嘉十の見たもの

2023.08.31| せんくら・うた劇場

せんくら・うた劇場、今年は、宮沢賢治原作、吉川和夫作曲による「鹿踊りのはじまり」をお聴きいただきます。
オペラ「鹿踊りのはじまり」は、2021年に作曲し、東京で初演しました。せんくら・うた劇場のために大幅に作り直しましたので、今回が改訂初演となります。
 
小さな畑を拓いて粟や稗を作っている農夫・嘉十(かじゅう)は、あるとき山の中で六匹の鹿と出会います。すすきの陰から様子を見守っているうち、不思議なことに、嘉十には鹿たちが話すことばが聞こえてきたのでした…。
 
嘉十はどんな人で、鹿と出会うことにはどんな意味があったのでしょう。柳田國男は「遠野物語」の中で、白鹿は神の使いであるとの言い伝えを記しています。一方、現実の鹿は、スマートな容姿や愛らしい眼に反して、畑を荒らす「害獣」と嫌われることも多く、電車と衝突して運転を見合わせているというニュースを今でも時折耳にします。鹿に出くわすのはそれほど珍しいことではないし、人間たちは鹿に必ずしも好感を持っているとは限りません。でも、嘉十は違います。岩手県各地で行われている民俗芸能「鹿踊り(ししおどり)」、その「はじまり」はこんなふうだった…というのは宮沢賢治の想像ですが、芸能とは、いきものに対する慈悲のまなざしを持った嘉十のような人が、幻視した神の技に畏怖し、神に通ずる通路を人々に拓いたことから始まったのではないかと思えてきます。であれば賢治の描いた「鹿踊りのはじまり」は、すなわち「芸能のはじまり」「芸術のはじまり」でもあるのです。
 
この作品に登場する鹿たちは、岩手ことばを話します。リズムも音韻も豊かでしなやかな岩手ことばが原作の大きな魅力ですが、ことばと音を両立させることは容易ではありません。田舎情緒を漂わせるだけの「東北弁」ではなく、賢治が書き留めたことばのリアリティに少しでも近づくために、岩手県北上出身の演劇人しままなぶさんに鹿たちの会話を音読していただき、抑揚やリズム、音韻を音符に置いていきました。チェコ語についての知識はありませんが、作曲家ヤナーチェクがモラヴィアのことばを音にうつした作曲の仕方と通じるものがあるかも知れません。私は長年仙台で仕事をしていますが、岩手ことばのネイティヴな話者ではないし、今回の出演者もみな同様です。しかし、そこに挑戦しないとこの作品の心棒には近づけないような気がしています。原作の一部分を省略しましたが、基本的には原文のまま歌い語ります。そして、今年もアトリエ・コパン美術教育研究所の子どもさんたちの素晴らしい絵画とのコラボレーションが実現します。
 
せんくら・うた劇場は、公演番号60、10月1日(日)16時30分~17時15分、日立システムズホール仙台・交流ホールです。どうぞお楽しみに!
 
出演:せんくら・うた劇場(アンサンブル)
ソプラノ:中村 優子
アルト:髙山 圭子
テノール:原田 博之
バリトン:武田 直之
ピアノ:倉戸 テル
作曲・監修・指揮:吉川 和夫
フルート:芦澤 曉男、パーカッション:星 律子
 

オペラ「鹿踊りのはじまり」初演のために作られたマスク(美術:上條直之)


 
 
吉川 和夫

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