私の出身地は宮城県の石巻市です。
普段東京で暮らす私はたまたま震災のあった3月11日のあの時間、まさに石巻の街中にいてその後は外部との連絡が途絶えたまま一週間ほど過ごしました。
自分が助かったことに対する違和感を覚えるくらい絶望的な風景や人々の表情は、言葉で説明することは難しく、ただ生涯忘れることの出来ないものとして残っています。
あの時そこにいた人の数だけストーリーがありました。
色々な事を思ったけれど、その中でひとつ小さな驚きが。
それは失った景色を見て記憶が蘇ったことです。
震災によって何もなくなってしまったり変わってしまった場所を目の前にしたとき、ここで地面に座り込んでみんなでスケッチをしたな、とか、ああここであんなことが起こったな、とか・・・
ほんの小さな、すっかり忘れていた幼い頃の思い出が、引き出しの奥の奥からポロポロと見つかったのです。
ものが簡単に失くなってしまうことがあっても、記憶は簡単に失わないと、実感した瞬間でした。
15歳で離れた故郷ですが、年を重ねる毎に帰ることが楽しみになっています。
そして、故郷を思う気持ちとはこういうことなのかなと少しわかったような気がする今日この頃です。
ゲルティンガー祥子(ピアノ)
皆様お元気ですか。
僕は八月生まれなせいか、とても夏が好きで、身も心も完全燃焼している今日この頃ですが、せんくらをとても楽しみにしています。
もう仙台出身の僕としては月に一度行きたいくらいなのですが、日々の演奏や仕事でなかなか仙台にはいくことができません。
せんくらの時間をとても大事にして行きたいと思います。
またみなさんに会えるのを楽しみにしています。
写真:8月18日北海道中標津町総合文化会館「しるべっと」小ホールにて。
PS
ブレーン(株)からフルートトリオ第一番が発売になりました。
よかったら是非チャレンジしてみてください。
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荒川洋(フルート)
皆様こんにちは、ピアノのゲルティンガー祥子です。
毎年聴衆の一人として楽しみにしていた素晴らしいフェスティバルに、演奏者として出演させて頂けることをとても光栄に思っています!
いまや説明するまでもなく有名になった石巻というところで中学まで生まれ育った私にとって、仙台は幼児期から毎週ピアノのレッスンのために通った思い出の地です。
毎年の発表会が確かクリスマスの時期だったような・・・
上手く弾けなくて帰りの車の中から定禅寺通のイルミネーションが涙でにじんで見えたことが何度もあったような・・・(笑)
大人になって色々な都市を知ってから改めて仙台を訪れると、住みたい街として人気がある理由がよくわかります。
緑が多くて、美味しい食もあって、文化の香りが漂う、とても品のある街・・・
9月29日にはまた久しぶりの仙台、今から楽しみです。
今日から一週間リレーブログ担当させていただきます。
せんくらは初めてになりますのでブログを通して皆様に少しでも私のことを知って頂けたらと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
ゲルティンガー祥子
震災後、生き残った貴重なホールにて行うはずだったその演奏会は、せんくら出演者、ヴァイオリンの西江辰郎さんとチェロの原田哲男さんとの演奏会でした。
消滅してしまったその演奏会を復活させ、今年10月13日(土)開催致します。
<音楽の旅 第八弾 シューマンとブラームスの室内楽>
2012年10月13日(土) 14:30開演
常盤木学園 シュトラウスホール
シューマン:ヴァイオリンソナタ第1番
ブラームス:チェロソナタ第2番
ブラームス:ピアノトリオ第1番
ヴァイオリン:西江辰郎
チェロ:原田哲男
ピアノ:高橋麻子
もしお時間がありましたら・・・。
お問い合わせは takahashiasako@gmail.com までお願い致します。
髙橋麻子(ピアノ)
さて、今回の「せんくら」でフルートの荒川洋さんと演奏するアストル・ピアソラの名作「タンゴの歴史」は、そのタンゴの発展の有様を20世紀初頭から表現した名曲です。
話は1900年、ブエノスアイレスの場末から始まります。
第1楽章の 「Bordel (ボルデル)1900」これは酒場にてと訳されることも多いのですが、実際は売春宿、いかがわしい場所のことです。
世界中の駅や港町には必ずそういう場所が存在しますが、ブエノスアイレスもその例外ではありません。
世界各地から集まる多種多様なお客たちは、好みのお姐さんを待つ間、ちょっとした気晴らしの音楽を求めました。
それが初期のタンゴの在り方です。
大抵はフルートまたはクラリネットがメロディーを担当しギターが伴奏。ここで奏でられたのは、ひたすら明るい楽しい、陽気なお囃子風の音楽でした。
30年後、タンゴはカフェに進出していました。
第2楽章 「カフェ1930」は、一転して甘くメランコリックな旋律。
世界は大きな戦争の流れの中、退廃的な空気に満ちていました。
束の間の出逢い、別れを惜しむ恋人たち、その横で奏でられるヴァイオリンの感傷的なメロディー。
この曲はまさにその時代のセピア色の景色を見事に表しています。
続く、第3楽章は「ナイトクラブ1960」
ここでピアソラというタンゴの革命児が登場します。
アニバル・トロイロの率いる伝統的な楽団を離れ、それまでのキャリアを捨てて作曲家としてデビューしたピアソラはそれまでにあった既製のタンゴを破壊し始めたのです。
2拍子系のリズムに3拍子を持ち込み、組み合わせて5拍子や7拍子のタンゴを生み出しました。
保守的なタンゴファンの抵抗は相当なものだったようです。
この楽章はその新しいタンゴの萌芽を聴くことが出来ます。
そして、第4楽章は「現代のコンサート」
タンゴはストラヴィンスキーやバルトークをはじめとするクラシックの作曲家にも影響を与え、また多くの演奏家~タンゴ弾き以外のあらゆるジャンルの演奏家に受け入れられ演奏される音楽となりました。
ここでの激しいリズムの躍動は、もはや旋律線を感じさせない新たな時代の音楽となっています。
この「タンゴの歴史」は、1982年にベルギーのリエージュ国際ギターフェスティバルの委嘱で作曲、初演されたものです。
日本では2年後の1984年に東京/音楽之友社ホールで
工藤重典さんのフルートで私が演奏しました。
多くの日本人がピアソラの存在を知らない時代に、会場におられた武満徹さんから暖かい声援を頂いたのを今でもはっきり覚えています。
その後30年、世界中で最も多く演奏されるフルートとギターの定番曲になったのは本当に嬉しいことです。
福田進一(ギター)
震災後、予定していた演奏会は全てキャンセル、または延期となりました。
四日間の停電、十数日の断水、ガス復旧までにほぼ一ヶ月という状況下、ただ生きるために生きているような毎日でした。
音楽を仕事として一生携わるということに、初めて疑問を感じました。
何と役に立たないことをやっているのだろう。
全てがそろった平和な状態でないと、こんなに必要とされないものなのだろうか。
私には誰のことも助けることができない。
仙台市内の音楽ホールは4つだけ生き残り、他はしばらく使えない状態でした。
その貴重な4つのうちの一つを、私は自分の演奏会のために予約してありました。
しかし、その貴重な演奏の場をもっと多くの人とつながりに活かせないかと思い、急遽、「宮城学院女子大学音楽科OG有志によるチャリティコンサート」に変更し開催しました。
震災後の混乱の中、知り合いに片っ端から連絡したところ、合唱参加者として137名ものOGが出演を希望してくれました。
余震の中、皆で練習し、当日は会場全体が一つの思いでつながり、皆が涙した演奏会となりました。
このチャリティコンサート活動は、インターネットを通じて、遠く富山の方々の心ともつながり、富山の強力なスタッフたちにより、今年2月富山公演が実現しました。
宮城学院女子大学音楽科OG有志によるチャリティコンサートは今後も続いて行きます。
この11月には多賀城にて、来年2月には再び富山にて開催予定です。
音楽により多くの方々のあたたかな心とつながり、その思いは遠くまで届き、皆と音楽をすることができますことに、感謝しています。
髙橋麻子(ピアノ)
トーレスによってギターは多彩な音色の変化、音量を獲得しました。
この楽器を使って近代のギター奏法の基礎を確立したのが「アルハンブラの思い出」で有名なフランシスコ・タレガであり、その奏法は門下のリョベートやセゴビアに伝播していったのです。
しかしギターのレパートリーは、ヨーロッパ圏内にとどまりませんでした。
まだまだ違う音楽の波があったのです。
最も注目すべきは、ギター音楽の南米への波及です。
1492年のコロンブスの西インド諸島発見とともに、一気にヨーロッパ文化が南米に流れ込みました。
16世紀初頭、スペインで完成し、初期の対位法を生み出した楽器ビウェラはギターの祖先とも言える楽器です。
現在の研究では、この楽器は2つの方向に伝播しました。
ひとつは北へ、つまりメキシコ方向に。もうひとつの流れは南へ、チリを含む南米方向に向かったようです。
その後、二百年以上の歳月をかけて、ヨーロッパの音楽はゆっくりゆっくり中南米と南米に浸透するとともに新しい音楽が生まれていきました。
新しい音楽を生み出す原動力となったのが黒人たち、すなわちアフリカから連れてこられた奴隷たちの音楽です。
例えば彼らの音楽のなかでも、キューバのハバナを経由してもたらされたハバナ風の踊りと言うことで、「ハバネラ」。
これが後のタンゴの原型なのです。
さて、今回の「せんくら」でフルートの荒川洋さんと演奏するアストル・ピアソラの名作「タンゴの歴史」は、そのタンゴの発展の有様を20世紀初頭から表現した名曲です。
話は1900年、ブエノスアイレスの場末の酒場から始まります。
この続きはまた明日…
福田進一(ギター)
今回、初めてのせんくらにて、9月30日、ショパンのスケルツォ4曲と幻想即興曲を演奏させて頂くことになりました。
私は仙台出身、ベルリンとザルツブルグに7年程留学しましたが、帰国後も仙台在住、宮城学院女子大学音楽科にて講師をし、同時に演奏活動をしています。
震災で、私の生徒たちはたくさんのものを失いました。
家を流された学生、原発のため家に帰れず避難し続ける学生、そしてお母様とともに津波にのまれ命を落とした学生がいます。
その亡くなった生徒が最後に弾いていたのがスケルツォ2番でした。
今回、スケルツォ4曲という依頼を受けた時には正直、悩みました。
震災後、涙で最後まで聴くことさえできず避けてきたスケルツォを、私は弾くことができるのだろうか?と思いました。
しかし、その生徒が、弾いて欲しいと言っているようにも思い、今回弾かせて頂くことになりました。
津波から奇跡的に救助された、彼女のお祖母様とお話しましたが、当日聴きにいらしてくださるとのことでした。
心をこめて準備したいと思います。
髙橋麻子(ピアノ)
さて、昨年はスケジュールが重なり出演出来なかった「せんくら」ですが、今年は参ります!
2回のソロ・リサイタル、デュオ・リサイタル(長谷川陽子さんのチェロ)
そして室内楽トリオ(荒川洋さんのフルート、佐々木真史さんのヴィオラ)
の四つのプログラムを聴いて頂きます。
このブログ・エッセイの初回はギターの基礎知識を少し…
ギターは実に豊かな音楽の土壌を持った楽器です。
つまり、世界各地にそれぞれ独自のギター文化があるのです。
ギターの母国スペインにはフラメンコ音楽の生まれる遥か以前、ルネサンスから伝わるギター音楽の伝統がありました。
その音楽の波は姉妹楽器とも言えるリュート音楽と合わせてヨーロッパ全域にゆったりと浸透していったのです。
リュートはアラビアのウードが起源ですが、シェイクスピアの時代になってイギリスで頂点を極めたのち、南に波及しました。
後に、イタリアには高い音域のリュートからマンドリンが生まれましたし、フランスの宮廷では食卓の音楽として、スペインでも舞踊の伴奏として5コース(各弦が2本ずつ組み合わさった複弦をコースと呼びます)のギターが活躍しました。
さらにドイツでは13コースもの弦を持つバロック・リュートという広い音域の楽器が生まれ活躍しました。
しかし、古典期になってリュートは徐々に影が薄くなっていきます。
1800年頃、ヨーロッパのギターは突然現代の6本弦の楽器に統合されました。
この経緯は今もって多くの謎があります。
ともあれ、このエレガントな楽器は流行し、多くの名手を生み出しました。
今回のせんくらで長谷川陽子さんと共演するシューベルトなど、ギターを使って作曲していたことが知られていますが、それが今お話している19世紀初頭のギター(通称19世紀ギター)です。
さらに時代が進み、19世紀の後半にスペインでアントニオ・デ・トーレスという天才的な製作家が登場します。
彼はギターのサイズを大きく改良し、共鳴板の裏に複雑な力木の配置を考えました。
今日のギターはそのほとんどがこのトーレスのシステムを元祖としています。
トーレスによってギターは多彩な音色の変化、音量を獲得しました。
この楽器を使って近代のギター奏法の基礎を確立したのがアルハンブラの思い出で有名なフランシスコ・タレガであり、その奏法は門下のリョベートやセゴビアに伝播していったのです。
しかしギターのレパートリーは、ヨーロッパ圏内にとどまりませんでした。
まだまだ違う音楽の波があったのです。
話の続きはまた明日…
Shin-Ichi FUKUDA(ギター)
※写真はドイツ・コブレンツ(ライン川のほとり)にて 2012年5月
こんにちは。
私の担当は今回が最終回となります。
今日は最後に、私と仙台とのご縁、そして私を含めSIMC出身者の仙台への思いについて書かせて頂こうと思います。
二年前の仙台国際音楽コンクールは、実は私にとって初めての国際コンクールでした。
応募してはみたものの出場は全く予期しておらず、準備も期間中も初めてのことばかりで、本当に大変な状態だったのですが、不安な気持ちで到着した仙台ではボランティアの皆様の温かさに励まされ、何とか出場という目標をクリアし、SIMC後の目標も持つことが出来たのでした。
私以外の出場者の方も、皆さん仙台で頂いた温かい思い出に感動し、本当に素晴らしいコンクール、素晴らしい街だねと話していたのを鮮明に思い出します。
そんな忘れられない思い出を頂いた仙台が、昨年震災で大きな被害を受けられた時には本当にショックで、幸いにも私のお会いした方々は皆様無事でいらしたのですが、とにかく仙台のために何かご恩返しをさせて頂きたいという思いの何人かが、先日こちらのブログを書かれた鈴木美紗さんをリーダーとする過去のSIMC出場者で企画させて頂いたコンサート、それがCharity Concert for Sendaiです。
初回は震災の二週間後に急遽開催、その期間は寝る間も惜しんで企画し、今春の第二回目も色々と難しい問題もありましたが、多くの方にご尽力頂きまして無事に開催できました。
先日のブログで鈴木さんも書いていらっしゃいましたが、このコンサートはこれからも毎年4月始めに開催していこうということになりました。
私達の公式ブログはこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/charitysendai/
微力ではございますが、出演者全員、仙台のお役に立ちたいという一途な思いは絶対に誰にも負けない自信を持って企画して参りますので、これからも私達のささやかなご恩返しを見守って頂けますと幸いです。
そして末筆ながら、仙台の震災以前以上のご発展をお祈りしております。
今日までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
それでは、九月に仙台で皆様にお目にかかれますのを楽しみにしております!
美世真里奈(ピアノ)