仙台フィルも夏休みに入りました!
(事務所のスタッフの中には、まだ夏休みではない人も。。。お疲れさまです!)
今年の夏休みも昨年に引き続き、我が家にはフランスから12歳の女の子・Mちゃんが1週間のホームステイに来ています。
私と主人エマの友人夫婦(日仏カップル)のお嬢さんで、チェロを習っています。
Mちゃんが仙台に着いて、早速七夕祭りや楽天の試合を観に行ったりしていますが、ホームステイのメインは、エマ先生の指導によるチェロレッスン。
Mちゃん、とても頑張っていますよ〜。
(写真は楽天を応援するMちゃん&私)。
私の小学生時代も、夏休みにはヴァイオリンの練習に燃えていました。
というのも、小学生高学年からほぼ毎年、夏休み後に行われる全日本学生音楽コンクールを受けていたので、「夏休みをどう過ごすかが勝負!」だったのです。
とはいえ、子供の頃は練習より遊びたい気持ちが強かったので、隙あらば背中に漫画を隠し持って、トイレからなかなか出てこない様な、練習さぼり王の私でした。
そんな私がどうしたら毎日ちゃんと練習するだろうか、と考えた母は、夏休みに入ったと同時に、家の廊下の壁に大きな模造紙を貼りました。
その模造紙には、家族全員の8月31日までの一日のタイムスケジュールを書き込める様になっていました。
歳の離れた姉&兄の欄には、塾、レッスン、合宿、英会話、とカラーマジックで色分けされた予定がびっしり。
それに対し、私の欄は真っ白け。。。
「スケジュールびっしりが大人っぽくてカッコいい!!」と憧れ、私も7時起床、朝ご飯、夏休みの宿題、ヴァイオリンの練習、休み、ヴァイオリンの練習、お昼ご飯、ヴァイオリンの練習、プール、プールサイドでおやつ、プール、祖父母宅訪問、お風呂、宿題、ヴァイオリンの練習、お夕食、ヴァイオリンの練習、テレビ又は遊ぶ、就寝・・・。
と上二人に負けじと、カラーマジックでどんどん書き込みました。
予定通り達成したらその欄をマジックで塗りつぶす、というのがとても楽しくて(今思えば、塗りつぶすだけだったのに、何が楽しかったのだろう。。。)、このスケジュール表のおかげで、本当に規則正しい夏休みを過ごす事が出来ました。
この模造紙が無ければ、夏休みをダラダラ過ごして、コンクールにも入選&入賞する事は出来なかった事でしょう。
(夏休み明けには、学校で ”きれいに日焼けしたで賞” もゲット!)。
今年初めて、全日本学生音楽コンクール(小中高)の審査をする事になりました。
コンクール参加者はどの様に夏休みを過ごすのでしょうか?
せんくら出演者も、ほとんどがコンクールに挑戦した事がある方ばかりかと。
諏訪内晶子さんの著書に書かれてあった「(本選で)メンコンを弾いて九州に行こう!」、「プロコを弾いてハワイに行こう!」の様な、楽しいキャッチフレーズを励みに練習に励んだ、という方も多いのではないでしょうか?
「オケはレヴェルが高ければ高いほど、ピアノが埋もれて聴こえなくなる」 (園田高弘先生)
このお言葉は、ラフマニノフのコンチェルトの3番のレッスン中、先生がこの曲にまつわるエピソードの一つとして語られたものです。
ピアノ・ソロのユニゾンによるテーマの後、弦楽器にテーマを受け渡してアルペジオで伴奏する箇所で、先生ご自身がドイツの名門オーケストラと共演された時、弦楽器の響きが重厚過ぎて16分音符がもぐって聴こえなくなってしまい、困られたそうです。
オケの質が高い程、演奏が困難になるという先生のお話が面白くて、笑ってしまいましたが、確かにコンチェルトの演奏の最も重要なポイントとして、ソリストの音色が際立って客席の隅々にまで届かなくてはならない、という事があります。
この時のレッスンでは、メロディーをより遠くに飛ばすためにはただ腕力でガムシャラに弾くのではなく、ペタリングや、バスも含めた左手の鳴らし方で倍音を引き出し、音の輝きを増すように工夫する方法を教えていただきました。
現在も貴重なコンチェルト奏法の一つとして、演奏時に心掛けている事です。
青柳晋(ピアノ)
SLに乗って一時間、雲より高いところまで行けるなんてすごいですね。
手作り感のある車両、線路も手作業で敷き詰めた感じです。
途中、地元のおじいちゃんと孫らしき2人に会いました。
「ぼく、大きくなったら、このSLの運転士になる」
そんな会話が聞こえてきそうです。
海抜2200mちょいです。
既に牛や羊に会いたい場合や、草や緑を求めるのには高すぎる・・・
日本の丸っこい山とは異なる、スイスらしい角のある岩山になってきます。
素晴らしい景色
西江辰郎(ヴァイオリン) http://homepage3.nifty.com/nishie-tatsuo/
今年のせんくらでも、仙台フィルのコンマスとして出演させて頂きます。
今日は身内自慢になってしまいますが、仙台フィルのメンバーの良さについて書かせて頂きますね(笑)!
(写真は秋にミュージック・パートナー就任が決まった、我がオケ自慢の世界的指揮者・山田和樹さんと、仙台が誇る銘菓・萩の月←大好物の袋を持つ私)。
「仙台フィルは雰囲気が良いね!」と、ゲスト出演して下さった音楽家がよくおっしゃって下さるのですが、私もゲストコンマスで出演した時からそう感じ、その事が仙台フィルに入った一番の決め手だったように思います。
良い雰囲気、それは音楽と人が好き、という人の集まりだからでしょう!
これってプロの演奏家にとって、とても、とても重要なものだと思います。
これが無ければ、お客様が感動する様な音楽を奏でる事は出来ないでしょう。
仙台フィルのメンバーは心底音楽が大好きで、弾き終えた熱気そのままに、ロビーに出てお客様との交流を
楽しみにする人ばかり。
こんなメンバー、そして演奏家が気持ち良く演奏出来る様に細やかな気遣いをしてくれる裏方スタッフがいるからこそ、震災後に250回を越える「音楽の力による復興センター」との活動が出来たのだと思います。
これらの活動が評価され、エクソンモービル音楽賞、渡邉曉雄音楽基金特別支援(私事ですが、宮城県芸術選奨)を
受賞する事が出来ました。
これらの賞に大いに励まされましたが、何よりも私達の思いを感じて、「演奏に元気をもらいました」とおっしゃって下さる方のお気持ちに応え、音楽で東北を元気にしていきたいという思いが、今私達の中に強くあります。
せんくらでは震災を経験して、今まで以上に思い入れの強い作品となった「新世界」、「モルダウ」、「第九」を演奏します!
私達仙台フィルの音楽のパワーを是非お楽しみください!!
神谷未穂(ヴァイオリン)
「リストは無邪気でかわいい人だと思う」(パスカル・ドヴァイヨン先生)
“B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ” でレッスンを受けている時、先生はふとそうおっしゃいました。
歴史に残る楽聖・リストがどう「カワイイ」というのでしょうか。
先生の言葉は当時20代だった私にとって、直ぐにピンと来るものではありませんでした。
「ヴィルトゥオーゾ、社交界の名士、教育者、宗教家。リストの音楽を聴いていると、 彼はいくつもの顔を持っており、そのひとつひとつを懸命にこなしている様子が伝わって来る。宗教的な曲では、純真で明快な陶酔感が僕には微笑ましく感じられるんだよ。そんなリストの音楽を、包容力を持って弾きなさい。」
40代になり、モーツァルトやシューベルト、ショパンといった天才たちの生涯よりも自分の音楽人生が(勿論、凡才としてですが)ずっと長いものになりそうだと実感した時、先生が仰った「包容力」という言葉の持つニュアンスが少し理解出来るような気がしたのです。
我々は、若くして夭逝した天才たちの年齢をあっという間に越えてしまいます。
60歳になった時に、31歳で亡くなったシューベルトの音楽にどう接するべきなのか。
かつては憧憬の念を持って仰ぎ見た音楽を、「大人」になってからは包み込むように演奏する。
社交界の寵児だった青年ショパン、若くして死と対峙したシューベルト、様々なアイデンティティをさすらい求めたリストの心の声に、愛で慈しむような気持ちで取り組む事が、演奏家の最終的なひとつの理想形なのではないでしょうか。
青柳晋(ピアノ)
昨日のSL登山鉄道で30分。
うしたちも、音楽を聴いてくれるかの実験。
ちなみに、ほとんどの牛さんがこちらを向いて聴いてくれました??
もしや・・・セロ弾きのゴーシュやブレーメンの音楽隊も実話・・・!?
(演奏曲:タイスの瞑想曲)
牛たちが首につけている鐘ですが、実のところかなり頻繁になるので、とても賑やかです。
実際行って見るまでは、あっちでガラン、こっちでゴロン・・・・
っていうのを想像していたんですが、
草を食べる時・・・・
首を動かした時・・・
移動中・・・
だけでなく、
耳を動かしたり・・・・
尻尾を振っても・・・・・鳴るんです!
つまりはハエを追い払うのに・・・ですね(笑)
もし僕が指揮でR.シュトラウスを振ることがあったとしたら・・・・
ガラン ガラ 、ガラン、ガラ、ガラン
ゴロンガラン、ゴロン、ガラ、ガラ・・・
かなりうるさくやってやる。
西江辰郎(ヴァイオリン)
せんくらブログ4日目!
昨日に続いて音楽祭について。
海外の音楽祭といえば、北九州国際音楽祭の室内楽コンクールで優勝した際に副賞で頂いた「TOTOクフモプライズ」で行く事が出来た1995年のフィンランドのクフモ・フェスティバル。
白夜のシーズンで夜も明るいので、朝から夜中までずっと様々なコンサートが続く「マラソンコンサート」がありました。
クラシック音楽だけでなく、バロック、タンゴ、ジャズ、民俗舞曲、と色々なジャンルの音楽にここで触れる事が出来ました。
滞在中に、レッスンを受けさせて頂き、コンサートで涙が出る程感動的な演奏をされたクリスティアン・アルテンブルガー先生に長期的に習いたい!と思い、先生が当時教えていらしたドイツ・ハノーファー留学を決めました。
湖と木のゆったりとした自然の景色の美しさと、当時日本ではかなり珍しかった携帯電話を、フィンランドの子供達も使用していた最先端さのギャップに、驚きました。
熱いサウナから、みんなで冷たい湖に飛び込んだのも、懐かしい良い思い出です。
今回最後に書くのは1995年のイル・ド・フランス・フェスティバル。
パリ郊外のお城、ヴィラソーで開催された音楽祭。
ヴィオラのジェラール・コセ氏に招かれ、日本からヴィオリストとして参加しました。
私は当時ヴァイオリニストとしてか、ヴィオリストとして留学しようか、かなり悩んでいた位、ヴィオラの魅力に取り付かれていたんですね。
その前に参加したクフモ・フェスティバルで、ヴァイオリンでドイツに留学する事を決意していましたが、ここでヴィオラの世界にどっぷり浸かり、この楽器の特長を再確認出来たのは、今オーケストラで演奏する時にとても役立っています。
また期間中一歩も広大なお城から出なかったからか、フランス人、チェコ人の音楽家と室内楽、食事、散歩、ゲームを連日一緒にして過ごしたおかげで、とても親しくなりました。
その親しくなった音楽仲間の中の一人には、室内楽奏者として招かれていたフランス人チェリストで、音楽祭の6年後に私と結婚した主人も。
何ともいい音楽祭でした(笑)!
今まで宮崎、ナント、モンゼー、サイトウキネン、サンドニ、オーストリア国際室内楽、シエナ、ヴィルクローズ、e.t.c…
と数多くの音楽祭に参加させて頂きましたが、参加する度に素敵な出会い、発見があります。
今度のせんくらではどんな良い事があるか、今からワクワクしています!
神谷未穂(ヴァイオリン)
「明日から音楽をやめますと言ったら、何人の人が悲しみますか?」 (クラウス・ヘルヴィッヒ先生)
そう問いただされた時私は、音楽人生で最大のスランプを迎えていました。
レッスンやコンサートを控えているのにピアノの蓋を開けただけで吐き気がするので、先生に電話をして、正直に「ピアノを弾きたくなくなった」と相談しました。
先生はそんな私をご自宅に招いて下さり、食事の席でこの質問を投げ掛けられたのです。
考えてみると、今までに大金を投じて育ててくれた両親と、子供の頃からかわいがって下さった先生方のほかに「青柳」がピアノをやめて本気で悲しがる人は確かにいません。
つまり先生が言いたかったのは、こういう事です。
「音楽はあなた無しでも悠然と存在する。 あなたは音楽無しで悠然と存在できますか?」
興行的な成功や認知度を差し置いても、本気で音楽を欲してさえすれば満ち足りているのが音楽家の筈なのです。
今でも心に残る貴重な言葉です。
青柳晋(ピアノ)
昨日の写真、プロが写したものではありません。
空気が綺麗だと誰が取ってもああなるのかも~
Brienzから、このSLに乗ります。
急勾配のため、車両はもともと斜めなんですね。
僕は別に電車オタクではないんですが、興味津々。
西江辰郎(ヴァイオリン)
せんくらブログ3日目!
今日は私が参加した事がある“音楽祭”について、いくつか書いてみたいと思います。
まず先月参加したばかりの霧島国際音楽祭。
(写真は滞在したホテルの部屋からの景色。温泉地なので、その煙がいくつも見えます!)
国際という名前が付いている通り、韓国、台湾、ドイツ、アメリカ、イタリア、イギリス、ポーランド、ロシア、と様々な国から演奏家が参加していました。
講習会に参加した生徒も色々な国から来ているので、レッスンは英語を使う事が多かったです。
自分の語学力の無さを痛感しましたが(ドイツ、フランスに留学したんですけどね…)、優秀な生徒達から刺激を沢山受けました。
十代、二十代の吸収力の凄さ、器用さには羨ましくなります。
また先輩演奏家の知識の深さ、音色の豊かさには、その方々の人生が滲み出ている様な気がして、とても憧れました。
色々な世代と音楽で交流させて頂いたおかげで、自分のこれからの目標を新たにいくつか持つ事が出来ました。
また、ボランティアスタッフの皆様の心のこもったおもてなしには、感激!名物・黒豚の美味しかった事!!
滞在ホテルの近くの料理屋さんも、音楽祭初参加の私の名前をすぐ覚えて下さり、「神谷さん、神谷さん」と親しくお声掛け下さり、とってもアットホームな雰囲気をつくって下さいました。
霧島に来年また伺えるのが、今からとても楽しみです。
神谷未穂(ヴァイオリン)