とうとう最終日になってしましました。
私は普段ブログはやりませんが、これを機に始めてみようかな(^^)/
こうやって普段思う事を文章にすることは、とても楽しいですね。
唐突ですが今年6月に第一子を授かりました!
未だに父親の実感がないぐらいほやほやです💦
出産に立ち会った際、生まれてすぐの泣き声は一生忘れることはないでしょう。
今思えば、妻が身ごもってからずっと心配していました。
無事、元気な子が生まれるだろうか?と。
いざ産まれてからは、元気に育つだろうか?
病気にはならないだろうか?
びっくりすることに、将来友達はできるだろうか?に至るまで。
子どもの事はずっと心配です。
親とはそういうものなのでしょう。
自分もそして妻も、人間皆そう思われているはずです。
人は必ず誰かに思い思われているはずなのに、そのことが感じられない人々が、世界の平和を壊しているように思います。
とても残念なことです。
はたして我が子が生きる未来の世界は平和なのでしょうか・・・
このままでは未来の子供たちがかわいそう、平和な時代を残してあげたい。
最近、本当にそう思うようになりました。
そのために、今私たちにできること、自分が未来のためにできること、それぞれがしっかりと責任をもって担うべきですね。
私達演奏家が出来ることは、音楽に対して真摯に向き合う事。
その姿勢は必ずお客様に伝わります。
お客様が音楽を聞いて、心が豊かになれば、それが広がれば・・・大げさかもしれませんが平和に近づくのではないでしょうか。それが演奏家の使命です!
現在、私が演奏を出来ているという事はまだ日本は平和なのでしょう。
大げさなことはさておいて、ぜひ心のリフレッシュに会場にお越しください。
あっそうそう、前回書きましたが、実は私のリサイタルの日(10月1日)、
偶然にも私の35回目の誕生日です。
なんだか仙台に運命を感じる今日この頃です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは会場でお会いしましょう!!
さて予告通り私の変な!?経歴をご紹介いたします。
私は34歳です(7月30日現在)←次回のブログでもう一つとっておきの情報をお届けいたします!!
なぜ私が歌手になろうと思ったか。
正直子供のころ全く歌手には興味はございませんでした。
私の夢はプロバスケットボールの選手でした。
高校のバスケ部の顧問であった父の影響で3歳ごろから体育館で過ごし、
中学では迷わずバスケ部に入部しました。
自分で言うのもなんですがまあまあ活躍していました。
千葉県代表で全国大会にも出場しましたし、アメリカ遠征もしました。
もちろん高校もバスケットボールで入学しました。(勉強は・・・)
東海大学付属の高校で3年間寮に入り、親元を離れまさにバスケット漬けの生活でした。
3年次はキャプテンを務め本気でインターハイ目指し汗を流していました。
しかし、残念ながらインターハイ出場を逃し、夢破れました。
そこで進路を考えることに。
両親の影響もあり、中学校の教師になり、バスケ部の顧問になる!という夢を持ちました。
ただ机で勉強することが苦手だった私は、何か実技で大学に行けないものかと考えました。(高校受験みたいに笑)
もちろん体育の教師も考えましたが、父が体育科だったので違う教科をと。
そこで音楽という選択をしました。
今考えれば無謀ですね。なぜなら音楽大学に進学しなければなりません。
当時は音大受験の仕方すら知りませんでした💦
ただ若い時の好奇心はすごいもので、受験の仕方、そして音大の受験勉強(色々特別な教科があります・・もちろん実技も)を必死で勉強し、奇跡的に現役で合格しました。
大学時代ももちろん先生になるつもりで過ごし、教員免許を取得したのですが・・・
なんだかもう少し声楽を勉強したくなり、続けようと思ってしまいました。
勉強しているうちにオペラ歌手になってしまったというわけです。
人の人生は本当にわかりません。なにが仕事になるか。
もしインターハイに行けていたら!?・・・・・・・
今の私はなかったでしょう。
皮肉なことに、今年9月に日本でプロのバスケットボールリーグ、Bリーグが開幕します。
Bリーグで私の仲間でライバルだった鵜沢潤選手(名古屋ダイヤモンド)は現役として、佐藤博紀さんは千葉ジェッツの監督になられました。
夢を叶えた仲間たちを羨ましく思いますが、私はまた新たな夢に向かって頑張っています。
未だに夢に向かえる人生を送れることが、私にとって一番の喜びです。
なぜなら音楽家はとてつもなく難しい課題を、一生かけて勉強するのですから。
体育会系オペラ歌手!こんなこともあるのです。
それではまた次回!
みなさん初めまして!
今回初めて「せんくら」に参加します、テノールの西村悟(さとしと読みます💦)です。
今日から3日間ブログを書かせて頂きます。
「せんくら」に参加するのは初めてです。しかし仙台へは本当によく訪れました。
というのも私の父は仙台市青葉区中江出身です。
ずっと祖父母もいましたし、叔母も仙台でしたから幼少時は毎年夏冬と訪れたものでした。
ずんだ餅や七夕、秋保温泉までもが青葉区(青葉区広いんです・・・)だという事まで知っています(笑)
今はお仕事で訪れることが多いため、緊張感と節制とで、正直あまり仙台を堪能できていないのです。本当は2,3日仕事なしで滞在したいものですね・・・
そんな緊張感を解くのが本番終了後、帰京するまでの束の間の時間です。
そこでは楽しみのお酒タイムです。存分に楽しみます(^^)/
仙台でお酒の友といえば笹かまぼこです。
チーズ、サラミ、しそ等々さまざまな味が売られていますが、やはり一番はプレーンでしょう。
沢山のメーカーがありますが、私にはお決まりの店があるのです。(店名は控えます)
そこで家族にお土産を買いつつ新幹線で食べる分も購入、
大宮で下車するので、ほんの1時間30至福の時間を堪能します。
杜の都仙台、私にとっては懐かしい場所ですし、思い出も沢山あります。
そんな仙台でクラシックのお祭に、参加できるということは感無量です。
ぜひみなさん、「仙台にさとし君が帰って来たよ〜」くらいの気持ちで会場に足を運んでください。思い出と感謝を歌に込めてお届けします。
次回は私の変な経歴をご紹介いたします。
お楽しみに!!