※アフリカの太鼓「ジャンベ」で子供達と戯れる
打楽器奏者、竹内将也です。
みなさま今年のせんくらも大いに楽しみにしていらっしゃることと思います。
多くの素晴らしいミュージシャンによる演奏が気軽に聴けるのですから!
例えば弦楽器の美しい音色、加えてその合奏が醸し出す深遠さ。
これまで多くの作曲家が愛し続けた故に改良が重ねられてきたピアノはこの一台だけで無限の響世界が生み出されます。
声楽は勿論のこと、その他にも人間は古くから自然の産物を利用して多種多様な楽器を発明し、繊細な発音や技巧の極限を目指しながら藝術としての音楽を培ってきました。
音楽とは何と書くか?と尋ねられれば、多くの方が「音は楽し」と答えるのではないでしょうか。
「楽」の字のもともとは「樂」。糸が付いたどんぐり(のちに鈴となる)を振り鳴らす神事の様子と言われます。
御神楽を見ればわかるように、神様に喜んでいただく、つまり<願う>という意味があるのです。
昔の人々は何かを祈る時に歌い、踊り、そしてモノを打ち鳴らす。
旧人類ネアンデルタール人は歌いながらコミュニケーションしていたという説があります(「歌うネアンデルタール ―音楽と言語から見るヒトの進化 スティーヴン・ミズン著、熊谷 淳子訳 早川書房)
他にも彼らは亡き人を埋葬した墓に花を手向けた跡があるそうです。
こういった行いの根本に<願い>の心があることは明らかです。
個人による全体美への希求、調和。
人間のみならず大自然、人智を超えた世界への呼びかけとして音楽が奏でられるならば、演奏とは何かを<呼ぶ>行為と言うことができるでしょう。
呼吸とは息を吐いて吸うことですが、なぜ吐く息のことを呼気(呼ぶ息)というのでしょうか?
どうやら<呼ぶ>と<願う>には共通の感覚がありそうです。呼気によって声が出る=歌うのですから。
<願う>という心の動きから生まれた<奏でる>という行い。
打楽器は他に比べてとても原始的なものですから、聴き手も共感しやすく親しみやすい楽器です。
人間の行為の本質がそのまま音となって炙り出されます。
太古の昔から現代まで、打楽器は常に生活の場、酒の場、踊りの場、儀式そして祈りの場にあり、シグナルであり、戦場で軍隊の先陣を切り、現代音楽の実験の場にもあり、常に最先端に居ました。
だから面白いのです!
打楽器はあらゆる音楽、あらゆる舞台表現のジャンルの中心に位置し、常にビートを発しています。
この外向きのエネルギーが回転運動を起こし、音楽に生命=息吹を与えるのです。元氣になります!
今回のせんくらNo. 30「仙台フィル・パーカッション・プレイヤーズ 好奇心いっぱい!打楽器アンサンブル」は、皆さんの暮らしに一番身近な楽器である打楽器によるコンサートです。
好奇心とは<奇を好む心>と書きますから、割り切れない心、何かを欲している心。やはり<願っている>のですね!
どうぞ<楽>しみにいらしてください。皆さんの生活の何かと繋がれば、望外の喜びです。