日本には、レベルの高いアマチュアオーケストラが数多くあります。市民や区民オーケストラ、企業、銀行のオーケストラ…。そして、ロシア音楽を中心に演奏活動をしているオーケストラも。
ご存知でしたか?
オケの名前もロシア語です。例を挙げると…「ナジェジュダ」(希望)、「ドスヴィダーニア」(また会う日まで、さようなら)、「ラススヴェート」(夜明け)、「ダヴァーイ」(さあ行こう、とか始めよう、というロシア人が好むかけ声)などなど。
そんなオーケストラから、時々、金管セクションのレッスンを頼まれます。ショスタコーヴィチやストラヴィンスキー、チャイコフスキーなどの大曲に加えて、グレチャニノフやボルトケーヴィチなど、日本ではほとんど演奏されることのない珍しい作曲家の作品も、彼らは積極的にプログラムに取り入れています。
嬉しいですね。
ロシア音楽を愛する仲間たちが、こんなにいるとは!
ロシアで培ってきた音楽のすべてを、そんな仲間たちと分かち合いたい。
ロシアと日本の音楽の架け橋になる、私の大切なミッション…。
そんな思いを胸に、これからも、日本で音楽を奏で続けていきたいと思います。
故郷、サンクトペテルブルグから日本に移り住んで、まもなく18年になります。その間、日本の様々な場所を訪れる機会に恵まれました。
7月には、霧島音楽祭の「ふれあいコンサート」に参加し、鹿児島県・徳之島と種子島を訪れました。徳之島は、鹿児島から飛行機で南へ1時間。豊かな自然、青々と広がる大きな空と海、戦艦大和の慰霊塔、慣れない徳之島の言葉…見るもの、聞くもの、すべてが新鮮で、大きな感銘を受けました。
戦艦大和の慰霊塔
夜の本番が行われたのは、徳之島町文化会館。正直言うと、これだけ“本土”から離れた島に、すばらしい演奏会場は期待していませんでした。
ところが…
響きの良いホール、ステージ回りも客席も、地元の人たちや行政の目が隅々まで行き届いていることがわかります。そしてステージの真ん中には、しっとりと響くスタインウェイ、とても良いピアノでした。島民の愛情と配慮あふれるホールで演奏できたことは、本当に大きな幸せでした。音楽家冥利に尽きる…そんな日本語がぴったりです。日本には、都会に限らず地方各地に、たいてい素晴らしいホールがありますね。音楽を奏で、親しむための「器(うつわ)」が日本全国に整備されている気がします。
もう一つ、日本で「音楽の底力」を感じることは、中学校や高校で盛んにおこなわれている吹奏楽部の活動です。ほぼすべての学校に吹奏楽部があって、土日も、夏休みやお正月休みにも、みんな一生懸命練習しています。様々なコンクールや演奏会も盛んで、生徒たちはそれを目標に頑張っています。徳之島でも、中学生、高校生との交流会がありました。子供たちの熱い思いが伝わってきて、こちらもテンションが上がりました!
この写真は、それに先立って、島の保育園を訪れた時のものです。
子供が元気なら、大人も社会も、元気になれます!
徳之島の保育園でのショット
中学校、高校の吹奏楽部の指導や定期演奏会へのゲスト出演も、毎年何回かあります。そんな時は、いつもワクワクしながら学校の門をくぐります。若い力と情熱を、今日もいっぱいもらえる、という思いで。
素晴らしいですね。
トランペットのアレクセイ・トカレフです。
今回初めて、せんくらに参加させていただきます。
私は、サンクトペテルブルグ音楽院(当時はレニングラード音楽院)のトランペット科を卒業しましたが、同学院の声楽科にも在籍していました。今は声が低くなりましたが、もともとはテノールです。
在学中に入団したオーケストラでの演奏活動が忙しくなり、歌からは遠のいていたのですが、この数年、ロシアの声楽曲をレパートリーにする歌手の皆さんや合唱団からの指導や、バリトン歌手としての出演依頼が入るようになりました。
今は、在日ロシア人音楽仲間のアンサンブルで、ボーカルも担当しています。昔取った杵柄が、はるかのち、遠い日本で、まさか役に立つなんて!人生、無駄なことなど、なにもありませんね。そう実感する今日この頃です。
声楽を学んでいたことは、私のトランペット演奏にも大きく影響しています。トランペットは歌う楽器。自分の歌声をトランペットにのせて、いろんな歌い方ができます。
ラフマニノフもチャイコフスキーも、残念ながらトランペット用の作品は残してくれませんでした。でも、チモフェイ・ドクシツェルを始め、多くのロシアの先輩奏者たちが、彼らの珠玉の音楽を、トランペット用にたくさんアレンジしてくれています。
トランペットに込める僕の歌を、どうぞ聞きにいらしてください!
仙台で、皆さんにお目にかかれる日を楽しみにしています。
「ロシア民族舞踏アンサンブル「ガルモシカ」の仲間とのステージです。バラライカのマクシム、アコーディオンのイリーナと」