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BLOG

せんくらブログ

米良美一
2007.06.19

米良美一(3)

今日は朝からピアニストさんとのリハーサルにつづき週刊誌の取材があった。

7月10日に出版されるボクのこれまでの人生を綴った本「天使の声―生きながら生れ変わる」のPR取材である。

約半年かけて結構丁寧に書き綴ったものがいよいよ出版される。
嬉しいような、ちょっと裸を見られるようで恥ずかしい気もするが…。

これからの人生、できるだけ力を抜いて、ありのままの自分として生きていきたい。

そしてもっと心から歌に魂を込められるようになるために、自己を開きたいと思ったから。

「せんくら」で歌うのは出版後だから、

その頃にはより拡がりをもった米良美一に出会えること間違いなしである。乞うご期待!

波多野睦美
2007.06.19

波多野睦美(3)「うぐいすの発声練習」

季節が6月ともなると、巷のうぐいす達のテクニックも上級になるようです。

春先には「けきょ けきょ け」と、聞いてるこちらの気が抜けそうなビギナーヴォイスだったものが、

最近では「ほぅ~~~~~ ほけきょぅ~」

軽やかなフレーズに変化。

思わず「うまいっっ!」と間の手を入れたくなります。
うぐいすの人知れぬ精進の日々に、頭をたれる私です。

かと思えば、山鳩(か?)の

「ふんがーっがっがっ ふー」

という耳につく妙なリズムの声も聞かれます。

こちらは練習も何もなさそうですが、テンポ、リズムキープの正確さに、頭が下がります。

鳥は一体どのような意識で自分の歌を鍛えるのか?

すごく彼らに聞いてみたい。
「やっぱり!」と思うのか
「かなわん。。。」とがっくりくるのか。
どうも後者のような気がしてしまう。

とにかく四六時中「声」というものについて考えているので、今回のせんくらの朝一のプログラムも、何も考えなくても、考えている「発声」のことにした訳です。

これは決して
「こういうのがきれいな声です。さ!やってみて!」
というワークショップではなく、
むしろ自分の知らない、自身の声の美しさに気づいてもらう、そんな時間にしたいと思ってます。

みなさんのご参加、楽しみにしています!

米良美一
2007.06.18

米良美一(2)

今日は朝から久しぶりに墓参りをした。

ボクは昔から墓参りが大好きだ。
たとえヒット曲の歌の文句のように、そこに誰も眠っていないとしても、お墓の前でこうべを垂れるのを、ボクはとても気持ちよく感じてしまう。

ご先祖様の誰が欠けても今日のボクは存在できない。だから心から感謝すべきだし、お会いしたことのないずっと昔のルーツにも、自然と愛情が湧いてくる。

お昼の便で東京へ帰ります。わが家の愛犬さんぼは元気かな。

 

波多野睦美
2007.06.18

波多野睦美(2)

イギリス民謡が日本人の心にフィットするのはなぜでしょう。
そのメロディーだけで十分に魅力がありますが、今日は詩のうまみを味わってみませんか。

例えばサリーガーデン。「柳の庭」という意味です。

「僕とあのひとは柳の庭で出会った
彼女は雪のように白い 小さな足で歩きながら言った
愛を 気楽に考えましょう 木に葉が繁るように
でもその時 僕は若くて馬鹿だったから その言葉に頷かなかった」

気楽にいきましょう、とリラックスした彼女と、より真剣な若い男。
サリーガーデンの詩は、たった2連しかない。
1番の歌詞を見ただけで、彼のその後の運命が見え隠れするでしょう?
この数行の言葉には、千行の詩でも言い尽くすことのできない恋の苦みがあふれています。

サイモンとガーファンクルによって世界中で知られることになった「スカボロフェアー」は、不思議な詩。

スカボロの市に行くのですか?
あそこにいる人に 僕のことを伝えてくれる?
昔 恋人だった人なんだ

彼女に1エーカーの土地を見つけてくれるよう言って
海の水と砂浜の間に
そうすれば 彼女はもう一度僕の恋人

何番もの詩が残っていますが、ほとんどが「不可能なこと」を投げかけています。
一体何が言いたいのか??
彼女に戻ってほしいのか、ほしくないのか?

そして印象的な、パセリ・セージ・ローズマリー・タイム というリフレイン。
これを繰り返し歌っていると、決して抜けられない迷宮にいるような気がしてきます。

米良美一
2007.06.17

米良美一(1)

もうすぐ”せんくら”の季節がやってくる。
今年もまた、私を大好きな街・仙台へ呼んで下さる事に、喜びと感謝を
感じずにはいられない。このブログを書きながら、仙台のあたたかい皆
さんを前に歌えるその日を、心から楽しみにしている。

今日は父の日だ。
昨日から宮崎シーガイアのホテルでのディナー・ショウの為に、故郷へ
来ている私は、今日、何年かぶりに父の日を親と過ごしている。いつも
遠く離れて暮らす一人息子のボクは、こういうイヴェントの日くらい、
何か愛情を形にして両親に伝えたいものだ。生歌でもプレゼントしよう
かなあ・・・それともやっぱり現金!?

いやいや一番は一緒に過ごす時と空間が最高の演出で、親子の絆を太
く、強くしてくれるに違いない。めーいっぱい甘えてこよう!

波多野睦美
2007.06.17

波多野睦美(1)

仙台のみなさま、こんにちは。
この秋、美しい杜の都で一日中歌いまくることを、心より楽しみにしています!

さて今回用意しましたプログラムのいくつかは、400年前のシェイクスピアの時代にイギリスやイタリアで盛んだった音楽。私たちデュオが日頃から最も愛奏しているジャンルです。

クラシック音楽の中でも、その「地味さ」において右に出るものはない(意:知られていない)ジャンルですが、みなさまに耳なじみがないかというと、これがそうではありません。日本全国このメロディが一日に何回流れるか、想像もつかないほどポピュラーな「グリーンスリーヴス」は、この時代の流行歌です。

電話の「おまたせメロディー」に使われるのは言うに及ばず、うちの近所では「卵売り」の車がこのメロディーと共にやって来ます。合間にニワトリの「コケーッ」という鳴き声付き。これは原曲にはありません。

この歌、実はこんな内容です。
「グリーンスリーヴスよ、僕は君に 人生も土地もすべて捧げたペチコートも買ってあげた あれも これも買ってあげた。。。」

綺麗なレディ、グリーンスリーヴスにほれぬいて、捨てられ、なおあきらめのつかない哀しい奴。しかし彼の思いは美しいメロディーにのって、400年後の極東の国にまで届いたのでした。あきらめが肝心、とは限りませんね。

 

荒川洋
2007.06.16

荒川洋(7)〜現在あれこれ〜

こんにちは!!!!!荒川洋デス。第7回目。えっもう最終回?気がついたら書きたかったことが山ほどに!笑

最後はやっぱり、オケのことを書こうかな。新日フィルではいつも素晴らしい仲間や先輩たちと切磋琢磨してるんですが、98年から入団して本当にお世話になった諸先輩たちが、定年などで、お別れしないといけない時期がくるんですね。これは、愛するオーケストラの宿命かもしれないのですが、逆にランパル氏や先日亡くなられたロストロポーヴィチ氏のように、本当は音楽家に「定年」はないわけで、なんだか複雑な思いに駆られます。でもそういう思いにさせてくれる程、たくさんの素晴らしいプレイヤーがそろっていて、その人たちの思いを発展させるも殺すも自分たち次第なんだろうなと思います。僕の修業時代は、前回書いた通りフランス。写真右にうつっているチェイ君はロシア。僕の隣に写っている白尾彰さんはスイス。みんな経験した場所は違うけれど、みんなで考えながら作りあげるアンサンブルは本当に格別です。ソロでもたくさん演奏したいことがあるんだけど、こういう場でみんなとチームワークプレイで真剣に音楽に向きあうのも素晴らしいです。

あと、最後。僕には荒川知子という、ダウン症という障害をもった妹がいるのですが、妹は仙台で家族とともにリコーダー奏者として活躍していて、一生懸命いろんなところで演奏しています。多分仙台の人にはおなじみになっていると思いますが、彼女のCDが秋にリリースされると思います。僕が作った「みんなしあわせ」、林光さんが作ってくれた「二羽の鳥、飛びながら話している」など。あと、もしかしたら、先日新日本フィル公演だった石井竜也さんのツアーでアレンジをしていたシンガーソングライター光田健一さんの新曲も入るかもしれません。請うご期待を!

あー、いろんなことが書ききれないもんです。仙台や各地でお世話になった方々すみません!アラブ料理のクスクスの話も書きたかった!仙台にはおいしいクスクスを食べられるお店はあるのかな。どなたか教えてください。ちなみにイナゴの佃煮は苦手です!

今まで読んでくださり、ムーチョグラシアス!! またコンサートでお会いしましょう!

荒川HP:http://hiroshiarakawa.com

 

 

荒川洋
2007.06.15

荒川洋(6)〜パリ奮闘記2〜

こんにちは!!!!!荒川洋デス。第6回目。前回に引き続き、パリ時代ネタ。今回は体験した記憶のいくつかを紹介。

パリに渡り、徐々にいろんなものを見たり聞いたり、パリでの音楽体験が楽しいものに切り替わっていったんですが、特に覚えているのが、シテ・ド・ラ・ムジークでのオーケストラの授業。オーケストラの授業はサボりたい人が多くて、それを利用して「僕が代わりに乗るから、やりたくない人は言ってね」なんて言ったお陰で年平均5〜8回はやってたんじゃないかな。。あれは学生でいながらにして、フランス人たちのオーケストラでの音の出し方や、音楽的志向を体験するいい経験でした。

あと、ブーレーズの現代曲「ソナチネ」をいろんなところで吹いていた時期に、師匠のアラン・マリオンが「彼は友達だから紹介してやるよ。是非会って彼のレッスンを受けてきたらどうだ?」とのこと。あれよあれよという間に、なんとあの有名なフランスの大作曲家ピエール・ブーレーズに会いに行くことになったのです。そして当日、指定された場所はイルカムの音楽要塞のような所で(ちょうどポンピドゥーセンターの真下に位置していました。。)、厳重な警備の中、何十もの門をくぐり抜けたあと、地下8F階くらいまで下がり、僕らがよく目にする体育館の3倍くらいの部屋に通されたんですが、あるのはイスとピアノ一台。しばらく待っているとブーレーズがやってきて、「ちょっと待っててくれ、今音響をかえるから」と言ったあと、両手でパンパンと残響をチェック。約3秒位の残響に首をかしげた彼が、「もうちょっとセッコ(響かなく)にしよう、C2にしてくれ」と誰かに言った瞬間、その部屋中のすべての壁のパネルが反転し、静まり返った後、再度ブーレーズが両手を叩いて確かめると、ちゃんと1.5秒程の音響に変化。ス、スゴーイ!!で、ブーレーズはイスに一人座り、その前でソナチネを暗譜で披露。いろいろ有意義な話もたくさん聞けて、本当に勉強になりました。同時に、パリの中心の地下何十メートルの世界に、核シェルターじゃなくて巨大な音楽研究スペースが存在することにも感動。さすがフランス。800億フランもの大金を文化関連の公共支出に使うだけあって、文化への取り組みの本気度を体感した一時でした。

あとフランスでは、国中でマニフェスタシオン(ストライキ)を本当によくやっていて、鉄道のスト、パイロットのストなど様々。トラック運転手のストなんか、ペリフェリックと呼ばれるパリの環状線から他の国につながる高速道路をトラックで封鎖するという荒技をし、国中の流通をストップするようなひどいことを平気でやってました。そんなひどいストもあれば、音楽家のストも存在していて、確かアビニョンのオーケストラの経済状況を巡って、国中のオーケストラプレイヤーがヴィレット公園(当時の家の目の前)に集結し、野外コンサートをやっていたのですが、あれは聞いていてよかった。ボレロなんか、始めのスネアがプレイヤー十人同時。フルートは、やはり十何人で吹き始め、最後は巨大化したフランスオケ全部で、クライマックス。みんな有志で集まっていたらしく、みんなでいざというときに集まる結束が素晴らしーと思い感動。いやー人生は素敵です。

結局全然写真と関係ない話でしたが、写真のネコはパリ時代飼っていた「らんぱる」ちゃん。最後、らんぱるは7階からダイブしてあの世にいってしまったのですが、パリ時代を一緒に過ごした大切なネコです。

少しネコアレルギーになってしまったので、今ではあまり近寄れないのですが、そんな同じ境遇の人のために、お店を開くのが夢です。名付けて「ネコカクテルバー」。店内はカウンターになっていて、目の前がガラスで覆われていて、向こう側には猫たちがたくさん遊んでいて、それを鑑賞だけできるようにしてあり、猫たちを見ながらネコフィズ、ソルティーキャット(ドック)、ネコマティーニを味わう。。どうですか?どなたか出資よろしく!

荒川HP:http://hiroshiarakawa.com

 

せんくらプロデューサー
2007.06.14

プロデューサーノート<2つのラジオ番組>

<収録中の東海林さんと平井プロデューサー>

2つのラジオ番組が、せんくら2007のことを取り上げてくださる、ということで収録に行ってきました。

1つは総合放送制作で地方AM各局でオンエアされる「東海林のり子の千客万来」、もう1つがFM各局とミュージックバードの「トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ」。

片やもっとも一般的な、テレビの芸能レポートでもお馴染みの東海林さんによるお茶の間情報番組で、トランスワールドのほうは、もっとも高度な掘り下げが行われる音楽専門番組です。

こういった両方向からお声をかけていただき、放送していただけるのは本当にありがたいことだと思っています。

「千客万来」は残念ながら仙台地域での放送は無いので、詳しくはせんくらオフィシャルサイトに載っている地域のかただけに聞いていただけることになっています。
http://sencla.com/news/syutsuen.html

こちらの収録で強い印象を持ったのは、なんと言ってもキャスターの東海林さんが、その道50年ということ。最初は局に属していましたが、ずっとフリーで何十年も注文があり続ける、というのは気が遠くなるほど大変なことです。演奏家でもこのレヴェルで注文がき続ける人は指折り数えるくらいしかいないのですから。

何とかその秘訣をうかがいたいと思い、ズバリおききしたら「健康ですね」というお言葉が返ってきました。そんなことに秘訣はなく、その人そのもの、としかいいようがないのですから、このお答えは満点でしょう。

「トランスワールド」は仙台での放送もありますので、下記詳細をご覧ください。ちょっと早い時間ですから、大変お手数ですが、ご興味もっていただける方はタイマーで録音ですかね。そういうのも普段からやっていないと面倒ですけどね。

こちらのキャスターの田中美登里さんは、せんくら本番でも吉松隆さんの枠のインタビュアーもお引き受けいただきました。クラシック系では番組制作もアナウンスもトップといってよい方でしょう。その枠はなんと「無料」。太っ腹のせんくらと呼んでいただきたいと思います。

平井洋 せんくらプロデューサー

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トランス・ワールド・ミュージック・ウェイズ
ゲスト:平井 洋(せんくら2007プロデューサー)
テーマ:どこかで聴いたクラシックばっかり/今年も「せんくら」

6月23日(土) 5:00~6:00 Date fm(FM仙台)
28:00~29:00 K-MIX(FM静岡)
6月24日(日) 5:00~6:00  FM広島
6月24日(日)10:00~11:00 MUSICBIRD Cross Culture(11-1)

MUSICBIRD(http://www.musicbird.jp/index.html)は
TOKYO FMグループの超高音質CS衛星デジタルラジオ。(全国放送)
クラシック、ジャズなどジャンル別に10のチャンネルがあり、これを聴くには専用の チューナーとアンテナが必要。お問合せは03-3221-9000
ただ今、チューナーとアンテナを無料でレンタルする「PCM Fun Club」の会員募集中
http://www.musicbird.jp/musicbird/ch_all.html

 

荒川洋
2007.06.14

荒川洋(5)〜パリ奮闘記1〜

こんにちは!!!!!荒川洋デス。いや〜昨日ヴィオラの篠崎友美さんの家で音楽仲間と飲んだコートデュローヌはうまかった!・・・じゃなくて、今回で第5回目。自分でもブログをやっているけれど、いっつも短文だから大変だなー、と思いきや、意外にも昔のことを思い出したりしてすらすら書けるものなんですネ。

今回はパリに渡ったばかりの1993年のエピソード。国立音楽大学在籍中にイダ・リベラ女史と僕のパリでの師匠になったアラン・マリオン氏とプリマ楽器のプライベートレッスンで出会い、マリオンから「パリ国立を受けてみないか?授業料は国負担だから、君は年に保険料としての150フラン(当時約3000円)しかかからないんだよ」と言われ、マリオンが何故金銭的な話からしたのか不明だが、確かに「すごい!」と思ってしまったのも事実。当時日本の音大でお世話になっていた宮本明恭先生にお伺いしたところ、「好きにしなさい!」=「行ってもいいよ!!」とのお言葉(!?)をいただき、まずはニースの講習会も含め渡仏。当時二十歳だったけど、ハラハラドキドキの連続の中毎日を過ごしました。なんせ当初フランス語がまったく喋れなかったんですから!(十何年たった今でも似たようなものですが苦笑)タバコ屋に行って「ダンヒル、シルブープレ!」なんて言っても、「コワ?、ボン、ボアラ(何?ああこれね)」ってゴロワーズが出てきたときは、異文化コミュニケーションだなーって思いきや、つまりは、まったく通じていなかったので、悔しくて、次の日「アン・パケ・ドゥ・ドゥニル・スペリュライトゥ・アラ・マント・シルブープレ!(ダンヒル・スーパーライト・ミント味いただきたいのですが!)」って言って、「イヤドプゴグレー!(うまくなったじゃん!)」と店主から一言。当初はこんなものでした。で、その後やってきたパリ国立高等音楽院の入学試験は近代フランス曲のサンカンのソナチネとドヴィエンヌのコンチェルトともう一曲、あと1ヶ月前に発表されたメルカダンテのコンチェルト。それに3分だけ新曲を見て、Salle d’orgueという部屋で初見で演奏。他にもソルフェージュの試験で歌ったりもしました。結構大変だったけど、無事合格。あとで聞いたら百何十人受けてたのに外人枠は一人か二人だけだったとのこと。つり橋を渡った後の心境でした。その年入学したのはキャリーヌ、デルフィン、チャオチューと僕。マリオンが403の部屋で温かく迎えてくれて、その後、マリオンのアシスタントをしているモイーズの最後の弟子で有名なレイモン・ギヨーのクラスへ。彼のクラスには始終聴講生十数人が聴講していて、彼らの前でエチュード数曲とギヨーさんオリジナル分散和音の練習。あまりに難しいのでつっかえていると「フェルー、オララー(やりなさい、できないのかい?)」って何度もやらされる。真っ青になりながら吹いても許してくれない。コワイー。泣。ウルルン滞在記もここまでやってみてもいいかも。

新日フィルに入団するまで6年間、この地でフランスパンをかじりながら成長していったのでした。(続く)

荒川HP:http://hiroshiarakawa.com

 

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