシエン」に。琉球貿易の時代にそれが沖縄へ伝わり「三線」、さらにそれが進化しながら青森県まで伝わり生まれたのが「津軽三味線」です。
学術的には、津軽三味線は「リュート属」に属する楽器です。
二十歳の時、津軽三味線の先祖であるリュートと一緒にアルバムを制作するためフランスのリモージュという町へ行きました。そこで僕の2歳上のリュート奏者・トーマと出会いました。彼はクラシカルな音楽はもちろん素晴らしい上に、リュートでどんなジャンルの音楽も奏でていました。クラシック、ジャズ、ロック、パンク、ビートルズにジョニー・キャッシュなどなど。「音楽を心から楽しんでいる」彼の姿が今も鮮明に残っています。僕もトーマくらいの年齢になったら三味線で色んな音楽を弾いてみたい!と、それからたくさんのことにチャレンジをし、まだまだではありますが少しは彼に追いつけたかなと思っている次第です。
そんなトーマとのレコーディングは、日本古謡「さくらさくら」と、リュートのスタンダード歌曲「Flow my tears」をデュオで。その他の曲はヨーロッパ各国のジャズミュージシャンたちも加わってのものでした。
17世紀に建ったというお城でレコーディングをしたのですが、やはり石造りの中ではリュートの音はとても心地よく響きわたります。しかし津軽三味線は、撥のアタック音が強烈に反響してしまい絃のメロディラインがほとんど聴こえないという現象が起きました。そこでアルバムのプロデューサー・大島ミチルさんにも助言をいただき、そのレコーディング中に、皮に撥を叩きつけず絃のみを叩くという新しい奏法を見つけました。
これを津軽じょんから節などの民謡を弾く時に用いると、これまでにないじょんから節の音色に出会うこともできました。本当にあの経験には感謝しています。
この経験から確信したこと。それは音楽や楽器は、生まれた土地とかなり密接な関係性にあるということです!
三味線はやはり、畳にふすま!和室では撥のアタック音の反響もそれほどなく、心地よい響きになるのです。
ちなみにこの時のアルバムは「Believe」
ぜひこんな裏話を想像しながら聴いてみてください。
明日最終日は、「その土地ならではの音楽」日本の民謡について書いてみようと思います。
ぜひ明日もみに来てくださいね。
浅野祥
せんくらブログをご覧の皆様、はじめまして。津軽三味線の浅野祥です。
今年はせんくら10周年!誠におめでとうございます。
このような素晴らしい音楽祭を10年間続けるということの裏には、スタッフの皆様の計り知れない苦労と努力があると思います。
今年のアニバーサリーも、せんくらを楽しみに待っている皆様がひとつとなって大いに盛り上げ、盛り上がり、素敵な時間になりますよう心から願っております。また自分もその輪の一員として、皆様と一緒に素敵な時間を過ごせる日を楽しみにしています!
さて、僕は仙台市出身です。せんくらにお出での皆様は宮城県の方はもとより、日本全国からいらっしゃることと思います。
そこで僕のブログ1日目は、宮城県の見どころやグルメについて書いてみたいと思います。
宮城・仙台といえば、何と言っても「独眼竜 伊達政宗」
最近、「仙台は東北のニューヨークだっぺ!自由の女神像ならぬ伊達政宗像があるんだぞ!」という漫才コンビ・U字工事さんのネタで全国の若い世代にも一躍有名になった伊達政宗像。(ちなみに仙台人としては、東北のニューヨークという響きがちょっと嬉しかったです。笑)
以前は仙台駅の構内にありましたが、今は青葉城址にあります。かつての天守台址らしく市街地を見下ろす一番景色の良い場所にあり、眼下に城下町であった町並みを一望することができます。バスも出ていますのでコンサートの合間や、終演後にちらっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
次に「食」にいってみましょう。
仙台駅から車で約20分も走れば、海にも山にも行ける宮城県。最近では「食材王国みやぎ」なんて言われたりもしています。
海の幸も山の幸もとても美味しいです。牛タン、ずんだ、笹かまぼこ、油麩、定義の三角あぶらあげ。あと、おくずかけという郷土料理も。
そんな中でも今日、皆様にご紹介したいのは「はらこ飯」
せんくらが開催される10月ごろはちょうどはらこ飯の時期です。
鮭を煮て、その煮汁でご飯を炊き、炊き上がったご飯に鮭の切り身とイクラをのせて・・これ僕の一番の大好物です!もちろん駅弁でも売っていますが、10月は正に「はらこ飯」の季節ですので、ぜひ出来たてのはらこ飯を召し上がってみてください!
明日は僕がやっている津軽三味線について書いてみようと思います。
こんにちは、エレクトーンの神田将です。
韓国でこの原稿を書いています。今回訪韓したのは、オペラ「ヘンゼルとグレーテル」のオーケストラパートを演奏するためです。ふつうオペラは遅くても半年前に依頼がありますが、今回は本番まで一カ月を切っていました。オーケストラやピアノなら、一週間前でも対応できるでしょう。でも、エレクトーンには厳しいスケジュールです。
まず、フルスコアを解析し、エレクトーンで最大の効果があげられるよう、編曲をしなければなりません。そして数千パターンに及ぶエレクトーン用の音色の組み合わせデータを作成します。スコアを開いてから弾ける準備が整うまで3週間。立ったまま食事をし、まとまった睡眠を取らず、限界がきたら15分ずつの仮眠をとるというパターンで、やっとの思いで仕上げましたが、弾く練習をする時間はほとんど残っていませんでした。
万全とはいえない状況で出発するのは、とても気が重いものです。空港から会場へ直行し、すぐにゲネプロ。指揮者、歌手、演出家、その他全員が初対面です。手元が暗過ぎて不都合があると言いたいけれど、韓国語はカムサハムニダしか知らないので、意思疎通ができません。でも、指揮者が棒を上げたからには、覚悟を決めて弾き始めなければ。前奏曲が終わり、歌手が入って「あ、韓国語で歌うんだ」と初めて知りました。夢中で必死で全編を弾き、指揮者のOKサイン。そこでやっとこの世に戻った気分に。私が目をしかめて楽譜を追っている様子を見て、ああ暗いんだと察してくれたのでしょう。すぐにライトが用意されました。ゲネプロの後は、楽屋で韓国の不思議なローカルフードで小休憩。コトバが通じなくても、共演者とココロが通じ合っているのが感じられます。音楽が、今回はフンパーディンクのヘンゼルとグレーテルが橋渡しをしてくれました。音楽って本当に魔法です。
エレクトーンは基本個人プレーで完結できる楽器ですが、私はアンサンブルが大好き!
今年のせんくらでは津軽三味線界の若獅子、浅野祥さんとの共演があります。三味線とエレクトーンの化学反応!ぜひご期待下さい。
こんにちは、エレクトーンの神田将です。
今年は、私がエレクトーンを弾き始めて21年目。ちょっと中途半端な数字ですが、最近、急に気持ちというか考え方が変化してきて、私にとっては昨年の20周年よりも特別な一年になっています。
エレクトーンでクラシック音楽を弾きたい! その一心でがむしゃらに突き進んできた20年。振り返ってみると、私は本当に何も見えていなかったんだなぁとしみじみ思います。前例がないために、手本や参考になるものがなく、無数の失敗を繰り返し続けた20年でしたが、その間にも、素晴らしい出会いとチャンスに恵まれ、中でも、せんくら出演は人生5本の指に入る大事件でした。せんくらは史上初めてエレクトーンを受け入れたクラシック音楽祭です。ここで経験させてもらったことが、今や世界中でエレクトーンを弾くチャンスへとつながりました。大好きな音楽とともに次々と夢が叶い、本当に幸せです。
では、残りの人生、どんなふうに送ろうか。どうやって世の中の役に立とうか。今はそんなことを考えています。
飛び立った飛行機がぐんぐん上昇して雲を突き切り、やがて水平飛行に入る。一見、穏やかな雰囲気になるけれど、目的地はまだまだ先。今の私は、そんなところにあります。
こんにちは、エレクトーンの神田将です。
せんくら10周年、おめでとうございます!
変化の激しい時代に10年も続けるというのは、本当に素晴らしいことだと思います。しかも、毎回どんどん進化しているのですから、まさにミラクルです。 その裏には、せんくらを支えてくれているボランティアの皆さんの活躍があります。私たち演奏者は舞台で注目や喝采を浴びますが、それはせんくらのほんの一部に過ぎず、イベント成功には舞台裏でサポートしてくれる皆さんの力が欠かせません。 そして、その年のせんくらが終われば、また次の年に向けての企画がすぐに始まり、どうしたらせんくらに期待して下さっているお客様に満足していただけるか、あの手この手を駆使してイベントを練り上げるスタッフの皆さん。その情熱にいつも感服します。 そんなせんくらに呼ばれる歓びは、私たち演奏家にとってかけがえのないものです。大勢の人の知恵と汗で整えられた舞台で思い切り演奏することの心地よさといったら! 今年もそんな幸せな3日間を指折り数えて待っています。
ヨーデルとアルプホルン、これはどちらもアルプス音楽には必要不可欠です。1回目のブログでもちょっと触れましたけど、両方とも牧童たちが山のアルムにこもって生活している間、家畜を誘導したり、麓の家との伝達手段として発達しました。森林限界を超えるような高さの山々は岩石でできており、音が跳ね返り遠くまでよく響きます。今でいえば携帯電話のようなものですよね。アルプス音楽の演奏会には今もこの二つははずせません。そんなわけで私どもも各地のアルプホルン倶楽部との交流をとても大事にしています。そのなかから日本のアルプホルン倶楽部の老舗、大桑アルプホルン倶楽部を紹介しましょう。
長野県木曽郡大桑村、木曽ヒノキの産地で有名な人口4000人ほどの小さな村ですが、年配の方々がヒノキを使ってアルプホルンを制作し、練習に励んでいます。木曽谷・中山道にあるこの村は、東京電力の水力発電所や石川島播磨重工業のターボ工場などがあるため財政的にも裕福で、近隣自治体との合併の道は選ばず今に至っています。驚くのはそのこだわり、役場から流れるお昼の時報はサウンドオブミュージックのエーデルワイスなのですよ。私がお邪魔したときの日曜の朝、制作マイスターの家からアルプホルンを吹いたのですが、音は国道19号、JR中央本線と木曽川を隔てた反対側斜面にある役場側に伝わり、倶楽部の事務局長が、「朝からどうした?」と谷を越えてやってきたのです。ええーっ!、ここはスイスアルプス??直線距離で2キロ近くはありますかね。ちなみに事務局長は村の収入役なのでえーす。
ホルン作りをやっているのが高齢者なのがすごい。みんな元気なのです。その方々を頼って今では全国から手作りアルプホルンを欲しい方々が制作に集まるようになりました。夜一緒に一杯飲むと「コヨーテの鳴き声もヨーデルの練習だよね」とばかりにみんなでワオーン、わおーんと吠えます。ただひたすら20分ぐらい。おかしいと思われるかもしれませんが、その一途さ、連帯感がたまらなく好きなのです。仲間だなって感じで。大桑のみなさんはヨーデルが盛んな韓国から、モンゴル、ついにはスイスまで行って演奏してきましたよ。スイスのホルン工房、大桑のホルン見て焦ってましたっけ。
大桑の人たち、そして自分を見ても思うんです。アルプス音楽をやってなかったらただの寂しいおやじだなって。それがヨーデルを通して各地につながりができ、海外にも友人ができました。ありがたいことです。アルト高山さんとのデュオは声が交差する珠玉のハーモニーだと勝手に思ってるし、バイオリン長谷川君の加入でウィーンのシュランメル音楽のような厚みが加わった。三人で言ってるんです。ノーブルでエレガントなヨーデルチロリアンを目指そうと。
NHK文化センターでヨーデル講座を持たせていただいてからかれこれ10年になります。若い人の民族音楽離れはスイスを除くドイツ・オーストリアでも顕著で、今大きな課題となっています。日本でも何とか若い人にヨーデルに興味を持って欲しい。そう思っていたところ、高校生、さらには小学生まで扉を叩いてくれましたよ。あなたもせんくらにお越しいただき、ヨーデルを聞いてみてくださいな。では10月にお会いしましょう。
昨日の私のブログ、ヤバイですね。閉鎖とか廃止とか暗すぎる!!。大体このブログはせんくらに来てくださいとみなさまにお願いをするためのお手紙であるはずなのに、昨日の文章の最後は乗鞍にお越しくださいになってしまった。「せんくらにお越しください」でしょうがあああ!。私がせんくらの担当者だったら、ボツですね。スタッフの方々、暖かく見守っていただきありがとうございます。てなわけで今日はどうして私がヨーデルなどという迷える道に踏み込んでしまったかのお話です。
私が最初にヨーデルを聞いたのは、歳がバレてしまうからあまり詳しくは言いたくないのだけれど、東京オリンピックの頃だったと思います。NHKみんなのうたで「美しのエメンタール」という曲を聞いたのが始まりです。体中に電撃が走りました。当時のみんなのうたは子どもが歌える外国の有名な曲を訳して紹介していました。もちろんヨーデルの部分は歌えませんでしたが、声がころころ変わるところにエクスタシー(古いか?)を感じてしまいました。当時はラジオを付けてもテレビをつけてもヨーデルが流れ、レジャーという言葉に浮かれるように山歩きが人気となり、大学ではワンダーフォーゲル部で山のうた、ヨーデルを歌っていましたよ。今の若い人は(これ自体がすでに老人)ヨーデルというと焼肉ヨーデルとかパチンコヨーデルとかいう人が多くなってしまったけれど、故郷を愛し、自然を愛し、人を愛するヨーデルを若い人にも広めたいのです。ハイ。オクトーバーフェストなどでヨーデルを歌っていると、若者が夢中になって聞いてくれるのですから。
迷える道をまだ完全説明してないうちに話が“近代”に飛ぶんだけれど、今から10年前、父の50回忌をやったんですが、その際、普段会わない父の妹、つまり叔母が「あなたのお父さんはヨーデルが大好きでよく沼の水もに向かって歌ってた」と語ってくれました。夭逝したために父の趣味はそれまで知らなかったのですが、私がヨーデルの道に踏み込んでいるのはつまるところ血なのでしょう。単に親が好きだったことを子どもがやってるってことでしょうねえ。
でも実のところ、ヨーデルはとても楽しい音楽なのです。裏声を自由に駆使するため音域がさらに上に1オクターブ以上広がります。曲調は底抜けに明るい長調ばかり、短調はありません。故に演歌に代表されるような恨みつらみとは無縁の音楽です。人生、かくありたいものです。そして、あなたも一緒にヨーデルを歌いませんか。
ヨーデルチロリアン 佐藤憲男