2007年08月21日

2007.08.21| 前橋汀子

こんにちは。

今日はまずシマノフスキの「アレトゥーサの泉」について。
シマノフスキはポーランド出身の作曲家で、この曲はヴァイオリンとピアノのための3つの詩曲「神話」の第1曲。

?ギリシャ神話の水の精「ニンフ」が恋された川の神「アルフェウス」から逃れシチリア島にたどり着き、泉の姿に変えてしまう。あきらめきれない川の神はシチリア島に追いかけてきて、その泉に情熱を注ぎ込む?という物語。

次にドヴォルザークの「わが母の教えた給いし歌」、「スラヴ舞曲 op.72-2」について。

「わが母?」は歌曲集「ジプシーの歌」op.55の第4曲で、ボヘミアの詩人アドルフ・ヘイドゥークの詩を歌曲にしたもの。“老いた母が私に歌を教えた時、目に涙を浮かべていた。いま、私がその歌を子供に教える時、日焼けした頬に同じように涙が流れる”と歌われる。

「スラヴ舞曲?」は、2つのスラヴ舞曲集「作品46」と「作品72」の全16曲の中の1曲。ドヴォルザークはブラームスを大変尊敬していて、当時ブラームスが作曲したピアノ連弾曲「ハンガリー舞曲集」がヨーロッパで大評判になり、これに触発され、自身もボヘミアの代表的なメロディーに踊りの曲を入れてこの「スラヴ舞曲集」は生まれました。

今日はここまで。それではまた明日。

前橋汀子

谷川俊太郎さんへの17の質問

2007.08.21| あんさんぶるであるとあるで

じゃーん!今日は谷川俊太郎さんへの質問。

「谷川俊太郎の33の質問」という本がだいぶ昔に出版されていますが、これが面白いんです。武満徹、岸田今日子、和田誠などなど各界の大物に谷川さんが質問をするという、もとはジャンジャンでのライブだったというもの。これの向うを張って、こちらから質問してしまおうと言うわけです。質問は草刈の他、であるとあるでメンバーからのもあります。「17」というのは、「33」の半分くらいに、と遠慮してみました。

Q1. 朝日と夕日、どちらが好きですか?
俊太郎- – – 夕日かなあ。ベッドに入る時間が近づいてくるから。

Q2. 明日死刑になるとしたら今晩の献立は何が良いですか?
俊.- – - 白粥と梅干しかなあ。

Q3. すり切れるほど繰返し聴いたレコードやCDがありましたか?
俊.- – - ありました。SPはすぐすり切れたもんね。
信時 潔の「海道東征」とか。

Q4. 得意な料理は何ですか?
俊.- – - そば粉パンケーキ。
料理とは言えないかもしれないが、おいしく焼くには技術がいる。

Q5. 朝起きて、一番最初にすることは?
俊.- – - おしっこ。

Q6. 映画に出演するとしたらどんなジャンルが良いですか?ラブロマンス、アクションもの、時代劇、ホラー、コメディーなど。
俊.- – - S.F. 宇宙人の役がやりたい。

Q7. 1日のうちで好きな時間帯はいつですか?
俊.- – - 夜、ベッドに入った時。

Q8. 怖いものは何ですか?
俊.- – - 人間。

Q9. やってみたい(みたかった)楽器は?
俊.- – - ダルシマー。

前半終了—!
うーん、面白い、意外なお答えもありましたね。
1日のうちで好きな時間が夜ベッドに入った時だとは思いませんでした。
これはぐーたらな私と同じじゃないですか。でもぐーたらだからじゃなくて、お忙しいからこそでしょうね。

信時潔「海道東征」は、北原白秋/詩、信時潔 /曲によるカンタータで、1940年 に皇紀2600年祝賀のため作られたそう。私は知りませんでしたが、母に聞いたところ、「もちろん知っている」とのこと。白秋晩年の大作、信時の代表作。俊太郎氏もSP8枚組を持っていらっしゃったのでしょうか?

ダルシマーという楽器は、箱型の共鳴体に張られた多くの弦を打つ美しい楽器で、中にはピアノとよく似た音のものもあるので、しばしば「ピアノの祖先」と呼ばれることもあります。
そういえば俊太郎さんの詩に「そよ風 墓場 ダルシマー」というのがあったっけ。

明日へつづく・・・

[今日の写真]谷川俊太郎さん直筆のお答え。

— 草刈麻紀

2007年08月20日

2007.08.20| 前橋汀子

こんにちは。前橋汀子です。
今日は、チャイコフスキーの「メロディ」について、触れたいと思います。

この曲はチャイコフスキーが1878年にヴァイオリンとピアノのために作曲した「懐かしい土地の思い出」という組曲の中の1曲です(「瞑想」、「スケルツォ」、そして「メロディ」の全3曲)。ピアノの穏やかな伴奏に、ヴァイオリンが3拍子の美しいメロディーを奏で、お互いに響き合いながら静かに終わりに向かう幻想的な曲調です。

この組曲のタイトルにある「懐かしい土地」というのは、1877年にチャイコフスキーが結婚の破綻から逃れ療養していたスイスのレマン湖ほとりにある風光明媚な小さな町「クララン」といわれています。この地ではチャイコフスキーの代表作であるヴァイオリン協奏曲も作曲されています。

実はクラランには、私の師で20世紀を代表するヴァイオリニストのジョセフ・シゲティ先生が住んでおられたので、私もかつてはクラランに住んでいたことがあります。

当時、チャイコフスキーが滞在していた場所は、今ではモダンなホテルが建っています。そのホテルの玄関には「1878年チャイコフスキーがヴァイオリン協奏曲をここで作曲した」と書かれたプレートが飾られているのです。

それでは、また明日。

前橋汀子

谷川さんのこと

2007.08.20| あんさんぶるであるとあるで

私が谷川俊太郎さんと初めてご一緒させていただいたのは、知る人ぞ知る戸隠のカフェ「チェンバロ」のコンサートです。大自然とおいしい食べ物に囲まれたこのコンサートがあまりに心地よかったので、東京でもぜひ!ということになり、次の年に「詩的に音楽会inさんちゃ」を企画しました。三軒茶屋の世田谷パブリックシアターが満員になるほど盛況で、俊太郎さんと、今は亡き岸田今日子さんのやりとりが可笑しくも心温まる楽しい会だったと思います。あの時はお二人で歌も5曲位歌われました。

賢作さんとはその後、俊太郎さんのご紹介で共演し、CD制作、コンサート等、いつも新鮮な気持ちで参加させてもらっています。

賢作さんは言うまでもなく、谷川俊太郎さんのご子息であらせられます。
私たちと同年代、見た目も中身もHOTな優しいジャズマン。ご本人曰く、クラシック音楽家とのお付合いは今まであまりなく、オーボエ、ファゴットなんていう楽器を吹くおともだちは初めてだそうですが、クラシック界でもあまり一般的でない木管四重奏という編成の曲作りを難なくこなし、シンプルなのに個性的なメロディーをさらっと作るメロディーメーカーとしての才はただものではありません。

そんな谷川親子の共演は、ご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、ホントにジャズのセッションのよう。何でもござれという余裕が、うらやましいかぎり。「世界的詩人」に遠慮なくポンポンからめるのはご子息ならではのワザでしょう。

今回の「ことばあそびうた」では特にそのあたり、絶対に面白いのでぜひ聴いて欲しいです。お子さんにも大ウケ間違いなし。(歌もありかも!)

「家族の肖像」は糸井重里さん絶賛、自分でもCDを聴いて泣きました。自分で泣くなよ!と言いたいところですが、これが毎回気をつけないと泣けて吹けなくなる部分があり、要注意です。詩は「家族」ということでわかりやすいが奥が深く、曲は懐かしく美しく谷川賢作の最高傑作だな、とひそかに私は思っているのですが・・・

めでたくも2日間とも売り切れとのこと、ばんざーい!
お客様のおかげで平井プロデューサーと私のクビがつながりましたよ。

[今日の写真]チェンバロでのリハーサル。岸田今日子さんと、左は作曲家の吉川和夫さん。

— 草刈麻紀

2007年08月19日

2007.08.19| 前橋汀子

(C)細谷秀樹

みなさん、こんにちは。前橋汀子です。
今日より1週間、私が「せんくら2007」で演奏するプログラムについて、簡単な解説とちょっとしたエピソードを交えてお送りします。

まずは、エルガーの「愛のあいさつ」について。イギリスの作曲家、エルガーといえば、みなさん一度は耳にしたことがある行進曲「威風堂々」が有名ですが、それと同じようにこの「愛のあいさつ」はご存知だと思います。ヴァイオリンとピアノという編成だけではなく、チェロやフルートなどでも演奏される短い小品です。もともとピアノだけのために書かれた曲ということは広く知られています。題名の通り、愛に満ちたきれいなメロディーは、今なお世界中で愛される名曲です。

次に、ブラームスの「ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調op.108」は、ブラームスが夏の休暇を過ごしたスイスのトゥーン湖畔で作曲されました。数年前、私はこの曲が生まれた背景、風景などを自分の目で確かめたく、トゥーン湖を訪れたことを思い出します。このヴァイオリン・ソナタ3番は、ブラームスが作曲した3曲のソナタの中でも最も感傷的でロマンティックな哀愁と情熱に満ちた作品だと思います。この曲は、当時指揮者でピアニストでもあった大音楽家ハンス・フォン・ビューローに献呈されました。

明日は、チャイコフスキーの「メロディ」について、触れたいと思います。

前橋汀子

あんさんぶる であるとあるで 草刈麻紀(木管四重奏) であるとあるでってなんだ?

2007.08.19| あんさんぶるであるとあるで

こんにちは! 今日からブログを担当するクラリネット奏者の草刈麻紀です。
「であるとあるで」という、何だかわけのわからない名前のアンサンブルで、6日と7日の2日間みなさまにお目にかかります。ここでは主に谷川俊太郎チームを代表して、俊太郎氏、賢作氏にまつわるエピソードなどもご紹介していきたいと思います。

「であるとあるで」はもともと谷川俊太郎さんとのユニットのために組まれた木管四重奏団で、最初は名無しのごんべえだったのですが、グループ名をつけようという時に、ありがたくも谷川俊太郎さんの詩の題名を頂戴しました。日本語のようでドイツ語のようでもあり、語呂が良く、俊太郎氏曰く、「ART」ということばが隠れているあたり、ただものではない感じがするではありませんか?

簡単にメンバー紹介をさせていただきます。

*吉岡アカリ(フルート)
東京フィルハーモニー管弦楽団首席奏者。どんな美人かと思いきや、残念ながらこの人は男性です。趣味は成功率の低いダイエットとか。

*庄司知史(オーボエ)
フリー奏者。長年のオーケストラプレーヤーを経て今やスタジオ界の顔。高視聴率のあのドラマ、このドラマ、映画、CM等、彼のオーボエを聴かない日はないでしょう。今回のワークショップの構想は彼によるもの。

*草刈麻紀(クラリネット)
フリー奏者。雑用係。であるとあるで以外にも様々なアンサンブルのプロデュース=雑用をしている。(ヒマだって事だな)

*大澤昌生(ファゴット)
東京フィルハーモニー管弦楽団首席奏者。音楽家にあるまじき健康的な生活を送っているサッカーオタク。夜10時には眠くなってしまう。

さて、明日は俊太郎さんとの出会いやご一緒するまでのいきさつなどを書き連ねようと思います。俊太郎氏への質問コーナーも準備中です。
どうぞ最後までおつきあいくださいませ。

[今日の写真]リハーサル風景。なぜか指揮者・井上道義氏のアタマが・・・

— 草刈麻紀

御喜美江(7)

2007.08.18| 御喜美江

ちょうどあと7週間でせんくらが始まります。
今回はアコーディオンの遺伝子ともいえる「うた(Lyric)」と「技巧(Virtuosity)」をテーマにプログラムを組んでみました。

尚、これは全く個人的な意見なのですが、アコーディオンに「大曲」といいましょうか、時間的に長い曲はあまり似合わないような気がします。世界コンテストなどでは時折、4楽章からなるソナタなんて大曲も演奏されますが、アコーディオンがそれによってますます面白く魅力的になると思ったことは一度もありません

服といい、カバンといい、靴といい、一目で分かる著名デザイナーのそれを身に纏ったご婦人と道ですれ違いながら、「さぞかし高かっただろうに、それにしても似合っていないなぁ。」と内心思うことがしばしばありますね。似合わないものというのは、どんな努力をしても、結局は似合わないのかもしれません。

その反面、似合うものには不思議なエスプリがあると思います。それが帽子であれ、パイプであれ、手に持つ雑誌であれ、似合うもの同士が一緒になると、1+1=3または4にもなって、素敵な雰囲気がそのまわりに生まれると思います。

スカルラッティのソナタ、グリークの叙情小曲集、ピアソラの作品、フランスバロックの鍵盤曲、これらの作品はどれも長くて5分、短いものは1分にもみたないショートピースですが、「うた」と「技巧」のバランスが完璧で、そこへアコーディオンを持ってゆくと実にピッタリ合う、要するにとてもよく似合う、と私は思います。

今回のせんくらではソロ・コンサートのほか、チェロの藤原真理さんとバッハの「ガンバソナタ」+ロシア民謡の「ともしび」「モスクワ郊外の夕べ」、そして打楽器の池上英樹さんとはピアソラの「リベルタンゴ」他、を御一緒させていただきます。これ等の音楽は、感情をこめて思いっきりうたうことが許され、またどんなにヴィルトーゾに弾いてもぶっ壊れない頑丈さがあるので、思う存分、心残りなく演奏したいと、今から張り切っております。

仙台クラシックフェスティバルの主催者、関係者、そして多くのボランティアの方々による、目に見えるところ、見えないところでの多大なご援助と、これほど沢山のコンサートを3日間で行なうための計り知れないご苦労、そして何よりもクラシック音楽を愛する皆様の熱い思いに、私は大きな感動と深い感謝の念をおぼえます。

最後になりますが、7日間も私の拙い文章と写真をご覧くださいまして本当にありがとうございました。仙台でお目にかかれるときを今から楽しみに心待ちしています。

 

吉松隆(7)

2007.08.18| 吉松隆

最近は、クラシック音楽がブームだなんてよく言われます。

もちろん昔からファンは確実にいましたが、「のだめカンタービレ」のようなコミックス、あるいは「熱狂の日」や「せんくら」のようなお祭り仕立てのコンサートをきっかけにして、ごく普通の感覚で「クラシック音楽」に興味を持ち、接してくれる人が増えたことは嬉しいことだと思います。

むかし私がクラシックを聴き始めた中学生の頃は、クラスに「クラシック好き」など一人いるかいないかという過疎の時代。同級生たちが音楽(要するにポップスです!)の話で盛り上がっている時、「キミの好きな曲は?」と聴かれ、うっかり「ベートーヴェンの7番」と答えたところ、まるで絶滅寸前の吸血鬼でも見るような目で見られたものです(笑)

それも今は昔の物語。今ではこの曲、(TV版「のだめ」のオープニングで使われたせいで)一時は携帯の着メロの第1位にランキングしたほどの人気とか。最近も、子供のためのオーケストラ入門コンサートでこの第7の一部が流れたところ、ほぼ全員の子供が「これ知ってる!」と叫んだのには感動しました。ベートーヴェン先生も草葉の陰でどんなにお喜びか。

そういった点だけを見ると、新しい聴き手も増えて色々な作品にスポットが当たり、なんだかクラシック音楽にも明るい未来があるように「一見」思えます。

でも、時々、後ろめたさを感じることも確かです。大作曲家たちが残した名曲がたくさんあるのをいいことに、その遺産を食いつぶしているだけでいいのか?と。

実際、過去の大作曲家たちが残した「名曲」という遺産は莫大なものです。それによっていまだに多くの音楽家たちが潤い、本場ヨーロッパから遥かに離れた極東の日本にすら、その「おこぼれ(?)」が満ち満ちているわけなのですから。

しかも、現代では、そういった音楽が実に簡単に、しかも安く手に入ります。映画やテレビからは背景音楽として流れ、コンサートのチケットやCDが格安で売られ、DVDや衛星放送で家に居ながらにしてオペラの特等席の気分さえ味わえる。それは、だれもが簡単に宝を享受できる、まさに天国のような時代と言えるのかも知れません。

ただ、前のブログでもちょっと書きましたが、音楽とは、過去から受け継がれてきた人類共通の「財産」であり、音という遺伝子で伝えられる「魂」そのものです。

それは、多くの音楽家たちが命を懸けて生み出し、育ててきた貴重なものです。しかし、それをどんなに素晴らしいものだと感じ、浴びるような無償の恩恵を受けても、私たちは彼らに感謝の意を伝えたり代償を払ったりすることが出来ない。

だとしたら、私たちの出来ることは、ただひとつ。その恩恵をしっかり受けとめ、私たちの時代の魂を添え、今度はそれを未来へ伝え受け継いで行くことです。

ですから、
私たち作曲家は今日も作曲し、
演奏家は世界各地で演奏し続け、
音楽を愛する人々はコンサートに通うわけです。

というわけで、一週間にわたったクラシック講座、・・・おっと、違った。ブログでしたっけね。これで、おしまいです。後半、少々熱く(暑苦しく?)なったことをお詫び申し上げます。

・・・・・吉松隆
http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/

御喜美江(6)

2007.08.17| 御喜美江

海が見たいです。
ひろ~い海原の前に立って
遠くに霞む水平線を見たいです。
潮風を胸いっぱいに吸い込み
古い空気を思い切りはきだしたいです。
浜辺に打ち寄せる波の音を
いつまでもいつまでも聞いていたいです。

私にとって、「夏」は「海」です。
でも今年の夏はあまりにも雨が多く、気温が低く、
「海へ行こう!」という日がなかなか訪れません。

この写真はちょうど10日前
ヘルシンキから船で立ち寄ったスオメンリナ島です。
ほんの一時間でしたが
海を前にしたとき、なぜかほっとしました。

今日は小雨の降る肌寒い一日でした。
部屋の中でシベリウスとメリカントを聴きながら
夏の海を思い浮かべています。

吉松隆(6)

2007.08.17| 吉松隆

私は、作曲の本業のほかに、クラシック音楽紹介の本や原稿を書いたり、時には自分で(↑こんなふうな)イラストを描いたり、FMの音楽番組で解説をしたりする仕事もしています。

まあ、本業の作曲ではちっともお金にならないので(交響曲を書いても、誰かがお金をくれるということは、滅多にありません。念のため)、日銭を稼ぐ必要に駆られて・・・。

というのは冗談ですが(半分は冗談じゃないですが)、先生などの職に就いていない私にとっては、これももうひとつの重要な仕事と思っています。

そもそもクラシック音楽というのは、素晴らしい音楽の宝庫ながら、楽しむのにちょっとした「コツ」がいるのも事実です。なにしろ大小さまざまな天才たちが200年以上にわたって積み上げてきた宝の山。一番上で派手にキンキラ光っている王冠や、入口で大安売りみたいに並ぶ首飾りは、宝のほんの一角にしかすぎません。

実はその裏に巨大な宝石箱がいくつも隠れていることもありますし、一番大きなダイヤモンドが奥の方に埋まっていることがあったり、時には、隠し扉の向うにもっと大きな宝物殿が潜んでいることだってあります。

そんな中から、自分だけの宝物を見つけ出すためには、(ある程度)自分から探し出す努力や勉強が必要です。私自身も、今でこそ例えばシベリウスやブルックナーの最後の交響曲やロマン派や近現代の様々な作品を「生涯の宝物」として聴いていますが、いずれも、簡単に見つかって最初から「あ、面白い!」とすべてを理解できたものではありません。

むしろそういう音楽ほど、出会った第一印象は「よく分からない」というものが少なくないのです。でも、作品の背景や作曲家のことを知り、その語法や歴史や文化的背景などなど色々なことを知り始めると、「そうだったのか!」という思いと共に興味が深まり、聴き方(聴こえ方)が変わって行くことが多々あります。

最初に出会った時は無愛想でとっつきにくいと思った相手でも、しっかり正面から付き合うことで一生の親友となることは、よくあることです。そういう「人生にはなくてはならない心の友」としての作品との出会いを、少しでも多くの人たち、そして子供たちに味わってもらえたら、という思いで、クラシック音楽についてのあれこれを書き、語り続けているわけです。

もっとも、実を言うと、私がはまりこんでしまった「クラシック音楽」という底なし沼へ、一人でも多く引きずり込みたい…という悪魔のような思惑も、ちょっぴり混じっているのですけどね・・・

・・・・・吉松隆

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