せんくらブログ3日目

2017.06.12| 美炎miho

道草を食いつつ得たものは、引き出しかなと思います。
1つの音色は高校時代に暗いうちに早起きして冷たい長靴を履き、スコップを持って屋根の雪下ろしをしながら、自分の吐く白い息と熱くなり火照る体から出る湯気と共に見た一面の雪景色の向こうに朝日が昇り、山の端からだんだんに染まるあの薄紫や、ピンクやオレンジ色を表しているかもしれないし、1つのメロディーはアラスカで体験した大河の流れにただただ木の葉のように身を任せて流されただよった月日から生まれてくるのかもしれないし、これからもそうでありたいと思います。

 

 

東北で演奏するということは、私にとって心の中の大切な一つの原点。

 

今回はハープとアルパという西洋と南米の竪琴との共演です。
馬頭琴は2弦ですがハープは確か47弦。アルパはそれよりは少なく馬頭琴よりは必ず多い弦。(すみません)
全く違うフィールドの楽器であるし、違う世界を生きてきた3人が音楽という溶け合い時に反発もしあう世界においてどんな融合と掛け合いが生まれるでしょうか。
ぜひ体験しに来てください。
お待ちしています。

 

美炎 miho

せんくらブログ2日目

2017.06.11| 美炎miho

モンゴルへ行くことになって出会ったのが馬頭琴でした。
一目見たときに大好きな馬の彫刻が彫ってあり、親しんでいたバイオリンと同じ弓を使う楽器とあらば、これは私の楽器だろうと思いました。

 

モンゴルでは馬頭琴を習うよりむしろ馬に一生懸命乗ってた気もしますが、馬に乗りこなせるようになればなるほど、馬頭琴への情熱も強くなっていったのかもしれません。

 

馬も馬頭琴も乗りこなせるようになってきて出てきた欲は、日本人である私のできる馬頭琴の演奏でした。
自然とオリジナル曲を作るようになり、今はほとんどオリジナル曲を中心に和音やリズム隊と組んで活動しています。
私の中にかつてあった探検心や心惹かれる世界が再び曲として生まれてくることが出来ることに、何も無駄なことはないのだなと思います。

 

音楽家としてはなかなか遠回りした遅い出発でしたが、曲を作ったり表現したりするときに思わぬ形で現れてくるもの。
それが今までの道草を食う事だったのだなと今は思います。
道草を食うといえば、まさに馬の言葉。
以前800キロの馬旅をモンゴルでした事がありましたが、その時に感じた3つの言葉。

 
道草を食う
馬が合う
馬力

 

これはもう嫌という程体感しました。笑

 

 

美炎 miho

せんくらブログ1日目

2017.06.10| 美炎miho

東北の音の最初の記憶は津軽三味線です。
幼い頃に高橋竹山のレコードが家にあり、これが大好きでよく聞いてました。
山形の小国町で高校時代を送る頃、竹山のコンサートを聞きに行き、演奏する彼の後ろに東北の山々が見えました。

 

三味線は言わずと知れた弦3本。
馬頭琴はというと弦2本です。
遠めに見れば竿の長さもペグの位置も胴体の大きさもなんとなく似通っていなくもない。
ただし馬頭琴は弓で弾くのですけれど。

 

 

私は高校時代、山奥の学校にいたせいもあり、森の勉強をしたいと思って農大へ行きました。

 

なぜか今馬頭琴奏者になっていますが。
旅が大好きなのでもっと幼い頃はジプシーに憧れました。
これは今ちょっと似たことになってます。

 

北の地の憧れというのがやはり高校時代からありまして、高校時代を過ごした山形の小国というところは冬は3メートルも雪が積もるので冬になると今までの景色と一変。
何もかもが真っ白く包まれてしまい、シーンとしている。
毎朝の日の出の頃、朝焼けが真っ白な雪景色に薄紫、薄ピンク、オレンジ、黄色とめくるめく反射してこんなに美しいもの何で今まで知らなかったのかなと思いました。
夜になれば星空がぼーっと光る雪面を照らしてるような気がするくらい、雪面と星空が薄紙一枚で繋がっている気さえしました。

 

そんな中に今のように機械もない時代から人々がどんな風に暮らしてきたのかが当時の私の最大の関心でありました。

 

その関心が世界にまで広がり、大学生の頃になるとアラスカ、モンゴルが最も行ってみたい場所となりました。
モンゴルは幼い頃から大好きだった馬がいるところ。という理由もかなり大きかったのですが。

 

美炎 miho

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